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神の黙示録  作者: 六野薫
夢と理想と現実(あるいは長すぎるプロローグ)
9/24

 


 少年の家の前で、少女が悲痛な声を発した。


「お願い、私をユート君の家に泊めさせて」


「えっ……でも、いつも僕以外ほとんど誰もいないから、僕の家は大丈夫だけど……君のお母さんとお父さんは心配するんじゃない?」


 少女は首を横に振る。


「あの人たちが私を心配なんかするわけない。それに、私家出してきたから、今日寝る場所がないの」


「まあ、僕もいつも一人だから……誰かとお泊りするのは楽しそうで良いけどさ」


 そう言われてしまったら、少年は承諾するしかなかった。脳裏に母親の姿を思い浮かべながら、大丈夫だろうと内心で頷く。


「ただいま」


 そう言って、少年はポケットから鍵を取り出して開けると無人の家の中に向かっていつも通りに言った。


「狭いわね」


 少年の後を付いてきた少女が失礼なことを言う。


「そう? 一般的な家庭だと思うけど」


 言って、少年は少女に視線を向けた。この少女は案外お嬢様なのかもしれない。見たことがないような高級そうな服を纏っていることから考えても、恐らく間違ってはいないだろう。

 と、少女が少年の視線に、何を勘違いしたのか目元を潤ませた。


「ううっ、ごめんなさい。もうあんなこと言わないから、追い出したりしないで」


「い、いや、そんなこと考えてないから」


 必死に否定する少年に、少女は上目使いで見上げる。


「本当?」


「本当、本当」


「……うん、わかった。ユート君のことを信じる」


 少女が満面の笑みを浮かべる。そして、少女は不意にきょろきょろと家の中を見回して、こてりと首を傾げる。


「ねえ、ユート君」


「なあに?」


「さっき、いつも一人って言っていたけれど、お母様は?」


「ああ、母さんは外で働いているんだよ」


「じゃあ、お父様は?」


「……お父さんはいないよ。亡くなったんだって」


「えっ……あっ……ごめんなさい」


 おろおろと戸惑いながら謝る少女に、少年は苦笑を浮かばせた。


「いいよ。僕、父さんの顔も知らないから。母さんが言うには、僕が生まれた直ぐに亡くなったんだって。だから、僕にとって家族は母さんだけで……でも、最近はずっと一人だから、それもよくわかんなくて……家族なんて誰もいないような感じがするんだ」


「な、なら……」


 少女が綺麗な声音で空気を震わせる。


「──私が家族になる」


「えっ?」


「私がずっと傍にいる。私はいなくならないよ」


 そして、少女は少年に輝くような笑顔を向けた。

 



       ◇





 甘い芳香がする。


 優斗が朝起きて、最初に感じた取った情報それだった。

 はて? と目を瞑ったまま思考を巡らせる。優斗が寝ているところ──それは優斗自身の部屋だ。優斗の部屋はいかにも男の子のもので、花のような──甘い芳香を漂わせるものは一切置いてはいない。


 なら、何だろう?


 答えを見るために、優斗は瞼を開いて──思考が硬直した。


「……何してるんですか? 夕闇さん」


 優斗が眠るベットの傍。そこに、柴乃は優斗の顔を覗き込むようにして、壮麗な顔を近づけていた。どうやら甘い芳香は、柴乃の黒紫色の髪から漂ってくるようだった。


「霧神君の寝顔を見ているのよ」


「そうか……じゃなくて、何で夕闇がここにいるんだよ」


「あら、話したじゃない。今日から同棲よ、って」


「確かに話したけどさ!」


 まさか本当にするとは思わなかった。冗談だと思っていたのだ。

 柴乃がのそのそと動いてベットの端にちょこんと座るのを見て、優斗もベットから這い起きると柴乃の隣に座る。


「というか、夕闇はよく母さんにばれなかったな。母さんいただろ?」


 優斗の母親は多忙な仕事でほとんど家に帰ってこない。しかし、昨日はちょうど仕事がひと段落ついたとかで珍しく家に帰ってきたはずだ。


「いたけど、普通に中に入れてくれたわよ」


「……そうなのか。知らない人を家に入れるとか、母さんぼけたのかな」


「失礼ね。私はここの娘も当然でしょ」


「お前はいつからうちの家族に戸籍を入れたんだ!」


「戸籍には入ってないけど、思い出には入ってるわ」


「何それ、怖いんだけど」


 至極真面目な表情で答える柴乃に、優斗は言って呆れた表情を浮かべる。

 表面上はいつも通りだったが、お互いにどことなく違和感があった。


 お互いにわざと昨日のことに触れようとはせず、逃げたことに触れようとはしなかった。


「……それで、夕闇は俺のところに来たんだ? もしかして学校に行く前に、何か夢の世界関連で連絡事項があったのか?」


 同棲のために来た。

 それがまさか柴乃が優斗の家に来た理由とは、優斗は信じていなかった。万が一には有り得るかもしれないが。

 その言葉に、柴乃は思い出したように言う。


「ああ、学校ね。そういえば、今日は休校らしいわよ。原因不明の校舎の崩落のせいらしいわね。……それに連絡事項があるわけでもないわ」


 謎の崩落、のところで優斗は頬を引きつらせながら疑問を投げかける。


「それじゃあ、何のために?」


「遊びのお誘いをするためよ」









 数十分後。


 柴乃に連れられて──というよりは、半分引きずられて着いた場所はこの町の中心に位置する山だった。

 しかし、山と言ってもそんなに高いものではなく、お手軽なハイキングに適した高さだ。山の部類では小さな方に入るだろう。

 山道を歩く優斗の頬を風が撫でる。最近の、ねっとりと湿度の高い空気もここでは、爽やかなものと変わり、優斗の体感では遥かに涼しく感じる。


「……あとどれぐらいで着くんだ?」


 この数十分で既に五回目となる台詞を優斗は復唱する。

 山に来たのは良いが、柴乃が何を目的にし、どこに向かっているかがさっぱりわからない。


 すると、柴乃は優斗の言葉に顔をしかめた。


「少しぐらい我慢できないの。……ああそういえば、霧神君は見た目は高校生、精神年齢は幼稚園児だったかしら。気付かなくて、御免なさい」


「俺はそんな特殊な設定を背負った覚えはない!」


「失礼。見た目は豚だったわね」


「既に人間じゃないだとっ!」


「黙りなさい。ブヒブヒ言っていると、この新鮮な空気が汚れるでしょ。ベストは息も止めることね」


「あなたは、俺に死ねと」


「ああ、豚が何かブヒブヒ言ってるわね」


「ぐっ……」


 絶好調の柴乃の口調に、優斗は黙り込んだ。

 なんだが初めて見たときの柴乃の印象が、どんどん崩れていっている気がする。


「着いたわよ」


 柴乃がそう声を掛けたのはそれから数分経った後だった。

 山道が終わり、視界が開け目の前の光景を映し出す。


「はぁー」


 優斗は感嘆とともに、そんな呟きを漏らした。

 視界に映ったのはこの街全体の光景だった。

 小さい頃から巡ってきた場所が、ここから一望することできる。


「どうかしら?」


「すげえよ。よく知っていたな」


 と、優斗が言った瞬間。

 不意に、柴乃が優斗の身体を背後から抱きついた。甘い香りが鼻孔をくすぐり、微熱が優斗の身体を包みこむ。


「へっ! ゆ、夕闇どう、どうしたんだ?」


 声が裏返った優斗に、柴乃は優斗の身体を掴んだままギュッと力をこめた。

 そして、震えた声が優斗の聴覚に触れる。


「なんで……なんで……勝手にいなくなったの?」


 直後、今までの会話の僅かな悦楽さが消え去った。代わりに、冷たい後ろ暗さが優斗の身体を包み込んだ。


「心配したんだから……もう、私の前から勝手にいなくならないで……あなたが、無視したり、勝手にいなくなったりすると、わ、私はどうしたら良いかわからなくなるの。お願いだから、何も言わないでいなくならないで……」


 優斗は乾いた喉を震わせ、掠れた声を絞り出す。


「……悪い……」


 短い謝罪の言葉を絞り出すと、優斗は顔を俯かせた。


「……でも、俺が一緒じゃ駄目なんだ。俺が一緒だと、みんな消えてしまう。……俺はもう周りの人が傷つくのを見たくないんだ」


 優斗は朧げに覚えている過去の記憶と何度も見た夢を思い返しながら言った。


 幼い頃、一人ぼっちだった優斗はよく公園で遊んでいた。

 いつも一人だった優斗は人との繋がりに飢えていたのだ。誰かとの繋がりを確認するために、公園に足を運んでいたと思っても良い。


 だが、ある日、その公園には見知らぬ少女がいた。近所の子供はおおよそ知っていたが、その少女は今まで見たことがなかった。

 最初は不審に思ったが、優斗と少女は直ぐに打ち解けた。いっぱい遊んで、いっぱい話した。


 気がついたら、優斗は少女に内心の不安を吐露していた。もしかしたら、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

 そして、少女は愚痴にも似た優斗の言葉を真摯に聞いた後言ったのだ。──『私はいなくならない』と。


 救われた。たった、それだけの言葉でも。少女にそのつもりがなくても、優斗は確かに救われたのだ。


 だが──少女は消えた。言葉通り、優斗の目の前から姿を消したのだ。獣に喰われてしまって。


「──だけど、俺は夢だと幻だと信じて目を背けてきた」


 苦しかったから。逃れたかったから。

 だから、優斗は見て見ぬふりをした。過去を、現実を夢だとわざと疑うことなく信じてきた。盲信してきた。


「でも、その結果がこれだ。今度は由香里までいなくなった。俺がちゃんとしていれば……もっと前から覚悟を決めていれば……こんなことにはならなかったはずなのに……」


 結局、優斗が世界を救うなど到底無理な話だったのだ。優斗は身近な人間でさえ守ることができないのだから。

 不意に、柴乃が優斗の背中に顔を埋めたのか、背中から軽い圧迫を感じた。


「私はいなくならないよ」


 震え、何かを必死に我慢するような声。だが、その声には確かな強い意志が含まれているように思えた。


「私はあなたの傍にずっといる。私があなたを守る。だから、もう一人で我慢しなくてもいいのよ」


「…………」


 何を。などと無粋なことは聞き返さなかった。

 その言葉に柴乃の気持ち全てが集約されたようにも感じ、それは優斗の凍てついた心を溶かしていく。


「今はまだ、全員は救えないかもしれないわ。これから沢山の犠牲を見ることになるかもしれない。……それでも、立ち止まっては駄目。戦い抜いて」


「……夕闇は強いな」


 感嘆の意を込めて、優斗は声を漏らした。


「……でも、俺にはそんなの無理だよ。……夕闇は俺のことを買い被りすぎだ。俺は夕闇が思っているほど、強くはない」


 優斗は甘い理想に流されただけだ。

 だからこそ、大して考えもせず柴乃の提案を了承したのだ。昔に憧れた正義の味方になれることに期待して。

 守れることを期待して。

 大切なものを守れると勘違いして。


 でも、理想と現実は違う。違った。


「俺は弱いんだ。……現に、俺は自分の力で仇を討つどころか、衝動に任せて振るっていただけなんだ。……それだけじゃなくて、俺は夕闇も傷つけた。……怖いんだ。今度こそ暴走したまま、夕闇を殺してしまったら……」


「あら、あなた如きが私を殺せると思っているの?」


 優斗の独白に、柴乃が冗談めかして応じる。


「万が一にも有り得ないわね」


「はは、そうかもな……でもそれでも、俺はこんな力はいらない。人を、世界を、傷つけるだけの化け物の力なんて。大切な人を守れない力なんて」


「違うわ」


 短く、柴乃が否定した。


「あなたが持っているのは『化け物の力』じゃない……ほら、見て──」


 柴乃の言葉に促されるように、優斗は顔を上げて、目の前の光景を見つめ──ようやく、柴乃がここに連れてきた理由を遅らせながらも頭の片隅で察した。

 優斗の視界に、街が日光の光を浴びて煌めく。傷ひとつない街が、今の優斗には楽天地のようにも見えた。


「あなたが持っているのは『世界を救う力』。確かに、あなたは傷つけたかもしれない、守れなかったかもしれない──でも、この世界は救われた。この街は救われた。それだけは、紛れもない事実よ」


 それは気休めの言葉だろう。そんなことを言っても、何が変わるわけでもない。

 だが、その言葉は優斗の心に浸透していく。

 もう一度、柴乃がぎゅーと優斗の身体に抱きついた。さっきよりも、熱が身体に届き、柴乃の存在を確かに知らしめる。


「自信を持って。あなたは強い。……自信が持てないなら、私が助ける。一人で無理なら、私がついてる。私がずっと傍にいるわ」


 一つ一つの言葉が丁寧に紡がれて、優斗の中に消えていく。

 それは今まで聞いてきたどんな言葉よりも、優しく慈愛に満ちたものだった。








 どれぐらいそうしていただろうか──


 立っていた優斗と柴乃はいつしか地面に座り込み、背中を合わせた状態で宙に視線を漂わせていた。

 お互いが繰り返す呼吸の音しかしない場を、最初に打ち破ったのは柴乃の声だった。


「……私もね、昔一人だったのよ。父親と母親はいたけど……二人は私を見てなかった。私の才能だけを見て……いつも厳しい訓練の日々だった」


 静かに囁かれた柴乃の独白を、優斗はわずかに既視感を覚えながら聞いた。


「……そんなある日、私は訓練が嫌で逃げ出して……一人の男の子と出会ったの。とっても優しい男の子に。……でも、私が弱くて不甲斐なかったから……目の前で傷ついて……私は、その男の子を悲しませた。今でも、その子の表情を覚えてる」


 そこで、柴乃はいったん言葉を区切った。


「──だから、私は強くなろうと思った。もう悲しませないために。守るために。誰よりも強くなろうと思って、弱い部分をみせないようにした。……性格も昔はもっと丸かったのよ」


「一応、自覚あったんだな」


「もちろんよ。でも、昔のままだと私は甘えちゃって、泣いちゃうから。……誰にも弱い部分を見せないようにした。特に、その男の子の前ではね。──そして、私は力を求めたのよ。……だけどね、結局手に入ったのは偽物の力だった」

 

 悲痛で、乾いた声が響く。


「──だって、たぶん、私が考えていたのは自分のことだったから。その男の子のことは一切何も考えてなかったのよ。……悲しい思いをさせないなんて建前だったことに気づいた。……私はただ純粋にその子に認められたかっただけ。そうしないと、私はその男の子と釣り合わないと思ったから」


「……でも、それは普通の感情だ。何もおかしくない……」


「……そうかもしれない。……だけど、覚えておいて。目的を失った力は、害にしかならない。お願いだから、自分を見失わないで。あなたは何のために、誰にために力を使うのか考えて」


 最後は呟くようにして、柴乃は言葉を紡ぎ終わる。


 曖昧な話──けれども、柴乃はどこか優斗と同じような境遇にいるように感じた。

 案外、優斗と柴乃は似ているのかもしれない。だけど、二人の間に明確な違いがあるのなら、優斗は過去から目を背け、柴乃は過去をしっかり見つめたことだろうか。


 きっと──というよりは確実に、両者の間には計り知れない溝が存在するのだ。過去から逃げてきた優斗にはわからない溝が。

 その溝を埋めるにはどうすればいいのだろうか。夕闇柴乃という人間に近づくにはどうしたらいいのだろうか。


 それは一種の羨望だった。優斗の理想とも言える柴乃に憧れていた。気丈で、時に脆く、厳しく、優しく、そして絶対的に強い柴乃に。

 それがたとえ偽物であるか否かなど関係ない。偽物は時には本物を超えるのだから。偽物の方がより人間味に溢れるのだから。


「……なら、俺は夕闇を守るために力を使う。夕闇が俺の傍にいるなら、俺が夕闇の背中を守る。俺が夕闇の理想を傍で支えて、実現する」


 ぽつり、と無意識の内に口から言葉が漏れた。柴乃がどこへと向かうか、どこへと辿り着くのか隣で見てみたいと思ったのだ。


「約束よ」


 柴乃が静かに呟いた後、体重を預けるようにこちらに身体を傾ける。

 そして、ゆっくりとお互い手が絡まった。子供同士の約束の証──指切りをするように。

 背中に触れる重さを、優斗は自身に刻み込みながら、もう一度守るべき存在を確認して、思いを──理想をまだ見ぬ未来へと飛翔へとさせた。






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