1. 魔族領の洗礼
残業してました。すみません。
「これが、魔族領ですか」
ウキアが噛みしめるような声を出す。俺も同様に、魔族領の環境を感じて驚いている。とにかく空気が重い。湿度の高い森林のじっとりとした様子を何倍にも高めたような感覚で、まるで水の中にいるようだ。
しかし、少年は地元の空気に元気を取り戻したようで、明らかに調子が上がっている。手を大きく広げ、息を吸うのと同時に、僅かではあるが周囲の魔力を取り込んでいる。
「それが『魔吸』という技術ですか?」
「ん~、そうだって言えなくもないけど、ホンモノはもっと一気に大量の魔力を吸うらしいよ」
魔吸とは、魔族の一部が使える技法で、周囲の魔力を取り込んで自分のものとするらしい。魔力の濃い魔族領でしか使えないものではあるが、逆に言えばよほどのことが無い限りは魔力切れを起こさない。ただでさえ膨大な魔力を持つ魔族が、延々と魔力を回復し続けられるのだから、それはとんでもない戦力だ。
「魔吸について知りたかったら、村の爺さんに魔国の騎士だった人がいるから、聞いてみれば良いよ」
行こうぜ!と、元気を取り戻した少年はぴょんぴょん跳ねながら言う。
しかし、俺たちはそうもいかない。何せ体が重いのだ。苦しさは無いものの、これではまともに活動できない。
「人と魔族の種族としての差……?でも、魔力量なら僕の方が────」
ウキアは思考を巡らせながら少年を観察する。瞳に魔力を集め、少年の魔力の流れを読み取り、何か掴もうとしているようだ。
「循環……いや、魔吸は多分関係無い。そもそも鍵は流れじゃない?」
試してみるか、とウキアが呟く。
「ご主人様、僕が意識を失ったら、その時はお助けください」
俺が頷くと、ウキアの魔力が徐々に小さくなっていく。おそらくは魔力を一点に集中させて、他の箇所の魔力を減らしているのだろう。身体に伸びていた紋様もどんどん薄れていく。
だが、それがどうなるのだろうか。そう思っていたが、ウキアの持ち上げた右手に異変が現れた。
「黒ずんでる……?」
「いえ、朽ちています。周囲の魔力に肉体が犯されているような感覚です」
ウキアが魔力を元に戻すと、ブワッと魔力の圧が顔を叩いた。朽ちていたのは右手に限った話ではない。左手も、おそらくは両足も朽ちてしまっていることだろう。慌てて俺が治癒させようとしたが、それよりも早く少年が、ウキアの全身を回復魔法で包んだ。
「おおよそは理解できました」
朽ちた手足にも、その治癒にも目もくれず、ウキアは体内で魔力を操作する。
初めは末端に魔力が集まっていたのが、やがて薄く全身に広がり、段々と濃密になっていく。魔力が身体から出し入れされている少年とはまるで魔力の様子が異なるが、どういうことだろう。
疑問に思っていると、ウキアがその場で飛び上がった。軽く俺の身長を超える跳躍を見せ、そのまま後ろに宙返りして綺麗に着地。俺が今感じている動きの重みがまるで無いようだ。
「分かりました、ご主人様。魔力を流すのではなく透すと良いようです。全身にくまなく魔力を充満させると、この空間はむしろ居心地の良いものとなります」
ウキアの言葉を疑うわけではないが、魔族の少年からはその様子は感じ取れない。少年の魔力は常に流れており、取り込んだ魔力が全身を巡りながら徐々に吸い込まれている。
「魔族全般なのでしょうが、そもそも肉体が魔力に近いようです。ですので僕のようにせずとも、この周囲の魔力と反発しないのでしょう」
ウキアにやってみろと勧められ、魔力を全身にいきわたらせようとするが、これが中々難しい。どうしても太い血管をイメージしてしまい、全身くまなく魔力で満たすことが出来ない。毛細血管の1本1本を細かく想像できれば違うのだろうが、これではウキアと同じようにできない。
「ご主人様、熱をイメージしてください。熱い汁を飲んだ時、腹の底から全方向に熱が伝わりますよね?あの要領です。ジワジワと広げるのが有効です」
ウキアに言われるとおり魔力を伝わらせてみると、確かに身体を包む重さが和らぐ。とは言え、ウキアがあれだけ軽やかな動きをしていたのに対して、俺にそこまでの効果があったようには感じられない。
「多少楽にはなったけど、ウキアみたいには出来ないみたい」
「元々の魔力量でしょうか。今は僕の魔力量の方が多いですから」
「動けるようになったなら行こうぜー!もう少し進まないと明日中に着かないぞー!」
ウキアの言う通り、魔力量は関係しているような気がする。それと、「魔族は肉体が魔力に寄っている」ということ。人間……魔族風に言えば人族の中にだって、魔力に寄っている者がいてもおかしくはない。むしろ、程度の差すら無いというのは不自然だろう。
俺が人間かどうかというのは置いておくにしても、ウキアはきっとそれなりに魔力に寄っているのだと思う。少年の言葉で俺たちは走り出したが、風魔法と強化魔法を併用して高速移動しているウキアを見ると、そう感じてしまう。
別に、ウキアが凄い事には何の問題も無い。むしろ喜ばしい事だ。凄ければ凄いほど良い。だが、俺はどうだろう。肉体の性質は当然変わらないだろうし、森神を倒しても魔力はたいして増えなかった。俺はいつか、ウキアに必要とされなくなってしまうかもしれない。
「ご主人様、何をお悩みですか?」
「この重い身体をどうにかしたいなぁってね」
「魔族の年長者なら何か分かるかもしれません。それに、僕は全力で移動していますが、ご主人様はまだ風魔法を使ってすらいないのですから、僕よりもずっと凄いですよ」
────本当に、ウキアには何もかも見透かされている。
切り替える。身体が重くて身体能力の半分しか出せないのなら、元の身体能力を倍にすれば良い。魔力だって、森神の討伐で全く増えなかった訳ではないのだ。これからの旅で魔獣を倒して、いずれこの環境に適応できるだけの魔力量を身につけられるかもしれない。
ウキアのために、ウキアを護るために、強くなろう。




