第六十三話 ウィリアムの剣
鉄の扉が開かれた。一歩一歩随分と優雅な所作と足取りでシェリナに近づいてくるのは、ここグランガイム帝国において次期皇帝に間違いないとされる美青年。今上皇帝ライオネル・グランガイム・ドラッケンの嫡男にして皇位継承順位第一位、皇太子への即位も間もなくとされるウィリアム・ドラッケンその人であり――そしてシェリナの兄である。
「やぁシェリナ。調子はどうかな?」
そんな彼は、人を引きつける魅力的なオーラに包まれており、その笑顔一つとっても、同性異性問わず虜にしてしまうカリスマ性に富んでいた。
今シェリナに向ける笑顔も、一見すると非常に慈しみに満ちたものであり、とても毒を飲ませた相手に向けるようなものではない。
ただ――シェリナはどこか及び腰であり、彼に声を掛けられても何も語ること無く俯きっぱなしであった。
「どうしたシェリナ? この塔に幽閉されてから、顔を見せたのは最初の面会の時だけで、随分と久しぶりの再会のはずなのに――この兄に挨拶の一つも出来ないのかい? その石版を使えば、会話だって出来るんだろ? それとも、兄さんとは話したくないとでもいうのかな? 毒を盛られても決して問題にせず、穏便に済ましてあげたこの兄に――」
そしてゆっくりと近づいていき、彼女の肩を両手でがっしりと掴む。
「さぁ、シェリナ。挨拶、この私に、さぁ」
『……ご、ごめんなさい。久しぶりで驚いてしまって。お兄様との再会、嬉しく思います。お兄様はお変わりがなさそうで……』
石版に必死に書いた文字を見せる。文字には若干の震えも感じられた。
それを確認した彼の目は、どこか冷たく。
「……うん、そうだね。私は変わりはないよ。いつも通りさ。毒のせいで暫く皇子としての公務もこなせず、皇太子に即位するのが遅れてしまったけれど、代わりはないよ。勿論、シェリナ、その程度の事で君を恨んでなどいない。毒を盛られたといっても、もうすっかり元気になれたからね」
それに対し、シェリナは何も答えない。目を逸らし毒を盛ったというその件から逃げるように、距離を置くように、だが――
「でも、未だにごめんなさいがないのが兄には辛いよ。私はもう恨んでなんていないと言っているのに、まさかまだ最初みたいに毒なんて盛っていないとでも宣うつもりかな?」
シェリナの小さな顔を掴み、無理やり目を合わせさせ、問いかける。お前は毒を盛ったんだ、と言い聞かせるように口にする。
「お前は、この最愛の兄に毒を盛ったんだ。そのことは忘れてはいけないよ? でも、結果的に良かったかもしれない。おかげでこの塔に幽閉できた。何せ、お前は決して表には出していけない存在なんだから、それは判ってるだろ? だから、お前はずっとここに閉じこもっていればいいんだ。そしてこの兄の為に、じっくりと成長してくれれば、それでいいのさ」
両肩を掴み、かと思えば、スンスンと妹であるシェリナの匂いを嗅ぎ始める。
それに、ビクリと肩を震わせ、瞳をギュッと閉じるシェリナであり。
「う~ん、芳醇な、いい香りじゃないか、よく成長している。このまま熟成してくれれば、シェリナはきっと今よりも更に輝く。ふふっ、シェリナ、僕達の母親は凄く美しかった。シェリナ、君には母の面影があるね。私は母が大好きだった。母の事は一日たりとも忘れたことはない。もうこの世にいないのが残念だけど、シェリナには母と同じ、そう、可能性を感じるんだ」
小さな耳の側で、囁くように告げた。そしてスッと立ち上がる。金色の髪をかきあげ、そして、フフッ、と不敵な笑みを浮かべるが。
「うん? なんだ目覚めたのか。全く、折角の愛妹の語らいの場だと言うのに、無粋なやつだよ」
ふと、そんな事を述べ、腰に帯びた剣の柄に手をかける。その時だった。
「――へぇ、これは驚いた。シェリナ、もしかして君はこの私に何か隠し事をしていないかい?」
え? とシェリナが顔を上げ、目を丸くさせる。
『な、ないです。何もありません』
だが、すぐに石版にそれを記し兄の前に掲げた。
それに、ふ~ん、と冷たい言葉を落とし、冷血な視線を壁の向こう側に向ける。
「でも、反応してるんだよシェリナ。この私の――ハンニバルがね!」
かと思えば、ウィリアムは鞘から剣を抜き、そして、禍々しい光が溢れ出したその刃を振り抜いた――
◇◆◇
あれが本当にあの皇子か? 前に見た時より、完全にヤバそうだろ……。
窓から中の様子を覗き見つつ、そんな印象を持つ。シェリナは、今日のところは引き上げて欲しいと言っていたけど、やっぱり気になるからな。
だから瞬間移動した後、再び風に乗り、隠れ身で姿も消して気配も殺し、中の様子を見ていたわけだ。
だが、あのウィリアムは相当ヤバい気がしてならない。喋り方もシェリナの前では違うし、どっちかというとこっちの方が素か? それに、何故か彼女の匂いまで嗅ぎだした。
本当、一瞬棒手裏剣でも投げ込んでやろうかと思ったけどな。とにかく一挙手一投足の一つ一つの行動が怪しい。毒の件一つとっても、シェリナが犯人ではないとは思っていたけど、下手したらこいつの自作自演の可能性まで出てきた。
全く、この帝国はまともなやつはいないのかよ、と――
『――へぇ、これは驚いた。シェリナ、もしかして君はこの私に何か隠し事をしていないかい?』
へ? 俺がそんな事をアレコレ考えていたら、突如ウィリアムがそんな事をいいだした。
おいおい、どういうことだ? まさかこいつまで? いや、でもちょっと違うな。この皇子自身が気がついているようには思えない。
なら、一体――
『でも、反応してるんだよシェリナ。この私の――ハンニバルがね!』
「グウォオオォォオオォオオオン!」
なっ!?
ウィリアムが剣を振り、かと思えば禍々しいオーラに包まれた巨大な口が壁をすり抜け俺に喰らいつこうとその大口を広げた。
冗談じゃねぇ!
風をうまく調整し、一気に上昇。なんだかよくわからないが、攻撃らしきそれを避けた。
「グォオォォオォオオオオオ!」
なんて思ってた俺が甘かった。この野郎、普通に方向転換して追って来やがった!
禍々しい色のソレはやたら長い尾を空中で引き摺るようにしながら、大口を広げて近づいてくる。しかも飛行スピードが速い。
そして口がでかい。俺ぐらいなら一呑みにするのは余裕だろう。
「火遁・烈火連弾!」
とにかく、なんだか判らない化け物だが、食われるなんてまっぴらゴメンだ。だから火遁で炎を連射。
だけど、その全てが虚しく巨大な口の身体をすり抜けた。ダメだこいつ、攻撃が通らない。通じないとかそういうのではなく、判定がない。
一方的に攻撃可能な魔法や忍術みたいなものだ。妙な唸り声上げてるから生き物っぽくもあるが、開眼でみてみると生命反応はない。なんらかのエネルギーの塊だ。しかも魔力やオーラとは一線を画する何かだ。勿論忍気でもない。
あのウィリアムが言っていた、ハンニバルというのが何か関係しているのかもしれない。名前からして怪しいしな。
とは言え、こいつをさてどうするか――とにかく。
「時空遁・時空連結!」
時空の穴を開けると、吸い込まれるように巨大な口の化け物がその中に飛び込んでいく。
もう片方の穴は出来るだけ遠くに開けた。だけど、こんなのは只の時間稼ぎにしかならないな。
「グォォオオオオオオオォオォ!」
ほらもう戻ってきた。オマケに時空遁使った影響で俺の風遁も維持できず俺は地面に向けて真っ逆さまだ。
とは言え、いつのまにか防壁は超えていたので、そのまま森のなかに落ち、地上を逃げる道を選ぶ事にする。見通しの良い空中よりは逃げやすいかもしれない。
「グオオオオォォォオオオォオオ!」
そんな事を思っていた事が俺にもありました。
ダメだこいつ! 樹木も花も関係なくひたすら呑み込みながら追ってきやがる! 遮蔽物とか関係なしだよ!
でもよく考えたらそれはそうか。大体俺が隠れ身を使っていてもこいつには気づかれたわけだし、何か特殊な獲物を察せる力があるのだろう。
それにしても最近よくバレるな俺の隠れ身! 意味ないから既に俺も解いたし!
そしてなんとなくあの忍者の言っていた帝国にもヤバいのがいるという話を思い出す。
こういう意味のヤバいかよ!
「ヌハハッ! ついに見つけたぞならず者め! 吾輩こそは帝国軍第六騎士団所属! 黒鉄の熊殺し! あのフォクロベアーでさえ一撃のもとに葬り去った第六騎士団の筆頭頭! それがこの我輩! ブラック・ダイナマイトーーーー! ジャスティーーーー」
「悪い! 誰か知らないがかまってる暇ない!」
「ス、て何?」
俺は突然立ちふさがるように現れた巨漢の騎士の頭上を飛び越え、そして忠告する。
「おい、お前も早く逃げたほうがいいぞ!」
「何を言うか! 貴様のようなならず者に――」
「グオォオォォオオオオォオオォオン!」
「――へ?」
――グシャッ。
あちゃ~だからいわんこっちゃない。誰だか知らないけど、追ってきたアレに見事喰われたよ。
でも、別にターゲットが俺だけだったってわけでもないんだな。そして、人間を餌にした場合はわりとじっくりと味わうようで、なんとも気の毒だが、バリバリムシャムシャと噛み砕かれ、咀嚼されている。
でも、おかげであいつの動きが止まった。格好からしてこの森を見張っていた帝国の騎士だろうけど、結果的に助けられたな。
うん、ありがとうおっさん! 君の犠牲は無駄にはしない!
というわけで、その場ですぐに時空転移の印を結び――なんとか宮殿の近くまで戻ってこられた。
一応、追ってこないか暫く偵知を展開して探ってみたけど、動きは感じられない。どうやら一定距離以上離すことが出来ればもう追ってこないようだな……ふぅ、それにしても、あのウィリアムとかいう皇子、予想以上にヤバイやつだな――
◇◆◇
「うん、戻ったね。どうやら無事食べることが出来たらしい」
ウィリアムが剣を鞘に戻し満足気に語ると、不安そうにその様子を眺めていたシェリナが後頭部をハンマーで殴られたような衝撃的な表情を見せる。
肩も手も、ワナワナと震え、目の焦点も完全にあわなくなっていた。
「シェリナは悪い子だね。私に黙って、ネズミを引き込んでいたなんて。全く、それで悪影響が出たらたまらない。でも、もう大丈夫だよ、穢らわしい鼠は駆除した。だけど、これっきりだ。今度同じことがあったら、もう許さない。判ってるね? 私は出来ればお前も、カテリナも傷つけたくないんだ。その事をよく覚えておくんだな」
ニコニコとした表情から、冷徹な顔に変化させ、そしてシェリナに言いのける。だが、既にシェリナは心ここにあらずといった様相であり。
「ふぅ、今日はもう話はできそうにないな。まぁ、仕方ないか。また来るとするよ」
そしてウィリアムはシェリナにそう言い残し、その幽閉の間を後にした。
「あ、お疲れ様っす!」
「ああ、おつかれ。ところで、ここに時折カテリナが来ているだろ?」
「え? あ、それは……」
「なに、妹の気持ちは私だって判るさ。だけど、シェリナは少し調子が悪いようなんだ。だから、これから暫くはカテリナでもここを通さないで欲しい」
「え? いや、でも」
「この私が、シェリナの身を案じて言っているのに、きけないと、お前は言うのか?」
ウィリアムが高圧的に述べると、途端にピサロの顔色が変わった。直ぐ様頭を下げ、滅相もないっす! と命に従う姿勢を見せる。
「そう、それでいいんだ。君には期待しているからね」
ピサロの肩に手を乗せ、そしてニコリと微笑んだ後、彼はそのまま塔を後にした――取り残されたピサロは、なんとも言えない神妙な表情を見せていたという……。
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