悪魔は逃げる
「…もう一度聞く。その話は…本当か?」
伯爵の顔は本来の顔色を思い出せない程に真っ青に青ざめていた。
その傍らの伯爵夫人に至っては自らの体を支えることすらもはや困難で
グッタリとした状態で夫にもたれかかっている。
「は、はい。それが北の領地を見廻っていた兵士によりますと…
その、あの。例の塔の結界が破壊されていたそうで…」
従者の男は実に言いにくそうに言葉を紡いだ。
それを聞いた伯爵は妻を抱き抱えたまま力なくよろめいた。
「そんな…馬鹿な…早すぎる。」
…-5年前。
我が娘、アリエルはとんでもないことをしでかした。
ノートランドの領地は
王都からは離れた田舎町ではあるものの
広大な土地と豊富で綺麗な川の水に恵まれており
気候も温暖湿潤。
農業が盛んでそこに暮らす領民たちの性格もみな真面目で穏やかー…
まさに【平和を象徴する町】と言っても過言ではなかった。
(それがあの日、一瞬にして禍々しい暗黒雲に包まれたのだ。)
あの事件はのちに【ノートランドの災禍】とまで呼ばれ
5年経った今でも尚、領民たちの心に恐怖という傷痕を残し戦慄させている。
さらに問題だったのは
当の本人は事の重大さを理解できず
「何がだめだったの?」と言わんばかりに
あっけらかんとしていたことだ。
(いや、当時まだあの子は5歳の少女だったのだから仕方はないがー…)
とにかく事態の収集には骨を折った。
幸い、領地が荒らされることも領民たちが怪我をする事もなかったが
あまりにも事が大き過ぎた。
事件の全貌はすぐさまシルヴァスタ王の耳にまで届き、
早急に娘について対処するように命が下ったのだ。
当たり前だ。
娘はこのシルヴァスタ王国にとって危険過ぎる存在だった。
(まるで天使の顔をした悪魔だ…)
それでも働いたのは親心。
なんとしてでも生かしておきたかった。
どんな形でもいいから生きていて欲しかった。
必死になって王国の魔導士たちを呼び集め
娘の魔力を封じ込めたり、弱めたりできないものかと相談した。
だが。
程なくしてそれは出来ないと分かった。
娘の魔力は底知れなかったのだ。
(ならば、もう殺すしかないだろう…)
私も妻もすっかり辟易していた頃に1人の一際若い魔導士がこう言った。
「魔力を封じることは出来ませんが魔法を使えないようにすることは出来ます。」
…その魔導士の言うことにどれ程の信憑性があるかは分からなかったが
一筋の希望、藁にもすがる思いであった。
「要は催眠術の一種です。
自分には出来ないのだ、と信じ込ませる。
たとえどんなに強力な魔力を持っていたとしても
決して自分には使いこなせないのだ、と思えばその真価を発揮することは難しいでしょう。」
「!!なるほど。それならば娘はこの国の脅威にはなり得ないと言うことですね?」
ホッとする私に魔導士は無情にも続けた。
「…いえ。これはあくまで応急処置。
恐らく効果は一時的なものになる筈です。
それでも10年ぐらいは時間が稼げるでしょうから
それまでに御令嬢を救う方法を探すなり、どうなさるべきかお決めになるのがいいと思います。」
つまり。
最善策ではなかった。
あくまでもその場凌ぎの次善策。
(それでも。
それでも娘が生きられるのならば、、、!!)
…その後、
娘は無事に魔導士から【催眠術】をかけられた。
しかし、領民たちの手前、そして王の手前
魔法が使えなくなったからと言って今まで通りに娘を手元に置くことは叶わず、
先代伯爵が作った離れの【石の塔】に幽閉することを決めた。
(…あそこならば早々簡単に娘も抜け出せまい。
それにきっと10年もあれば娘の力を封じ込める方法が何か見つかるだろう…見つけなければ。)
…ーあの時の私は全てにおいて実に浅慮で愚かだった。
5年経った今でもなんの解決策も打開案もない。
それどころかまさか予定より5年も早くあの塔から逃げ出すとは…!!
領民たちに知られればまたもや大混乱が生じる。
一度ならず二度も…領主としてそんな失態はあってはならない。
こんなことならあの時、覚悟を決めるべきだった。
「探せ…なんとしても探し出せ!!一刻も早くノートランドの悪魔を見つけて始末しろッ!!」
邸には伯爵の悲痛な叫びが響き渡った。
******************
「おっ腹すいたぁあああっ」
塔から抜け出して3日。
そんな伯爵の断腸の決意も露知らず、
アリエルは途方もなく森を彷徨っていた。
(最初はノートランド邸に帰ろうかな、とも思ったんだけど…
勝手に塔から抜け出して来ちゃったし
パパママは勿論、誰かにバレたら絶対まずいよね。)
「また閉じ込められちゃうかもしれないし
最悪殺されちゃったり?…アハハ、なーんて。流石にそれはないよね?(汗)」
…とにかく今は自由を謳歌したい。
そういうことならまずノートランド領からは逃げた方がいい。
そう思って南に下らず北の森に考えなしに突っ込んでみたのはいいけれど。
完全に迷った。この森の出口はどこだ。
もう3日前から何も食べていないし
さらにこの3日間はずっと野宿。
正直もう体力的にも気力的にもずたぼろだ。
(自由を手に入れたのは最高なんだけど
これじゃ塔の中の暮らしの方が平和で快適だったよ…
1日3食の食事にふかふかのベッド…)
…ん!?
そーいえば。
あのどこからともなくやってくる食事だって
全く干してないのにいつだってふかふかのベッドだって
全部【魔法】が関係してるんだよね。
なんでかわからないけど今まで私は【魔法】を使うことを無意識に避けてたように思う。
…まぁぬいぐるみを動かす程度の【初級魔法】は使ってみたりしたけど。
ほんとそれくらい。
別に使う必要がなかったから、と言われたらそれまでなんだけど。
(これだけ魔力があって
【魔法】に関する本も嫌と言うほど塔の中で読んだ。
出来ないことはない、はず。)
「試しにやってみますかッ…!!」
アリエルはごくっと喉を鳴らすと
「美味しい食べ物出ておいで〜…?」
と目を瞑って指先に魔力を込めながら唱えた。
すると…
ぽんっ ぽんっ ぽんっ!!と勢いよく出て来たのは
牛ヒレ肉のレアステーキに鶏モモ肉の香草焼き、そして豚肉のコンフィ
「わぉ、見事にお肉ばっか…」
(なんだ…やっぱり普通に【魔法】…使えるじゃん。)
今まで何を躊躇っていたのやら。
これなら魔法を使ってこの森から抜け出すことだって
きっと、できる。
(なんで今までその発想がなかったんだろ???)
出来るだけノートランド領から遠くって
綺麗でとにかく長閑で平和そうな…
うん、とりあえずそーゆーとこ!
…そーゆーところに魔法を使って瞬間移動すればいいじゃん!!!
あ。
勿論、お肉食べた後にだけど。
次話からようやく恋愛要素はじまります。