魔王不在の世界で
再び湯呑を前に席に着く俺たち。
「だいぶ話が脱線しましたね。シンプルに要点だけ聞きましょうか」
「……なんでも聞いてくれ」
そして俺を解放してくれ。
そんな俺の願いを余所にカミラは質問を続ける。
「魔王がいない、というのは本当なのですか?」
「少なくともこの世界では、フィクション以外にそう呼ばれる奴はいないな」
そういうあだ名の奴ならいるだろうが、別にそいつらだって世界征服やら人類滅亡は目指していないだろう。
それを聞くとカミラはうーんとうなりながら腕を組む。
「……本格的に困りましたね。どうしたらいいのやら見当が付きません。こんなイレギュラーに遭遇した勇者、いまだかつて聞いたことがないです」
「そんなに魔王がいないことが問題なのか?」
「最初に説明した通り、魔王を倒して世界を救えば私たち勇者は元の世界に帰れるんです。逆に言うと魔王がいない場合、どうやって帰ったらいいかのマニュアルなんてありません」
「魔王がいて初めて勇者に存在意義が発生するのか……」
どこか哲学的だな。正義とは悪の存在をもって、初めてその存在を認められるのかもしれない。悪がなければ正義の味方なんぞ暴力の塊でしかないからな。
などと俺が益体もないことを考えている間にもカミラは真剣に悩んでいたようだ。
「……本当にありえない……。こんな例外が起こるなら過去の記録に残っていないはずが……見落としていた? こんな重大な事象を……?」
随分真面目に考え込んでいるようなので、ヒントにでもなるかと話しかけてみる。
「召喚された勇者ってのは例外なく帰ってこれるのか?」
「いえ、ごくまれに行ったきり帰ってこない勇者もいますね。私たちの側からは向こうの事情は全くわからないので、そういった場合おそらく無念にも魔王に敗北してしまったのだろうと、大体5年で帰ってこなければ立派な墓を建てて弔います。まぁ死んだだろうと思った勇者が30年越しにひょっこり帰ってきた例もありますがね。その時は勇者本人も家族も他人も村人全員大喜びで、本人の墓を前に大宴会が催されたとか」
何ともほほえましいエピソードを語っているが、俺の意識は別の方向を向いていた。……召喚先の事情は一切わからず、帰ってこれない理由は戦死かあるいは他の理由か知ることができないなら……
「……誰一人帰ってこれなかったから、魔王がいなかった世界に召喚された伝承が残っていない、という可能性は?」
そこで饒舌に、だからその勇者は不死身の勇者と呼ばれているのなんのと語っていたカミラの動きがピタッと止まる。……ひょっとして本人もその可能性に薄々感づいていながらわざと気づかない振りをしていたか?
切れ長の双眸にじわーっと涙を浮かべてプルプル震えながらカミラが話しかけてくる。
「……どうしましょぉ、進士さ、ん、わ、私もしかすると一生かえ、帰れないかも、しれないんです、か?」
とうとう滝のように涙を流し言葉にならない嗚咽を漏らしながらカミラは手で顔を覆ってしまう。
帰れないかもしれない件については別に俺に責任があるわけじゃない……はずなんだが、目の前で美少女が号泣しているというのはすさまじい罪悪感である。
……よくよく考えれば「いつ召喚されるかわからない」ということはすさまじいプレッシャーであるはずなのだ。住み慣れた平和な世界から突如として危機に瀕した異世界を救えと呼び出されるなど、並の人間ならすべて投げ出しても不思議ではないし、誰もそれを責めないだろう。それをこいつらの村は-収入源という理由もあるとはいえ-入念な準備を怠らず見ず知らずの異世界を救うために全力を尽くしているのだ。そう考えれば何も知らない異世界の村とはいえ頭が下がる思いである。
そしてどれだけ準備しようが、こいつが10代の少女であることは間違いなく、たった一人で異世界の男の前に放り出されたのはどうしようもない事実なのだ。そう思えば人を呼ばれるかも、と過剰におびえて下手に出ていた恐怖も理解できるし、その一方で異常に高圧的に俺を下に見ようとしていたのもその不安からだとわかる。まずは落ち着いてこの世界について理解したい、という感情を理解すれば最初に出会ってとりあえず危険はなさそうだと思われる俺に、従者だのなんだのと言ってカミラが過剰なまでにこだわるのはある意味当然なのだ。そして「魔王を倒せば帰れる」という希望が「魔王がいない」という事実に押しつぶされて……感情が決壊したのだろう。
カミラが泣き出してしまった現状については間違いなく俺の不用意な発言が原因であるわけだし、なんとか泣き止ませるべく、俺は必死で話しかける。
「ま、まぁそのあれだ、ひょっとすると他にも帰る方法はあるかもしれないし、希望を捨てるにはまだ早い……んじゃないのか、うん」
悲しいかな女と付き合った経験などろくにない俺にはとてもではないが美少女の慰め方の正解などわからず、しどろもどろが一人増えただけだった。Google先生に聞けばわかるだろうか?
一瞬真面目にスマホを探そうとして、あぁさっきこいつに斬られたんだということを思い出して、そういえばスマホどうしようか、あれがないと真面目に困るんだが、勇者というのは弁償してくれるのだろうか?などと混乱のあまり思考があらぬ方向に行っているうちに俺のどうしようもない慰めでもカミラは立ち直ったようだ。
やおら立ち上がると、再び剣をスラリと抜きどこともしれぬ場所を指しながら高らかに宣言する。
「クックック……言われてみればその通り、たかだか従者の知識程度に振り回されて目的を見失うなど勇者失格でした。きっとこの世界には凡人の進士さん程度には到底及びもつかない巨悪が眠っているはず!それを打ち倒すこそ我が使命!」
毎度のことながら俺に対する発言がひどい(さっきは恐怖からかと思ったがこれは元からのコイツのキャラかもしれない)が、一応泣き止んではくれたらしい。それはそれでうれしいと思わなくもないが、日本家屋は剣を振り回すことを前提には作られていないからあまり抜かないでほしい。扉の枠にひっかかったからって力任せに振りぬくな。枠が切れて不思議な現代アートになっているだろ。
「さぁ参りましょう進士さん! こんなせせこましい家にこもっていては到底悪の正体はつかめません!」
悪かったなせせこましくて。これでも同年代の平均的な奴らよりはおそらくいい家に住んでいるんだが。
「……どこに行くんだよ」
俺の質問にフフンと鼻を鳴らして答える。また高飛車に戻っているな。
「異世界に召喚された勇者が最初に向かい悪の正体を知る場所と言えば決まっています!」
そこで台詞を切り再度溜め始めるカミラ。しかし俺としては別に反応してやる義理もないので会話が途切れる。
またもや何とも言えない沈黙が流れるも、今度は心が折れる前に話を続けることにしたのか、コホンと咳を一つ打ち、カミラは宣言する。
「この国の王の城です!」