悪魔は付き纏われる
「アーンー!!!」
ーーまた来た。
「アン!!会いたかったよー!今日も今日とてとっても可愛いね、僕の天使」
そう宣うとその男は私の栗色の髪に愛おしそうに口つげをする。
「…”会いたかった”って……たしか昨日も会いましたよね?」
……そう。
あれから毎日と言っていいほど頻繁にこの男は神殿にやってくる。
オルトヴィン・ダラン
ダラン伯爵家の長男で
今年17歳
職業不詳の放蕩息子
信徒達については極力語りたがらないアバリスからなんとか聞き出すことができた彼の個人情報。
現・ダラン伯爵は
現・ランカストル公爵の3番目の弟で
やはり元ランカストルだけあって王立騎士団に所属している騎士。
ダラン伯爵といえば《戦闘狂》と呼ばれる程に好戦的な性格で
一度戦場に出れば何百、何千もの敵の首をたった1人で狩り取り、それを意気揚々と担いで帰ってくる…なんてちょっと怖い武勇伝まである人だ。
人柄はともかくとしても騎士としてはかなりの実力者だろう。
その長男が……
目の前にいる軽薄そうなこの男とは。
ーー正直、結びつかない。
(親子だからって必ずしも似るわけじゃないのは……私も、そうだけど)
「どうしたの?アン?そんな黙って見つめられると照れちゃうよ〜ま、嬉しいけど♪」
「あはは…そりゃどーも。」
毎日のように会っていればこれくらいの軽口には流石に慣れてくるもので然程負担に感じることもない。
来たら来たで
甲斐甲斐しく掃除を手伝ってくれたり
私好みの甘いお菓子を差し入れてくれたり
くだらない世間話に長々と付き合ってくれたり
鬱陶しいようで有難い存在だ。
ーーなんて。
素直に思えるのにも理由はあって。
正直、色恋沙汰などアリエルにとっては未知の世界で。
いざ目の前にいきなりぶら下げられても理解もできないし、困惑するばかりだ。
……下手すれば恐怖すら憶える。
しかしながら彼の場合、その言動に反して燃え上がるような熱情は感じられず
良くて…【妹を可愛がりたい兄】
いや、誠に遺憾ではあるけれど【猫を可愛がりたい飼い主】ようだった。
…相変わらず距離感はおかしいけれど
こちらが嫌だ、と思う前にしっかり退いている。
(だからなのか…あんまり不快感はないんだよね。
今だってなんの面白味もない神殿の回廊をただただ平和に散歩してるだけだし。)
チラリと頭一つ半分上の彼へ視線を送れば
すかさずキラキラとした笑顔を返される。
昼下がりの穏やかな日差しも相俟ってか今日はやけにそれが眩しい。
悔しながらも頬が熱くなるのをアリエルは感じた。
(………うん、この笑顔はーー、嫌いじゃない。)
「…ランディに、似てる。」
「……え?」
思わず漏らした自身の言葉にハッとして反射的に口元を両手で覆う。
ーー油断した。
アバリスから聞いて分かった事だが
トビーとランディは従兄弟同士。
以前トビーに感じた既視感は恐らくそこから来るものだったのだろう。
……だからと言ってトビーを《全面的に信頼できない》。
いくら親族とはいえランカストル家とダラン家の関係性も定かではないし
そもそも王立騎士団の関係者なのだから国王と繋がっていない、とは言い切れない。
(ランディ達のことを口にしたらそこから何かを悟られるかも…って今まで気をつけていたのに……!)
「ん?ランディって…公爵家のランドルフのこと?」
トビーは元々丸いエメラルドの瞳をより一層丸くして尋ねる。
「………うん。」
内心穏やかではないが
ーー最早、下手に誤魔化す方が不自然だ。
「元々良くこの神殿に祈りを捧げに来てたんだよ。」
あくまでも淡々と平静を装う。
実際にランディが祈りを捧げていたのは事実だろうし
アバリスの妹が偶然出会っていても何もおかしくはない。
「ふーん…
ま、アイツも今は忙しいからここには中々来られないだろうけどね。」
「えっ、忙しいの?」
「…知りたい?」
さっきまでの爽やかな笑顔と違い、どこか意地悪そうにトビーは微笑んだ。
「もしかしてアンって…ランディが初恋だったりする?」
「えぇっ?!違いますよ!それはない!」
そんなこと考える余裕もない程に振り回された相手だし。
今思い返しても怒涛過ぎて疲れる。
「本当に〜?ま、初恋相手が誰であろうと今アンと一番仲良しなのは俺だけどね!」
「ははは…まぁ否定はしないけど」
「今年から騎士養成学校に入ったから今は王都で寮暮らし」
「?」
「ランディの近況。…知りたかったんでしょ?」
なんだろう…この全てお察ししてますよ、とでも言いたげなトビーの表情は。
「…とはいえ!所詮初恋は実らないものだからね〜!
そもそもランディにはもう心に決めた相手がいるみたいだし?傷が浅いうちに諦めた方がいいよ!
お子様のくせに生意気だよね〜」
「いや、だから…初恋じゃないって!」
トビーの誤解はともかくとして。
ネガティブな発言が出ないところを見るとランディも元気に過ごしているんだろう。
しかも10歳で騎士養成学校に入学なんていくらランカストルとは言え異例の早さなんじゃないだろうか。
憂いなく順調に成長しているようで少しばかり安堵する。
(…良かったー)
迂闊な発言ではあったけれど
結果思わぬ収穫を得た。
…でも。
これ以上この話題を続けるのはやはり危険だろう。
トビーにはまだまだ得体の知れない部分がある訳だし。
「…逆に聞くけど、トビーの初恋相手はどんな人だったの?」
とにかく”ランディ”から話題を逸らしたかっただけでその質問に大した意味などなかった。
なんとゆうか…我ながら随分《らしくない事》を聞いてしまったような…
ーーだが、幸いなことに彼は意気揚々とこの話題に食い付いてくれた。
「アンがそんな個人的なこと俺に聞くなんて珍しいね!
…あ!意外と恋人の過去の恋愛気にしちゃうタイプなんだ?」
「いや…あの、私たちそもそも恋人じゃないですよね?」
「安心して!俺はアンが初恋だよ!!」
(〜…って、相変わらず人の話聞いてないし。)
「…じゃあ、つまりその恋は実らないってことだね。」
「否!!!あのね、何事にも例外はあるんだよ、アン。」
そう誇らしげに言うとトビーは無邪気に微笑んだ。
……なんだか悔しいけれど。
その笑顔だけはやはり嫌いになれなかった。