穢れなき白との出会い
初めて彼女に出会ったのは、俺がまだ九歳のころ。
彼女は十歳だった。
「あら、あなた可愛いわね」
そう話しかけてきたのは、お忍びで街に遊びに来た貴族の少女。
店が乱雑に並ぶ通りで、泥にまみれて働いていた俺に唐突に話しかけてきた
「決めたわ。あなたを、私の奴隷にしてあげる」
尊大にそう言い、汚れにも構わず彼女は手を伸ばしてきた。
純白な簡素なドレスに身を包んだ彼女の笑顔はただ無垢そのものだった。
戸惑いながらも、俺はチャンスを逃すまいとその手を掴んだのだ。
「わかりました。どうぞ、好きに使ってください」
友人たちは羨ましがり、両親は歓喜した。
奴隷になれば名も、自由も、過去も、家族もすべて捨てなければいけないが、貴族の持ち物として恥ずかしくないよう教育を受けることができる。
一部で才能を認められれば、主人が専門の先生を呼んでくれ、その道で名を残せる人物になることも夢ではない。
俺は高値で買われ、彼女の父はローンを組んだ。そのお金は約三十年ほどかけて家族に届けられ、それさえあれば彼らは今よりもかなりましな生活ができるようになるはずだ。
家族とは笑顔で別れた。あれから一度として会ったことはない。
這い上がるつもりで奴隷になった。
他にも数人の奴隷がいるだろう。その中でもずば抜けてやって、もっと上へ――。
そんな野心を胸に抱え屋敷に入ると、俺は呆気にとられた。
彼女の父親には八人の奴隷がいた。しかし彼女専属の奴隷は、俺だけだったのだ。
「なかなか、気にいる子が見つからなかったの。お父様には早く決めろって急かされちゃって」
そりゃそうだ。十歳ならば少なくとももう三人ほどいてもおかしくないのに。
「あなたが私の最初の奴隷。そう、名前をつけてあげなきゃね」
思っていなかった状況に混乱する俺に、彼女は告げた。
「あなたは『ハジメ』。私の最初の奴隷。もしかして、最初で最後の奴隷になっちゃうかもしれないけど」
私、好き嫌い激しいからと、彼女ははにかんだ。
衝撃が全身を貫いた気がした。
いくらでも替えがきく仕事をして、五人兄弟の三番目で目立たない、そんな人生が一変したのだ。
彼女は選んでくれた、俺を。
一番最初に。
それまで彼女なんて見てはいなかった。ただ自分のこれからのことばかりを考えていた。
それが百八十度変わった。
全てを捧げてもいいと思った。
全てを捧げようと誓ってしまった。
正直、俺はこの時、彼女に惚れてしまったんだろう。
何度殺しても、何度死んでも、また会うことを望んでしまうくらいに。
×××
貴族の中でも名の知られた篠崎家。
彼女はその血をひく、誰からも愛された一人娘だった。
不思議な桃色の髪、白い肌。体はあまり丈夫ではなかったが、成績優秀で人気者だった。
「ねぇねぇ、ハジメ。早く髪をくくって頂戴」
「今日は何して遊ぶ? チェスなんてどうかしら?」
「今度ね、クラス劇で私が『白雪姫』をやることになったの。小人たちは白雪姫を助けられず、王子様も白雪姫が死ぬことを防げなかったけど、ハジメだったら私を助けてくれるわよね。私だけの奴隷だもの」
屋敷の中ではいつも一緒だった。
奴隷と主とはそういうものだ。
俺はあまり頭はよくなかったが、武道や射撃においては師をつけてもらった途端、みるみるうちに上達した。
十五歳になるころには、彼女の護衛として信用されるほどになっていた。
「なぜミユ様は、他に奴隷を飼おうとは思わないのですか?」
ある日、聞いてみたことがある。
彼女は当時、十七歳。他の貴族たちは五人も六人も奴隷をはべらせている中、彼女の奴隷は俺一人だけだった。
「ハジメがあまりにも優秀なんだもの。ハジメだけで十分なの」
「でも、俺は勉強はできません。音楽や芸術の才能もありませんから、ミユ様を楽しませることができません。俺ができるのは、この身をかけてミユ様を護ることだけです」
「それでいいの」
彼女は微笑んだ。
その綺麗で無垢な笑顔に俺は息が止まりそうになった。
「この前も、私が人さらいに襲われたときにハジメが命をかけて護りぬいてくれた。ハジメにしかできないわ。ハジメだけでいい。ハジメだけで十分なの」
彼女はあまりにも美しかった。
穢れなき白。
純粋な心。
綺麗な世界を知りつくし、綺麗な世界に住んでいた。
彼女は穢れない。その清らかさを護りたいと思っていた。
でも、俺は気づくべきだった。
彼女が白き理由。それは、彼女が無垢だったから。
それは、彼女が無知だったから。
彼女も俺と同じ世界に住んでいることに気付くべきだった。