悪魔は波乱を予感する
「あ、あのさ!」
おそらくこの怒涛の展開にアドレナリンが大量分泌されて冷静さを著しく欠いていたんだろう。
まずもって確認すべきことをいろいろすっ飛ばしていたことに今になってようやく気づく。
「…今更だけど君の名前、聞いてもいいかな?」
(…母親にはたしかランディって呼ばれてたよね)
少年は【天使様】には名前だってお見通しだ、とでも思っていたのか
一瞬「え」と戸惑いの表情を見せたもののすぐに慌てて
「きちんと名乗りもせず大変失礼しました!!
僕はランドルフ・ランカストルと申します。」
と非常に丁寧にかつ、申し訳なさそうに深く頭を下げた。
(ランカストルって…ランカストル公爵家!?)
ランカストル公爵家といえば…
このシルヴァスタ王国建国当初より王室を守護してきた【騎士】の家門
歴代当主は漏れなく【王国騎士団】の【総騎士団長】を務めるほどにその道には長けており
少なくとも武力においてこの国内に敵という敵はいない。
特に現在のランカストル公は騎士としての実力は去ることながら
なかなかのキレ者らしく近隣諸国との国交正常化にも一躍買っているとの噂を聞いたことがある。
今や戦場だけでなく政治の場でもランカストルの存在感は大きい。
この国で王室に次ぐ権力者であることは間違いないだろう。
(このお邸がこんだけ立派なのも頷ける…床とか全部大理石だし)
改めて見渡してみても本当に煌びやかな邸だ。
どこまでも続く白い大理石の床、壁や天井には至る所に金の装飾が施されている。
(たしかにどう考えても普通の貴族じゃない、と思ってたけど
まさか王国No.1の大貴族様だとは…)
幸い、ランカストル公爵家とノートランド伯爵家にそれほど接点はない。
王国の南方を治めるノートランドと反対に
ランカストルの領土は北部が中心だ。
…-それに【騎士】という生業と【魔法使い】という生業はそもそもあまり相容れない。
昔から【騎士団】と【魔導士団】には軋轢がある。
とはいえ同じ王国を守護する立場ではあるため
お互い必要以上に干渉し合わないことで今は均衡を保っているのだ。
現ノートランド伯は【魔法使い】ではないが
お家柄的にはあくまでも【魔導士団】寄りの人間。
【騎士団】代表格のランカストル公との個人的な付き合いはないだろう。
(とりあえず知り合いが近くにいる可能性も低そうだし今すぐに私の正体がバレる、という心配はなさそう…)
とはいえノートランド伯爵令嬢の存在は当時大きな話題になったのも事実。
あまり安心してもいられない。
まぁ、それもそうなのだが…
(ランカストルの公子様にこんな深々と頭を下げさせてるのがバレたらパパ顔真っ青だろうな…)
子供同士なのでそこまで厳密に考える必要はないと思うが…
身分はどう考えてもこの少年の方が上
敬語を使うべきなのも
傅くべきなのも
本来であればアリエルの方なのだ。
(益々…正体はバレないようにしておこう。)
「あの、ランドルフ…いやランディ?」
「はい!」
少年のエメラルドの瞳は眩しいくらいにキラキラと輝いている。
「あの、ね。
そんな畏まらなくていいからね?
ほら、もっと砕けたかんじでいいよ!
私のこともとりあえず気軽にアンジェラって呼んでくれればいいし」
(偽名だけど!)
「はい、かしこまりました!アンジェラ様」
(…いや、ダメだな、こりゃ)
…ところで。
少年に名前を聞いたことで分かったことがある。
彼の母親のこと…
(名前はたしか…)
セレーナ・ランカストル
先代シルヴァスタ王の長女であり
現シルヴァスタ王の姉
彼女はこの国の”元王女様”だ。
しかも先代王の5人いる子供の中で唯一、正妃との間に生まれた子
側妃の子である現王よりも王族としての血筋は正しい、と言えるのかもしれない。
若くしてあっさりランカストル家に降嫁したこともあって
先代王崩御後の王家の熾烈な跡目争いにも一切関与せず
穏やかに暮らしているとは聞いたことがあるけれど…
(そんな人に【呪い】をかけて殺そうとする理由って…)
ー嫌な予感しかしない。
少なくとも普通の【魔法使い】が個人的に公爵夫人を恨んで呪いをかけた、なんてことは確率的にかなり低いと思う。
まず、一般人が気軽にお話ができるような立場の人じゃないんだから…
身内以外に然う然う恨みを買うようなこともないだろう。
肝心のその”身内”…なのだが。
たとえば夫婦仲が非常に険悪だったとしても
ランカストル公爵が【呪い】なんて回りくどい事をするとは考え難い。
そもそも先述した通り【魔法】は彼の専門外なわけだし。
(と、なると考えられるのは…)
…あくまでアリエルが耳にしたことがあるのはどれもこれも5年前までの話。
最近がどうなのかまではぶっちゃけ知らないしわからない。
-でも。
現王ルキウス・フォン・シルヴァスタ
アリエルが知る限りでは彼の評判は良いものばかりではなかった。
王としての資質がない訳では決してない。
しかし彼の即位は国民に歓迎されなかった。
それは、なぜか。
(彼は…)
彼は血を分けた3人の兄を全員殺してその玉座に就いたのだ。