殺し合いの結末
テンジンの巻き付いた赤い糸の先に、細身の赤い皮製の頭巾を被った者がいた。
黒づくめの者同様、礼治郎には何もない処から現れたように映った。
次に動いたのはナフィードである。掌を上げて、宙を凪ぐと、何もない空間からボタボタと黒い液体が現れ、滴る。
「毒液を空間に複数忍ばせるとはあざといのである。でもまさか吾が輩を騙せるとは思っておるまい?」
と云ったナフィードの足元から、紫の短衣を着た頭髪のない男がいきなり姿を見せる。
坊主男が、釣り針のような眉を曲げ、大きな奥二重の眼を開いて笑う。
「カカカカッ、我ら3人が総出で葬れぬとは初めてのこと――世の中は広い。しかもドラゴニュートに妖精族、魔人が一緒にいるとはね」
黒い覆面、赤い頭巾、紫の短衣の者が突如現れ、礼治郎と3王の行く手を阻んだのである。
3人の者の出現は礼治郎には唐突過ぎた。どこにどう潜んでいたのかも想像もつかない。
礼治郎があまりの展開に戸惑っているとヴァラステウスが静かに語る。
「こやつらは冒険者というよりは殺し屋でござる。あの黒い男が影を操り、仲間の姿を消させて移動する役目を負っておるで候。赤い糸使いはあの赤い糸で広範囲を切り刻もうと隙を伺っておるでござる。残りの紫ハゲは恐らく毒魔法を全般に操る技を使うようで候」
そうヴァラステウスは一気に語ったが、礼治郎は理解が追い付かない上にただただ狼狽する。「殺し屋」に会う心の準備がゼロだったからである。
だが、3王は苦も無く事態に対応する。
また礼治郎は周囲に複雑な力がいくつも展開するのを覚えた。〈知魂〉が働いたのだ。〈支援魔法〉・〈阻害魔法〉を双方で使ったのであろう。
ナフィードが真紅の剣を抜くと、テンジンが抗議する。
「おいおいナフィード、この3人はワシがすべて相手をするけん! 手出しは無用じゃ」
「吾が輩の見立てでは瞬時に殺さぬのなら3人同時は無理であろう。まさかのために吾が輩が一人相手をするのが得策である!」
「けっ! まあいきなり殺るのは少々あじけないのは確かじゃな」
そういうテンジンの全身を赤い細い糸が何重――何十重にも巻き付く。
赤い糸の端を握る赤頭巾の者が、赤く細い唇でニッと笑う。
「よそ見なんざ100年早い、ドラゴニュートさんよォ!」
途端、赤い糸は炎をまき散らし、激しく炎上する。テンジンの服も燃え上がった。
だがテンジンは涼しい顔だった。
「女、そがいなチマチマした手品しかできんのなら引っ込んでおれ。オドレの糸はワシにゃあどうにもならんわ」
その言葉を聞くと赤いフードの者は大きく後ろに下がり、舌打ちをする。
礼治郎も遅れて事態を飲み込んでいく。並行して〈防御〉〈身体調整〉〈倍化〉〈射出〉〈加速〉〈継続〉の魔法を使うと戦いの全貌がより見えてきた。
テンジンが遊び半分で黒い者と糸を操る者の相手をし、ナフィードは紫衣の坊主頭の者と渡り合っているのがわかった。
驚いたのが「殺し屋」と呼ばれた者が3王を相手に立ち回れていることだった。魔法に精通しているのはわかるが、それを複数に自然に滑らかに使いこなしていることに少し感動さえした。
そうか人間も、ここまで魔法を重複させながら自然に操ることができるんだ!
礼治郎が関心していると、紫坊主が大きく後ろに下がるのが見えた
「カカカッ、万策尽きたぞ。すべての毒がまったく効果を出さん! この魔人さんにはな!」
その言葉にナフィードはゆっくり頷く。
「水銀、胆礬、方鉛鉱、硫砒鉄鉱 雄黄辰砂、貝毒、虫毒、蜘蛛毒、草鳥頭、鈴蘭……実に毒に関して研鑽を積んでいるのがわかったが、何とも稚拙な組み合わせである。まさか我らを討てると思っているとしたら笑うしかないのである」
そのナフィードの言葉を聞き、紫坊主は明らかに動揺する。
「カカッ、すまぬカダン。わしがドラゴニュートを殺るからこの魔人を斬ってくれ!」
その直後、テンジンに腕を握られていた黒覆面が一瞬姿を消す。同時にテンジンに紫坊主が距離を詰める。瞬間移動の魔法が行使されたのだ。
「毒に異常に強い者が他にもいるなどということもあるまいよ!」
紫坊主は毒の礫を一瞬で8つ発生させ、射出し――ようとした時にテンジンに顔面を殴打され、5メートル吹き飛ばされた。
「ワシをドラゴニュート扱いはもう許さぬ! 一生、粛々と反省せい!」
テンジンは鼻息を荒く鳴らして、そういった。
同時に黒覆面の者は魔王に黒い剣を振るった。
意識も加速した礼治郎は、黒覆面がとてつもない速さで黒剣を振り下ろし、ナフィードに斬りつけたのを見たが、その素早い動きを目で追いきれない。
ナフィードは真紅の剣で対応し、幾度か黒剣と切り結ぶ。
不意に、黒覆面の者が膝を折り、地面に黒剣を突き刺す。
「腕前が違い過ぎる。殺せ!」
時間にすると10秒ほどの攻防であったが、黒覆面は勝つことをあきらめた。
降伏する黒覆面を見据え、ナフィードが瞠目する。
「殺し屋で闇魔法の使い手だというのに、剣術は正道とは奇天烈な徒であるな。まさかこのような存在と出会えるとは――」
礼治郎が黒覆面と魔王の間に計り知れぬ何かがあったのだろうと思っていると、ボンという爆発音を耳にする。
爆発音の方を見ると、顔と髪を黒くした赤頭巾の女性がゆっくり倒れるのを目にした。
礼治郎が唖然としているとヴァラステウスが珍しく口を押えて笑っていた。
「あの女、すでに逃げ道を結界で閉じているのに、力任せに火魔法で突破しようとしてあの様となったでござる。いやはや、何とも愉快・滑稽かな!」
礼治郎はヴァラステウスが殺し屋たちの逃げ道を塞ぐ術を行使していたことを把握する。
殺し屋3人は凄腕であったのだろうと思うが、3王に立ち向かうのは力不足であったのが、戦いのいろはも知らない礼治郎でさえも理解できた。
「さ、さすがですね。殺し屋が潜んでいるのを瞬時に見抜くとは……おまけに倒してしまうなんて」
礼治郎の言葉にヴァラステウスとテンジンが互いの顔を見合う。
そして不意に合点がいったという仕草をする。
「なるほど――そう解釈したでござるか。実は我らはとうの昔に間者の存在は看破していたでござるが、無害であろうと判断していたでござ候」
「人間が何を企んだところでワシらに何ができるわけがないけん!」
2人の言葉に、礼治郎は今の出来事は3王には本当に細事であったのだろうと察する。
だが礼治郎は違う。殺し屋との遭遇を何でもないように振る舞う面々にただただ唖然とするしかない。