2. そうだ コート、行こう。
教室に帰った後、麻美と一葉から質問攻めにあった。
事の顛末を話すと、やはり驚かれてしまったが、二人は心から応援してくれた。
二人の気持ちにもきちんと応えなくちゃ。
その思いを胸に、試合当日を迎えた──。
放課後。
私は体育館に向かおうと、教室を出た。
だけど、あろうことか廊下には男子生徒がずらりと横に並んでいる。しかも両側に。
距離はあるものの、私は廊下で男子に挟まれる形となってしまった。
「すみません、通して下さい」
「通すわけにはいかないな……」
な!?
「お蛾夫人との勝負については聞いている」
「だが、今はお蛾夫人にとって大切な時期だ。もしものことがあったらいけない」
「悪いが、この勝負、諦めてもらうぜ……」
まさか、この人達は……。
私はある考えに辿り着き、恐る恐る口に出した。
「あなた達は、お蛾夫人のファンクラブ……?」
「ああ、そうだ。俺達はお蛾夫人ファンクラブ、通称IOCだ」
「IOC……!? オリンピックの!?」
「いやオリンピックとは関係ない。『いいなあ、お蛾夫人のクラブ』の略だ」
IOC……なんて結束の固さなの……。オリンピックとは関係ないけど……。
私が立ちすくんでいる間に、麻美が前に出てきた。
「ちょっと、あなたたち何やってるの! 布子が困ってるじゃない! というか他の人にも迷惑!」
麻美、それ正論。
頷いていると、彼らは意味ありげに鼻で笑った。
「ふっ、このクラスの人たちには、既に協力を頼んでいる」
「何ですって……っ」
「大人しく諦めるんだな!」
こんなことって……。
私は苛立ちを抱えながら、忌々しげに彼らを睨んだ。
しかし麻美は諦めようとはしなかった。
「いいから、どきなさいよ!」
「うわっ」
「なんだこの女っ」
麻美は人混みをかき分けて、無理矢理に道を空けようとした。
けれども、やはり大勢の男たちには敵わない。
「いい加減にしないと怒るわよ!? どきなさいったら!」
「もう怒ってるじゃ……いたっ」
「何するんだ!」
体を押す麻美に、男たちは怒りを露わにした。
「こいつ、女だからと下手に出てれば……!」
「やっちまえ!」
敵はとうとう攻撃体制に入った。
懐に手を入れて取り出したのは……恐ろしい武器だった。
「麻美! 危ない!」
私が叫んだも虚しく、彼らは手に掴んだ武器を投げつけた。
「生意気な女め!」
卑劣な男たちは、そう言って、次々とナマコを投げ続ける。
そう、彼らの武器は、あのナマコだったのだ……!
「うっ……ぐっ……」
「麻美ぃぃぃぃぃぃぃ!!」
苦痛に喘ぎながらも麻美は、私の方を見て合図を送った。
──あたしに構わないで。奴らがあたしを相手している今の内に……。
麻美……っ。
「ごめん……ありがとうっ!」
ナマコで満身創痍になった麻美に背を向け、小さな隙間を駆け抜けた。
「あっ!」
「くそっ、やられた!」
遠ざかる男たちの声を耳にしながら、夢中で走る。
もう少し……もう少しで外に……!
「待て!!」
目の前に立ち塞がった大量の男子生徒たち。
こんなところにも刺客が……!?
「諦めてお縄につけ!」
「私は、何も悪いことなんかしてないわ!」
「ええい、問答無用! お蛾夫人に楯突く無礼者め……!」
そして彼らが両手に構えたのは……。
「蟹の……ハサミ!?」
あんなもので挟まれたら。
そう考えるだけで、ぞっとする。
「しかもスベスベマンジュウガニのハサミまで混ざってる」
ぼそっと聞こえた呟きに振り向くと、息を切らした一葉が立っていた。
「一葉! うそ、まさか追ってきたの!?」
「放っておけるわけないでしょ。何かできることがないかと思ったけど……予想以上に手強そう」
苦々しい表情で漏らす一葉の言葉には、説得力があった。
カニのハサミを構えてこちらの様子を窺う男たち。彼らの表情は、高校生には見合わぬほどの威圧があった。
そして何を思ったのか、唐突に一葉はそばの窓を開けた。
「布子、ここから飛び降りな」
男たちに聞こえないよう小声で進言されるものの、素直に頷くことはできなかった。
「こんなところから飛び降りたら無事じゃいられないよ」
「大丈夫。高さはそれほどじゃないし、何より布子はカーテン人間だから」
それもそうか。
「でも、飛び降りようとした瞬間に足とか掴まれて止められそう」
「それなら私に任せて」
一葉は自信ありげに含み笑いをした。
「いい? 私が行動起こしたら、その隙に飛び降りるの」
「わかった」
私が頷くと、一葉は手提げ袋からある物を取り出し、宙に投げた。
飛び交う五千円札……。
男たちはハサミを放り投げ、宙を舞うお札、床に散らばるお札を、無我夢中で掴み、拾いにかかった。
「私の一年分のおこづかい……!」
涙を飲む一葉。
私はそんな彼女を見て、何てことをさせてしまったんだろう、と罪悪感に苛まれ、そして窓から飛び降りた。
ごめん、一葉……ありがとう、一葉!
軽やかに着地した私は、一目散に体育館へ向かった。
「待て! 加亜天布子!」
またも立ちはだかる屈強な男たち。
「どうしてそこまで私の邪魔をするの!」
あまりにしつこい彼らに、感情のまま叫ぶ。
すると意外な答えが返ってきた。
「わからないのか。試験は既に始まっているんだよ」
「え……っ!?」
「体育館に着くこと、それこそが最初の勝負だ。愛の狩人であるお蛾夫人と闘うには、同じく狩人でなければならない。あんたは今、真のハンターであるか試されてるのさ」
さすが、お蛾夫人とIOC。
私には思いつかないような高レベルの勝負を挑んでくる。
──でも。
「まあもっとも、あんたのような甘ちゃんルーキーは、今ここで消える運命だがな!」
──でも、私はこんなところで負けるわけにはいかない!
襲いかかる彼らに対抗すべく、私は長く封じていた禁断の呪文を唱えた。
「ティンクルらぶりん! 乙女のマジカルパワー!! 発動!!」
私がその呪文を叫んだ途端──風が目に見えぬ刃となり、奴らを切り裂いた。更に、風圧が透明の鈍器となり、敵の急所を深くえぐった。
「ぐはあッ」
赤い鮮血を流した彼らは、苦悶の声を漏らしながら、膝をついた。
「ば、馬鹿な……貴様……何者だ……」
私は負け犬と化した男達を見下ろし、口を開いた。
「今は、ただのカーテンよ。かつては──魔法少女と呼ばれていたけれど」
「そう、か……」
それを聞いた男は、納得したのか、ゆっくりと瞼を下ろす。
その仕草は終わりが来ていることを物語っていた。
「魔法少女……貴様の顔……決して、忘れぬ……ぞ……」
男は、最後にそれだけ言い残し、地に伏せた。
名も知らぬ彼ら。
私も、あなた達のことを記憶に焼きつけておこう。
一つの戦いを終えた私は、今度こそ体育館へ向かった。
本物の、戦場へ。