悪魔は解せない
「…え?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔、とはまさに今のアリエルのことだ。
あまりの驚きに事態がうまく呑み込めない。
(今…アリエルって言った?…ノートランドって??)
ーっ、何でバレたの?!
サァーっと全身の血の気が引き
膝がガタガタと音を立てて震え始める。
(私が知らなかっただけで夫人とはどこかで会ったことがある…?)
アリエルの金髪も金眼も一度見たら忘れられない程異質な輝きを放っている。
珍しい…のではなく、唯一無二なのだ。
会ったことがある、となればその正体がバレる確率も当然上がる。
(…いや、でも。正体がバレたところで悪いことをしようって訳じゃないんだから堂々としていれば…)
アリエルはぎゅぅっと唇を噛んで夫人を見た。
「公爵夫人…いえ、セレーナ様!私は貴方を救いに参りました!!」
甚だ大それたことではあるがこれは紛れもない事実だ。
下手な言い訳をする必要はなかった。
(こうなってしまったからにはもう後の事は考えずに【呪い】の解除を最優先にして…)
「ええ…でも。お断りするわ。」
セレーナはアリエルの決死の覚悟を知ってか知らずか、無情にもそう告げた。
「…なっ、何故ですか?!
私が【アリエル】だとご存知なら私の実力も聞き及んでいらっしゃるのでは?
驕りに聞こえるかも知れませんが王宮務めの【魔法使い】よりも有能である自信があります!
命の懸かる事ですので慎重になられるのも分かりますが…」
ここまであっさり断られる、とは思っていなかったアリエルは焦燥の色が隠せない。
「違うの」
セレーナはそんなアリエルの言葉を静止する。
「貴方の問題ではないから安心して。」
【呪い】のせいで弱りきった身体から発せられる声はとても細いのだが断固たる響きを持っていた。
アリエルもその迫力についついたじろぐほどだ。
ーそれでも引き下がる訳にはいかない。
「…ですが。このままではセレーナさまはっ」
自然と語気が強くなる。
しかしセレーナは少しも怯まなかった。
「それで…いいの。」
全てを受け入れ諦めている相手にこれ以上の説得は無駄に思えた。
(…でも。それじゃ、ランディは…)
「…理由を、聞いてもいいでしょうか」
セレーナは果たしてどこまで事実を知っているのか…
どういうつもりでアリエルの提案をここまで拒絶するのか掴めない。
「貴方には…きっと視えているんでしょうね。
私がただの病ではないことが」
「…はい。」
(やはり。この人は全てを知っている…?)
「ランカストル家の人間は…うちの人も、そしてランドルフも【魔法】関係にはてんで疎くて。
私を【不治の病】だと信じて疑わないの。
ふふふ…可愛らしいでしょ。」
笑うところ、なのだろうか。全然わからない。
「王宮からは治療だと称して【魔法使い】が何人も送られてきたわ。でも症状は一向に改善しなかった。
当たり前ね…皆んな治す気なんてないのだもの。ただ監視しておきたいだけ。」
セレーナの言葉はとても穏やかだがどこか冷めきっている。
…何だかそれが怖かった。
「あの子も愚かよね…ランカストル家を敵に回していい事なんて一つもないのに。」
それは悲痛な独り言にも聞こえた。
「あの子、とは…」
正直、その予想はあまり当たって欲しくは無い。
「…どうやら貴方はすべてお見通しのようだから隠したりはしないわ。」
セレーナは優しく微笑んだ。
「私に【死の呪い】をかけたのは国王陛下…私の弟よ」
予想通りの回答に驚きはない筈なのだが…
何故か冷や汗が止まらなくなる。
…それだけ重い事実だからだろう。
「…ね?私を救ったところで貴方にメリットはひとつもないでしょう。
この国の最高権力者の意思を貴方は覆すつもり?」
セレーナの言うことは正論に他ならない。
けれどー…
「…ッ。どうしてですか?納得できません!
こんなこと…たとえ陛下の意思であったとしても絶対に許されません!
【呪い】なんてものは禁忌中の禁忌です!セレーナ様もご存知ですよね?
どうして…それを甘んじて受け入れるのですかっ?」
自分でも何故他人のためにここまで必死になるのか分からない。
きっと公爵夫人は私のことを見逃してくれるたろうし
このまま逃げてしまえば全て有耶無耶にできるのかもしれない。
それなのに…
ランディの顔が浮かぶ。
(理屈じゃないけど…なんか嫌だ)
「貴方には…関係がない事ではないかしら?」
「…既に首を突っ込んでいる身なので無関係ではありません。文句があるなら私をここに連れてきたご子息様に言って頂きたい!」
「…《知り過ぎる》、という事は時として危険を孕む事を理解したうえで…そう、言うのかしら?」
「未だ見えない危険を避けて通ろうと思えるほど私は器用じゃありません。それが今、ここにいる理由ですからっ!」
「まぁ…貴方も頑固なのねぇ」
ああ言えばこう言う…
どこまでも頑なで曲がらないアリエルの態度にセレーナはついに呆れたようなため息をついた。
「…あの子はね…意外と臆病者なの。」
結局、アリエルの気迫に押し負けたのかセレーナはポツリポツリ、と話し始めた。
「あの子…ルキウスが一番恐れているのは…王家の正統な血筋。
この国の歴代の王はね…皆んな白銀の髪なのよ」
ルキウス王はたしか…母親譲りの漆黒の髪。
そして目の前にいるセレーナは月明かりに映える白銀の髪を持っていた。
それは…ランディと同じ色だ。
「…でもね。ルキウスにとって本当に重要なのは髪の色、じゃない。」
セレーナは次の言葉を少し言い淀んでいるようだった。
「これはあまり世間には知られてないことだけど…
白銀の髪を持つ正統な王家の後継者は【先読み】の力を持って生まれてくるの」
「【先読み】…?」
たしかにアリエルもその事実を知らない。
それがどんな力なのかも。
「…ふふ。まぁ少なくとも。貴方のその【魔力】に比べたら大した力ではないことは確かよ。」
セレーナはそう言って悪戯に微笑うがアリエルは少し複雑な心境だった。
(もしかしてセレーナ様が私を知ってたのってその力が関係してる?)
「初代王はまるで未来を一度経験してきたかのように全ての災いを退け、この国を発展させたそうだけど
…その末裔である父や私が持つ力はせいぜい自分の身の回りで起きる不幸を避けられる程度の些末なもの。
…けれど。そんな力でさえ、ルキウスには疎ましいんでしょうね。」
(…自分の不幸を回避、できる?)
セレーナの話にふと疑問が湧く。
じゃあそもそもこの【呪い】は避けられなかったのだろうか。
(いや…あえて避けなかった、の…?)
「…あぁ、何故甘んじてこの状況を受け入れるのか、という話でしたね。」
その答えはアリエルにとって思いがけないものだった。
「それは…私が《身代わり》だからよ」