悪魔は招かれる
(…一体なぜ、こうなったのか。)
アリエルは少年に手を引かれながら後悔した。
「天使様ですか?」と訊かれた時に
すぐさま全否定しておけばまた違ったんだろうか…
【天使様】発言。
正直、いきなりそう言われて面を食らったが
(うむうむ。そうかそうか…
5年経った今でも私の天使のような可愛さは現役なんだね!)
と確信して自然と顔が綻んだ。
たしかにかつては
天使だの、妖精だの、女神だの
聞き飽きるほどに言われたものだが…
5年前の…私の記憶に残るみんなの顔はとても天使を見るような顔ではなかった。
もっと穢らわしい汚物でも見るようなー…
だから5年ぶりに純粋な眼差しでそう言ってくれたのが単純に嬉しかった。
(…まさか。
その後否定する暇も与えてくれないほどのスピードで
どこかへ連行されるとは思いも寄らなかったけど。)
さっきから何度か
「ねぇ!ちょっと君!一体、どこ行くの?」
と聞いてみてはいるものの完全に無視。
どうやら私の声はまったく彼の耳には入っていないようだ。
【魔法】を使ってまた【瞬間移動】したり
彼の腕を振り払うことだって出来なくはないが
なんとなくそこまでする気は起きなかった。
(…この子、完全に私を【天使】だと思い込んでるってことだよね?)
…ーなら、一体どこへ行くのか。
(歳は私と同じか…少し下かな?)
それくらいの男の子が考えることなど
浮世離れし過ぎているアリエルには到底見当もつかない。
(うーん…「天使を捕まえたぞー!」とか友達に自慢するとか?
…。そんなことされたら
私もこの子も大恥かく羽目になりそうだな…)
少年に導かれるまま
半ば諦め気味に歩みを進めるアリエルではあったが
ひとつ懸念事項があった。
思い描いた理想の場所へ【瞬間移動】できたのは良かったけど
…ー果たして”ここ”がどこなのか。
ノートランド領からどれだけ離れているのか。
と、いうことだ。
少年の言語からしてシルヴァスタ王国内であることは間違いない。
(もし。
ここが意外とノートランド領から近かったとしたら…
あっという間にパパやママに居場所がバレるかもしれない。)
だから下手に目立つ行動は避けたかった。
パパやママに会いたくない訳じゃないけど
見つかると確実に厄介なことになるのは分かっていたから。
アリエルが色々と思いを巡らせている間に
少年は目的地に近づいたのか歩く速度を少し緩めた。
ふっと顔を上げれば
びっくりするような大豪邸の目の前だ。
(…いや、ノートランド伯爵邸だってすごく立派なお屋敷だけどこれはちょっと規模が違うとゆうか…城!?
…って。こんな凄いおうちの子がなんで護衛もつけずに無防備に外ほっつき歩いてるの!?)
と考えて、ハッとする。
(…あ。違う。
私が降り立ったところも含めて全部この子のおうちの敷地内なんだ。きっと。
なんと。広大な。唖然…)
少年が堂々と邸宅内に入っていくと
使用人たちが次々と「坊っちゃま、お帰りなさいませ」と丁寧なお辞儀をして出迎える。
私はその様子にやや萎縮し、少年の後ろにこそこそと隠れた。
すると執事(だと思う、たぶん。)の1人がすかさずそんな私に気づき
「…おや?そちらのお嬢さんは…?」
と訝しげに尋ねる。
(…決して怪しい者では…いや、怪しいですよね!?)
背中の冷や汗がひどい。
忘れかけていたけど金髪金眼なんて目立つ容姿をしている訳で。
私が”あのノートランド伯爵令嬢”なのだとバレない保証はない。
相手が貴族ならパパやママと繋がってる可能性も0じゃないし。
ーもう逃げた方がいいか、とも思ったけど
ここでまた【魔法】を使えばただ相手に確信を与えるだけだとも考えた。
「僕の大事なお客さん。」
内心ハラハラしている私をよそに
少年は至って簡潔に答えた。
「…なるほど。そうでしたか。それは大変失礼致しました。
後ほどお茶とお菓子をお待ちしましょう。
どうぞごゆっくりとお過ごし下さい。レディ」
執事は少年の答えに納得したのか、否か。
にっこり笑ってそれだけ言うと私にも丁寧にお辞儀をし、あっさりその場を離れた。
(…私とどこで会ったのか、とか
一体何者なのか、とかなんにも聞かないんだ?)
詮索されても困るが…
おそらく「まだ子供だから」という理由で見逃されたのかと思うと少し癪でもあった。
(…まぁ。とりあえずはこれで良かったんだよね…)
…ーたしかにアリエルのその容姿はとても印象的ではあるけれど。
髪は5年前からろくに整えられておらず腰下まで伸ばしっぱなしな上に
白い麻布をざっくり縫い合わせただけの質素な服を被るように着ていて
とてもではないが【貴族令嬢】には見えなかった。
そのため事情を知らない執事はアリエルのことを《大方この近くの孤児院の子供が敷地内に迷い込んだのだろう》と解釈した。
”坊ちゃんのご友人”として決して好ましいとは言えないが
ただでさえご病気の奥様のことで塞ぎがちな彼をこんな些細なことで咎めることは出来なかった。
それにー…
(あんな生き生きとした目をした坊ちゃんは久々だな…)
少女の手を引き奥様の部屋へ急ぐ少年を執事はそのまま微笑ましく見送った。
その少女が【ノートランドの悪魔】であるなんて露ほども考えずに。