003
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「にしても、アイザックって臭いね。そのボロボロの服もダメだな」
おい、と言わんばかりの顔をしながら、アイザックはじっとエリスを見つめる。けど何も言い返さなかった。エリスの言っていることは事実だから。アイザックの不機嫌そうな表情を見ると、にっこりと笑うエリス。それを見て、アイザックは溜息を零すと、視線をそらした。
「悪かったな。森には風呂や服屋なかったんだ」
(というか、最後に風呂に入ったのは200年前なんだけど。)
「まあまあ。で、どうする? そのままじゃあひどい目にあうぞ」
「どうするかな。金ねぇし、風呂どころか新しい服すら買えないんだ」
いや、実をいうと、アイザックにはお金がある。自分のボロボロの茶色のポーチになんと銀貨二枚は入っていたが、200年前の世と現在の世の通貨はきっと違うと思いいたるアイザックだから何も言わなかった。
「え、お金ない?」
「ああ。森の中に住んでいたからお金なんか要らなかったんだから」
「まあ、それはそうですね」
リラは言うと、エリスの方へと視線をやる。すると妹の視線に気づき、エリスは見つめ返す。目で会話をしているようだ。それにアイザックは「はぁ」、ともう一度溜息をすると、視線を外にやる。水のように澄み切った秋の空には雲がゆっくりと流れ、夏を忘れさせるほどの涼しい風が吹き抜けてくる。その風を受けるアイザックは一瞬、目を閉じると、深く息を吸って、吐き出す。そして、感じ取った。
今でも謎に包まれる、不思議な力を。
魔力。
それはすべての生き物が持っている、力だ。お師匠さまはよく言った。魔力は万能でありながらも、万能ではない、と。今にでも、アイザックは師匠のその言葉がよくわからないが、それでも師匠はある意味では哲学者だったから理解する為に言ったわけじゃないかもしれない。
師匠のことを思い出すと、アイザックは感謝の気持ちにならざるを得ない。子供のときに両親が亡くなって、そのためにアイザックは孤児になった。そんな親や身内のいないアイザックは何年も路上での生活をしていた。するとある日、食事を探しながら、通りすがりのシスターさんに見つかられ、孤児院に連れていかれた。
連れていかれた孤児院はあえて言えば、子供のアイザックにトラウマになった場所だったが、ちゃんと自分の部屋はあったし、一日三食とれたから文句を言えなかった。友人的な存在はいなかったのだとしても、図書室と本はあったから満足だった。それにしても、あの地獄のような場所を考えるだに、アイザックは少しだけ震えずにはいられないが、あそこで、錬金術を教えてくれた師匠と出会ったからある程度まで連れていかれてよかった。
「おい‼ 聞いてる?」
「え?」
エリスの声に、アイザックはふっと我に返った。いつの間にか装甲馬車はある建物の前に停止していた。ここって冒険者ギルドだとアイザックは思ったが、あえてエリスから目を離さなかった。神を匹敵する存在。それが怒りに包まれている女だ。アイザックは思わず震えていた。そんな反応を見てエリスは「はぁ~」とため息をつくと、不機嫌そうに腕を組む。
「え、なんて言ったっけ?」
「やはり聞いてないわ。ったく。だから男ってバカなんだ」
「まあまあ、落ち着いてください、お姉ちゃん。アイザックさんはきっと疲れているだけです」
「本当かな。まあ、どうでもいいですけど。ほら着いたぞ。冒険者ギルド」
「ああ。……で?」
「でっじゃねぇよこの馬鹿! 旅に出るって言ったじゃない?」
「言ってたんだけど?」
「あんた身分証持ってないでしょ」
「うん、持ってないんだけど」
(……ってゆーか)
「いいか、よく聞け。他の国や迷宮都市に入る為に身分証が必要だ。もし持ってなかったら金貨十枚アンズを払わなければならない」
(アンズってこの世の通貨だな? やはり違ったんだ。さておき、金貨十枚アンズか。そりゃちょっと多くねぇ? エリスの声色からすると、それぐらいのことが分かっている。それにしても、)
「えっと、身分証を手に入れるには金を出さなきゃいけないじゃないんですか?」
アイザックが尋ねると、エリスは頷いた。
「まあ、一応だな。身分証を手に入れる為に冒険者ギルドに登録、あと銀貨二枚アンズを支払わなければならない」
「あ、そうかそうか。で?」
「だからっでっじゃねーよ」
(うわっ。襲われそう!)
「ごめんごめん。でも僕金、ないんですよ」
アイザックの言葉にエリスは微笑みかける。
「うん、知ってる」
「じゃあ、」
「だから今日、特別にあたしたちがアイザックの代わりに払ってあげる。感謝しなさいよね。二度としないからわ」
(いや、なんの真似だよそれ? ちょっと怖いからやめてくれないのかな)
アイザックは思っていたが、言わなかった。そのまま三人は馬車から降りると、ギルドの入口へと向かった。やはり時として、考えていることを口にしない方がいい。個人経験を経て、釘のように脳内に打ち込まれた真実なんだ。
◇
冒険者ギルドに入ってすぐ、目の前に酒場があった。高い窓から差し込む太陽の光が埃まみれた壁に当たって、薄く輝きだす。それでも男女問わずみんなは酒場にいて、お互いに喋りながら嬉しく酒を飲んだり、食事をとったりしている。
アイザックには妙なことだった。ずっと森の中で一人研究していたから、このような景色を見たことがない。孤児院にも、見たことがない。訝しげな顔をしながら、アイザックは思わず足を止めて、あの妙な景色をじっと見つめる。これは一体なんなんだろう? などと思いながら、妙な感情に襲われていた。
あの妙な感情が深く体内に染みこみ、直接に心臓を襲いかかるかのように広がる。そしてその一瞬にして、アイザックは圧倒的な悲しみに包まれていた。しかしその悲しみは人生のように儚くて、次の瞬間に消えていく。すると思わず足取りを止めたアイザックは再び歩き出す。
「ようこそ、迷宮都市アンブローズのギルドへ」
受付嬢が基本な挨拶をしてくる。それにエリスは軽く手を上げて挨拶を返し、
「やあ、エレナ」
お姉さんに続いて、リラも丁寧に頭を下げて挨拶を返した。
「こんにちは、エレナさん」
「あ、エリスにリラ。こんにちは。依頼はどうでしたか?」
二人ともが誰だと気づいた時、受付嬢は驚愕した顔をしたが、次の瞬間に安堵の顔に一変した。
「うん、大丈夫だった。……一応」
エリスの言葉に受付嬢は少し首を傾げるが、何か言う前に、エリスは銀貨二枚アンズをカウンターに置いて言葉を続いた。
「とにかく依頼は大成功だったから心配はいらないよ。報酬はあとで貰う」
「はい、わかりました」
「うん、ってとこで、新入りを連れてきたよ。ほら、紹介しなさい」
エリスは言うと、アイザックに目をやる。
「ああ。どうも、アイザック・クロスです」
そう言うと、アイザックは恭しく頭を下げる。すると受付嬢はほほ笑みかける。
「こんにちは、アイザックさん。私はエレナと申します。新入りさんってアイザックさんのことですね。よろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしくお願いします」
「じゃあ、せっかく新米が来たので、これからギルドの説明をしますが、それはいいですか?」
受付嬢が聞いた。それにアイザックは頷いた。
「うん、いいですよ」
「わかりました。じゃあ、ギルドってのは、基本的に依頼者の仕事を紹介してその仲介料を取る施設です。仕事はその難易度によってランク分けされているので、下級ランクの者が上級ランクの仕事を受けることはできませんが、同行者の半数が上位ランクに達していれば、下位ランクの者がいても、上位ランクの仕事を受けることができます」
「うんうん」
と、アイザックは頷く。それを見て、受付嬢は一息つくと、続いた。
「依頼を完了すればするほど、どんどん報酬がもらえるが、もし依頼に失敗した場合、違約料が発生することがありますから、よく考えて依頼を選んだ方がいいと思います。以上で説明を終わらせていただきます。わからないことがあればその都度、係の者にお尋ねください」
「ああ、わかりました」
「ではこちらの用紙に必要事項をご記入下さい」
そう言うと、受付嬢が用紙を一枚、アイザックに渡した。用紙には名前とか年齢、そういうのが載せてある。それを見てアイザックは差し出された羽根ペンを受け取って、空欄を埋めていく。
すると一分後、登録用紙を受付嬢に手渡した。
登録用紙を受け取った受付嬢は「では少々お待ちください」って言い残すと、カウンターの後ろにある部屋へと向かって入る。
そして五分後。
「ただいま、戻ってきました。これとこれを受け取ってください」
受付嬢が言うと、アイザックに真っ黒いカードと白いカードを手渡した。
「その真っ黒いカードはギルドカードで、白いカードは身分証です。なくさないように気を付けてください。特に身分証のほうです。それがないと、他の国や迷宮都市にお金を払わないと入られないですから」
「はい。わかりました」
「では以上で登録は終了です。仕事依頼はあちらのボードに添付されていますので、そちらをご確認の上、依頼受付に申請して下さい。冒険者、頑張ってくださいね」
そう言うと、受付嬢がやさしく微笑む。すると、
「じゃあ私、ちょっと用事があるからお先に……」
そんなことを言った。それにアイザックは微笑み返すと、返事をした。
「いえ、大丈夫ですよ。用事、頑張ってね」
「ありがとうございます、アイザックさん。では、私はここで」
そう言い残すと、受付嬢は踵を返し、あの部屋に戻った。
(なんの用事だろうな)
と、アイザックは思うと、深呼吸をする。
するとエリスとリラに視線を向け、これからどうすればいいと言わんばかりの顔をする。
「よかったじゃない。なぁ、リラ」
エリスはリラに聞いた。するとお姉さんの言葉を聞いてリラは頷き、言い返した。
「うん。よかったですね」
(いや、何がよかったんですか)
「さて、そろそろ行くか」
「そうですね」
(勝手に話を進むな!)
「あ、二人ともどこ行く?」
アイザックが聞くと、返事してくれたのはエリスだった。
「あんたの新しい服を買いに行くに決まってるでしょ」