16.ブラウン管の残像 チャンネル1
「こっちに逃げたぞ!」
「ちっ、また面倒な」
「さっさと捕まえねーともっと面倒だぜ」
「あんなガキとっととくたばっちまえばいいのによ」
「逃げた跡があるぞ」
「こっちだ」
「挟み撃ちしろ!」
ちっと舌を打つ。
逃げ切れない。
それでも、逃げなくちゃいけない。
今すぐに、ここから。
ブラウン管の残像 チャンネル1
「さぁ今日で4週連続第1位!ユィンの新曲にリクエストがガンガン来てるから行っちゃおう!メッセージは曲の後でね、なにせ苦情が来ちまうもんでネ☆それではユィンの「フォーカス」じっくり楽しめ!」
きみとの出会いと言う眼鏡をかけたとき
一瞬で世界が変わった
セピア色の景色
重い夜空 光らない星
表情のない人々 名前を知らない誰かの声
そう 眼鏡をかけたとき
全てが焦点を結んだんだ
なんて鮮烈で美しいんだろう
きみが見てた世界はこんなにもまぶしいとこなんだね
フォーカス きみに会えてよかったと
フォーカス いつか大声で叫べる日がきたら
フォーカス ぼくはきみの手を握り
2度とはなしたりはしないから
だって きみはぼくのすべての集中点
外は雪。でも室内は5月くらいの季候だ。
中3の受験生(いやな響きだ)である私は数学のワークを開いて(開いているだけだが)ラジオを聞いていた。
家の中はすこぶる静かだ。
母さんは海外を飛びまわってていないし、父さんは空の上もしくは土の中。
部屋の中はユィンの歌声で満ちている。
触れはしないが柔らかそうな湯気が、ホットココアから立ち上ってはゆらゆらと消えていく。
すきだなんてやすっぽい言葉でしか伝えられないぼくを許してね
それでも精一杯で
きみがすき
だって
「きみはぼくのすべての集中点、か」
リモコンでラジオからCDに切り替えた。
「ミッシング‐リンク」が流れ出す。
ユィンは今年の春に突然現れた歌手だ。まぁ陳腐な言い方をすると、それこそ彗星みたいに。
男で、私より5つ年上の20で、一度も染めたことがないという(真偽のほどは定かではない)栗色の長めの髪をなびかせて、楽しそうに歌うやつ。
私の今の片思いの相手だ。
「ミッシング‐リンク」はそのデビュー曲で、私が一番好きな曲なのだ。
覚えてないなら思い出させる
ぼくは確かにここにいた
わからないならそれでもいい
だからぼくを忘れないで
琥珀の渦の真中で
悲鳴みたいに叫んでた
喉が裂けて声が出なくても
それでもぼくは叫んでた
ぼくは今さがしてる
いつか出会うべきあなたを
ぼくはいつでも信じてる
いつか出会えたあなたなら
ぼくですらもわからない
琥珀の渦にいたわけを
きっと教えてくれるだろう
今どこにいるんだい
今誰と一緒にいるんだい
今何をしているんだい
ねぇ ぼくの声は届いていますか
迷わないように ぼくはいつでもうたうから
あなたと出会うみちしるべ
わけがわからないと評価されることが多いこの歌はあまり人気ではないが(けれどもユィンのビジュアルはしっかりと大衆の心を掴んだ)私はこの歌が好きだ。
ユィンが叫んでいる気がする、生々しい歌。
よほどの思い入れがあるのか、(めったにうたわないが)この歌をうたう時のユィンは苦しそうだ。
アイドルというモノはみんなツクリモノの表情でうたうとばかり思っていた。
ユィンの、吐き出すような本当に苦しそうな表情は、私の中のなにかを動かした。
街角ではじめてユィンを見て(と言ってもTVだが)それ以来ずっと、私はユィンに恋をしている。
叶わないことなど百も承知だ。けれど部屋で思いを吐露するくらい、日本の基本的人権が許してくれるだろう。
「す」
ぴんぽーん
き、まで言いきらないうちにチャイムが鳴った。
どうやら日本の基本的人権が許してくれても、うちの母さんは許してくれないらしい。
また妙なもの送りつけてきたんだろう。前回は呪いがかかってそうな人形、前々回はガンクラブの割引券、その前はもう忘れた。
溜息をつき椅子から立つと、きぃと軋んだ音がたった。
電気をつけていない(省エネ)廊下は冷え冷えとしていて、私は足早に玄関に向かう。
その時、なんでのぞき穴から確認しなかったのかとか、
一言も「宅急便です」といわなかったのは何故かとか、
色々と考えるべきことはあったのに、私は安易にドアを開けた。
そこには、夜が立っていた。
例えの話であって本当に「夜」が立っていたわけではない。
黒いニット帽に黒いサングラス、黒いロングコートに黒いズボンに黒いブーツ。
サングラスと立て襟のコートから僅かにのぞく素肌が、異常に白く見えた。
まぁぶっちゃけ怪しいわけで。
慌てて閉めようとしたドアを掴む手には、やっぱり黒い皮手袋。
「誰だ」
低く訊くと彼はむっつりと(どんな表情していようがこれじゃむっつりにしか見えないだろう)言った。
「永寿イオ。今日からあんたの同居人。わかったらさっさとどけ」
「どくか!お前普通に考えろ中3女子が1人暮しの家に黒づくめ男がきて今日から同居人だからどけだと?そんなこと信じられるかっ、信じて欲しければ証拠を見せろ!」
「俺としてはあんたの歳の方が怪しい。サバ読んでないよな?」
「失礼な」
170センチの長身と長く伸ばした黒髪と言葉使いが原因で、よく「ホントに中3?」と言われるが確かに私はまだ15年しか生きていない。
「まぁいいや。あんたが成嶋ユキなんだろ?はい」
突き出される白い紙。
「なんだこれ」
「あんたの母さんからの手紙」
「は!?えっと「はろん、ユキちゃん。元気してる?突然だけどお母さんの友達のお姉さんの息子さんを預かることになったから全面的に4649ネ☆」って」
はろんってなんだ!日本人ならきちんとあいさつしろとか、4649って古いよ母さん!とかまぁツッコミ所は満載だったがなによりまず、
「全面的によろしくって何がよろしくなのかみなまで書きあがれこの若作り―――――ッ!!!」
見事まっぷたつに裂いた紙を丸めて家の中に投げ捨てた。(外に捨てるのはポリシーに反する)
と、ずっしろとした重みが突然背中にかかり、バランスを崩して床に倒れこんだ。
「なっ、なんだ!?」
正体を見極めようと体をよじると、黒づくめの男がのしかかっていた。
「わっバカどけよ!私はまだ食べごろには程遠い」
「…た」
「は?」
かすれた声で、黒づくめは言った。
「腹、へった」
☆
ぶったおれるほど腹減らしてるなんて、どういう生活してたんだこいつ。
とりあえず玄関を閉めて黒づくめのブーツを脱がせて、リビングに持っていった。
電気のスイッチを入れ、暖房も入れる。
緩やかに解け始める冷たい空気を肌で感じながら、ニット帽とグラサンを外してやろうと手を伸ばした。
「やめ、ろ」
黒づくめは弱々しい声に反し意外にも強い力で私の腕をひきとめた。
「俺、寂光だ、から」
「帽子は」
「禿げて、るん、だ」
「嘘つけ」
そこまで嫌がるならしょうがないと思い、諦めてキッチンに立った。
数十分で簡易チャーハンとフカヒレスープが完成する。
こういうときは粥を作るべきだったかと今更思ったが、しょうがないのでフカヒレスープから飲ませてみることにした。
「おい、飲めるか」
訊くまでもなかった。
黒づくめはかっさらうようにスープカップを奪い取り、熱いって!という忠告を無視してすごい勢いで飲んでチャーハンをがっついた。
野獣かよ。3日間餌にありつけなかったライオンを連想する食べっぷりだ。
チャーハンを3皿とデザートのスィートポテトを7個食べ終わると、黒づくめはやっと人心地ついたようにソファに沈み込んだ。
マグカップに入ったコーヒーをソファの前のテーブルにおいてやり、私はカーペットに座った。
「で、永寿イオ」
「何」
「あんた何者」
「曲者」
「何だそれ」
「なんだろうね」
噛合っているようで噛合っていない会話をしていると、ふと思う。
「イオ、お前の声ってユィンに似てるよな」
空気が凍りついた。
軽い気持で言ってみた言葉にイオがカッチコチになるのを見て、「まさかなー、あはは」と乾いた笑いを飛ばしてみるがイオはやっぱりカッチコチで、あまりの気まずさにテレビをつけたら「ユィン失踪!?」というタイトルが右上に出ていて、女子高生が「いなくなっちゃうなってショックー」とか喚いていた。
まさか、まさかな。まさか、な。
「イオ…?」
「はいはいそーですよ俺は永寿イオで歳は22、仕事はアイドル芸名はユィン。よろしく!」
「うそだろ―――――――――――――――――――――――――――――ッ!!?」
そんな爽やかによろしくされても!
ってか歳サバ読むなよ!ユィンって20じゃないのかよ!
「逃げてきたんだ」
「は?」
私をパニックから引き上げたイオは、ニット帽とグラサンを外していた。
「エミコさんの子供がユィンを知ってるとは、まずったな。まぁ俺逃げてきたんでかくまって…っておーい、あれ?おい、大丈夫か!?」
本物のユィンが目の前でぶらぶら手を振っている。
信じがたい現実に、私は意識をぶっとばした。
猟奇的な彼女と
悲観的な彼氏の
気が合わないすれ違いのラブコメ。(ぇ)