第五十三話 ゴーストとハーミット
夜になり、俺は行動を開始する。まあ、分身としての俺だけどな。この世界は夜明かりを消すのも早い上、朝の訓練も早いからな。
だから皆午後の9時には床に入っている。逆に、それからなら俺も動くことが出来る。
正直、本体は何をやってるんだかといった思いだけどな。記憶を共有できる本体と分身だが、酔っ払ってしまうとその精度はかなり落ちるようで、分身の俺に入ってくる本体の記憶も酒のせいで散漫になってしまっている。
酔っ払うという症状自体は反映されないから、それだけでも良かったと見るべきか。
全く、同じ俺とは言え本体にはしっかりしてもらいたいものだ。酒は呑んでも呑まれるなだからな。
とりあえず、俺は俺でやれることをやる。今回の迷宮攻略についていろいろ調べてみるのが仕事だ。
だから変化の術で巡回している兵に化けて色々と聞いて回った。
その結果判ったのは、どうやら迷宮攻略の班決めをしているのはあの鬼軍曹らしいって事だった。
もう、その時点で怪しいことこの上ないが、これで行くべき場所はハッキリした。
話によると、鬼軍曹の部屋はやはりただの騎士よりは良いらしく、個室なのは勿論、寝室と執務用の部屋はしっかりわかれているようだ。
それはそれで、寝ていたらその間に調べればいいし、起きていたとしても部屋の中に潜入して隙が出来るのを待てばいい。
分身でも気配を断つ事は可能だしな。それに、隠れ身と併用すれば見つかることはないだろう。
とりあえず軍曹の部屋の近くまでは、他の巡回兵や騎士の目もあるので、兵士の格好をしたまま歩いて行く。
そして――他の目に触れないあたりで、気配を消し、隠れ身を使用した。
後はこのまま部屋まで行けば――
「おい、お前――」
その時、ふと背後から声が掛かった。頭のなかに疑問符が浮かぶ。一体誰だ? 確かに他に誰もいないことは確認した。
その上、俺は気配を消し、隠れ身だって使っている。なのに、俺に気がついたやつがいると――え?
「やはりお前は侵入者か。俺の眼なら判るぞ」
男の声は聞こえたが、それどころではなかった。何故なら、俺の体がいつの間にか炎に包まれているからだ。
なんだ? どうなってる? 俺は今、攻撃を受けたのか? 一体いつの間に――くそ、せめて正体を。
俺は振り返る。姿を認めるために。だが、男は全身を黒いローブに包まれていた。
黒いローブ? 黒尽くめ?
くそ、参ったな。これは帝国は思った以上にヘビー――
その分身の記憶は、そこで途絶えた……。
◇◆◇
『ご苦労だなゴースト。それで、死体はきっちり確認できるのだろうな?』
『……いや、無理だろうな』
仕事が終わったと連絡が入り、マジェスタも念話でゴーストと呼んだ相手に結果を確認した。
だが、それに対して返ってきた答えにギョッとなる。
『おい! あれほどやりすぎるなと言っておいただろ! まさか焼き尽くしたのか?』
『……違う、そうじゃない。単純に死体が残らなかったんだ。つまりこれは本体じゃない』
更に返ってきた答えに、本体じゃない? とマジェスタが復唱した。
『それは、魔法で作り出した人形だったという事か? しかし完璧な人型を模せるなど、相当な魔法の使い手でないと不可能だが――』
『もしくはドッペルケンガーのような希少スキル持ちだったのかもな。あれなら自分とそっくり同じ分身を作り出せる。影のような分身をな』
なるほどな、とマジェスタが頷き。
『それで合点がいった。しかし、私の感知魔法でも見逃しそうになるほどの微妙な差だった。ただ、兵士の数に違和感があったから、お前にあたらせたが正解だったようだな』
『――そうだな、完璧な偽装だった上、途中からは気配も消して姿も見えなくしていた。最も俺の眼からは逃れられないが』
『ふふっ、流石は紅眼族の生き残りと言ったところか。全く、魔法も使えないというのに相手を見破り、炎を操れるのだから大したものだ。全く、その眼といいどんな秘密が隠されているのやら』
『――ま、これは赤外線みたいなものだけどな』
『うん? 赤外線? なんだそれは?』
『いや、こっちの話だ。それで、これからどうするんだ?』
マジェスタは一瞬眼をパチクリさせるも、すぐに表情を戻し、顎を擦りながら。
『とりあえず、怪しいやつがいないかは他の者に調べさせ、念のためメイド達も向かわせた。異世界からきた連中が誰か一人でも消えていたら、それが当然怪しいということになるがな――』
◇◆◇
「ねぇ~きいてるぅ~えへへ~あたしってば、こうみえて~本当はすっごく~」
「あ~はいはい、大丈夫。聞いてます聞いてます」
俺はすっかり出来上がったバーバラを軽くあしらいながら、消えた分身について考えていた。
それにしてもバーバラ。ドラゴンフレイムの二杯目を呑んた途端に一気に来たな。さっきまでいくら呑んでも平気そうだったのに、今はすっかり酔っ払いだ。
俺も酒のせいでいまいち意識がグラつくが、とにかく最後に感じられたのは分身の身体が燃えているという事だった。
そしてこれが分身が消え去る理由となったのは間違いない。問題は一体誰がこんな真似をしたのか? ということだ。
分身の行動そのものは、勝手に出歩いての情報集めなので、見つかればそうなるのは別段おかしいことではない。
ただ、影分身で作られた分身は命ある分身だ。その能力もほぼ本体と変わらない。
勿論、全く全てが一緒ということではなく、例えば基本的な身体能力は俺と一緒だが、分身は俺の忍気から生まれた存在なので、使える忍術に関しては俺が込めた忍気の範囲内という事になる。
同時にダメージを受けた時にも忍気が散るという形なので、分身に関してはあまり派手に術を使いすぎると身体が持たなくなるという欠点もあるにはある。更にそういった条件がある影響でどうしても本体に比べると分身の方が脆い。
ただそれでも分身は身体能力に関しては一緒なので、気配を消したり察したりと言った忍者にとって必須とも言える感覚は常人よりも遥かに高い。
だが、その分身が、消された。しかも相手を察することが出来ずやられた可能性が高い。
それだけの実力者が、帝国にもいたという事か――しかし、これまでは全く姿を見せなかったと言うのに唐突だな。
……いや、むしろ森では結構色々やらかしてるからな。その影響で、監視の目を厳しくさせる為に新しく誰かが配置されたのかもしれない。
しかし――ここで分身がやられるとはな。参ったな、何せ――
◇◆◇
シノブの部屋のドアが開き、一人のメイドが忍び込む。その脚はよどみ無く、それでいて微かな物音一つ立てず、ベッドのある場所まで進み。
そしてメイドが視線を傾け、ベッドを認める。顔は出ていなかった。ただ、シーツは盛り上がっている。
しかし、偽装の可能性もある。メイド、ハミットはシーツを捲り中身を確認した。
――スースー……。
そこにいたのは、胎児のような姿勢で寝息を立てるシノブであった。顔もいつも見ている彼の顔で間違いない。
「……」
胸元から、スッとナイフを取り出した。谷間にでも挟んでいたのだろう。
柄から刃まで暗色に染め上げられている片刃のナイフだ。ガードは付いていない。柄は捻れたような筒型だ。全長は十五センチメートル程度、隠し持つには最適な代物と言えるこれはダークと呼ばれるナイフである。
それを右手で握りしめ、そしてシノブに向けて、振り下ろした。
風切音すら感じさせない、無音の一振り。だが――その手はターゲットの首元でピタリと止まる。
「…………」
そのまま沈黙し、一拍置いた後、ナイフを引き戻し、再び胸元へしまいこんだ。入ってきたときと同じく足音もさせず部屋を出て行く。
通路を歩きながら、何者かに声を掛けた。
『ハーミット、問題なし。念のため確認、無職はやはり一見すると酷く鈍感に思えました』
『ふむ、ご苦労だな。他のメイドからも連絡が入ったが、やはり誰ひとりとして抜け出した様子はない。速やかに持ち場に戻るように』
承知いたしました、と返事を受け、マジェスタも自室で念話を切った。
「やはり考えすぎか。それに、無職は所詮無職であるな。全く、これならわざわざハーミットなど専属にしなくてもいいだろうに、一体何を気にされているのか――」
腰を落としている椅子の背もたれに体重を掛け、マジェスタが独りごちる。ハミットは一見ただのメイドだが、実は密偵として非常に高い能力を誇っており、それゆえに裏ではハーミットと呼ばれてもいる。
勿論これは帝国でも一部のものしか知らされていない重要秘密事項であり、だからこそ普段はその正体を隠すためメイドのハミットとして行動しているのである。
宮殿内には通常のメイドとは別に戦闘に長けたバトルメイドも多数揃えているが、ハミットは戦闘能力においてもその中でトップであり、しかしだからこそわざわざ無職のシノブなどと言う知れ者につかせるのには納得がいっていなかった様子である。
とは言え――今はそんな事よりも侵入者か、と改めてマジェスタは考えを巡らせるが。
『俺はもう休んでいいか?』
そんな中、ゴーストからマジェスタに問いかけ。そういえばこっちとの念話は切っていなかったなと思いつつ。
『いいわけがないだろう。まだ侵入者はあらわれるかもしれないのだからな』
『今夜はもうこっちには現れないと思うがな』
『何故そんな事が言いきれる?』
眉を顰め不機嫌そうにゴーストに返すマジェスタだが。
『多分本体は外にいるからだ。昨日それっぽいやつを見かけたしな』
『――は?』
マジェスタは思わず間の抜けた声を念に乗せる。
『なんだその、昨日見たというのは?』
『適当に市内をぶらついている時、帝国について色々調べていそうな奴を見かけた。本体と断言できるわけじゃないが、何かしら関係しているだろう』
ゴーストから話を聞き、一瞬呆けた顔を見せるマジェスタだが、すぐに目つきを尖らせ。
『この馬鹿が! だったら何故すぐに報告しない!』
『昨日は非番だったからな。俺はプライベートと仕事はわけるたちなのさ』
『こ、この! そのせいでみすみす!』
『それは安心しろ、全く何も手を打っていないわけでもない。恐らく俺が撒いた餌でそろそろ動き出してるはずだ』
餌だと? と怪訝な声を発するマジェスタ。だが、ゴーストはそれ以上は語らず、じゃあ仕事に戻る、と言い残し、一方的に念話を切ってしまった。
それから何度も呼びかけるマジェスタだが、結局これといったはっきりとした答えは聞くことが出来なかったマジェスタであった――
◇◆◇
あ、危なかった――
俺は分身の記憶を感じ取りそう思えた。酔っているせいか、相手が誰だったかいまいち判然としないが、難は逃れただろう。
影分身は俺の忍気を糧として作り出す分身だ。だから近くで分身を解いた場合なら込めた忍気も取り戻せるが、離れた場所にいる分身を解除したり、何かしらの攻撃を受けて消えた場合は当然使用した忍気は戻せない。
それが難点で、だから同時に多数の影分身を動かすのはそれ相応にリスクもある。分身を出している間は当然、俺の忍気も減るからな。
だけど、それでも今回は念のため、部屋にもう一体影分身を潜ませておいて良かった。夜、一体が調査に出ることは判っていたからな。
だから、調査に出てすぐ、変化の術で枕に化けていた分身が俺の姿に戻り、そのまま床についていた。
おかげで抜け出しているとバレずに済んだな。
それにしても、帝国にも油断ならない相手がいるんだな。精々マビロギぐらいの相手程度だと思っていたけど――
「おい! シノビン! おまえ~きいでるのがぁあああ~」
「――はい? ウプっ!」
突然、何かが俺の頭から覆い被せられた。酔いは本当に判断能力を鈍らせる、が、しかし。
どうやらバーバラが何かをしたようだが、なんだこれ? 後頭部に布――正面には何かホヨンっとした大きなクッション? でも、なんだか生々しくて、て! これシャツを広げて!?
「おまっ! ちょ! 何考えてるんだ!」
「んだよ、もっと喜べよ~このバーバラ様の生乳だぞぉ~? ほ~れほれほれ――」
シャツの中に入り込んだ俺の後頭部がバーバラの手に押し付けられた。
埋めた双丘の感触がダイレクトに伝わってくる。酔っ払っていても、これは判る! むしろ酔いが覚めそうだ、てか苦しい!
「ぷはぁああぁああ! おま、何考えてんだマジで! 痴女か! おま、痴女なのか!」
「あん、なんだよ~しぇっかくサービスしてやったのに~」
シャツから顔を抜き、声を張り上げる。
何だこれ! 何だこれ! おかしいし! バーバラの反応も、絶対なんかおかしいし! 酒のせいか! 酒のせいなのか!?
「だいたい~あんたがみゃったく~話をききゃないのが悪いんだろぉ~? 折角あったしが~が誘ってるのにしゃ~」
「え? 俺が悪いのか? いや、てか、何か誘われていたのか? 悪い、何かぼ~っとしてて」
「はぁ? あんた~何さそれ~だから~この後~やるか! って、ひゃなしだよ~」
は? やるかって何だよ? さっぱり意味不明だぞ。
「いや、なんだよそれ。何をやるんだよ?」
とりあえずバーバラが酔っ払っている隙に頼んでおいた水が来ていたので口に含みつつ聞く。
「そんなのきまってるにゃ~ん、しぇ~~~~っくす!」
「ぶほぉおぉぉおお!」
だけどすぐ吹き出した。何いいだすんだこの女!
「あ~きっちゃないんら~」
「いやいや! おかしなこというからだろ! なんだそれ、突然過ぎるだろ!」
「え~別にいいじゃ~ん、しぇ~~~~っくす! ぎゅらい~きゃはっははははぁ~!」
大声でそんなとんでもないことを再度言いのけて、そしてテーブルをばんばんと叩きつける。
だめだこれ、もうただの酔っ払いだ。
はあ、これはもうそろそろ帰ったほうがいいな。そしてこの酔っぱらいは念のためしっかり送ったほうがいいな。そのあたりの男に同じこといいだしたら流石にまずい。俺はともかく他の男なら普通にどうなるか判らない。
でも、会計どうすんだこれ? 支払い、できないよなこんな状態じゃ……仕方ない、一旦ここは俺が立て替えて――
「ちょ、困ります!」
「うるせぇ! もうネタは上がってんだよ! おらどけぇ!」
うん? なんだ? ドタドタと足音が響いて――
「おお、いたぞ見つけたぞ! テメェらが最近帝国についてチョロチョロ嗅ぎ回ってるって連中だな!」