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霧の産声

作者: 鈴毬

 闇深いシルクの夜空には芥子粒(けしつぶ)の星ぼしが瞬く。

 街には紫、(だいだい)、赤が踊り悲鳴と笑いが渦巻いていた。


 紅の王政国、ベルレネディア。常に空が朱に染まり続ける謎多き国は1日だけ空が黒に染まる日がある。

 暦で数えて十月と三十一日、ハロウィーンの夜である。

 死者の帰省と悪魔やピクシーの来訪するこの日だけはその影を隠すかのように空が黒に染まるのだ。

 子供たちは魔女や吸血鬼、恐ろしい怪物に仮装をし、家々を練り歩く。そのあとは家族揃って母親が作ったご馳走にありつくのだろう。

 素晴らしく温かく、愛と恐怖に満ちた日、それがベルレネディアのハロウィーンだ。


 そんな温かな光から離れた街外れには誰もが立ち寄らぬ霧の森がある。

 普段から森全体を真っ白な霧が覆い、何かを隠す様に訪れる者の視界を阻む。

 ベルレネディアは熱心なエルフ信仰の国で、霧の森にはエルフたちが住んでいる神聖な場所として国民は誰も近寄ろうとはしない。

 年に一度盛大にエルフの感謝祭が森の近くで行われるのだ。


 そんな国民の信仰心をあざ笑うかのように森の中には一件家が建っている。

 霧の中央にはレンガ造りの可愛らしい一軒家。小さな庭の中には家庭菜園用の畑がある。絵本に出てくる小人の家の様な小さな家の煙突からは煙が登っている。


「今日は街が随分騒がしいわね」


 家の中では少女がため息と共に揺り椅子に揺られている。

 手には薪を数本抱えて煌々(こうこう)と燃える暖炉の火を見つめていた。

 少女の名前はティア=トゥマン、この森唯一の住人だ。

 彼女は作り掛けのシチューの鍋を気にしながら、今日はハロウィーンだという事を思い出し口の端を少しあげた。

 遠くからは微かに子供たちのはしゃぐ声と、悲鳴が聞こえてくる。

 寒いのによくやるわね、と呟くと、ティアは手に持つ薪をくべる。街の喧騒を子守唄に目を軽く閉じ揺り椅子に揺られた。


 彼女が再び目を開いたのはシチューの鍋が吹きこぼれたり、暖炉の火が消えたからではなかった。控えめに二度、ノックの音がしたからだった。

 彼女はクッションのように抱いていた薪を床に落とすと急いでドアにかけていく。


「待っていたわ!ハッピーハロウィン!」


 先程の溜息とは裏腹の飛び切りの笑顔でドアノブを回す。

 彼女が膝を折ってハグしたのは友人でも愛おしい家族でもない。

 毛むくじゃらで、闇のように黒く、牙を(たずさ)えたとても大きな狼だった。

 狼は犬のように機嫌よく数度しっぽを振ると彼女の首に身を寄せた。


「もう、サンデールったらいつまでそんな格好してるのよ!今日はハロウィーンでしょ」


 ティアは不満に頬を膨らませると狼は困ったというようにしっぽを下げてみせた。

 そして二、三歩玄関から下がり、座ると何処からともなく濃い霧が立ち込めた。

 その霧は奇妙なことにほんのり黄色く光っている。ティアの家の明かりがところどころきら、きら、と光の屈折を見せていた。

 狼は苦しそうにひと吠えすると、黄色の霧は狼の元にさらに集った。

 それらが全て狼を包むと大きな人影が現れる。

 狼が座っていた場所には屈強で褐色(かっしょく)の肌を持つ青年が立っていた。麻の布だけを(まと)ったその姿はとても寒そうだ。


「ティ、ァ……」


 ぎこちなく、低い声が少女の名前を呼ぶ。


「サンデール!」


 ティアはその男に飛びつき、抱きしめ、彼の冷え切った体を精一杯暖めるのだった。

 家の中に入った男は暖炉の前に座り込み、冷えた体に熱を宛がう。

 ティアはクローゼットから男物の服を一式出すと、その横に置いた。


「もう、私がヒト型になるのは驚かなくなったか?」


男は鼻の頭を真っ赤に染め、霜焼けた手を何度も握ったり広げたりを繰り返しながら問う。


「ええ、そうね。街の子供たちの仮装の方が何倍も恐ろしいに決まっているわ」


 きっと血みどろなのよ、ティアは見たこともない街の民たちのハロウィーンを思って、笑った。

 それを見て安心したように笑い返す男は、人狼サンデール。彼は魔族の人狼種で今は絶滅の一途を辿る貴重な種族だ。

 端正な顔の青年だが、年齢はもう数える意味も理由もないくらい生れ落ちてから年月が経ってしまっている。

 ヒト型、というだけあって普通の人間とは少し違う。大きな耳、そして閉じた口元から覗く牙。尾骶骨(びていこつ)から伸びた尾は狼その物で、街の人々がハロウィーンの夜に扮する狼男そのものだ。


「しかし、ヒトになると寒くてかなわない」

「ふふ、おかしいわね。普段は服も纏わないで穴倉で寝ているのに。あ、待ってね。もうすぐシチューが出来るから」


 人狼は、霊力が高まるときにのみヒトの姿になることができる。霊が多く集うハロウィーンの日は絶好の機会なのだ。

 厚い毛皮もない状態で北国の夜の寒さは染み入るのだ。サンデールはヒト型になるのは1年に一度だけで慣れない体に悪戦苦闘している。

 彼は準備された服に袖を通しても尚、暖炉に手をかざし続けた。

 ティアとサンデールの出会いはこんな寒い夜だった。霧の森に捨てられた赤子をサンデールが拾ったのだった。


 その年、ベルレネディアには飢饉(きが)が襲い感染症が流行した。国の消滅を案じた民は生贄を愛すべきエルフに捧げたのだ。

その赤子は人狼に拾われ育てられ、かつて本当にこの森に君臨していたエルフの女王、ティア=トゥマンと名付けられたのだった。

 今、ティアの住む家はかつてエルフに仕えていたトロールが唯一残した家だった。

 ティアはこの森から出たことはない。生まれて十四年、ずっとだ。

 サンデールはヒト型の時以外、ティアに会うことはなかった。それは自らの魔力が人間に転移することを恐れてだった。

 魔力を人間が持てばそれを狙う種族も増える。争いを生むことをサンデールは杞憂(きゆう)していたのだった。

 それを知ってか知らずか彼女はサンデールにもっと会いたいと我儘を言うことはなかった。その代わりに訪れるこの日に、たくさんの話を聞かせる。1年にあったことを早口で時間が足りないように話し続けた。

 彼もまた、彼女の話を聞いて1年何事もなかったことを喜ぶのだった。


「そうだわ、聞いて。この間吸血鬼さんに会ったわ」


 ティアはきのこのシチューを椀に移しながら嬉々として言った。


「この森に吸血鬼が来たのか?」

「ええ、ここよりもっと奥に引っ越してきたんですって。サンデールの言う通り、蝋のように白いのね。髪の銀がキラキラ綺麗だったわ。ふふ、初めての隣人さんよ」

「……そうか、よかったな」


 サンデールはそう言い、椀を受け取ると使い慣れないスプーンで食べ始める。一年ぶりの温かい食事だった。


「あれ? ピクシーさんが庭に悪戯した時はあんなに怒ったのに吸血鬼さんは嫌いじゃないのね」

「吸血鬼は孤高でプライドが高いが頭はいい。人間と共存しようとする。私は吸血鬼のことは嫌いではない」

「そっか、じゃあイイお隣さんね」


 あまりの寒さに、床で暖を取りながら夕食にすることにした二人は背中合わせに座り、シチューを食べ始める。暖炉の炎が二人の影を静かに揺らしていた。

 パチパチと薪の音と、木の椀がぶつかる音だけが二人を包んだ。

 体と心も温まったところで、ティアは大きな膝に頭を乗せた。

 時間の経過と共に暖炉の火は弱まりだしている。


「ティア、どいてくれ。薪をくべなくては……」


 サンデールがティアの頭を撫でると、ティアはその手を握った。

ゆっくりと体を起こすと大きな瞳に炎を写し、右手を前に差し出す。


「蜘蛛の目、陽だまり、砂の雨に女神のキス。燃えろ、命の如く」


 その声と共に薪もないのに火は赤々と燃えだした。

 サンデールは目を見開くと乾いた口で彼女の名前を呟くように呼んだ。


「火の呪文はまだ苦手だわ」

「何故、魔術師の呪文を……?」


 ティアの唱えた言葉は魔術師が使う高度な火の呪文だ。


「吸血鬼さんが来たのは引っ越しのご挨拶だけじゃないのよ。私の力を貸してほしかったんですって。サンデールが思っているより私、力があるようなの。でもね、吸血鬼になったらあなたが悲しむと思って……」

「そうじゃない。その呪文はどこで覚えてきたんだ? 私は教えていない筈だ」


 魔術師の本は魔族でも所持している者が少ない。魔術師はあらゆる種族の中でも相当力のあるものでないとなれないのだ。

 本を読解することすら困難だろう。


「吸血鬼さんがね、そんなに力があるのならその力は活用すべきだって本をくれたのよ。自分には読めないからいらないんですって」

「そんな術、ティアにはいらない」


 サンデールは本を睨みつけたまま唸った。彼は昔から彼女が術を使えることをわかっていた。

 しかし、その力を一度開花させてしまったら後には引けない。もう“普通の人間”ではいられなくなるのだ。生きている限り魔力は強まることはあっても弱まることはないのだから。


「サンデール、聞いて」


 温かい(てのひら)がサンデールの頬を包み引き寄せ、ティアの笑顔で視界がいっぱいになる。その表情はどこか悲しげで、また困っているようだった。

 そのまま口も思考も動かせないでいると、彼女は胸元に頭を引き寄せた。

 触れる体温は温かく、それに甘えるようにサンデールは瞼を落とす。


「私は子供だけど、すぐに老いるわ。もう胸も膨らんできて、きっとサンデールと会うたびに歳をとって私はあっと言う間に死ぬのよ」

「そんなことはない。まだあなたは十四だ。」


 ティアは静かに首を横に振る。耳のいいサンデールには暖炉の火がパチパチとうるさく感じ、これではうまくティアの鼓動が聞こえない。そこでサンデールは我に返る。

 火のせいではない。何時からだろう? 彼女の鼓動が聞こえなくなったのは。


「私は随分わがままな人間よ。死が決まっていたのに存えて、そしてあなたというぬくもりを手に入れたのにあなたとずっと生きていたいんだもの」

「まさか……ティア……?」


――契約。サンデールの頭にはこの言葉が浮かんでいた。


 本来、どの種族も魔術師になることが出来る。その条件は、魔術師の本が読めるほどの魔力と知力に長けている者、そして契約をしてその命を魔術に捧げることだ。

 ティアは褪せた生地のロングワンピースをするすると脱いでいく。下着も取り、見せた背中の左半分には魔法陣が刻まれていた。

 魔の力に長けた魔族でさえも手にすることのできない、強い魔力の証。彼女には濃く、黒くそれが刻まれていたのだ。


「えへへ、1年でよく頑張ったと思わない? これならあなたと一緒にいられる。もう1年に一度しか会えないなんて嫌よ……」


 サンデールは気付いてしまった。否、今までも気付いていたはずだがそれを自身の中で否定し続けたのだろう。

 何故彼女をあの時赤子を拾ったのか。捨て子なんて生きているうちに何人も見捨ててきたはずだ。そしてこの森に隠す様に置いたのか。


 それは人助けという綺麗な感情ではない。おそらくはその魔力に魅せられた独占欲だろう。その力を近くに置いておきたいという私欲だ。なんて愚かなのだろうかと、サンデールは自分を責めた。自分の無意識な思惑通り、彼女は自分しか見ていないのだから。そして独占欲から始まった汚い感情さえも、今は暖かで安らかな好意へと変換されている自分を嘲笑(あざわら)った。

 もう、気持ちを隠すことは互いにできなくなっている。サンデールはぽつりと本心を告げた。


「ティア、私は怖い。ティアが強くなればなるほどに色々なことを知る。それであなたが傷ついていくのが何よりも恐ろしいのだ」


 魔術師はあらゆる種族の中でも賢く、それでいて誠実だ。世の理を知った時、その現実に苦しみ何人もの魔術師が身を病んでいく。


 その末路はあまりにも悲惨だ。


 ティアにその素質があることは赤子である彼女を拾った時から分かっていたことだった。それをもしかしたらサンデール自身も望んでいたのかもしれない。

だがしかし、現実となるとこれから彼女に起こることを想像してサンデールの胸は苦しくなっていく。


「私は、あなたには笑っていてほしい。ずっとこの森で笑っていてほしい」


 そうして大きな体をティアに寄せた。ティアは目を細め、愛犬を撫でるようにサンデールの頭に手を置いた。


「サンデールなら私の笑顔を守ってくれるでしょう?」


 ティアは脱いだ衣服を着ながら言う。器用に撫でる手を休めずに着込むと、その頬に両手を宛がった。


「ティア……」

「私には魔術師になるにあたって手に入れなくてはいけない物があるわ。長く生きられるこの命、老いることのない体。あとはわかるかしら?」


 サンデールは頷いてゆっくりと立ち上がる。

 魔術と契約をした者には得られるものは3つある。世界の理を知ることのできる命の長さ。そしてそれまでに老いることのない体、最後は魔術師を助け、守り続ける優秀な使い魔だ。

 殆どは魔力のある魔族がそれに従ずることが多いのだが中には吸血鬼やピクシー、エルフを使い魔にする魔術師も存在する。


「ずっとあなたを守り抜くことを誓おう。あなたが笑っていられるように」


 サンデールが膝をつくと、ティアはとても嬉しそうに笑った。


「霧の雫、茨の針、水は夜と共に去る。あらゆる理と生命の契約を……」


 ティアが唱えると部屋の中に霧が立ち込める。

 使い魔の契約が始まったのだ。二人は霧に包まれ、視界には白い靄と、お互いの姿だけが映る。


「私が得意なのは霧の魔法なのよ。何故かしらね?」

「それはあなたがティア=トゥマンだからだ」


 霧はどんどん濃くなって、あたりが真っ白になったところでティアがサンデールに近寄る。

 サンデールは膝をつくとゆっくりティアを見上げた。


「さぁ、契りの儀式を」


 サンデールの言葉にティアは身を屈ませ、顔を近づける。顔を赤らめ少し戸惑う様子に人狼は痺れを切らし、彼女を細い腕を取って華奢な腰をぐいと引き寄せた。

 あっという間に契りは終わる。

 それは本当に一瞬の時間で、だが二人には半永久の時間を感じた。互いの唇が触れ、そして味わうでもなく離す。それでもティアの顔は蒸気し、頬を赤く染めた。初めての口付けは命の味がした。

 サンデールも名残惜しそうに支えていた手を離す。少しの沈黙の後また二人は微笑み、互いを強く抱きしめた。


「これであなたと同じトキを生きていられるのだ。なんという誇り、なんという幸せなのだろうか」



 今宵は空が黒く染まるハロウィーンの夜。街は悲鳴で溢れ、人々は笑いと恐怖に踊らされている。

 そんな中、一人の偉大な魔術師と明敏(めいびん)で騎士の如き使い魔が静かに産声を上げた。

 彼女が世界の理を知り、正すのも、彼が愛しい人を守り通すのもまだ、先の話だ。

 これから始まる壮大なストーリーの序章も知らず二人は微笑みあい、温かく優しいひと時の眠りに就くのだった。

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