17.ブラウン管の残像 チャンネル2
なんでうちの母さんと知り合いなんだとか、
なんで逃げてきたんだとか、
なんでよりによって家に逃げ込んだんだとか、
訊きたいことはたくさんあったけど、なんかもうどうでもいい。
人間疲れると、いろんなことがどうでもよくなるものなんだ。
「…イオ」
「何ぃ?」
嵐の後なんて生易しいモンじゃない。さながら戦争でもあった後ようだ。
どこがって、キッチンだよ。
ブラウン管の残像 チャンネル2
「てめェは座ってあがれ!」
「なんだよせっかく人がブレックファストを用意しといてサワヤカな目覚め☆をさせてやろうと思って親切にも慣れない料理をしてやってるっつーのに」
「料理じゃなくて散らかしてるだけだろ」
「ふん、散らかってんのはこの部屋とお前の顔だ、俺は散らかってない」
「叩き出す」
繰り出した手刀はものの見事にイオを昇天させた。
そのまま捨てといて、ちゃっちゃと朝メシ作って(2人分)(めんどう)学校へ行く準備をした。
わけのわからん同居も今日で4日目だが、いい加減理解した。
アイドルは夢の世界の住人であることが一番いい。むしろそうあるべきだ。
大体腹すかしてたのだって、事務所が失踪を発表する3日前から本当は失踪していて(ナマとかはビデオで誤魔化したらしい)追っ手を撒かないと私のうちに来れないから(スキャンダルだとか大騒ぎになるかららしい)うちに来るまでの間そこらをさまよってたんだとか。
バレたら大変だから店に入ってメシ食うこともできずに走りまわったもんだから、ああなったと言うわけだ。(カロリーメイトとかを自販機で買って食ったことはあるらしいけど)
この3日でベルリンの壁のごとくに大破されたユィンのイメージに、もう相手がアイドルだからと残る傷をつけることをためらうのを止めた。
「おらイオ、メシ出来たぞ。ちゃっちゃと食え」
「…ってェ…、お前本当に女!?」
「女だともさ。バターとってくれ」
「はい」
「どうも」
「ジャムとって、イチゴのやつ」
「ん」
「どーも」
なじんでる自分が空恐ろしいぞ。
目の前にいるのは一応多分人気絶頂アイドルのユィンのはずなのだが。
「私は学校に行く。いつも言ってるが外に出るなよ」
「OK」
「…捕まるなら1人で捕まれよ」
「うわひどい」
キッチンの片付けは帰ってからやろう。なんかもー手を出す前から嫌気がさす。どうやったらこーなるんだ。
溜息をつきつつ靴をはき、玄関のノブに手をかけるとイオ「待てよー」と言いながらリビングから出て来て、ひらひら手を振って「いってらっしゃい」と言った。
ここ3日続けられている光景だ。
イオのヌけた笑顔を見る。
「いってきます」
これだけだ。
でもなんとなく嬉しい気がする。
何故だ。
多分、返事をしただけなのに、あいつがめちゃめちゃうれしそうに笑うからだ。
☆
「お―…はよ、成嶋」
「おはよう谷。知っているとは思うがそこは私の席なんだ」
「細かいこと気にすンな☆」
「昇天するか?」
「丁重にお断り致します」
どっかりと私の席に陣取っていた谷をどかし(実力行使)席につくと前の席のチェコが振り向いた。
「おはようユキちゃん」
「おはよう。何読んでるんだ?」
「ミカちゃんが貸してくれた雑誌」
開いたページに「ユィン失踪!?女の子たちの叫び!」とでかでかと書かれていた。
のぞきこもうとするとずっしりと頭が重くなる。
「なんだよチェコ、ユィンのファンなのか?この俺を差し置いて」
「谷、重い」
おまけに顎がささって痛い。眼鏡がずれる。
「うん。ユィンの歌好き。ユィンも好き」
「俺の方がカッコイイぜ?」
「顔だけじゃないよ。優しそうで器用そうでしょ?」
「えー、俺の方が」
「重いっつってんだろこの唐変木!」
「げぉふぅっ」
肘を思いっきりひくと鳩尾にはまったらしく、谷は奇妙な声をあげて昇天した。
うん、チェコ。
夢こわすようで悪いんだが、ユィンはそんなにかっこよくないぞ。
そんなユィンを知っているのは私だけなんだろうと思ったら、よくわからないが気分がよかった。
それにしても、なんであいつは逃げてきたんだ。
こんなにみんなに愛されているのに、何故。
芸能人は芸能人の悩みというモノがあるのだろうか。
フレームを押し上げても、閃くものは何もない。
「ユキちゃん、ユキちゃんってば」
「あーほっとけほっとけ。どうせイギリス辺りを旅してんだろ」
失礼過ぎる言葉に拳を振り上げれば、偶然谷の顎にストレートで入った。
転がりまわる谷(舌をかんだらしい)を捨てておくと、ミカが雑誌をとりにやってきた。
「ねぇ、このでっかいゴミ、何」
チェコから雑誌を受け取って、開口一番に幼馴染を指差して言う。
「金曜の可燃物ゴミに出そうかと思ってな。袋持ってないか?」
「あいにくながら。不燃物の袋ならあるけど」
「そうか、じゃあ職員室にもらいに行くか」
「ちょっと待てよお前ら!無表情で真剣に人を殺す話ししてんな!」
失意のそこから蘇った谷は、ミカに襟足をがっとつかまれて固まる。
「ど、どーも柴木ミカさん」
「うん、どーも。もって来たかな?2348円」
「えーっと、6円ほど」
「そーかそーか、いよいよ「簀巻き川流し東京湾へのたび☆」が実行できそうだね」
「い”ぃぃぃや”ぁぁぁぁお!!」
どうやら妙に中途半端な数字は谷が1日に数円(もしくは数10円)ずつしかもって来ていないかららしい。
「それでは簀巻きの調達に行こう。きみのサイズにぴったりのがあったらいいね」
「ごーめーんーなーさーいー!」
「ごめんで済んだら簀巻きはいらない」
すまなくても簀巻きはいらないと思ったがいわなかった。谷は少し痛い目を見たほうがいい。
「ちょっ、何チェコもユキもその悟りの表情!とめてよ!」
「骨は拾ってやる」
「がんばってねー」
「う”あぁぁぁぁつ」
ずるずるという音と共にその姿が消えようとしたとき、谷は突然叫んだ。
「ユキ!好きだからねーっ」
ミカの肩がぴくりと震えた。
「鏡見て出直せ」
「ひどいこの宇宙のアイドげふぅっ」
無言でミカが繰り出した膝蹴りは、見事背骨にぶち当たったらしく谷はしばらく悶絶していた。
「谷くんの告白、今ので何回目だっけ」
「84回」
チェコの疑問に答えてやると、チェコはそっかと苦笑した。
「いい加減自分の程度ってものを知ればいいのにね」
うん、チェコ。
ぶっちゃけ恐いぞその天使の笑みでそれを言うのは。
☆
「おっかえりー♪」
「…ただいま」
これも3日間続けられている。
考えてみれば行きと帰りにアイドルに挨拶されるなんてすごいことかもしれないが。
「今日は学校どうだったー?」
なんかそんな気がしない。何故だ。
「いつも通りだぞ」
「ふぅん」
イオがいる自体が激しく「いつも通り」とはかけ離れているが、いつものように夕メシを作って食べて、時計が8時20分を示した時だった。
ぴんぽーん
チャイムが鳴った。
「誰だ、こんな時間に」
「今度こそ宅急便なんじゃねーの?」
「かもな」
だが念の為のぞき穴をのぞいた。
濃いが柔らかそうな茶色の髪と、色白な顔。耳朶に光る銀のピアス。
『だってあんた金もってそうだったし』
―あれだけ本気だって言ったくせに。
『キスもさせてくんねーような女だとは思ってなくてさ』
―どんな風に、あんたの目には私が写ってたの。
『あー?サセコにしか見えなかったぜぇ?』
―…だいきらい。
「コウジ…」
忘れていたはずの名前がぽろりと零れた。
思わずドアを開けると、コウジは悪びれもなく笑い遠慮なく玄関に入ってくる。
「よぉ、久しぶり」
「何しに、来たんだよ」
思いがけず弱々しい声が出て、自分でも驚く。
「何って、やり直したくてよ。ユキが一番いい女だってやっと気付いた」
「今更…ッ」
「ほら、そういう気が強いとことかすっげぇかわいい」
「―っ」
「なぁ、いいだろ?愛してる」
「どうせまた嘘なんだろ!?出てけよ!」
どん、とコウジの胸を突き飛ばそうとすると、コウジはそれをひょいと避けて右手で私の髪を人房掴んだ。
「何、する…っ」
「まだ伸ばしててくれたんだ。俺がロング好きっつったから」
ちゅ、とかすかな音をたてて髪に口接けられて一気に血が上る。
「違ッ」
「違えよばーか」
突然第3者の声がわって入って来た。同時に体が引き寄せられて、背中から抱きかかえるようにイオの腕の中に入れられていた。
「自意識過剰もいい加減にしろよ。俺がせっかく可愛いんだから切るなよって言ったんだ、まぁユキならショートでも可愛いだろうけど」
「何言もがっ」
何言ってんだと言おうとしたら大きな手で口を塞がれた。思わず息が詰まる。
「てめぇ誰だ!?」
「ユキに手ェ出すやつに教える義理なんてねえな。さっさと帰れよ、お前が出る幕なんてねぇ。
それともなんだ、二度とユキの前に出られない顔にしてやろうか?」
イオが喋るたびに吐息が耳にかかって、背筋が震えた。
こめかみあたりに柔らかい唇を感じて、かっと体が沸騰しそうになる。
コウジはくやしそうに歯噛みをして、けれど慌てて去っていった。
「…ありがとな。もう、放せよ」
「やだ」
いつまでたっても解かれない腕に、更に力が入るのを感じて思わず身をよじった。
「は、何言って」
「これなら、見えないから」
「え…?」
「見ねぇから、泣けよ。今お前泣きたいだろう?」
「は、馬鹿。なんでこの私があのくらい、で…っ」
そういえば、気がついたらかたづいていたキッチンは誰がやったんだろう。
イオの手にある傷が、無言で疑問に答えていた。
熱い塊を飲み下したような感覚が喉に突っかかる。イオの腕にぽつんと水滴が落ちた。
「…れ?おかしいな、とまれよ。とまれって、ば…とまれよ、ばか…っ」
一度零れたものは留まることを知らず、私はイオにもたれたまましばらく泣いた。
☆
「2年生の頃、秋まで付き合ってたやつなんだ」
春に道で落した生徒手帳を、拾ってくれた人だった。
その頃の私はこんな喋り方じゃなかった上に、男うけがかなりよかった。
2つ年上のコウジという彼氏を、散々自慢したものだった。
破局のきっかけは簡単だ。コウジの浮気、それだけだった。
私には十分な理由だったけれども。
リビングで膝を抱えてぽつぽつと話した。イオはココアを飲みながらぼんやりと聞いて(いるのか?)いた。
「あんたさ、学校じゃ眼鏡かけてるだろ」
何でだよと目で訊くと、イオは自分の顔の目頭あたりを指でトントンと叩いた。痕があるらしい。
「目ぇ悪そうには見えないから度入りじゃない、それでそれだけの痕が残るとしたら重くてゴツイメタルフレームの伊達眼鏡」
こいつ実はシャーロック・ホームズなんじゃないんだろうかと地味に疑ったが、イオの言葉は終わりではなかった。
「伊達メタルフレーム眼鏡、黒髪美少女にそぐわない無骨な喋り方、中3女子にしちゃ嫌に鍛えられてる武術」
ユウジが来てからはじめて、イオの目が私の目をとらえた。
「よっぽど、悲しかったんだな」
「…なんで、わかるの…?」
「さぁね」
「ひどいよ、アイドルのくせに」
「アイドルだと駄目なのか?」
「駄目だよ、優しくしないでよ。いつかどこかに行っちゃうくせに…!」
「行かない」
イオに力強く引き寄せられる。放したらどこかに行くんじゃないかと思うと恐くて、必死でイオの胸にしがみついた。
「好きに、なっちゃうから、止めて…っ」
「好きになってよ」
「やだ!手が離せなくなりそうで、恐い」
「放さなくていいよ。どこにも行かない。ここに、いるから」
悲しみを溶かし去るような温かい部屋で、まるで1つのものになるのを望んでいるかのようにお互いを抱きしめあう。
粉雪が、すべてを包みこむように降っていた。
唇に感じた熱は、私の知らない柔らかさで私を包みこみ、そのことにひどく安堵した。
横暴な男に優しくされると、
身持ちの固い女でも案外あっさり落ちたりする。
ミッカーミ・ケストビッチ(大嘘)