悪魔は怠ける
コルラッド神殿で働く者は少ない。
司祭のアバリスに加え、助祭がほんの数名。
さらには祈りを捧げに訪れる者もごく稀だ。
「…〜っなのに毎日毎日このだだっ広いここを塵ひとつない程綺麗しなきゃなんて鬼畜過ぎるわー!!」
ーーアリエルは嘆いた。
神殿に来て約2年ー…
流石にいつまでもただの穀潰しではいられないだろう、と手伝いを申し出たのは他でもないアリエル自身だ。
しかし…それならば、と任命された《お掃除係》は想像以上に甘いものではなかった。
最初は勿論張り切って床も壁もこれでもか!という程丹精に磨き上げた。
…ーつもり、だったのだが。
そんなアリエルの努力を知ってか知らずか
アバリスは、窓の冊子に僅かに残る埃を目敏く見つけたかと思えばその白く長い指でスッと掬い上げ「不合格です」と無慈悲に告げた。
……その出来事はアリエルの戦意を喪失させるのに十分なものであった。
アリエルの極めて粗放な性格も原因の一つではあるがあのアバリスの対応は如何なものか。
彼の前世はどこぞの嫌味たらしい姑だったのだろうか?…いや、そうに違いない。(断言)
そして何よりかにより心を込めてピカピカにしたところで然して人気のないここ。
労力に見合わずこの仕事にやり甲斐を感じる事は皆無に等しかった。
「あぁ、もう!!【魔法】さえ使えればっ!!」
そう、【魔法】を使えば簡単なのだ。
箒や雑巾に【魔法】をちょちょいっと掛けてあげれば忙しい主婦も嬉しい全自動お掃除道具に…!!
…………だがしかし。
今のアリエルにその選択肢はなかった。
いや、正確にはその選択肢を”選ぶ勇気”はなかった。
『”今は”なるべく【魔法】は使わないようにしてください』
それはアバリスから受けた最初の忠告だ。
アリエルの絶える事なく湧き上がる泉の如き【魔力】に対し
その精神はまるで今にも崩れ落ちそうな砂城のように酷く不安定だと。
ランカストル家で【魔力暴走】を起こしたのもそこに起因するのではないか、とゆう見解だった。
ハッキリとしたことが何もわからない以上
【魔法】はなるべく使わないに越したことはない。
次は無事な保証もないわけで…
そもそもまた同じような事を起こして迷惑をかけるのも気が引けた。
(……第一、こんな下らないことに【魔法】なんて使ったらアバリスには絶ッ対こっぴどく怒られるし、たしかにまたぶっ倒れたら困るっちゃ困るし、いくら神殿内が安全地帯でもうっかり漏れ出た魔法の痕跡を辿られる…なーんて可能性もあったりするわけで…)
「……っっっでも!!やってられーーーん!!」
思わず手に持っていた雑巾や箒をその場に放り投げて寝っ転がる。
これはこれでアバリスに見られたらどんな顔をされることか……あぁ、もう考えるのも煩わしい。
そのまま悪夢に魘されているかのようにうーん、うーんと無駄に転がっていると
「…君、平気?」
と耳馴染みのない声が上から降って来た。
(……っ!?まずい!!この時間に来る人なんていないと思っていたから完全に油断してた!!…っ誰!?)
慌てて声のした方へ勢いよく身体を起こすと
ゴツン!!
という鈍い音と共に強い衝撃が額に走った。
「う〜…ぃたたた…」
「あぁ〜ゴメンね!具合が悪いのかと思って…本当に平気?」
彼がこちらを覗き込むタイミングと
アリエルが起き上がるタイミングが悪く
思いっきり頭突きをかましてしまったようだ。
…幸い相手は一切動じていないようだが顎はしっかりと赤く色づいている。
鳶色の長髪を一つにまとめ、エメラルドグリーンの瞳を縁取る垂れた目元が優しそうな青年は
見覚えはないのだがどこか誰かを思い起こさせるよう雰囲気を持っていた。
「……いやその…ちょ〜っとばかし休憩していただけで全然平気……あ!もしかしてこちらの神殿に御用の方とか…ですかっ?」
あんな格好でサボっていたところを見られては流石のアリエルでもバツが悪く、なんとも歯切れが悪い受け答えをしてしまう。
少なくとも神殿内に入って来れている時点でこの人は神コルラッドに歓迎されていて用事があるから居るのだろう。
なにを当たり前のことを尋ねているのやら。
「うん!そう!今日はちょっと頼まれここごとでね。
…ところで君は?あんまり見たことない子だけど。」
青年はこちらの挙動不審ぶりなど気にも止めずニッコリと微笑むと興味津々にアリエルを眺めた。
「その綺麗な栗毛に茶色の瞳は…もしかしてアバリス様の妹さん、かな?」
……そう。
ここには今の状況然り、少なからず他人の出入りがある。
人前に出る事は滅多にないが
アリエルの金髪金眼はあまりに目立ちすぎるため
普段はアバリスと同じ栗色に変えている。
一応…これも【魔法】ではあるのだがほぼ魔力も使わないのでアバリスも許可しているものだ。
「まぁそんなところ…です。かね…」
色々と面倒なので誰かに正体を尋ねられた時はアバリスの妹だの、親戚だの、適当に誤魔化すようにしている。
多くを語らずとも大概はそれで納得して貰えて便利なのだ。
「へ〜!知らなかったなぁ!こんな可愛らしい妹さんがいたなんて…あっ!でもこれだけ可愛かったら隠したくもなるか!」
「あはは…うちの司祭と…お知り合いなんですね…」
「そうそう!家族ぐるみでお世話になってて…って、ごめん!名乗ってなかったよね。
僕はオルトヴィン、気軽にトビーって呼んで!よろしくね!」
スッと笑顔で差し出された右手を条件反射で握り返す。
「あ…アンジェラです。」
(悪い人では無さそうだけど…本名を名乗るのはちょっと…)
『簡単に他人に心を許してはいけません』とゆうのもアバリスの忠告の一つでもあるし。
「そっか!アンジェラか!…じゃあアン!…名前まで可愛いね!」
トビーと名乗る青年はアリエルの右手にさらに左手を重ね、興奮気味にブンブンと上下に揺さぶる。
なんとゆうか…
(距離感が近い人だな…)
「ところでアン、床に箒と雑巾が仲良く転がってるけどもしかして掃除中だったりする?」
「はっ!…そういえば!!…そうですね。」
……そうだった。いや、忘れていたわけではない。逃避していただけ。
「もしかして1人で!?えー…大変でしょ?」
「いや!ほんと…!!分かってくれます?」
ついつい共感を求めてしまう。それだけ心が拉げている証拠だ。
「うんうん分かるよ!!俺も職場では体のいい雑用係でさ。掃除も草むしりもなんでもかんでも押し付けられるし今や寧ろ得意分野と言える程にまで……あ、良かったら手伝おうか?」
「……え?」
「今日はこのあと暇でさ、手伝うよ!神殿にはいつも本当にお世話になってるからさ!」
……神様が降臨した。
いや、神様の前で言うのも変な話だけれど。