怒りの差別化
あれは小学生のころだったと思う。
友達の家に遊びに行った帰り道、そいつが急に言った。
「昨日さ、弟が金盗んだんだよ」
自転車を押しながら、コンビニの前を通っていた。
夏だった。
アスファルトの熱がまだ残っていて、タイヤが少し重かった。
「どこから?」
「親の財布」
そいつは、あまり大したことでもないみたいに言った。
「で、バレたの?」
「うん。親がブチギレ」
そう言って、少し笑った。
笑ったというか、慣れている顔だった。
その家の親は、よく怒鳴る人だった。
遊びに行くと、台所からよく声が聞こえてきた。
「早くしろって言ってるだろ!」
「何回言わせるんだ!」
そんな声が、日常みたいに流れていた。
だから、そいつが「ブチギレた」と言っても、あまり想像が広がらなかった。
「どんな感じだったの?」
そう聞くと、友達は肩をすくめた。
「いつも通り」
少し考えてから、付け足した。
「むしろいつもより静かだったかも」
母親は怒鳴っていたらしい。
父親は机を叩いたらしい。
弟は無表情だったらしい。
その話をしている友達の顔は、妙に平らだった。
怖かった感じが、あまりない。
自転車を押しながら、コンビニの前で止まった。
ガラスの向こうに、アイスのケースが光っている。
「弟どうなったの?」
「さあ」
友達はアイスを見ながら言った。
「どうもなんないんじゃない?」
その言い方が、少し引っかかった。
「怒られたんでしょ?」
「うん。でも」
そいつは笑った。
「うち、いつも怒鳴ってるし」
それで話は終わった。
アイスを一本買って、二人で食べながら帰った。
夏の夕方だった。
それから何年も経って、大人になって、
あの会話をふと思い出すことがある。
怒りって、量じゃないんだなと思う。
大きな声とか、激しさとか、そういうものじゃない。
たぶん、人は差で感じる。
静かな場所で落としたコップは、
すごく大きな音に聞こえる。
でも、工事現場で落としても、
誰も気づかない。
怒鳴り声がいつも鳴っている家では、
本当に大事な怒りの音も、
ただの背景音になるのかもしれない。
コンビニのアイスケースを見るたびに、
たまに思い出す。
あのときの友達の顔。
弟が金を盗んだ話をしているのに、
どこか遠くの出来事みたいな顔をしていた。
怒りが毎日ある家では、
怒りはもう、
天気みたいなものになるのかもしれない。
晴れとか、雨とか。
今日は少し強い雨だったね、
それくらいの出来事。




