7. 返却を確信しているから貸し出せる
「お疲れさまでした。ご主人様」
魔吸を止め、帰ってきたご主人様に一礼する。
無事で良かった。そう思うと同時に、ご主人様の変化に驚いた。雰囲気が柔らかくなったように感じるが、研ぎ澄まされている。
だが、僕にとって重要なのは無事に帰ってきてくれたことだけだ。かつてのように恐怖を感じることも無いのだから、何を言う必要も無い。
「ただいま。待たせちゃってごめんね」
頭を撫でられる。目を瞑ってその感触を堪能していたが、ご主人様の身体から血の臭いがした。
「ご主人様、身体を清めさせていただけますか」
「ウキアに任せる。綺麗にしてね?」
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ウキアが俺の髪で石鹸を泡立てる。互いに裸で、少年の家の裏にある風呂でのことだ。
「ウキア、魔吸はどう?」
「はい、方法は分かりました。真髄まで至るにはまだ時間がかかりそうですが」
「何事も極めるってのは大変だね」
魔吸の真髄は、周囲から一瞬で魔力を取り込み、魔力を半永久的に回復し続けられる身体を作ることらしい。
ウキアから魔力が出たり入ったりしていることは感じ取れたので、てっきりそれが出来ていると思っていたのだが、そうでもないようだ。
なんでも、生物の持つ魔力は固有の振動を持っており、ただ周囲の魔力を吸い込んだだけではその振動を持たないため、すぐには利用できないらしい。使った魔力がゆっくり回復していくのも、周囲の魔力に固有の振動を持たせるのに時間がかかるからなんだとか。
「いずれ取り込んだそばから振動を与えられるようになるそうですが、出来るだけ早く身につけたいですね」
「頑張ってくれるのは嬉しいけど、無理は、しないでね……」
ウキアの魔性の手さばきに、意識がまどろんでくるのを感じる。ウキアは当然それが分かっているのだろう。何も質問をしてこない。
抗っても仕方ない。俺はウキアの身体を背もたれに目を閉じ、意識を闇に落とした。
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身体にご主人様の重さを感じる。僕を信じて身体を預けてくれているんだ。
そんなご主人様を起こさないように、丁寧に優しく全身を清める。全身に返り血を浴びたのだろう。流石はご主人様だ。
――――僕も、強くならなくちゃいけない。こうしている今でも、魔吸による苦痛が全身を襲っているが、真髄にはまだ遠い。ご主人様の足を引っ張るだけは嫌なのに。
(でも、手掛かりはある)
森神に落とした岩塊、あれを生み出すのに少年の魔力を足してもらった時だ。あの時は少年が僕を介して魔法を使っていたが、大雑把に言えばあれと同じだ。僕という器を介して、周囲の魔力で魔法を行使する。違う振動を持つのも、振動が無いのも、固有の振動と異なる点では変わらない。やれないことは無いはずだ。
そんなことを片隅で考えていると、ご主人様の身体はすっかり綺麗になった。風で濡れた体を乾かし、服を着せると、ご主人様も目を覚ます。
「あぁ、すっかり終わってる。ありがとう」
「いつでもお申し付けください。……食事にしましょうか少年もご夫妻も、中で待っているでしょう」
家の中へ戻ろうとすると、呼ぶ声が聞こえた。
「おぉい、終わったかいウキアちゃん?」
僕たちは顔を見合わせ、小さく笑う。狙いすましていたかのようなタイミングだ。
「はい!すぐ行きます!」
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「ほんで、棘羊は駆除できたかい?」
「はい、少なくともあの辺り一帯には一匹もいません」
「ほ、そりゃ凄い。じゃあ憑き物の方はどうなった?」
スッと意識が切り替わる。何故知っているのか。いっそ今ここで……いや
「いますよ。ココに」
親指をトントンと自分の胸に当てる。もう2度と出てこないものを知られていたところで、何か問題があるわけでもない。それに、この老爺はウキアに魔吸を教え、俺が身体を掌握するきっかけを作ってくれた。何もされていないのに、恩を仇で返す訳にはいかない。
俺の言葉に老爺は顔をほころばせて、「そりゃ良かったわい」なんて言った。
そこからは、村の一大事が去ったという事で、ささやかに宴会が始まった。よく分からないがとにかく旨い食べ物を貪り食っていると、老婆が俺たちに言ってきた。
「ウキアちゃんとご主人様さえ良ければなんだけどね、うちの子にウキアちゃんを抱かせてやってくれないかい?」
俺たちも驚いていたが、一番驚いていたのは少年だろう。完全に固まり、豪快に手掴みで頬張ろうとしていた果物がボロンと落ちたのも気に留めず、視線だけが老婆とウキアとを行き来していた。
「ご、ご主人様」
いや、ウキアもかなり驚いていた。どこか演技ではなさそうな眼をしている。仮に演技だったとして、俺がウキアの本気の演技を見抜けるとは思わないが。
「な、なに言ってるの母さん」
「息子が何考えてるかくらい分かるさね。そんでウキアちゃんは男娼なんだろ?ま、2人が良ければって話だけど、どうだい?」
割と本気で困っていそうなウキアが俺を見る。
「許可さえ出れば僕は構いませんが……」
「ウキアさえ良ければ俺は良いよ。ウキアは帰ってきてくれるでしょ?」
「もちろんです。……それでは行きましょうか」
ウキアが少年を連れて2階に上がってしまう。
残された俺と両親は、互いに知らない領域の話をしながら長い夜を過ごした。