星降る夜と魔法使い
静かな夜に、雪が舞い降りる。大きな窓から、一人の少女がそれをぼんやり見つめていた。
と、窓の外で銀色の光がちらりと輝く。それに気づくと、少女は窓を開け放った。
「銀華!」
近づいてくる光に向かって、少女は呼びかける。冷たい空気が流れ込むのにも構わず、身を乗り出した。
「おい、ノア。危ねえって」
「もしわたしが落ちそうになっても、ギンが受け止めてくれるでしょ?」
「そりゃそうだろ」
銀華の返事を聞いて、乃蒼はくすぐったそうな笑みを浮かべる。
「ね、今日はどこに連れてってくれるの?」
「あー、今日のは……。むしろオレが、ノアに付き合ってもらう感じだな」
「ふーん。でもどっちでもいいよ。ギンに会えるの、楽しみだったから」
銀色の光が、乃蒼のいる窓際にたどり着く。それは、綺麗な翼を持つドラゴン。銀華は、そのドラゴンに乗っているのだった。
彼が手を差しのべると、乃蒼の身体がふわりと浮かぶ。ゆっくりとドラゴンの背に着地すると、後ろでは音をたてずに窓が閉まった。
「今夜は寒いから、これ巻いとけよ」
銀華から空色のマフラーを受け取る。普段乃蒼が使う真っ黒なコートに、よく映える色合いをしている。
それは晴れ渡った青空と同じ色で、ほんの少し雲の白が混じった毛糸でできている。以前二人で、初夏の空から作った糸だ。
乃蒼が身につけると、マフラーはほっこりと暖めてくれる。初夏の空気、そのままに。
「ありがと、ギン」
銀華は魔法使いだ。幼い頃に偶然出会って以来、乃蒼にとって彼は『秘密の友達』なのだった。
時折こうして夜に抜け出しては、銀華に魔法を見せてもらう。それが乃蒼は、何より好きなのだ。
「よし、アスタ。向かってくれ」
銀華がドラゴン――アスタに声をかけると、銀色のドラゴンは大きく羽ばたいた。空を切るその速度では、乗っている乃蒼たちも冷えるはずだが、そうはならない。銀華の魔法のおかげだ。
「ねえ、ギン。わたしに付き合ってほしいことって何?」
「流れ星を、探してほしいんだ。今夜の流星群の中にたった一つだけの、特別な星を」
「なんで?」
「一人前の魔法使いになるために必要なんだよ。その流れ星を手に入れたら、魔法使いになるための学校に入れるから」
銀華はすでに魔法を使えるが、まだ簡単なものだけなのだそう。
「ギンは今でも、充分すごいのに」
「……オレはさ。ノアがオレの魔法見て、すごいって笑ってくれるのが……嫌いじゃ、ないんだ。だからもっと、いろんな魔法覚えてぇんだよ」
「もう、ギンってば」
ちょっと大人ぶりながらも、乃蒼は自然と笑顔になってしまうのがおさえられなかった。
「ギンの魔法なら、わたしだけじゃなく、もっともっとたくさんの人を笑顔にできるよ!」
「いや、でもノアのとこだと、魔法使いなんて物語の中だけって思われてるだろ。オレは、ノアだけでも別に……」
最後の小さな言葉は、強い風に流されて乃蒼まで届くことはなかった。
「うん。だからわたしは、魔法使いの存在を証明したいの。信じてくれる人だけでいいから」
乃蒼はぎゅっと、マフラーを握る。優しく暖めてくれるこの温度を、贈ってくれた彼の気持ちを、幻想だと言われたくないのだ。
このマフラーだけじゃない。銀華はたくさんの物を、乃蒼のためにとプレゼントしてくれた。
「ほんと、ノアにはかなわねぇよ。普通の人間なのに、魔法みたいなこと考えるんだもんな」
「わたしは普通じゃないでしょ。だって、銀華と友達なんだから」
「それもそうだな」
目を合わせ、笑い合う。生きている世界は違うものの、こうして一緒に過ごせる時間を、二人とも気に入っている。
そこでふと、乃蒼は風にあおられた銀華の髪が跳ねていることに気づく。
「ギン。髪、留めてあげる」
「ん、ああ」
銀華は素直に後ろを向いてくれる。前からよくあることで、乃蒼は彼の紺色の髪に触れるのが好きだ。
短髪の猫っ毛はよく跳ねている。いつもアスタに乗って出かけるからかもしれない。
特にぴょこんとした箇所を、乃蒼はヘアピンで留める。これも銀華にもらった、星のかけらをあしらったピンだ。
「はい、できた」
夜空を思わせる紺色に、ちらりと光る銀色のヘアピン。星空みたいに綺麗で、乃蒼は少しうらやましくなる。
と、銀華が乃蒼に手を伸ばした。思わず瞑った目を開けると、銀華が満足げにほほえんでいる。
「ノアもな。これでおそろいだろ」
さっきより開けた視界は、銀華が前髪を留めてくれたかららしい。乃蒼がヘアピンが減るたびに銀華にせがむので、彼も普段から持ち歩いているのだ。
「お二人とも、私を蚊帳の外にしていちゃつかないでもらいたいですね」
「んなことしてないだろ! 何言ってんだアスタ!」
「ねー。いつも通りなのにー」
対照的な反応を見せる二人。アスタは昔から、二人を年長者としての立場で見守っている。銀華とは主従の関係だが、それ以上の情がある。
「まあ、私としてはほほえましいのでいいですけど。しかし主、これはもう少し頑張らねばならないのでは?」
「いいから! もう黙っててくれよ!」
「はいはい。ちなみに目的地までは、もう少しかかりますよ」
「……わかったよ」
「そうだギン、あれ見せてよ」
「ああ、ほら」
乃蒼にははっきりと理由はわからないものの、ふてくされている銀華の気をそらす。
銀華の手の中にあるのは羅針盤だ。星空を閉じ込めたような文字盤に、銀色の針が優美に浮かび、二人を乗せたアスタの向かう方向を光で指し示している。
「綺麗だよね、これ」
「そんなに好きなら、ノアにやろうか?」
「え、いいの?」
「貴重な物って訳じゃない。夜空の世界に行けば買えるからな」
「そっか、じゃあ今夜使い終わったらもらおうかな。ギン、ありがと」
乃蒼が銀華から羅針盤の使い方を教わっているうちに、アスタは宙に留まった。羅針盤が目的地に着いたことを示している。
広い草原なのだろうが、今は雪におおわれていた。真っ白な雪原には、他の誰かの足跡もない。
懐中時計を見て、銀華が呟いた。
「時間だ。もうすぐ、星が降る」
銀華の言葉が合図だったかのように、夜空を星が一つ横切った。それを先触れに、いくつもの流星が降り注いだ。
「わ、綺麗……! じゃなくて、どんな星を探せばいいの?」
「一番輝く星だ。たった一つだけ、三本の線が交差した形をしてるから、見ればわかる」
「わかった」
と乃蒼はうなずいたはずなのに、アスタから降ろされる。
「ちょっと、ギン?」
「いや、かなり荒く動き回るからさ。アスタとオレだけの方が動きやすいし、それにノアには怪我させたくねぇんだよ」
「でも、先に手伝ってって言ったのはギンでしょ! 安全なところで一人見てるだけなんて、わたし怒るよ!」
すでに怒っている乃蒼に、銀華は反論できない。情けなくそらした視線が、アスタに助けを求める。
「主、あきらめてください。こうなったノア様にはかなわないと、知っているでしょう」
「……わかったよ。でもなノア、ぜってー無茶はしないでくれ。頼む」
「最初からそう言えばいいんだよ」
乃蒼が怒りをおさめたことに、銀華はほっと息をつく。魔法だって使えるのに、昔から彼女には逆らえない。
「じゃあ、これ使ってくれ」
「普通の編み上げブーツに見えるけど……、これは?」
「空を飛べるってほどじゃねえけど、ちょっとは浮くぜ。中の生地は春一番で作った布だからな」
「うん。こっちは任せて」
紐をぎゅっと結んで、乃蒼は気合いを入れる。ふわりとアスタが飛び立つ。
数えきれないほどの星が流れる。いくつかは、他よりひときわ輝くものが混ざっていた。地面まで落ちた星は、雪の上で煌めきながら砕け散る。
銀華の指示を受け、アスタの翼が空を切る。アスタは縦横無尽に空を駆け、銀華が流れ星を掴みとる。乃蒼も雪原を走って、明るいと思った星を捕まえる。
「あ……っ!」
銀華の声に、乃蒼は反射的に駆け出す。軌跡を残すほど煌めく星が、銀華の手をすり抜けていく。ブーツのおかげで、雪に足をとられることもなく、風のような速さで走れる。
覚悟を決めて、わずかに届かなそうだった距離を詰める。乃蒼のスライディングの甲斐あって、両手の中に星が収まっていた。
「ノア、大丈夫か!?」
「見て銀華、この星だよ!」
アスタが着地するのも待てず、飛び降りた銀華が駆け寄る。雪に足をとられながらも、一心に乃蒼のところへ向かってきた。
「ほら、これだよね?」
「んなもんどうでもいいだろ! 怪我は?」
銀華の、声の剣幕とうらはらに壊れ物みたいに乃蒼に触れる手に、ちょっと鼓動が速くなる。
「これくらい平気。銀華の役に立てるなら、そっちの方がいいよ」
「言ったろ、オレはノアに笑っててほしいから、魔法使いになりたいんだって。だから、それでノアが怪我するなんて嫌なんだよ……っ!」
「わたしは、その気持ちと同じくらい、銀華に魔法使いになってほしいよ。銀華が望むなら、叶えるための手伝いは全力でするよ。でもそれが、わたしのためじゃなくていいの」
「ノアのためだけじゃない。ノアが笑っててくれるなら、オレだって……、うれしいんだ」
その言葉を聞いてやっと、乃蒼が笑ってみせる。
「それならいいの。はい、ギン」
「ありがとな、ノア」
乃蒼から星を受け取り、銀華はもう片方の手で杖を持つ。杖には青い宝石が一つあしらわれている。丸いカボションカットのその石は、サファイアだ。
星はとけるように宝石と一つになり、スターサファイアとして輝く。
「星、だね」
「ああ。宝石は魔法と相性がよくて、こういう特別なものを閉じ込める性質があるんだ」
銀華が夜空に杖をかかげる。スターサファイアの星は三本の線で信頼と希望、運命を表していると言われる。乃蒼にはそれが、銀華の明るい未来を示しているように思えた。
「銀華はきっと、素敵な魔法使いになれるよ。みんなでみつけた星だもん」
「そうだな。オレは、ノアの期待に応える魔法使いになるよ。それで、いつかは……」
どちらからともなく手を繋ぐ。背後で、アスタが寄り添っているのが感じられた。
流星群はまだ続く。いくつもの流れ星が夜空を彩っては、煌めいて散っていく。星降る夜を、二人はずっと眺めていたのだった。