7
太陽が傾き始め、道路に影を落とす。
オレンジ色の光が辺りに染みわたり、夕闇が徐々にその範囲を広げる。周辺には静寂が満ち、誰一人として人間の影は視界に入らない。
「はあー」
優斗はその中を歩きながら、大きく溜息をついた。
昨日からこんな感じだった。
柴乃が「私たちを狙っている」と言った後から、優斗はずっと気を張っていたのだ。優斗の身体には、それが疲労となって溜まり込んでいたのだった。
あの後、柴乃と別れた優斗は夕闇が染み渡る帰り道を一人で歩んでいた。視界に、斜陽が映りこんで思わず目を細める。
──でも、こんな光景を見てると思い出すな。
感慨深い思いで呟く。
優斗の脳内に蘇るのは、夢の出来事。過去の出来事だ。
ちょうど、あの少女と初めて出会ったときもこのような光景だった。
夕闇に包まれた公園。それが、初めて少女と出会った場所。道路と公園という違いはあるものの、光景自体にはそこまでの差異はない。
と。
ぴりっとした感覚が、優斗を背後から突如襲った。背筋に寒気がはしり、身体が竦み上がる。
現実か幻かもわからない夢の中で、何度も優斗を襲った感覚──殺気だ。そう察知した瞬間、優斗は地を蹴ると背後を振り返った。
「誰だ!」
目の前に広がる夕闇に向かって叫ぶ。
すると、その言葉に呼応するかのように夕闇がうごめき、殺気を放った元凶が姿を現した。
それは一人の男だった。
全身を黒フードで覆い被さり、顔が見えない──が、体格から考えるに恐らく男だろう。
フードの奥の闇から赤く光って見える眼光が、妙な不気味さを醸し出し、優斗をたじろかせた。
「誰だ……?」
先より警戒のレベルを引き上げ、恐る恐る尋ねる。
だが、優斗の直感は理解していた。こいつは、やばいと。
果たして──優斗の恐れていたことが起こった。
男は何かを持った手を掲げると、黒フードの奥で口が何かを紡ぐように動く。優斗は男が言葉を紡ぎ終わる前に、その言葉を鮮やかに予想した。
──門を開放せよ!
直後。
耳障りな金属音とともに、男が掲げた水晶から灰色の波動が世界に広がった。その波動は世界から色を奪い、凍結させる。
同時に、優斗は確信した。
──刺客か。
柴乃があれほど警告した刺客。現実世界と夢の世界を融合させんとする刺客が、優斗の前に現れたのだ。
男が、先程の金属音のような声を漏らす。
「……オ、前、ガ、霧神、優斗、カ」
「……だとしたら、なんなんだ?」
静かに言った優斗の言葉に。
男は黒フードの奥でにやりと笑った。口から僅かにとび出た犬歯は優斗に凶暴なイメージを抱かせる。
「来イ。──我ガ、神器ヨ」
甲高い声とともに、男の手の平の上で幾何学的な模様が浮き上がり。
黒フードの男はジャリと一歩踏み出し、片手に握った何かをこちらに向けた。
黒光りの細長い筒に、不気味でありながら華麗な装飾が施されている。その武器は実際には見たことが無いが、優斗にはそれが何であるか直ぐに理解することが出来た。
銃だ。
夕闇とマッチした黒光りの神器が男の手には握られていた。
「……うっ」
小さく声を漏らすと、優斗はじりじりと後ろに後退る。
あまりにも分が悪すぎた。相手は銃を持っている。その殺傷能力は見聞でしかないものの、優斗の命を容易に奪うことが出来ることは知っていた。
さらに。
バチッ、と。後退していた優斗の背中が何かに触れた。擬似夢の範囲を示す障壁。それとわかるような薄い膜が、優斗が触れたことで微かに発光し、背中と障壁が反発し押し返される。
「くっ……」
前には刺客。後ろには障壁。絶体絶命の状況。
と、そのとき。
「キエロ」
黒フードの男の無慈悲な死の宣告と同時に、こちらに向けられた銃口が火を噴いた。
直後。
優斗の左の肩口から全身に向かって苛烈な痛みが襲い、肩口が熱く燃え上がったようにも感じた。痛みに声を上げようにも口からは空気が漏れるだけで、優斗の視界に火花が散る。
思わず蹲りそうになりながらも、優斗が肩口に手を伸ばすと、やはりそこからは少量であるものの真紅の血が流れ出ていた。灰色の地面に、優斗の腕から血が滴り落ちて真っ赤に染め上げていく。
「……お前は……いったい誰なんだ?」
時間稼ぎのつもりで優斗は疑問をぶつけるが、返ってきたのは沈黙と再び銃口をこちらに向ける動作のみだった。
「キエロ」
機械的に、まるでプログラム通りに同じことを繰り返し──優斗の全身に悪寒がはしった。死の瞬間が肉薄するほど近づくのを感じる。
──ここで死ぬのか?
そう思った瞬間、優斗の顔から血の気が引いた。
左の肩口を除いて、一気に体温が低くなり、身体が冷たくなっていく。
嫌だ。そんなの嫌だ。まだ生きたい。それらが、一つの思いとなって血液を通して身体全体に駆け巡って、優斗の瞳に意思の輝きが灯った。
そして、銃口からオレンジ色の光が迸った。しかし──今度は銃弾が優斗を捉えることはなかった。
刹那。
銃口の向き。目視から図る距離。それらが鮮明に脳内に浮かび上がる。
と、同時に優斗の身体は右に傾いていた。直感めいたものに従って、優斗は咄嗟に身体を横に反らすように動き。
さっきまで優斗の身体があった場所を、一筋の閃光が通り過ぎた。
「……何だ……今のは?」
そのセリフは、相手にではなく、優斗自身へと向けたものだった。
銃弾を躱したのは、別に優斗の反応速度が恐ろしく発達していたためではない。
視えた、のだ。
銃弾が通る場所が。
まるで、一寸先の未来が読み取ったかのように。
「グルッ」
優斗の超人的な動きに、男が獣のように喉を鳴らし、再度銃口をこちらへと向けた。
──どうする?
優斗は目の前の銃口から目を離すことなく思考を巡らせる。まるでこのような危機的状況に何度も遭遇しているかのように、優斗自身、驚くほど思考が冴え渡り様々なことが閃いていく。
最善策は柴乃に助けてもらう、だ。
だが、柴乃に助けを求めようとも手段がない。いや、正確には手段──携帯を使うという手段はあるが、その前に心臓に風穴を開けられてしまうのがオチである。
となると……
──やるしかないのか!
そこで、優斗は目の前の男に視線を向けた。相変わらず、銃口の照準はまっすぐ優斗を狙っている。
優斗が死を抗う手段は一つしか残っていない。
優斗は目を銃口から離さないままで、意識を内側に向けた。
「来い」
深層意識に語りかけ、優斗の中に眠る力に呼びかける。
瞬間。
眼前で地面に幾何学的な模様が刻まれ青白く光って、細身の剣が顕現した。
優斗はそれを片手で握ると、地面から一気に引き抜く。すると今度は、昨日と違って消滅することなく、優斗の手の中に収まった。
この現代の日本において、剣を握る行為などないに等しい。それ故に、優斗はその重さにとられ扱いきれないと思ったのだが。
……なんだこれ?
そんな感想を抱くほどその剣は軽かった。
握っているのすら感じさせない羽のような軽さのそれは、優斗の手にしっかりと馴染む。
そして、優斗は男を見据え、剣を強く握ると。
「──行けっ!」
己を叱咤するように短く叫び、痛みに抗議の声を上げる身体を引きずって、優斗は地面を蹴り上げた。少し遅れて、男が引き金を引く。
再び、唸り迫ってくる銃弾を直感で間一髪で躱すと一気にその間合いを詰めた。
恐らく二度も躱されると思っていなかったのだろう。驚愕で男の眼が見開かれたような気がした。
優斗はそれを引きつった笑みを浮かべて返すと、さらに間合いを詰める。最初は十メートル近くあった間合いは既に半分をきっている。
しかし、これからだ。
近くなればなるほど、銃弾が放たれてからの時間が遥かに短くなる。撃たれたからでは遅い。
──もっと予測しろ!
優斗の内心の叫びに呼応するように、直感が脳内に、まるで一寸先の未来を描いていく。
が。
──躱せない。
それが、直感が描いた一寸先の未来だった。
それも当然なのだ。今まで、躱し続けた優斗が異常なのだから。
だが、優斗はそれでも地を駆けることを止めなかった。
一つの思考が閃いたからだ。
柴乃は、擬似夢の中で生じた環境の変化はそれが終わった時に、元に戻ると言っていた。
そしてそれは、柴乃がつくったクレーターが何事もなく、優斗の目の前で元に戻ったことが実証している。
なら、擬似夢の中で負った傷も元に戻るのではないのか。というのが優斗の考えだった。
推理というよりも、都合の良い希望。
だがそれでも、優斗はそれにしがみついて攻撃するしかない。
ここで反撃しなければ、優斗は心臓を貫かれるのだから。死んでしまったら、戻るものも戻らない。
「ウオォォォ──ッ!」
絶叫し、剣を振りかぶる優斗に、男は微かに気圧された。
それで十分だった。
銃口がぶれて、放たれた銃弾が優斗の足を掠める。
しかし、それは優斗の足を止める理由には成り得なかった。
ようやく、剣の間合いに入った優斗は、不恰好にも剣を振り下ろし。
その男は優斗が放った剣閃から逃れるように身体を捻った。
「ウグッ!」
それでも完全に躱すまではいかなかったのか、剣が黒フードを切り裂き、初めてその男の顔が斜陽の光に晒された。
「────ッ!」
思わず息を呑む。
名前は知らない。
だが、間違いなく優斗はその男の顔に見覚えがあった。
昨日の放課後、優斗と柴乃に難癖をつけてきたあの男子生徒だった。眼は真っ赤に染まり、顔には神器を呼び出すときと同じような幾何学的な模様が刻印されていた。以前の顔立ちの面影はほとんど残っていないが、見間違えようもなかった。
「……お前なのか? お前が黒幕なのか?」
問い掛けながら、優斗は自身の中でその疑問を一蹴した。
有り得ないからだ。
この男子生徒は、以前柴乃が《門》を開いた時動くことはできなかった。ならば、この数日の間に何らかの方法で神力を手に入れたはずだ。となると、黒幕は誰か別にいないとおかしい。
優斗の問い掛けに、男子生徒は初めて人間味溢れる声を漏らした。
「……違う。俺のせいじゃない。俺のせいじゃないんだ! おれじゃぁぁぁぁぁぁ──」
突然、男子生徒の声が壊れたレコーダのように音を外した。
狂気に侵されたように身悶えると、男子生徒の身体がどす黒く発光し、瘴気を絡みつき始める。
「お、おい、どうしたんだ?」
苦しみ始めた男子生徒を警戒し、訝しげな表情を浮かべながら近づく優斗の声に。
男子生徒に優斗の手が届く前に、どす黒く染まった身体の中心に光と瘴気が収束し──四散した。
「なっ!」
ガラスが割れるような音を撒き散らせながら、男子生徒の身体が光の粒子となり、大気中に消えていくのを、優斗はただ見ていることしか出来なかった。
その不思議な現象を見ながら、優斗は遅まきながら悟った。
彼もまた犠牲者なのだ。黒幕は遠くから見ていただけで、優斗を消せないとわかると情報が漏洩することを恐れて、口封じをしたのだ。
「くそっ!」
やるせない思いが、優斗の中に込み上がり、思わず拳を壁に殴りつけた。拳が擦りむいて痛みがはしる。だが、優斗の意識はそこにはなかった。
許せなかった。
人を物のように、道具のように使い捨てるなど、優斗には許せなかった。
「絶対に許さなねーぞ」
世界が色を取り戻していくなかで、優斗の身体を疲労感が襲い、壁に寄りかかって崩れ落ちた。
手の中から剣が落ちて、地面に接触した後、乾いた音とともに男子生徒と同様に光の粒子となって四散する。
そして、完全に世界が戻った。
道路を染め上げた真っ赤な痕は、何も事もなかったかのように霧散し、優斗の傷痕も鈍痛を残して消えた。
夕闇が深くなり、道路に濃い闇が浮かび始める。戦闘の余熱を感じながら、優斗は視線宙に漂わせる。
と、そのとき。
目論見通りに、傷痕が消えたのを内心で微かに喜ぶ優斗の聴覚に、可愛らしい声が触れた。
「……ユウ何してるの? こんなとこで」
地面に座り込んだまま、声がした方向に視線を向けると、そこに立っていたのは由香里だった。ちょうど学校帰りなのか、制服を着たままで鞄を肩から掛けており、短い茶髪を揺らして、怪訝な表情をする。
「随分前に帰ったと思ったのに…………教室にもいなかったし」
「……もしかしてずっと待ってたのか?」
由香里の言動から思いついた疑問に、由香里は首肯する。
「うん、そうだよ」
「うっ、ごめん。まさか待ってると思わなかったから」
「別にいいよ。連絡入れなかった私も悪いし…………それでユウはこんなとこで何をしてるの? 随分疲れてるようだけど」
「ちょっと用事があってな」
曖昧な言い方で誤魔化す優斗に、由香里が思考を読んだかのように言葉を紡ぐ。
「……もしかして、夕闇さん?」
「まあ……そうかな」
「付き合ってないんじゃなかったの?」
「付き合ってないけど……俺がタマタマ選ばれて、この辺を案内してたんだよ」
「ふーん」
道路に浮かぶ闇がさらに深くなり、電灯がチカチカと点灯した。
青白い無機質な光が、由香里の不機嫌そうな顔を照らす。
そこには、今まで見たことが無い由香里の表情があった。由香里は基本的に常に笑顔を振りまいているような少女だった。
だが、優斗の視界に映ったのはぶすっとした表情。人懐っこく、純粋無垢な白がまるで真逆の黒に移り替わったようだった。
「……何で私じゃ駄目なのかなぁ……」
数秒の沈黙の後、由香里がポツリと声を漏らした。
「……何が?」
「そうやって、誤魔化しても駄目だよ。今も嘘ついてるのバレバレだし……何年ユウのこと見てると思っているの」
由香里が冷めた視線をぶつける。
「……私ね……ユウが前から私を避けてたの知ってるんだよ。……でも、嫌われてるとかそんなじゃないことはわかってたから…………ユウが理由を言ってくれるのをずっと待ってた」
「…………」
由香里が優斗から悲しそうに視線を背けた。
「だけど、私はユウの隣にいつまで経っても立てなかった……代わりに隣に立ったのは夕闇さん。……すごいよね、私が何年かかっても出来なかったことを夕闇さんは簡単にやっちゃったんだから。私の方がユウのことを知ってるはずなのに……」
「…………」
優斗はそれに何も答えることは出来なかった。
全て真実だ。優斗は確かに由香里を避けていた。
『大切なもの』を失いたくない。あんな思いをするぐらいなら、最初から『大切なもの』がない方が良い。そんな理由があったとしても、それは優斗自身の勝手な気持ちで、誤魔化しようにもない現実なのだ。
だからこそ、優斗は何も答えることは出来なかった。
「ごめんね。勝手にベラベラと喋っちゃって……困るよね」
優斗の沈黙を間違って別の意味として受け取ったのか、由香里は謝罪の言葉を口にすると、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、闇の中へ姿を消した。
壁に身体を預けた優斗の身体からは戦闘の余熱は既に消え去っていた。ひんやりとした空気が頬を撫で、それは心すらも冷やすようだった。
「……俺は……」
冷めた感情の奔流に流されて、優斗の口から音が漏れる。しかし、その先は中々紡がれることはなかった。
結局──優斗自身にすらどうしたいのかはよくわからないのだ。
だが、それでも長年保留してきた答えを出さなければいけないようにも感じた。