【1】
灰色の空が雨を降らせるある日の出来事。
「……こんなところで、どうしたのかな?」
公園のベンチに座る一人の少女に、神薙皐月は声をかけた。
年齢は15、6歳ぐらいだろうか。その少女は細身でやや小柄な体格、胸元あたりまで伸びた黒髪と深い紫紺の瞳が特徴的で、藍色を基調とした長袖の制服を纏い、下は同色のスカートを身につけている。
虚ろな瞳をぼんやりと開いたままなにをするわけでもなく、ただただ視線を落としている少女。
――それだけであれば、声をかけることはなかったかもしれない。
しかし、降り頻る雨の中、傘もささずに身を濡らしている少女を、皐月は放っておけなかった。
「風邪ひくぞ? いい子はお家に帰らないと」
「………………」
皐月が声をかけるも少女からの応答はない。
まるでその声が届いていないかのように。
「仕方ないやつだなぁ……よいしょっと」
少女の隣に腰を下ろした皐月。身体を近づけ、自身の持っている傘で少女を覆った。
「……なんの、つもりですか?」
皐月の方へ身体を向けることのないまま発声した、感情の無い、冷えた声。
「なにって、このまま濡れてたら風邪ひいちゃうでしょ? 雨が止むまで、あたしも一緒にいてあげるよ」
「……私はそんなこと、頼んでいません」
「あたしが勝手にしていることだから、気にしなくていいよ」
あからさまにむっとした表情を見せたが、それ以上の言葉はなかった。
「………………」「………………」
皐月は傘をさしたまま自身の茶髪の毛を弄ってみたり、時折、子供のように両足をぶらつかせてみたり、腰元に下げている布地の細長い包みを弄ってみたり……
――そしてそのまま、およそ三十分が経過した。
お互いなにも喋ることのない、雨音だけが響き渡る、沈黙の三十分。
そのあいだずっと、皐月は少女の隣で傘をさし続けた。
「――あなた、非常識じゃないですか?」
「君に言われたくないなぁ。どちらかと言えば君のほうが非常識だ。こんな雨の日に、傘もささないで濡れてるなんてさ」
ようやくもって少女が無感情な声を漏らすも、皐月は正面を向いたまま飄々と答える。
「……私のこと、知っているんですか?」
「え、全然? どうして?」
「なにか意図があって、こうしているんじゃないんですか?」
皐月は宙を見上げ少しだけ考えるも、
「困っている人を助けるのは、人として当たり前のことだよ」
さも当然の如く答える皐月に、瞳を僅かに大きくさせる少女。
だが、すぐその瞳を力なく曇らせた少女は、
「……困っている人を助けても――それが正しい行動だとは限りません」
感情の無い声で言った。
「そうかなぁ? 私は助けてもらったら嬉しいけど……ってあれれ? どこ行くの?」
少女は立ち上がり、雨の中に身を投じた。
「一人になりたいんです。ついてこないでください」
「ついてこないでって言ったってさー、なにかあったんでしょー? このまま放っておけないよー」
「あなたには関係ありません」
強めの口調で振り払う少女。
皐月は内心呆れながらも、やはりそのまま見過ごすわけにはいかなった。
「じゃあさー傘貸してあげるから、それだけは持っていってよー……ってどしたの?」
駆け寄った皐月が無理やり傘を手渡そうとするも、突然、時が止まったかのように少女の動きが止まった。
周囲を注意深く見渡すように視線を動かし、すべての音を訊き洩らさぬよう耳を研ぎ澄ませ――
「――それ、借ります」
「へっ? あ、ちょっとっ!」
皐月から傘を強引に奪い取った少女は、脱兎の如く走り出し、「絶対についてこないでください! 絶対ですよ!」あっという間に皐月の視界から姿を消した。
「あ、待ってよー! あたし濡れちゃうじゃん!」
皐月の言葉は虚しく空を切る。雨に晒され、一人取り残された皐月はポカーンとその場に立ち尽くす。
「ちぇっ、せっかく仲良くなれるかと思ったのにな」
口を尖らせていじける皐月。
心のモヤモヤが晴れぬまま、無駄に足を振り上げながら、一歩、二歩、三歩……歩いたところで、皐月は動きをとめる。
――こんな土砂降りの中、傘もささないでベンチに一人……しかもあんな黒髪ロングの美少女が……
そう……黒髪ロングの美少女、黒髪ロングの美少女、私が好きな黒髪ロングの――
心配な気持ちと邪な雑念を同居させながら思慮を巡らせる。
口元に手を当て、目を閉じながら考え、考えぬき辿り着いた結論。
「……あの子、なんであんな慌ててたんだろ?」
ふと冷静になった皐月は、左腕につけていたスマートウォッチに目を向ける。
「んー……むむ」
画面を切り替えると、無数の白いグリッド線の表示と、離れた位置に一つの赤い点。
それを見た皐月は深いため息を漏らし、
「はぁ……バッドタイミングだよ、まったく」
面倒くさそうに肩を落とす。
「――にしても、この辺りで赤翼なんて久しぶりだ。……あの子、大丈夫かな」
皐月は、足早に少女の後を追った。