第百六十八話 三男爵領
村から北へ向かい、丘陵地帯を抜け、更に暫く進むと山間の谷が見えてきた。
この谷間を抜けて、アルベルトの話していた三男爵領にとりあえず入ることとなる。
とはいっても、谷とそれを挟む山からして既に男爵側の管理区域には入っているようだ。
その証拠に、確かに山頂部に塔が見える。これもアルベルトから聞いていたことだが、あの塔からこのマウントグラム領の様子を覗っているのだろう。
それにしてもよくあんなところに塔を建てたもんだ。地形的に、こちら、つまりマウントグラム側からだとあの塔にいくのはかなり大変だろうな。
俺ならいくらでも手はあるけど普通は無理だ。逆に当然男爵領側からはたどり着ける登頂ルートがあるんだろうけど。
ここに至るまでの道中は、まぁ穏やかなものだった。元々は魔物が跋扈する危険地帯だったようだが、子爵であるレーヴェンの施策でその問題も大分改善されたようだ。
そして、馬車は谷間の道へと入り、そのまま道なりに突き進んでいく。
街道として利用されているだけにそれなりに整備はされているのだろう。多少は揺れるがそこまで酷いことはない。
『そこの馬車! 一旦ストップだ! ここから先に進みたいなら通行税を支払ってもらう。全員速やかにおりるがいい!』
馬車の屋根にぶつけるように大きな声が降り注ぐ。間違いなく上の方から聞こえてきたものだ。
馬の脚が緩むのを感じる。そして馬車が止まった。
後ろの幌が捲られ、パーパがすみません、と一言まず断りを入れ。
「関所です。男爵領はこういうのが多くて――皆さんの分も私が纏めて払わせて頂きますので顔出しだけ宜しいですか?」
関所か。同じ帝国内でもそんなのがあるんだな。断る理由はないから全員で馬車から降りる。
声を掛けていたのは――アレか。ここは丁度谷間が狭くなっている場所で、切り立った崖の一箇所が谷間側に突き出している。
緩い三角形といった足場を形成しており、岸壁部分には横穴が一つ見えた。
自然に出来上がったものなのか、この場所を利用するために後から掘って作成したかはわからないが、それが天然の砦として機能しているようだ。
足場の上には武装した兵士が三人。真ん中の一人だけ鈍色のプレートメイルといった重苦しい装備をしていて鎧の比較的目立つ位置に紋章が刻まれていた。
他の二人は鎖帷子で頭にも頭巾に似た形状の鎖の兜を被っている。鎖帷子の上からは頭から被せるようにして着衣するタバート。青色の生地でこっちにも紋章と思われるものが縫い付けてある。
三人とも紋章が統一されているから男爵家の物なのだろうな。
この三人の内、鎖帷子を着た一人は弓を引き俺達に狙いを付けてきている。
黙って通り抜けようとしたら射つという意思表示なのだろう。
もう一人の偉そうなのは湾曲した剣を持っているな。突き出した岩の足場の先には岩石が積み上がってもいた。
いざとなればあれも落として使うのだろう。
まぁパーパが逃げる理由なんて特にないだろうけど。
「それで全員か?」
「はい、どうぞおあらため下さい」
おい、と偉そうな兵士が命じると、鎖帷子の兵が崖部分に備わっていた縄梯子をまず下に落とし、それを伝って降りてきた。
突き出た足場までで高さは五、六メートルといったところだから、これでも十分なのだろう。
そして俺達の人数を確認し、目的も聞いてきた。それはパーパが上手く答える。
俺達は護衛として雇われたって事で特に問題にはならなかった。
馬車の荷物も確認し、問題ないことが認められたわけだが。
「それでは通行税、一人二千ルベルで五人で一万ルベル。それに荷物の分が二万ルベルで合計三万ルベルだ」
三万……ただ通るだけでこれか。世界が違うとは言え高く感じるな。
「え? いや、ちょっと待って下さい。以前は確か一人千ルベルだったはずでは? それに荷も前回とほとんど変わっていないのに金額が倍になっている」
「仕方がないだろう。男爵様より値上げの指示があったのだから、別に嫌ならこちらは通ってもらわなくてもいいのだぞ?」
「む、むぅ……」
結局パーパはそれを受け入れて倍額を支払い関所を抜けた。
「やれやれ余計な出費が増えた」
「こんな事が良くあるんですか?」
「そうだね、特にこの関所を仕切っているブルービアド卿はこれまでも何度か通行税を上げていてね。実は今回も覚悟していたんだ。例のゴブリンや山賊の問題で暫くタイムからの通行者は減っていたと思うしね。それでもこれまでは精々一割か二割程度の値上げだったんだけどね」
今回は突然の倍だったということか。
尤も、かといって俺に出来ることはない。税額を決めるのは領主の特権みたいなものだろうし、例えパーパの事がなくても俺は支払って通っていただろう。
こんなことで揉め事を起こすほうが後々のトラブルに繋がるしな。勿論、これが十倍とかとんでもない金額なら手は考えるだろうが、倍ならやむ無しと言ったところだ。
「とにかく、気を取り直して先を急ぎましょう。このまま先ずはグレイトブリッジの街へ向かいます。その後ろに横たわるキープ川は橋を渡って越えることになります。それが無事すめば、いよいよ目的のシーノスサイド領ですよ」
ようやくだな。後は特に問題なく進めばいいんだが。
「あ、見えてきたっすよ!」
マイラが御者側の幌をめくり声を上げた。シーノスサイド領へ向かうため、ある意味玄関口となる街がそこにはあった。
街は予め聞いていた通り、中々の規模で、東西には山が重なるように並び立ち、それぞれの山地の裾には田園が広がっている。
既に陽は落ち始めているので、農業に精を出している農夫達も帰り支度を始めているようだ。
三男爵領はその名の通り領地が横に並ぶように三つに分かれている。今いるのはそのうちの中心であるキープブリッジ男爵領であり、それ以外は西キープブリッジ男爵領と東キープブリッジ男爵領とに分かれている。
まぁ、名前は判りやすいな。
そしてここグレイトブリッジの街は、元々伯爵領だった時代からある街であり、その頃に橋梁を架ける事に成功したおかげで街の規模も飛躍的に大きくなったようだ。
勿論それでも帝都などに比べれば小さいが、タイムの町と比べれば数倍の面積は誇ることだろう。男爵領としてみればこの規模は異例とも言えるのかもしれない。
橋で発展した街という事もある為、街はグルリと堀で囲まれていた。しっかりと水は湛えられていて幅も広い。当然門までは橋を渡って向かうこととなる。
入り口には衛兵がしっかりと立っていて、外部からやってきているものからはしっかり税を徴収している。パーパのように普段から街と街を行き来するような商売を続けている場合、条件次第では免税されたり、便宜を図ってくれたりするもののようだが、どうやらここの男爵は相当ガメついらしくそういったことは全くないようだ。
だから、やはり入る前にしっかり税を取られていた。街に入るとやはりタイムの町と比べたら人が多い。
街の背に横たわる西側の川沿いには一際高い丘があり、その上からゴシック様式の城が佇み、街全体を見下ろしていた。
それほど大きくはない城だがコンパクトに必要な機能が纏められていそうだ。
聞く所、今の男爵の評判は決して良くはないが、街全体の雰囲気は悪くない。
素朴で自然的な街並みではあるが、全体図としては機能的な一面も併せ持っているようにも思える。
碁盤の目のようなはっきりとした区画割れはしていないが、例えば馬車道一つとっても、自然どこをいけばどこにたどり着くかというのがさり気なく判るようになっている。
尤もこういった街づくりは今の男爵ではなく、先代の功績だろう。
兎にも角にも、馬車に揺られながらパーパと一緒にその日の宿を探す。
時間的にみても橋を渡るのは明日になるだろう。
宿は比較的あっさりと決まった。パーパが以前泊まったところがいいだろうという話になったからだ。
川のせせらぎ亭は部屋も空いていたので前と同じパターンで部屋を取ってもらった。
食事に関しては既に今日の宿泊客分の準備は進んでしまっているということで、妹夫婦が営んでいるという酒場を紹介してもらった。
勿論、酒以外にも旨い料理も提供してくれているようだ。前に俺の方が奢るといった約束もしていたので丁度よい。
部屋に荷物を置き、少し休憩した後全員で紹介してもらった酒場へと向かった。
今日は俺が出しますので、と告げると、最初は遠慮していたが、約束の事もありますし、と続けて俺が奢るという事で話は纏まった。
酒場で席につき注文する。俺は呑まないが、パーパは少し呑むようだ。俺や女性陣は店員が自信を持って薦めてくれたパスタを頼んだ。
このあたりの川では食用にも適したエビと貝が中々豊富らしくそれらを利用したパスタである。海鮮というか河鮮パスタというべきなのか?
泥臭さとか大丈夫か? とは思ったが、このあたりはワインの生産地でもあり、しっかり泥抜きをした後、ワインで下処理も行っているようだ。
だから泥臭さも気にならず普通に旨かったな。ネメアなんて十杯も食べてやがった。ちょっとは遠慮しろ!
「ちょっと席を一旦離れるっす」
「パーパ、私も……」
すると、ムスメとマイラの二人が席を立った。
どうしたんだ? と聞いたら鈍いっすね、とジト目を向けられてしまった。
二人が席を離れてから教えてくれたが、どうやらここの手水場、つまりトイレは店から少し離れた位置にあるようだ。
それなら付き合ったほうがいいのか? とも思ったけど、女性のトイレに付き合うのもな。
まぁ、マイラが一緒なら心配いらないだろうけど。
「シェリー様も近くなったら言うのじゃ! 我も付き合うのじゃ!」
『こ、声が大きいよ~ネメアちゃん』
シェリナが顔を真っ赤にさせて慌てた。こっちもネメアがいるなら普通に大丈夫なんだろうけどな――