1. Hey! Bon! JUMP
【カーテン人間とは】
カーテンに自我が芽生えたもの。思考は人間と同じ。
手足が生えていたり生えていなかったりするが、個体差があるので人それぞれ。
私、加亜天 布子。
どこにでもいる平凡なカーテン人間女子高生。
最近の悩みは、風に吹かれてカーテンが揺れ動くことと、日焼けが気になること。そして……ある人に目をつけられてしまったこと。
「ちょっとどうしたの布子 、元気がないね。特にカーテンの繊維辺りが」
友人の浅見麻美がいち早く私の様子に気付いた。さすが私のベストフレンド。
「う、うん……あのね、唐突なんだけど、蒼井宇宙って知ってる?」
「あの蒼井くん? まあ顔と名前くらいは……一葉は? 何か知ってることとかある?」
突然出された名前に驚きながらも、麻美は隣にいる樋口一葉に話を振った。
「私もそんな詳しくないよ。まあ私が知ってることといえば、1年1組1番、身長178cm、血液型A型、三人兄弟の真ん中で、好きな色は赤、好きな汁物はそば湯、得意な教科は英数国、座右の銘は『為せば成る』、普段は右利きだけど球技では左利き、ってことくらいかな」
「うーん、そっかあ。一葉も私と同じで、あんまり詳しくないみたい。それで? 蒼井くんがどうかしたの?」
麻美は学校内での有名人の話題になったことで、目が爛々と輝いている。普段あまりこういう話をしないから、それが余計に彼女を楽しませている要因なのかもしれない。
「あ、ううん……そんな大したことじゃないんだけどね、からかわれてるみたいなの……」
大したことじゃない、なんて嘘だけど。本当はすごく困ってる。
私は平凡な学校生活を送りたいだけなのに……。彼は私をどうしたいんだろう。早くほとぼりが冷めてくれればいいのに。
「蒼井くんが意地悪なことするとは思えないけど……布子のこと好きなんじゃないの?」
「ありえないよ。私は普通のカーテン人間だよ? そんな私に興味わくのもおかしな話じゃない?」
「あたしはそうは思わないけど?」
麻美はにこっと笑って言う。
「布子は、手触りが良くて、遮光効果も高い……最高のカーテンだよ」
「麻美……」
「麻美だけじゃない。私だってそう思ってる」
「一葉……」
「初めて会ったとき、ひと目で分かった。布子は他の子とは明らかに違うって……。具体的に挙げると光沢とか」
私は恥ずかしくなって、俯いた。
「も、もうやめてよ、二人とも。そんな面と向かって褒められたらどんな反応すればいいのかわからなくなっちゃう」
「全く、シャイなんだから!」
「このシャイカーテン!」
三人の笑い声が響き合う。
この翌日に、まさかあんなことが起こるなんて……夢にも思わなかった。
「あっ、自販機でジュース買いたいからちょっと待ってて」
「じゃあ私も買おう」
「やだ、小銭がない。お札も一万円しかないし……ねえごめん、一葉、小銭ある?」
「私も五千円札しかない……」
「もー、一葉っていつも五千円札ばっかり」
※
昼休み。ランチを終えて、三人で和気あいあいと話しているときだった。
「加亜天布子さんはいる?」
女子たちの呼び出しがかかった。
見知らぬ顔にきょとんとした私とは裏腹に、一葉が驚愕に満ちた表情で、声を張り上げた。
「あ、あれは、蒼井宇宙ファンクラブ……! 通称NASA……!」
「NASA!? アメリカの!?」
「いえ、『何でもいいから蒼井くんの素晴らしいところを挙げてみろ』の略だから、アメリカのは関係ないわ……」
「関係ないのね……!」
「関係ないのよ……!」
二人の勢いに圧倒されつつ、私は詳細を尋ねた。
一葉は眉間に皺を寄せながら答えた。
「話してあげたいけど、NASAを待たせてはいけないわ……ただこれだけは覚えておいて。NASAは蒼井くんのファンという領域を超え、信者のようなものと化しているの。あまり刺激しないほうがいいわよ」
NASA……彼女たちは一体……。
校舎裏に連れてこられた私は、大勢の女生徒に囲まれた。
「あなた最近、蒼井様にやたらと近寄っているようね」
「いくらあなたが上質の素材のカーテン人間とはいえ、やっていいことと悪いことがあるわよ」
「ちょっと触り心地がいいからって、調子に乗らないでちょうだい」
そんな……。
私は別にそんなつもりじゃ……。
「わ、私、自分から近付いているわけじゃ……」
「まあ! 皆さん今の聞こえたかしら?」
「蒼井様が自分から近付いたって言うの? あなた勘違いしているんじゃないかしら」
「蒼井様はちょっとからかっているだけよ。それがわかったら自ら身を引きなさいな」
NASAのメンバーは私を見て、見下すような笑みを浮かべた。
私は中心人物であろう女子を真っ向から睨みつけた。
「どうしてあなたにそんなこと言われなきゃいけないんですか?」
「西園寺様になんて口の利き方!」
「いいこと? NASA副会長の西園寺様は由緒正しき名家の御令嬢なのよ!」
「あなたが……?」
彼女の、腰まで伸ばしたまっすぐな黒髪が目に入った。
「そうよ。私の祖先は、織田信長、武田信玄、独眼竜のあの人、平賀源内……と、早々たる顔ぶれなのよ」
「全員血の繋がりがありませんけど……あと最後の人だけ全然違うし」
「うるさいわね! 下級生のくせに生意気なのよ!」
西園寺は鋭い視線を投げかけた。
「とにかく、蒼井様にこれ以上近付かないでちょうだい!」
「私にこんなこと言っている暇があるなら、蒼井くんにアプローチすればいいと思いますけど……」
「何ですって?」
眉を顰めた彼女は、わかってないわね、という顔をしてから口を開いた。
「私の祖先に武田信玄がいると言ったでしょう?」
「はあ……」
生返事をする私に、西園寺はまっすぐな声音で言った。
「だから恋に対しても、私はこのモットーを守っているの。──動かざること山の如し……!」
「全然かっこよくない!」
指摘した途端、何よ生意気ね! と怒りの声が飛び交う。
一体どうすればいいの。
困り果てていたとき、第三者の闖入によって、ぴたりと騒ぎが止まった。
「いい加減およしなさい」
凛と響いた声に、その場の全員が振り向く。
縦ロールの巻き髪……あれは……。
「お蛾夫人……!」
「どうして会長が……!?」
「あなた方がおかしなことをするのではないかと目を光らせていたら……全く、なんてことをしているの。多勢に無勢。情けなくてよ」
NASAメンバーは、一斉にバツが悪そうに俯いた。
動きが揃っている。まるで軍隊のようだ。
「ごめんなさいね、加亜天さん。会長として非礼を詫びるわ」
「いえ……」
全身で感じる、お蛾夫人から発せられる圧力。やはり彼女は只者じゃない、とはっきり確信した。
──お蛾夫人。彼女も蒼井くんと同じく、校内での有名人だ。
資産家の令嬢で、優秀な成績と、部活動のバドミントンにおいては全国にも通じるほどの実力を誇り、おまけに美人。まさに才色兼備の優等生だ。
彼女のカリスマ性は、蒼井くんのファンクラブという名の舞台で、光り輝いていたなんて……。
「まさかあなたのような方がファンクラブの会長だなんて知りませんでした。正直に言っておきますけど、私は蒼井くんに興味はありません。向こうから近寄ってくるんです」
「そうかしら。あなたも大した抵抗はしていないのではなくて? 嵐が過ぎ去るのを待っていてばかりでは、家も崩壊してしまうわ」
私は黙り込んで、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「加亜天さん」
「はい」
呼びかけに返事をすると、彼女は強い眼差しで私を見つめた。
「ひとつ私と勝負をしませんこと? バドミントンで」
「勝負……?」
「そうよ。私はサーブを打ち、あなたは私の打つサーブをその体で受け止める。一回でも私のサーブを阻止したら、あなたの勝ちよ。どうかしら」
私が怪訝な顔をすると、お蛾夫人は補足をした。
「あなたが勝ったら、蒼井様があなたへの興味をなくすような話を彼にするわ。さあ、カーテン人間の矜持を見せてちょうだい」
その話をして、本当に彼が引き下がるかどうかはわからない。
故にこの勝負、例え勝ったとしても、そうメリットは大きくないかもしれない。
でも……カーテン人間として引き下がるわけにはいかない。私は、強くそう思った。
「わかりました。受けて立ちましょう」
私の返答にお蛾夫人は満足そうに頷き、周囲のNASAメンバーはざわついた。
「馬鹿ね、お蛾夫人の実力を知らないから……!」
「お蛾夫人の、やたらと曲がるサーブを見たら、顔色変えるに決まってるわ!」
「見物ね!」
周りはそう言って、口々に私の無謀さを嘲笑う。
構わない。今は笑われても構わない。試合で彼女たちをぎゃふんと言わせてみせる。
私がそう決心したときだった。
「おいおい、一人のカーテンに寄ってたかって、一体何やっているんだ」
「宝塚様……!?」
突如現れた男子生徒に、周囲は騒然とした。
私はいまいち状況が飲み込めず、ついていけない。
彼は、何者?
「そのお名前と、宝のような人材だということなら、愛称が『宝』の2年生、宝塚翼様よ……!」
「どの辺が宝かと言うと……顔ね!」
「あと容姿ねっ」
「それから風貌ねっ」
「間違いないわ!」
宝塚翼……。
彼女たちをここまで騒がせるなんて、只者じゃない……!!
「しかも宝塚様は『静かなる西郷どん』という異名をお持ちのようよ……!」
「あら、『やたらミュージカルに詳しい人』の異名も有名よ! ご存知ないの?」
「たくさんの異名がおありなのね! さすが、たからづかまま……言いづらっ。宝塚様ってちょっと言いづらいわね!」
そんな会話が聞こえているのかいないのか、宝塚先輩はこちらに近付いて微笑んでみせた。
魅惑的な笑顔に潜むあの圧力……! 彼は、お蛾夫人と並ぶほどの力を秘めている……!
「よかったら、僕にも話を聞かせてくれるかい?」
そこで気付いた。
彼のその言い分は、ただの飾りなのだと。
私は意を決して彼に事実を伝えた。
「あの……助け舟を出したつもりなら遅いです……」
「えっ」
「せめてあと10分は早く来てくれないと」
「ヒーローは遅れて登場するものだって聞いたのに……っ」
そう言って悔しがる姿も様になっている。現にNASAメンバーたちは、うっとりとした目で彼を見つめている。
ちょっとちょっと。あなたたち、蒼井くんのファンじゃなかったの?
イケメンって、お得すぎる……。
「ちょうどいいわ。あたくしたち、バドミントンで勝負をすることになったの。あなたもいちバドミントンプレイヤーとして、観戦したらどうかしら」
お蛾夫人の言葉に、周囲がまたも騒然とした。
「宝塚様がバドミントンプレイヤー……!?」
「よしてくれよ、過去の話さ」
宝塚先輩は、苦笑いで答えた。どうやら彼も以前バドミントンの世界を駆け抜けていたらしい。
「だが、バドミントンの女王様と呼ばれる君が、素人と闘うなんて、随分な話じゃないか?」
バドミントンの女王様……。彼女にはそんな異名まであったなんて。
「ハンデはつけてあるわ。何よりもこの子は、バドミントンプレイヤーとしての力を秘めている……ただの女子高生ではないわ 」
「……君にそこまで言わせるなんて、彼女は一体、何者なんだ?」
宝塚先輩の視線が私に移る。
あまり注目しないでほしい。
私は、一般家庭に生まれた、ごくごく普通の 黄金の国の人だ。
「明後日の放課後、体育館で待っているわ」
それだけ言い残したお蛾夫人は、後ろにNASAを引き連れ、その場を後にした。
残るは、宝塚先輩と私。
「……君のファンタスティックなプレイ、楽しみにしているよ。健闘を祈る」
彼は応援の言葉を贈り、背を向ける。
「あ、そうそう」
途中で、思い出したように彼は付け加えた。
「彼女……お蛾夫人は、女王と呼ばれるだけあって、他のプレイヤーにはできないプレイをするよ。少しでも侮れば──その先に待つのは死のみ、だ」
重い宣告に息を呑んだ。
その様子に満足したのか、宝塚先輩はふっと笑みをこぼし、立ち去る。
宝塚先輩の背中を見ながら、私は深く考え込んだ。
お蛾夫人……彼女の強さは一体……。