第4話 二人の距離と現実との狭間で
図書館以外で二人きりになるさくらと隆司。
お互いのことをもっと知りたい。そんな気持ちの表れを感じていただけたら幸いです。
よかった”いいね”の評価いただけると嬉しいです。
【さくら side】
午後6時を告げる「蛍の光」が流れはじめた。
さくらは腕時計に目を落とし、思い切って口を開く。
「隆司くん、よかったら……勉強のあと、ちょっとお茶しない?」
声がわずかに震えているのを自分でも感じた。
「おっ、おう。今日は大丈夫。いつも母さんがうるさいけど、
今日は仕事で帰りが遅いらしいし。」
「よかった。長居はしないから。隆司くんと、話したいことがあって。」
頬が熱くなる。まるで口から心臓が飛び出しそうだった。
「おれも、さくらとまた話せるようになって嬉しい。
近くにチーズケーキが美味しいカフェがあるんだ。そこに行こうか?」
鍛えられた体格に似合わず、意外とカフェ事情に詳しい隆司。
そのギャップに、さくらは思わず笑ってしまう。
「隆司くん、カフェも詳しいんだね。ちょっと意外。クスクスッ」
「な、なんだよそれ。俺のこと脳筋だと思ってただろ!」
照れたように反論する隆司が、なんだかかわいく見えた。
「ごめん、ごめん。じゃあ、そのカフェ行ってみよう。
チーズケーキ好きだから、楽しみ。」
さくらの胸はまだ高鳴っていた。
けれどその鼓動は、もう不安じゃなくて――
恋という名前の音色に、少しずつ変わりはじめていた。
【さくら side】
カフェの扉を開けた瞬間、あたたかな甘い香りがふたりを包みこんだ。
ガラスのショーケースの向こうでは、チーズケーキがやわらかく照明を反射している。
焼き色のこんがりとした表面、その奥に隠れるとろけるような白。
それだけで、胸の奥までやさしい気持ちになれた。
「ここ、すごくいいね」
さくらが笑うと、隆司も少し照れたように頬をかいた。
「母さんが好きなんだ。小さいころからよく連れてきてもらってさ」
窓際の席に座ると、外では街路樹が夜風に揺れている。
遠くの信号が赤から青に変わるたび、店内の照明がわずかに反射して、
テーブルの上の水面みたいにきらりと光った。
「さくらは、志望校決まった?」
隆司の問いに、さくらは少し視線を落とした。
「うん、県内の国立かな。おばあちゃんの家が近いから」
「そっか。俺は、東京の私立に行こうと思ってる」
隆司の目は、まっすぐで迷いがなかった。
慌ててた隆司はそこにはなく、どこか大人びて見える。
チーズケーキが運ばれてくる。
フォークを入れると、しっとりとした生地が静かに崩れ、
ほのかな香ばしいチーズの香りが立ちのぼる。
「うん、美味しい」
そう言うさくらの声は、少し震えていた。
(どうしてだろう、こんなに幸せなのに、泣きたくなるのは)
窓の外で、風がカランとドアベルを揺らす。
さくらはカップを持つ指に少し力をこめた。
「隆司くんは、ずっと遠くを見てるね」
「そうかな。でも、どこにいてもさくらのこと、応援してる」
その言葉に、さくらは笑ってうつむいた。
胸の奥がふわりと熱くなる。
外の街灯が、カップの縁に反射してきらりと光った。
その光が、さくらには“未来”の色のように見えた。
【隆司side】
「――俺の知っている唯一のケーキ屋、気に入ってくれてよかった。母さんに感謝!」
志望校の話をしたら、さくら、どんな反応するかな。
でも、話題もそれくらいしかないし。……とりあえず、振ってみるか。
遠くを見ながら、さくらの様子をうかがった。
「――あぁ、俺のバカ。さくら、寂しそうな顔してるじゃねーか……」
ふわりと甘酸っぱいチーズケーキの香りが漂ってくる。
フォークを握りしめ、口いっぱいに頬張った。
罪悪感が減るわけじゃない。けど、何かをごまかしたかった。
美味い!……なんて言ってる場合じゃない。
さくらに、何か声をかけないと。
「俺さ、東京で自分の力を試してみたいんだ。サッカー選手としてじゃなくて。
もともと、法律とか司法制度とか気になっててさ。
読んでもさっぱり分からない六法全書を、学校の図書館でチラチラ見たりしてるんだ。」
かび臭かった六法全書のページを思い出して、思わず顔をしかめる。
「だから、法律に強い学校を目指してて。さすがに東大は無理だけど、
親に頼み込んで私立に行かせてもらうつもり。生活費はバイトでなんとかするよ。」
ここまで一気に話すと、アイスコーヒーをがぶ飲みした。
水滴で濡れたグラスをナプキンで拭いながら、
心のどこかで「何かを終わらせてしまった気がする」と思った。
(このまま黙ってたら、きっと遠くに行ってしまう)
さくらが一口、一口とケーキを運ぶたび、ふんわりとレモンの香りが漂う。
そのたびに、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「今度、水族館行かない? 映画でもいいし。」
アイスコーヒーの氷が、カラン、と音を立てた。
突然の誘いに、さくらの表情が揺れた。
「えっ……勉強しなくていいの?」
隆司は、どこか覚悟を決めたように背筋を伸ばす。
「もちろん勉強はするよ。でも、たまには息抜きしたいじゃん」
その言葉に、さくらの肩がすっと下がった。安堵の色が浮かぶのを見て、
(誘ってよかった)と隆司は胸の内で小さく自分を褒めた。
「うん、いいよ。水族館なら話もできるし……海洋生物、好きだし」
“海洋生物”という響きに、隆司は思わず吹き出す。
「海洋生物って……さくら、どんだけ海の生き物好きなんだよ。くっくっ」
照明が当たるさくらの頬が、とたんに真っ赤になる。
「小さいころから好きだったの。図鑑も持ってたし……地元の国立、海洋生物学が専攻できるんだ。それで決めたの」
誇らしげに語るさくらの横顔は、チーズケーキの白とよく似合っていた。
フォークを口に運ぶ仕草も、さっきより丁寧だ。
湯気を立てる紅茶が、甘さをふわりと引き立てる。
「そっか。じゃあさくらは未来の“海洋学博士”様だね」
隆司がからかうと、さくらは頬をぷくっと膨らませながらも
まんざらでもない目をしていた。
「そのうちテレビ出るかもね。隆司には……サイン、あげないから」
二人は顔を見合わせ、同時に笑った。
こんなに楽しい時間は、本当に久しぶりだった。
【さくらside】
隆司の楽しそうな表情を見ていると、胸の奥がじんわり温かくなった。
静かな店内には、空調の音だけが低く響いている。
こんな穏やかな時間があるなんて、とさくらは思った。
「じゃあ、水族館に決まり。いつにする?」
隆司が少し照れたように聞く。
「週末……土曜日は?」
思っていたより柔らかい声が出た。
「いいよ。土曜日。10時に最寄り駅な」
「うん、わかった」
返事をした瞬間、もう頭の中は“服どうしよう”でいっぱいだった。
制服以外で会うのは久しぶり。
シフォンのスカートは気合い入りすぎかな……
考えるだけで胸がくすぐったくなる。
その間も隆司は、何事もないようにケーキを口に運んでいる。
(距離……少し縮まったかも)
さくらは胸の中でそっと呟いた。
店を出ると、空はすっかり夜の色だった。
腕時計は午後7時を指している。
「隆司くん、遅くまでごめんね。お母さん、大丈夫?」
さくらが心配すると、隆司は落ち着いた声で言った。
「大丈夫。……さくら、送ってくよ。近くでも心配だから」
頬がまた熱くなる。
「ほんとにすぐ近くだけど……嬉しい」
夏の湿った夜気が、二人の間にほのかな熱を漂わせた。
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