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悪魔を拷問せよ

 アッシュが普段の生活を送っている屋敷は、かつて小さな教会だった。しかし、十字架やイコンといったものはあらかた撤去されているため、教会だった頃の名残といえば、整然と並んでいるいくつもの長椅子ぐらいだろう。

 だが、かつて教会だったころにはなかったものが、その屋敷には設けられていた。

 書庫の奥、隠された階段を下りた先にある部屋である。地下独特の陰湿な空気に包まれたその部屋には、うってかわって大量の十字架や魔除けなどが飾られている。

 それは悪魔に対抗するための道具を取り揃えた武器庫であり――同時に、拷問部屋でもあった。

 その部屋には、ラッセだけが佇んでいた。いや、正確にはもうひとつ、蠢くものがある。


「貴様に問う。なぜあの娘にとり憑いていた」


 ラッセの厳然とした問の矛先には、暗紫色の悪魔があった。棺桶めいたその鉱石の中で、おぞましい姿の悪魔が笑い声をあげる。


「グ、ゲ、ゲゲゲ……まさか、このような場所でお会いできるとハ……至極光栄でございまス」


 しわがれた濁声は、しかし慇懃な物腰でそう告げた。今にも低頭しそうな調子である。

 ラッセには悪魔の言葉に取り合うつもりがないようだ。重苦しい声音で質問を重ねる。


「答えろ。なぜあの娘にとり憑いていたのだ」

「ワタクシめは、左様、低級な悪魔でございますガ……あなた様に謁見できるなど、グゲゲ、まさにこの上なき至福……ですナ」


 まるで話が通じていない。ラッセは小さく息をついた。

 半透明の鉱石の中で蠢動する悪魔は、あたかも胎児のようにその四肢を丸めていた。とはいえ、昆虫を思わせる巨大な複眼の光る頭部は、明らかに人間のものではない。肢体も甲殻で覆われているようで、昆虫が人の形をとったのならば、まさしくこの悪魔のような姿になるだろう。

 失名悪魔(デーモン)――名前を与えられることのない悪魔の中でも位の低い使い魔だ。その上、ラッセの眼前で愉快に笑う悪魔は、まだその卵から孵化さえしていない、弱小な存在だった。されども、いくら弱小とはいえ悪魔であることに変わりはない。人にとり憑いて狂わせることは難しいことではなかった。悪魔は、息をするように人を病ませるのだ。

 問題は、この悪魔がミーシャにとり憑いていた、その理由である。


「私と会話を続けるつもりがあるのなら、次の発言で問に答えろ。なぜ、とり憑いていた」


 耳朶を舐めるような笑声が、ふと止まる。鉱石の中で、悪魔は昆虫めいた歪な顎を鳴らした。


「なぜ、であるのカ……それを話せば、ワタクシめの命も用済みなのでございましょウ? 殺されると分かっていながら、口を割る理由がどこにありましょうヤ?」

「話すつもりがないのなら、その気にさせるまでのことだ」


 ラッセは、自らの右手を掲げる。そこに突如として宿ったのは、アッシュのものと同じ白い炎だった。だが、全てを真白に燃やし尽くさんとするかのごとき炎は、アッシュのそれと比べ物にならないほど、苛烈である。


「じきに、乞うようになる。死を」


 業炎と称すに相応しいラッセの白炎が、悪魔めがけて奔流のごとく殺到する。

 暗紫色の躯体を包み込んだ炎は、しかし何を灰に変えることもなく、ただ盛大に揺らめいている。


「ゴ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ……!」


 灼熱にその身を包まれて、悪魔は悲痛な叫びを上げた。体が燃え尽きることはなく、延々と炎に焼かれる痛みのみが悪魔を襲っているのだ。まさに、拷問。終わりのない裁き。


「言え、理由を」


 苦しみ悶える悪魔を無慈悲な眼差しで見つめながら、ラッセは抑揚を欠いた声で繰り返す。

 悪魔は、炎の中で激痛に悶えながらも――笑っていた。


「カハッ、カハ……なるほど、これがかの名高き大天使の炎、カ……! 多くの悪魔が惧れをなす、わけですナ……!」

「必要なことだけを話すのだ」

「ガ、ッ――!」


 炎が一層激しく燃え広がる。いまや、部屋全体が真っ白に染め上げられていた。それでも何一つ灰になることなく、ただ悪魔の呻吟のみを引き起こしていた。


「ハ、ハ……大天使……熾天使……ウリエル様、われわれに痛みなど無意味ですゾ。ワタクシめは、何も知らないのでス……ガ、ガガガガ……」


 ウリエル――その名を示されて、ラッセは頬をわずかながらに引きつらせた。

 この悪魔はこちらを虚仮にしているのだ。まだゆりかごの中で安穏としているだけの悪魔が、自分のことを天使であると知っているはずがない。ミーシャの件は、何者かに命令されていたに違いないのだ。


「貴様の主は誰だ。なぜあの娘に憑くように命じられた」

「さて、何の話やラ……」

「言え」

「ガッ、ア、ア、ア、ア、ア、ア……!」


 いかなる悪をも滅却する炎の中でなお、その失名悪魔は笑みを絶やさなかった。

 ラッセ・アグエイアス――大天使にして熾天使ウリエルは、炎を司るその力をさらに強める。魂のかけらまで塵芥に帰さんとするかのごとく。


               ■


 地下で熾烈な拷問が繰り広げられる中、アッシュもまた、書庫の椅子の上で悶え苦しんでいた。

 悪魔の絶叫が、ときおり階下から陰々と響いてくる。ラッセの拷問が次第に強くなっている証だった。彼が悪魔を攻め立てる白い炎は、アッシュの中でも暴れまわっていた。かつて、ラッセがアッシュの中に宿した火種は、消えることなくアッシュを燃し続けている。ラッセがその力を振るうとき、アッシュの中にある炎もまた、感応して業火と化すのであった。

 失名悪魔が絶叫する炎の苦痛に、アッシュは常にさらされているのだ。その苦しみから解放されることは、ない。

 アッシュ自身がその道を選んだのだから。


「――っ、は――」


 額に汗を滲ませながら、アッシュは血の気の失せた顔を歪ませる。

 手を貸さないといいながら、ラッセは自ら悪魔の拷問役を買って出た。曰く、これが私の役儀である、という。それはつまり、アッシュにも苦しみが及ぶことを承知した上での選択だった。私が拷問しておまえに情報を与える、その代わり、おまえは苦しめ。これでゼロサムだろう、という方程式があの男の中で立っているに違いない、とアッシュは推測する。


「……天使、か……」


 ラッセの激越な力は、彼が天使であることに由来する。天使などと言われて、敬虔な教徒でもなければ誰が信じるだろうか。それでも、悪魔と関わった人間であれば、その力を垣間見ることになるだろう。大天使という銘を戴いたウリエルの力は、生半可ではない。天使の中でも最高位にあるのだから。

 その力を、アッシュは一部だけ授けられていた。天使との契約という形によって。ミーシャから悪魔を切り離したあの炎は、ラッセから使用を一時的に許可されたに過ぎない。普段は、アッシュを内側から焼き続けている魂の枷であるのだ。

 拷問は、まさに終局に指しかかろうとしていた。

 身を焼かれる悪魔の叫喚が、獣の方向のように轟く。時を同じくして、アッシュを襲う激痛も強大なものとなる。死ぬことさえも許されず、限界を超えた苦しみを受け続けることにどのような悪魔であれども耐えられるわけがなかった。

 激痛が、わずかの間だけ穏やかになる。ラッセが炎を弱めたのだろう。

 だが、直後にアッシュに襲い掛かってきたのは、形容しがたいほどの灼熱だった。凌げるわけがないその衝撃に、アッシュは思わず悲痛な絶叫をあげる。

 同時に、下からもおぞましい悲鳴が迸る。それは、紛れもない断末魔だった。

 聞きだせる情報をすべて得たのだろうラッセが、悪魔を消滅させたのだ。

 悪魔は、地獄に還ったわけではない。その魂の一片までもが、この世界から消し去られた。自己に纏わりつく炎を通じて、アッシュはそう感じ取った。

 ほどなく、地下からラッセが現れた。椅子の上でぐったりとしているアッシュを見ても、その翠色の瞳には同情など浮かんでいなかった。


「……どうだったんだ、何か情報は……?」


 今にも昏倒してしまいそうな声音で、アッシュは問うた。

 ラッセは、小さく首肯して厳かに口を開く。


「結論として、この仕事はまだ終わっていないようだ、アッシュ」

「どういう、意味だ?」


 手すりを掴んで身を起こしたアッシュに、ラッセは淡々と返す。


「あの娘の中には、まだ悪魔がいる。憑いていたのは一体だけではなかったということだ」

「なんてことだ……」

「このままでは、ルシールに危険が及ぶだろう」

「言われなくても急ぐさ……! しかし、なんでルシールに……?」

「詳しいことを話している暇はないだろう」


 アッシュは舌打ちをして、よろめきながらも何とか立ち上がる。日も落ちてしばらく経ってしまった。悪魔が行動するには、丁度いい時間帯だ。急がなければならないのに、自動車を持っていないことが悔やまれる。

 慌てて屋敷を出ようとしたアッシュだったが、ふとその足を止める。ラッセが追随する気配がないのだった。


「……何をしている、ラッセ……早く、急がないと……」


 息も切れ切れのアッシュに、ラッセはいつもの書物を抱えたまま、頭を振って答える。


「私はここで契約を履行しなければならない。全ての枷(、、、、)を外さなければ」

「なんだと……? その必要があるというのか、じゃあ、憑いている悪魔というのは――」


 殺気だった翠の双眸は、事態が喫緊であることを暗示していた。


「そうだ――高等悪魔(デヴィル)の可能性がある」




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