冷たい世界は動き出す
寿命を告げられた。
まだ、終われないのだと。
彼女の血で真っ赤になった手をただ眺めた。
足元に転がるのは、忠誠を誓った主の躯。屈んで、そっと目を閉じて差し上げた。
彼女の姿は最初に死んだ十八のときのまま。
俺も彼女を最初に殺した十七の姿のまま、何も変わっていない。
《黄泉返り》とはそういう病らしい。
初めて生き返ってしまったとき、彼女が巻き戻ってしまったことを知ったとき、絶望から頭が真っ白になった。
旦那様は大層お怒りで、裁判で死刑になった俺を、政治家の権限を使って何度も何度も殺させた。
あの方には申し訳ないことをした。
何度殺されても、償いきれない。
俺は自ら進んで処刑された。なのに死ねない。
医者は病を解明したいと、何度も俺を生きたまま解剖した。
結局、何もわからなかった。
寿命が判断できるようになったからって、それがどうした。
死ねないことには変わらない。
殺し屋が来たことがある。
旦那様に金で雇われた。
殺し屋はありがたいことに、いろいろな方法を試みて俺を殺そうとした。
でも死なない。プライドから、殺し屋は足を洗ったらしい。
いいことなのか?
でも、俺は死ねないままだった。
死神が現れたことが一度だけある。
自分でも死のうとしていた時に、不意に近くにいた。
やっと死ねるのかと喜んだのもつかの間、何もせず、何も言わないままどこかへと消え去った。
その鎌は何のためにあるんだと、絶望を通り越して笑ってしまった。
俺と彼女が離れ離れにされてから半年後、事態は変な方向へ走った。
停止し続ける彼女に耐えきれなくなった旦那様が、俺へ彼女を託したのだ。
彼女の時を動かすために。
あの人も気が狂ってしまったのかもしれない。自分の娘を殺した男に、その娘を預けるなんて。
彼女の時を動かす。
動かし続けるためには、彼女を殺さなくてはいけないというのに。
でも、俺も嫌だと思いながら、繰り返してしまう。
ただ彼女との思い出を振り返るようなことを、彼女を殺してまで。
どれだけやめたいと思っても、例え過去のものでも彼女との時間を取り戻したくて繰り返してしまう。
そして、今回も。
前回、最後に彼女を殺してから約三週間が過ぎていた。
繰り返す期間はまちまちで、二か月も彼女を殺さなくてよかった時も、毎日のように殺さなければいけない時もあった。
結局、行きつく先は全て同じだけど。
俺は彼女を殺したナイフで、自分の腹を裂く。
痛む心を誤魔化すように、もっとも激しい苦痛を。
それら全てにもう慣れてしまっていて、何もかもが嫌でしかたがない。
×××
「迎えに来た」
レイカは唐突に言った。
「君を、紅岬家が買い取ることになった。三日後に取引は行われ、君は私の奴隷となる。ここからも出してあげよう」
「何を、言って……」
レイカが何を言ってるのかわからない。
面会室で、相変わらずの奇抜な格好をした彼女はいつものように笑っていた。
「やめたいと言ってたじゃないか。だから、すべて終わらせてあげるのさ」
確かにそう答えた。もうやめたいと。
でも、
「……お前と一緒に行くということは、彼女を置いていくということだ」
今も俺の部屋で、一人停止してしまっている彼女。
「それは、できない」
「君が望まぬとも、私が君を買わなくても、結局君は彼女と別れることになる」
俯きかけていた顔をばっと起こした。レイカは微笑んでいた。でも、その目は哀れむように俺を見ていた。
「篠崎家当主が、君と彼女の寿命を知った。そんな長い時間、愛しい娘を、憎き奴隷のそばに置くことに耐えられなくなったらしい」
篠崎家当主――彼女の父親。
彼が俺に向けた言葉が、脳裏に響く。
『娘を――娘の時を返してくれ』
「君は売られることになったのさ。正式な手続きも既に済まされている。君は私が買わなくても、どうせ彼女と離れるしかないのさ」
わかっていたはずだ。
彼女とこのままいられるわけないと。
これこそ、罰なのか。
贖罪のためと嘯き彼女の時を繰り返し、その実、自分が彼女に会いたかっただけだった。
過去の繰り返しでも、彼女の無邪気な笑顔に……
呆然とする俺に、レイカはただ語っていた。
「私が早急に唾をつけたから問題はなかったが、普通に競売に出されていたら君は兵士として飼われることになっただろう。何せ死なない兵隊だからな、欲しがるものは山ほどいるのさ。まぁ、篠崎家当主からしたら、君にその人でなしの道を踏ませたかったのだろうが」
レイカは立ち上がった。もう帰るらしい。
コートを翻し、眼鏡をくいっとかけなおすと、俺を振り返り言った。
「三日後、迎えに来る。それまで、心の準備を済ませておけ」
そのまま立ち去ろうとする背中に、俺は声をかける。
「どうして……お前の立場じゃ、こんなことはできないはずだ」
紅岬レイカ。篠崎家と同等の力を持つ紅岬家の長女。
しかし、彼女には兄がいて、何の権利も受け継げなかった彼女はただ飼われているだけだった。
俺みたいな――主を殺した奴隷を買うことを許されるはずがない。
「君は、私の名の由来を知っているか?」
彼女は脈絡もなく話し出す。
「『冷夏』だ。寒い夏。暑さが嫌いだった父が、夏に生まれた私にそう名付けた。夏があることの意味を知らず、冷夏が農民たちをどれだけ絶望に追い込むかも考えず、『ただ無駄に暑い夏ではなく、涼しい夏でいろ』と。己の愚かさを披露しているかのようだ」
だから彼女は敬称を名につけられることを嫌うのか。
こんな名前に尊敬を払う意味はないと。
「兄も父とそっくり。愚鈍で、愚かしい。だから、ひどく簡単だったさ。紅岬家の権力をすべて、この手中に収めることは」
背筋に戦慄が走った。
まだ成人前というのに、そのずば抜けた能力と野心。彼女と同じ学園に通う頃からその片鱗は見え隠れしていたが。
そうして、彼女は自由になったのだ。
自分の意志で物事を決定できる。
ならば――――俺が、こうして誘われているのも、彼女の意志だ。
何の策略も裏もなく、彼女が望んだから。
「ねぇ、ハジメ。私は君が欲しい」
隠しもせず、堂々と自分の欲望をひけらかす。
「君がミユを慕い続けても構わないからさ。一緒に来てくれないか」
手を伸ばされた。ガラスを隔てた向こう側。俺はその手を取れない。
しかし、レイカは微笑んで言う。
「私は君とミユをずっと見ていた。だから、今の君たちの姿は見ていられないほど痛々しい。だから、もうやめよう? 私には断ずることはできないが……ミユもそう思っているかもしれない」
彼女はあの繰り返しの日々をどう思っているのだろう。
全てが巻き戻る彼女には、関係ないと勝手に思い込んでいたが。
もしかして、心の奥底で彼女もやめたいと思っているのだろうか?
もう、終わりたいと。
そうだ、それが彼女の死んだ理由だったのだから。
レイカは去り、俺はまたあの牢へと戻る。
ベットの上で停止している彼女に、過去の言葉で話しかける。
続きを始めた彼女は笑う。とても無邪気な笑顔で、俺を「ハジメ」と呼んだ。
涙が溢れてきて――――
声を押し殺し、目を押さえて泣く。
霞む視界の中、再び止まってしまう彼女に、跪いてすべての許しを乞いたかった。
やっと投稿できました!!
ずっと忙しく……それも、現在進行形で。
でも、やっと続きをだすことができました。
またペースが遅くなってしまうかもしれないですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。
あっ、近々レイカの短編も出します。