第六十話 気絶からの目覚め
「う、うぅうぅん、あれ? ここは?」
徐々に意識が覚醒し、瞼を開いた先に広がっていたのはどこかの天井だった。
若干記憶が覚束ないが、体を起こし、自分がベッドで寝ていたことに気がつくと、段々と何があったかを思い出すことが出来た。
ここは泊まっている宿で、分身が運んでくれたんだな。
「そうか、俺、負けたんだな――」
そして、思わず呟く。唐突に背中に重しを乗せられたようなズシーンとした感情が去来した。
負けたなんて、ここ何年も経験していなかった。地球では任務も全て達成してきた。
自分は完璧な忍者だなんて思い上がった事を口にする気はないが、それでもそれなりの自信はあった。それが、こうもあっさりやられるなんてな……同じ忍者とは言え、あまりに不甲斐ない。
おまけに、相手に情けまで掛けられてしまった。いや、実際はどういう心境なのか、目的が何なのかも不明だが、どう考えても俺は手加減された上に見逃されてしまったのだ。
忍として本来これほど屈辱的なことはない。
慢心があったのかもしれない……ここにきて激しく痛感する。あの婆さんにも似たようなことは言われていた筈だ。
だけど、結局その忠告も活かすことが出来ず、無様な姿を晒してしまったんだ。
本当に、言い訳のしようもないな。
「あ~~~~! 目覚めたのじゃ! この、この、心配かけおって~~~~!」
「へ?」
一人、そんな事を考えていたらネメアが俺の胸に飛び込んできた。
幼女姿のまま飛び込まれるとなんとなく背徳感に包まれるが、どうやら俺の身を案じてくれていたらしい。
「悪かったな、心配かけて」
ネメアの金色の頭を撫でながら、優しく微笑みかける。
若干照れくさそうにしているのが、なんとも可愛らしく感じる。
「と、当然なのじゃ! お前がいなくなったら、誰が我の食事を用意するのじゃ!」
すると、照れをごまかすような返事。いや、まぁ本音としても混じっていそうではあるけどな。
「それで、調子は、どうなのじゃ?」
「うん? あぁ、身体の怪我は大したことないというか、そもそも外側は無事だからな」
肩を回したりもしてみたが特に痛みはない。あれほど感じた熱もすっかりと引いている。分身の記憶から幻炎だったと知ったが、俺が幻遁系の炎に掛かってしまうなんてな……慙愧の念に堪えない。
「……? どうした?」
また昏くなりかけた俺だが、ネメアが突然俺の顔をペタペタと触り始めた。そして俺の正面に回って俺の両頬に手を添えじっと見つめてくる。
「ふむ、改めて見るとだいぶ違うのじゃ。これが、本当の顔なのじゃな」
「あ!」
思わず声を上げる。気を失えば変化だって解ける。そんな事をすっかり失念してしまっていた。
だけど、改めてネメアを見る。コテンと首を傾げ幼女にしては気の強そうな金瞳で見つめてきた。
なんとなくだが、ネメアを見てると、クヨクヨしている自分がより小さく感じる。そしていちいち正体を隠しているのも、せせこましいなという気分になった。
勿論誰でも彼でもというわけにもいかないが、今後の事を考えるなら正体を理解してもらっておいた方がいいこともある。
「ああ、そうだな。これが本当の俺だ、ついでに言えば、名前も本当はシノビンじゃなくてシノブだ――」
ネメアには本当の事を伝えた。それから、簡単にだが自分が別な世界から召喚されたこともな。
「そういうわけだ、悪かったな黙ってて」
「ふむ、ま、別に気にしてないのじゃ。それにシノビンもシノビーもシノブもあまり違いがないのじゃ」
「お、おう……」
なんか凄いあっさりだったな。俺、わりと意を決したつもりだったんだけどな。
「じゃが! もしかしてシノブが作ってくれた料理は、その異世界の料理なのか!」
目をキラキラさせて聞いてくる。う~ん、やっぱネメアは俺の正体より食い気かよ。
「まぁ、そうだな。それにしても、本当料理が一番なんだな」
「むっ、そんなことないのじゃ。むむぅ、おお! ならば質問じゃ! あの分身というのも、異世界の魔法なのか?」
「いや、あれは忍術だ。俺は忍者で、まぁ魔法に似てなくもな――」
「……忍者――」
うん? なんだ突然? 目の焦点もどっかおかしいし、心ここにあらずって様子にも見えるけど――
「お~い、大丈夫かネメア?」
「……ふぇ!? な、なんでもないのじゃ! 何かちょっと、頭がふわふわしてしまったのじゃ」
なんだろうか? 俺のこと心配していて疲れたとか?
……それはさすがに自惚れ過ぎか。そういえば今何時なんだろうな? 部屋にある掛け時計を見る。午後6時を過ぎていた。
マジか、どんだけ気を失ってたんだ俺。
あ、そういえば、俺を運んでくれたのは分身みたいだけど――
「おう俺、目覚めたんだな」
「丁度いいタイミングで戻ってきたものだな」
扉を開けて分身が戻ってきた。俺が思い出したのと同時だ。そして俺の分身は、あれから街や城、宮殿に忍び込んで、本当にあのゴーストが俺のことを伝えてないか調査してくれていたようだ。
その結果は、問題なしだ。宮殿でも曲者は遺体として発見されたといった話になっていたようだしな。
絶対とは言えないが、真実を話すつもりなら俺を連れて行った方が早かっただろうし、やはり偽物ですましてくれたようだな。
それにしても、あれだけの腕を持っていてなんで帝国になんて属しているんだか。そもそも、どういう経緯でこの世界にきているのかもわからないしな。
唯一判った事と言えば、目が赤一色だったという事だけだ。それだけはフードの奥から除き見えたからな。
なんとも謎も多いが、とりあえず――
「それじゃあ、このまま宿で控えてもらっていていいか?」
「ああ、問題ないな」
「そうか、じゃあちょっと出て来る」
「うん? なんじゃどこかいくのかシノブ?」
「どこかって、飯だよ。ネメアだって腹減ってるんだろ?」
「え!? い、いいのか? 大丈夫なのか?」
目をパチクリさせながら聞いてくる。なんだ、一丁前に遠慮してたのか。そういう殊勝なところもあるんだな。
「大丈夫といえば、まあ、食い過ぎなきゃ大丈夫だ。それに、出来るだけ安い店だ」
「勿論! 善処するのじゃ!」
すでによだれが垂れ落ちそうな勢いのネメアにやれやれといった思いだが、とにかく準備をして出ることにする。食べた後はすぐに戻り、俺は俺で流石に今日は向こうに戻ろうと思うしな。
「ああ、そういえば、これがきてたぞ。俺はまだ見てない」
すると、分身の俺がメモ紙を一つ渡してくれた。確認すると、例の呪術師の情報について記載されていた。
婆さんが調べてくれたんだな。本当、仕事が早い。それによると――どうやら呪殺のサンザーラとやらは、この帝都から北東にある港町ハーフェンにいるらしい。
普通に馬車で向かうと十日以上掛かる道程か。これはこれで目指すなら一苦労だな。
う~ん、解呪が使えるという呪術師のダルシェムといい、すぐ戻ってこれるとは思えない距離の案件ばかりだな。
それでも、ダルシェムに会いに行くために山脈越えるよりは、まだ港町に向かったほうが早いか? 勿論それも確実とは言えないんだが、例えそれが外れでもそれだけの腕を持つ呪術師なら他に何か知っているかもしれないというのもある。
ただ、呪殺という異名を持つ相手が素直に話を聞いてくれるわけもないしな。かといって隠居したダルシェムというのも実際今の腕はどうなんだ? というのがな。
迷いどころだが――一つ言えるのはそろそろ俺も覚悟を決めないといけないって事か。
丁度迷宮攻略の話も出てきているしいい機会なのかもしれない。
「シノブ! 飯じゃ! 早く飯にいくのじゃ!」
「うん? あぁ、そうだったな」
とにかく、今は先ず腹ごしらえだな。俺も忍気を結構使った影響もあって腹が減ってきている。
なので、分身に後を任せて部屋を出たわけだが。
「あ!?」
「あ……」
「のじゃ?」
ドアを開けたすぐ目の前に――バーバラがいた。
いや、なんでだよ!
「よ、よぉ。その、ここに泊まってると聞いてな。だけど、本当に姿を変えたんだな」
マジマジと俺を眺めながらバーバラが言う。確かに、俺はあのことがあって顔を変えていた。一度は元の顔に戻ったが、部屋を出る前には当然変えた顔にしていたんだけどな。
しかし、隣にネメアがいたしな。それで俺だと判断したんだろう。
まぁとにかく後手ですぐドアを閉める。鍵の閉まる音が聞こえた。分身がしっかり鍵をかけてくれたようだ。今部屋に入られるとややこしいことになるからな。
「あぁ、まぁ色々あったからな。ところで、バーバラはどうしてここに?」
バーバラも記憶が残っていれば色々の意味も判ると思うけど、実際どうなのか。送った後はすぐに寝ていたからな。
「あ、あぁ。実はあの晩のことは断片的にしか覚えて無くて……あたしとしたことがあそこまで酔いつぶれるなんて、恥ずかしくて死にそうだけどさ」
250度の酒をあれだけ呑めばな……。
「だ、だけど、助けて貰ったというのはなんとなく覚えてるんだ! そ、それに、だ、抱っこも、と、とにかくそれでお礼がいいたくてさ!」
それでわざわざ来てくれたのか。けど、正直あれは俺のせいで起きたようなものだから少し心苦し――
「それで、もしかしてふたりで出るってことは、食事の予定だったのか? それならお礼の意味も込めてあたしが出すよ! どうだい?」
「ゴチになります!」
「やったのじゃーーーー!」
前言撤回。食事なら、やはりここはしっかり好意に甘えるべきだろう!