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GWといえばやっぱ旅行でしょ

 時は黄金週間。


 いわゆる、GWだ。


 そして俺は今、山の中にいる。


 周りには荷物を背負った美優、鳴海、会長、そしてなぜか知らんがこの集まりを開いた元凶の猫女がいる。


 

 あー、やってらんねぇ……。なんでせっかくの連休を、アウトドアなんかに費やさなくてはいけないのだ。

 

 俺にも計画ってもんがあるのに……。


 俺はこの出来事の全ての元凶である人物を横目で見てみる。


 

「ふ~んふふふん」



 機嫌良さそうに鼻歌を歌っているこの女、北島咲こと、猫女のせいだ。


 

「あーつーいー。もうやだぁ。歩きたくない疲れた喉乾いた立ち止まりたい抱きしめたい君の瞳が眩しくてー」


「しゅ、宗? どうしたの? いきなり変な事言い出して……」



 俺の事に関しては、滅多な事がない限り引く事を知らない美優が、どん引きしている。



 なんで、こうなったのかな?


 あの時、僕が違う行動をしていれば、少しは結果が違っていたんじゃないかな。


 ああ、後悔先に立たず。


 とりあえず一言。



「帰りてぇーーー!!」



 そんな俺の悲痛な叫びは、小鳥がさえずる音にかき消された。


 とりあえずは、なんでこうなってるかの理由を、おさらいしてみようかな、うん。


 あれは確か、ゴールデンウィークに入る前のやる気が出ない学校だった。


 俺は鳴海と一緒に音楽室に移動中、三階へと繋がる階段に、あいつはいた。



「あっ、ちょうどいい所に。あんた今度の大型連休暇よね? え? 暇? だったらちょっとあたしと付き合いなさい」



 そう、猫女だ。というか、俺はなにも言っていない。


 長い黒髪を手櫛ですきながら、俺を威圧するような声で話しかけてくる。


 まあ、結論としては。ふざけるな。言ってしまえば、帰れって感じ。



「なぁ、鳴海。音楽室って何階だっけ?」



 北島の相手をするのが面倒だったため、俺は鳴海に話しかけてスルーしようとしたんだが――



「あんた、また無視する気なの……へぇ、そう。そうですか。いいのよ? 一年前の事を大声で叫んでも」


「ん? おお! 北島じゃないか。なにしてんだよ、こんな場所で。そっか、お前は二年生だっけ?」


「ふん。初めからそうしてればいいのよ、駄目男。それで? 連休は暇かしら?」



 いやー、面倒だ。なんで俺がこんな奴とどっか行かなければならんのだ。


 俺は休日は家に引きこもるって決めてるから、こんな奴とはどこにも行きたくない。



 俺がいつまで経っても返事をしないからか、猫女は鳴海に話を振る。



「坂井キャプテンはどうですか? あたしはこいつと二人きりになると、身の危険が生じるので何人かと一緒に行きたいんですけど……」



 坂井キャプテンと。鳴海がそう呼ばれたのは、サッカー部のキャプテンだからだ。


 

 そして北島はサッカー部のマネージャー。



 つーか。俺はこんな女を襲ったりしないし。そういう風に思われてるのは心外だ。


 鳴海は少し悩むような間を空けた後、口を開く。



「いや、咲ちゃんマネージャーなんだからさ、知ってるだろ? サッカー部は連休なんて関係ないんだよ」


「えー? いいじゃないですかー。キャプテンが休んでも、副キャプテンがなんとかやってくれますよ。キャプテンは少し頑張りすぎです。少し息抜き必要ですよ?」



 猫女が鳴海に敬語を使っている。うーん……サッカー部のキャプテンやってるからか?

 

 それはそうと。



「いいじゃんか、鳴海。お前も来いよ。こんな年上の尊敬出来る人間に、敬語を使わない奴と一緒にいたら、気が狂っちまう」


 北島がなんか凄く睨んできているが、それは無視の方向で。



「だから言ってるでしょ? あたしは自分より凄いものを持っている人には敬語使ってるし、尊敬出来る人にも使ってるわ」


「じゃあ、なんだ? 俺は尊敬出来ないし、凄いものも持ってないっていうのかよ」



 猫女はなんか少しだけ間を空けると、盛大に溜息をつく。俺なにかしたか?



「あんたのどこに尊敬出来る場所があるのよ。サッカーは幽霊部員だし、特に秀でてる部分もないじゃない」


「俺は脱げば凄いぞ!!」


「そんなの誰も見たくないわよ!!」


 テンションが変なのは分かってる。そっとしといて。


 俺が制服の学ランに手をかけて、一気に脱ごうとすると、北島は顔を真っ赤にして制して……いや、殴ってきた。



「み……見事なアッパーだね、咲ちゃん」



 脳が揺さぶられ、視界がぐらつく中、鳴海の恐怖に支配されているような声が耳に届く。


 結局、鳴海は一緒に来る事になった。


 おそらくは、断ったら俺のように殴られると考えたのだろうが……。まぁ、結果オーライって事でいいよね。



「よし。決まったわね。それじゃっ!」



 なんか一人で喋って勝手に帰ろうとしている自己チュー女に、俺は声をかける。



「待てよ。詳細は教えてくれないのか? なんの目的があってどこに行くのとかさ。そういうの教えてくれてもいいんじゃねぇの?」



 猫女は俺の声に反応して振り向いてきた後、一秒の間も空けずに返してくる。



「そんなのは後で教えるわ。あたしはまた人数集めにいくから。約束覚えてなさいよ。忘れたって言ったら、あの事言っちゃうからね!」


「脅迫はよくないぞ!!」



 走ってどこかに行ってしまった彼女の背中に叫んでみる。しかし効果は無し。



 代わりに、鳴海からの質問が来た。



「あの事って……一年前の事か?」


「ん。多分そんな所だろう。助けてやったのに、今はこうやって脅迫のネタにしか使われないってどういうことだろうな」



 うん。でも、人には聞かれたくない話だから、脅しのネタにはもってこいだろうけどさ。



 いい迷惑だ。あいつに関わらなきゃ良かった!


 それから俺達は音楽室へ。



 ノリにノッテ音楽を熱唱してた所、先生から、


「迷惑だから歌うな」



 とか言われたような言われなかったような……。


 あれ? なにこれ。目から温かいものが流れてきた。



 そして今は悲しい音楽の時間が終わり、昼食タイム。


 俺は美優と鳴海と一緒に机をくっつけて、コンビニで買ってきたおにぎりを食べていた。



 と、そこで。今まで忘れかけていたあの女の声が聞こえくる。


「あっ、いたいた。なによあんた! なんであんたが三年二組なのよ!?」



 猫女が教室の扉を開けて、中にドシドシと入ってくる。



「いや、そういう文句は俺じゃなくて、二組にした学校に言えよ」


「そういう問題じゃないでしょ!?」


「じゃあ、他にどんな問題があるんだよ!!」


「それは……まぁ、置いといて」


「置いとくな。今すぐ手元に戻せ」


「しつこい男は嫌われるわよ」



 ここまで言いあった所で、クラスからの視線を集めている事に気づく。


 なにやらコソコソと話している奴がいるが、なにを言っているのか想像したくもない。



「本題に入っていいかしら?」


「好きにしろよ」



 適当に答え、おにぎりにかぶりつく。やっぱりおにぎりは鮭でしょ。



「そう。じゃあ言うわよ。今度の土曜日に、神川駅前に集合。目的地は双頭山ソウトウザン。期間は三泊四日。そこで少しだけ手伝って欲しい事があるのよ」



 双頭山……双頭山……なんか悪い思い出が蘇ってくるんだが……。



「俺は行かないっていう方針でいいよな?」


「あら、じゃあバラされてもいいのね。昔あんたがあたしにした事を……」


「そうやって脅すのは良くないぞ、猫女が」



 大体、あれは助けてあげただけで、別になにもやましい事はしていないはずなのだが……。


 俺がぶつぶつ言いながら溜息を吐いていると、鳴海が北島に話しかける。



「それで、咲ちゃん。俺と新藤は行くの決定として、他には誰が来るんだ?」


「ああ、それなら問題無しですよ、キャプテン。さっき大城会長を誘いましたから」



 ふーん。会長を誘ったんだ。よくあの幼女会長が承諾したな。休日はなんか、ボランティア活動でもしてそうな感じだったけど。



「あ、それと今からもう一人だけ追加する予定ですよ」


 猫女はそう言いながら俺の横に移動すると、隣にいる美優に話しかけた。



「どうです? 美優先輩。旅行ですよ、旅行」


「えっ、僕も行って良いの? うん、絶対に行くよ、さっちゃん」



 ん? さっちゃん? あだ名か? 美優と猫女はそんなに仲良かったのか?


 つーかよ。旅行なんて名ばかりじゃねぇか、あそこは。


 俺は過去に一回だけ北島に連れられて(強制)行った事があるけど、あれは酷かった。


 

 あそこから帰ってくる時に、絶対にもう来ないって心に決めたもん。



「よし、これで人数が揃ったわ。行くのはあたしと、軟弱幽霊部員野郎……」


「取り消せ、その言葉」


「それとキャプテン、大城会長、そして美優先輩の五人。ちゃんと来て下さいよー」



 暴力口悪性悪猫女は、走って教室から飛び出していく。


 姿が見えなくなった所で、誰かとぶつかったのか小さな悲鳴みたいな声が聞こえてきた。



「どこに目ぇ付けてんだよ!」


「は? あんたなに言ってんの? 目なんて、顔の正面に付いてるじゃない。あんた馬鹿?」


「なんだとワレェ!!」


「うわっ、ワレェとか古い。顔がおかしいから、頭も変になってるのね、可哀想に」


「う、うわぁぁあぁぁぁぁん!! ママァァァァ!!」



 どうやら今の声の主は、森和重だったみたいだ。相変わらず、下級生には強気なんだな。



「あっ、ちょっと待ちなさい!! まだ話は終わってないわよ! このハニワ顔!!」


「ウワァァァァァァァァン!!」



 ふぅ……ダメガネも可哀想に。


「咲ちゃんって、結構口悪いんだな」


「なにを今更。あいつの口の悪さは、一年前からなんにも変わってないだろう?」



 鳴海が少し変な事を言っていたので、俺は訂正してみた。だがしかし、悪友は少し首を捻って唸った後。



「俺の前……というより、サッカー部のマネージャーやってる時は、礼儀正しいんだけどなー」


「そりゃあ、あれだ。猫被ってるんだ。猫女なだけに」


「上手くないぞー」



 鳴海が大げさに溜息を吐きだしながら、駄目だこいつ……みたいな視線を送ってくる。


 その後はなにも起こらないで、土曜日になって駅に集合して列車に乗って双頭山の近くにきて、今、その山を登っている所だ。



 ふぅー。この山を登って頂上に行ったら、また変な目に遭うのかねー。


 まあ、この場合は男――つまりは俺と鳴海だけが大変な目に遭うわけだが。


 本当に帰りたい。もう嫌だー。



 ザクッザクッと、大地を踏みしめる音が響き、頭上では小鳥が機嫌良さそうにさえずっている。



 そんな穏やかな雰囲気にはとても似合わないであろう、どんより感をだしているのは俺である。


 美優はそんな俺を不審そうな目で見てきていたが、やがて我慢出来なくなったのか、横来る。



「ねぇ~、宗? なんか疲れたから、おんぶして~」


「はぁー。お前は神川の森に行った時も、そんな事を言ってたよな。おんぶはしてあげないが、その重そうな荷物くらいは持ってやるよ」



 俺は美優が背負っている、旅行かばんらしきバカでかいバッグを指差す。


 と、美優はなにを勘違いしたのか、頬を赤くしながら。



「えっ? この中に入っている僕の下着が見たいって? もう……駄目だよ~。みんなの前でそんな事言っちゃ~」


「もう、あれだ。お前は一回、耳鼻科に行って、そのなんの役にも立ってない飾りを診てもらえ」



「ぬぬぬ。新藤宗太にはそんな趣味があったとは……軽く引くのじゃ」


「誰も変な趣味あるなんて言ってないよね。会長も一緒に耳鼻科行けよ」


 雑談をしながら登っていく。途中で、名誉ある荷物持ち係りとして鳴海が選ばれたため、俺は今手ぶらだ。



「くっそー。次の地点まで行ったら、荷物係交代だからな、新藤」



 鳴海は右肩に俺の青いエナメルバッグ。左肩に自分の黒いエナメルバッグ。



 首にかけて前に持って行っている美優のでかい旅行かばん。背中には猫女のかばん。そして頭の上に器用に乗せている会長のかばんを持っている。



「いやー、それは承諾しかねるな。だってさ、荷物持ち係りって、かなり名誉あるじゃん。もう、お前にしか出来ない仕事だぜ」



 グッ、と。鳴海に笑顔でサムズアップをしてみる。


 おいおいおいおい。そんなに恨めしげな目で見てくるなよ。照れるだろ。



 俺が鳴海の目をみずに、あさっての方向をみていると、俺の後ろを歩いていた会長が声を出す。



「ふむ。坂井鳴海よ。お主はなにがそんなに荷物持ちが嫌なのじゃ?」


「え? だっておかしいだろ? なんで俺が皆の分を持たなきゃいけないんだよ」


「うーむ。お主は一つだけ大事な事を忘れているようじゃな」


「大事な事?」



 荷物持ち係りは頭の上にかばんを乗せたまま器用に首を傾げる。


 気持ち悪いと思った。



「うむ、それはの、お主には良い訓練になる事じゃ。そうやって頭の上にかばんを乗せる事により、バランス感覚を。至る所に重さが違うかばんをかけているので、更にその効果は倍増じゃろう。サッカーには必要な感覚なのじゃろう?」



 会長の有りがたいお言葉を受け取った鳴海は、なぜか知らんがぶるぶると震え始めた後。


「そ、そうか。そういう事だったのか! なるほど。だから新藤は、『全員の荷物持たなきゃあの世に送る』とか言ってまで、俺に持たせたんだな!?」


「ん? あー……うん。そう言う事。俺の気持ちが伝わったかい?」


「おう! ありがとな新藤。おかげで良い訓練ができそうだ!」



 なんか凄くはしゃぎ出した鳴海を見ていると、こういうのを馬鹿って言うんだろうな、とか思ってしまう。


 急な坂道を登りきると、平坦な土地が現れた。


 そこだけ木々が切り取られ、なんかヤマンバが住んでいそうな程、古い木造二階建ての家がポツンと建っている。



「あっ、ね~、さっちゃん。あれが目的地なの?」


 俺の前を歩いていた美優が、いつもより少し高い声で聞く。なにを興奮してるんだか。


 俺と鳴海は、今から地獄の三日間を過ごすって言うのにね。まっ、女性陣には関係のない事だけど。



「ええ、そうですよ。あそこが目的地です。……ちょっと、そこの奴隷。速く扉開けなさいよ」


「奴隷? そんな奴がどこにいるんだ?」



 俺は周りをわざとらしく見る。たぶん、というか絶対にあの言葉は俺の事を指しているんだろうけど、猫女にそんな命令される筋合いがない。



 大体。あそこの扉を横にスライドしたら、俺の絶叫が響き渡るだろう。


 去年もそうだった。


 そしてその横では、大爆笑していた北島がいた事を俺は忘れない。



「二人とも、なんで睨み合ってるの~? 僕が開けちゃうけど、いいのかな?」


「それはやめとけ美優」



 俺は火花が出るんじゃねぇのっていうくらいに睨み合いをしていたが、美優の言葉と同時に近寄って肩を何度も揺さぶる。



「そこを開けたら(俺と鳴海が)地獄を見る事になるぞ!! それでもいいのかよ!? (俺と鳴海の)命をもっと大事にしろよ!!」


 俺はどっかのテニスプレイヤーよりも熱くなり、必死に命を懸けた交渉をしていた。


 もうすでに美優は目を回ししているのだろう。首をガクンガクンと揺れるがままになっている。


 だがしかし!! 俺の頑張りは無駄に終わった。



 幼女会長が山姥が住んでいそうというより絶対に住んでいる家の扉を開けてしまったのだ。



「ぬぉぉ!! なんなのじゃ、これはー!?」


 

 会長の叫びが、森中に響き渡り小鳥が逃げて行く。


「あっ、なんで大城会長が開けちゃうんですー」



 猫女が不満げにそう言うと、家の扉を開けたままの状態で固まっている会長は、



「む、虫が一杯おる……」



 と、今にも泣きそうな声を出す。それを聞いた俺は軽く溜息を吐いてしまった。


 またか。


 またあそこの家の主は、虫集めしているのか。



「大城会長の驚き方も結構面白いけど、やっぱりあんたの方が面白かったわね。あの今にも失神しそうな顔。思い出すだけで三日は笑えるわ」


「忘れろ、そんな昔の事」



 俺は、虫が大嫌いだ。


 いや、その辺を歩いているアリぐらいなら、大丈夫なのだが。



 ムカデ、蛾、大きなクモ、足が長いクモ、そしてセミ。とにかく、そういうのが大嫌いだ。


 見てるだけで鳥肌が立ち、間違って触ってしまえば間違いなく失神する。



 そして、あの家。


 あの家には――


「なにを考え込んでいるんだよ、新藤。早く家に入らなきゃ、なにも始まらないぞ?」


「いや、俺はいい。遠慮しておくよ。会長の反応を見て、俺は野宿する事に決めたから……」


「なんだよ、あの中にいるのは虫だろ? そのくらい大丈夫だろ」



 なにも知らずにそんな事を言ってくる鳴海。俺は横にいた彼の肩を掴むと、上下に激しく揺すぶる。


 ガクンガクンと、ムチウチになってもおかしくないほど鳴海の頭は揺れ、先ほどの美優のように目を回している。



「だったら! お前が確認してこいよ!! 俺はここから一歩も動かずに見守っているから!!」


 一年前の事を思い出し、若干泣きそうになりながら俺は何度も叫ぶ。


「ほ、ホントだな!? 絶対に動かないでそこで見守ってろよ!!」



 鳴海はそんな気持ち悪い事を言いながら、呆然と立っている会長の横に移動して隙間から中を覗き見る。




「……気持ち悪いな」


「だろ?」



 数秒して戻ってきた鳴海は、顔面蒼白。

 なんかもう、どっかの世界に逝っているんじゃなかろうかとか思うほどに、うつろな目で俺を見てくる。


 

「ねぇねぇ、宗。あの家になにがあるの?」


 美優が首を傾げながら俺の前に移動してくる。


 後ろで手を組んで、若干前かがみになっているわけだが、太陽に照らされているからなのかいつもより……いや、やっぱなんでもない。



「気になるなら、今すぐに確認しに行けばいいだろ? どうせ、女性陣はあそこで寝泊まりするんだから」


「そっか。なら、見に行ってみるね~」



 美優が家の中を覗こうとすると、北島が彼女の肩を掴んでそれを制した。なんか、首を振って見るなと意思表示をしているのだが……。


 

 美優はその対応に不満げに頬を膨らませ、猫女を出し抜いて中を見ようと挑戦してみた。


 が、それは無駄ボーン(←古い?)に終わる。北島が美優の小さな体を後ろから羽交い絞めにして、俺達の方に引きずってきたからだ。



「あんたなにやってんのよ。美優先輩にあんなの見せたら、卒倒するに決まってるじゃない」


「なんだよ。女性陣はあそこで寝るんだろ? だったら、いつかは見る事になるじゃないか」



 猫女は少しだけ意味が分からないという顔をした後。



「ああ、去年はそうだったけど。今年は違うわよ。今回、あそこで寝るのは男よ。あたし達、か弱い女の子はあの小屋の裏側にある新しく造られた家よ」



 …………………なんですと?


 

「美優と会長は良いとして、お前は外で寝ろよ猫女。そして、空いた場所で俺がゆっくりと寝かせてもらうから」


「それはもしかしなくても喧嘩売ってるわよね?」



 猫女は額に青筋を浮かべ、胸の前に拳を作りぷるぷると震え始める。


 俺がなにか言おうとした時、猫女に羽交い絞めにされたままの美優が口を挟んでくる。



「え~? 僕と宗は寝る場所が違うの? そんなのつまんないよ~]


 じたばたと暴れ始めた彼女の体を必死に押さえながら、北島は美優を上から見るようにして、



「駄目ですよ、美優先輩。この男は野獣です。一緒のベッドなんかで寝たら、なにをされるか分かりませんよ」



 美優はいつものように俺の布団に入ってきてるが、自分はなにもしていないと断じて言える。


 

「あたしも一年前に酷い目に遭いましたからね。この男はそういうのに興味ない振りをして、隙あらば幼女から熟女まで襲いかかる変態なんですよ」


「……とりあえず、美優を離せ。それからゆっくりと話し合おうか」


「な、なによ。そんな事言ってどこに連れ込む気!? あーやだやだ! 汚らわしい。そこら辺でボロ雑巾のように伸びてなさい!! さっ、美優先輩。早く家の中に入っちゃいましょう。ここにいたら、なにされるか分かりませんよ」



 美優を引きずってどこかに行こうとする妄想女の背中に向かって、俺は叫ぶ。



「俺はな。例え世界でお前と二人きりになっても、絶対に襲わないって神に誓えゴフッ!」


 いきなり飛んできた石が、俺の腹に命中する。


 や、やるじゃないか、猫女……。まさかノーモーションで石を投げつけてくるとは。恐るべし。


 痛みのあまり、体をくの字に曲げながら俺は地面に倒れこむ。



「僕は宗と一緒がいいの~! さっちゃん離して~」


「駄目ですよ。大城会長も行きますよ」


「ちょっと待つのじゃ、北島咲。お主は少し急ぎ過ぎじゃ」



 北島に羽交い絞めにされたまま連れて行かれる美優と、その後についていく会長。


 それが霞む視界で捉えたものだった。



「そして、俺は死んだ」


「なにを言ってるんだよ。頭大丈夫か?」



 今まで空気になっていた鳴海が、サラッと傷つく事を言う。



「さて、と。新藤。さっさとあの家に入ろうぜ。確かに虫が一杯だけどさ、野宿よりはマシだろ?」


「い、嫌だ。あんな中で寝るぐらいなら、俺は喜んで外で寝る」



 鳴海は呆れたように溜息を吐いたあと、


「まぁ、お前がそれで良いっていうんなら、俺はなにも言わないけどさ。でも……」



「でも、なんだよ。もったいつけるな」


「いやー。なんかこの辺さ、周りは木だろ? だから色んな夜行性の虫がいるんじゃないかなー、と思って」


 にやにやと。気味の悪い笑みを浮かべながら、鳴海は周りを見る。


 俺もそれにつられて見てみると。なんかもの凄く不安になってくる。


 この家の半径十メートル程は全く木がない。切株はあるけどね。


 しかしその先。なんかもう、未確認生命物体でもうじゃうじゃいそうじゃね? 的な感じの森が広がっている。


 この中にならツチノコもいそうだ。後で掘ってみようか。



「で? どうする新藤。ここで野宿して虫に食われるか」


「食われるの!?」


「それともあの家に入ってヤマンバに食われるか」


「どっちにしても食われるじゃん!!」



 結局、結果は同じらしい。


 違うのはその過程か。


 一つは研ぎに研がれた包丁で四肢を切断されてスープの材料にされるか。


 生きたまま虫に食われるか。


 ……うえぇ。どっちにしても嫌だお。


 

 最悪の結果を頭を思い浮かべた後、必死に脳を働かせていた俺の頭の上に電球が浮かんだ。


 俺は精一杯に笑みを浮かべながら、



「なんで二択だけなんだよ鳴海。あるじゃないか三択目が。それは、女子の家に混ぜてもらう事だ!」


「……咲ちゃんにぼこぼこにされてもいいのなら、俺はなにも言わないが」


 なんだかんだ言いながらも、鳴海は俺の後に着いてきている。

 

 やっぱり、あの家で寝るのが嫌なのだろう。


 

 恐怖の家の裏側に猫女が言っていた家があった。


 それは、家というよりは小屋に近いもの。


 それこそ日本昔話にでてくるような小さな小屋なのだが、造りは木でなくコンクリートだ。


 ……こんな大自然の中にその雰囲気をぶち壊しにする建物があるってどうよ。


 なんかもう、見る人が見たら『空気読もうぜー』とか言いだしそうな感じだ。


 それに、その建物は異様に新しい。コンクリートの壁にヒビすら無い。


 そして窓から漏れてくる白い光が、この暗闇を切り裂いていた。


 

「新藤新藤新藤新藤新藤新藤」


「そんなに名前を連呼するな。で? なにかあるのか?」



 俺がその建物に向かって一歩踏み出した時だった。鳴海が壊れかけのラジオみたいに話しかけてくる。



「あの中にはさ、……その、なんというか……」


「なんだよ、らしくねぇなぁ。ちゃんと言いたい事を言っちまえよ」


「相崎……がいるわけだよな?」


「ん? まあ、いるだろうな。それがどうかしたか?」



 鳴海は挙動不審にうろうろ目線きょろきょろさせた後、


「いや、俺さ。実は……いや、やっぱなんでもねぇ。」


「ああ、美優の事が好きなんだっけ?」


「ぶふぉっ!? は、はぁ!? いきなりなに言ってんだお前。ばばっばば馬鹿じゃねぇNO!!」



 分かりやすい奴め。かぁいいかぁいい。


「いや、だってさ。この前お前言ってたじゃん。美優を狙うって。」



 俺はこの前鳴海と帰った時の事を思い出していた。確かにあの時、こいつはそう言ったはずなのだが、全然行動に出ないから不思議に思っていたんだが。


 男同士で恋ばなに華を咲かせていても気持ち悪いだけなので、俺はさっさと歩いて女子がいる家に向かう。


 鳴海は俺の後ろで「うーうー」言いながら着いてきているが、それはそれで気持ち悪かった。



 そして到着。


 俺は早速家の扉を開けようとして、ドアノブに手をかけた。


 しかしここで、中の会話が聞こえてきた。


 べ、別に盗み聞きなんてする気なんてミジンコ一匹分も無かったんだが、聞こえてしまったのなら気になるというなんとも人間らしい感情が出てきたせいで俺はなんとなく聞いてしまうというものでして……。



 そんな事はさておき、壁に耳をつけて女子達の魅惑の会話に意識を向ける。



「おーい、新藤。お前になにやってんだよ」


「ばーか。こうやったら、お前の事を美優がどう思ってるか知るチャンスになるかもしれないだろ?」


 鳴海の方を見ずに適当に答えた。


 俺の意識はもう部屋の中に侵入している。変態とか言うな。周知の事実だから。



「なんで美優先輩は、あんな変態の事が好きなんですか?」



 きた!! いきなりの核心だ。その対象が鳴海じゃないからなのか、横で落ち込んでいる奴がいるが無視の方向で。



 俺も昔から気になっていた部分なんだ。


 なんで、美優が俺の事を好きなのか。ただ単に、幼なじみってだけで好かれる要素なんてないんだから。


 俺は目をギラギラ、耳を壁に食い込ませる程の勢いでくっつけて美優の言葉を待った。


 しかし中々、美優は言葉を発しない。言いたくないのかな? 特に理由はないとか……いや、そんなんで人の事を好きになるなんてないか。



「う~ん……えへへ~やっぱり、僕だけのひ・み・つ」



 少しの間、悩むような間を開けていた美優は少し照れているような声で答える。


 うー……聞けないのかー。ちょっと残念。理由くらいは知っておきたいんだよな。


 だって俺、特になにかに秀でてる訳ではないし、顔なんかゴリラとメガネとキムタクを足して全部引いたようなもんだし。


 運動だって。まぁ、理由はあるにしても幽霊部員である事は変わりない。


 

 なんで美優は俺なんかの事を好きなんだろうか。あー、モヤモヤする!



「なんだ、やっぱり相崎は新藤しか眼中にないのか……」


 横でがっかりしているような声を出す鳴海。今の俺はフォローする気にならない。


 変わりにこの言葉を言ってみる。



「美優以外にも会長と猫女がいるだろ。特に猫女なんか、鳴海の事気に入っているみたいだし。アタックしてみたらどうだ?」


「新藤。お前は本当になにも分かってない!! 俺はある特定の男にだけ冷たく接する女の子や、言葉遣いがなんか古い幼女には興味なし! 俺は自分に甘えてくる子が大好きなんだ! だってそうだろ!! 甘えてきてくれたら色んな事し放題じゃないかぁぁぁぁぁ! それをお前は、お前はぁぁぁぁぁ!!」



「黙れ」


「……はい、すいません」



 少しでも別の道を示唆した俺がバカだった。


 もう聞きたい話題がないので、俺はドアノブに置いていた手に力を込めて回す。


 そして一気に開いた。



 ここで確認しよう。


 この家は、日本昔話に出てくるような小屋を、コンクリート造りにしたようなものだ。


 故に、扉を開くとそこに寝室と居間が一緒になっている部屋があるだけ。


 そして俺は今、玄関の扉を開けた。


 視線の先に広がるのは、桃源郷だった。



 おそらく、この辺にあるはずの天然の温泉に行くつもりだったのだろう。


 それぞれのサイズにあった浴衣が、各々の足もとに落ちている。


 そして。


 みんなはそれに着替えようとしていたようだ。


 なにを言いたいかというと。素っ裸。とまではいかないが、下着姿の女子がそこにいた。


 美優は調度、上の服を脱ごうとしていたらしく、シャツの裾を持ち上げ、白いふりふりがついているブラの上にまで持ってきている状態で固まっていた。



 会長は、可愛い動物のバッグプリントが描かれている下着を脱ごうとしている状態で、片足を少しだけ浮かせたまま首を少しだけ後ろに回して俺を凝視している。


 そして、猫女。



 この中で一番スタイルが良いだろう彼女は、白い肌とは対照的な黒い大人っぽいブラのフックに手をかけ、今まさに外さんとしている状態。


 いや。少しだけ、あれが見えている。


 とりあえず、俺が今言う事は。



「ごっつぁんです!!」


 その瞬間。


「宗が覗きした~。やっと僕に興味もったんだね~!」


「新藤宗太!! 覗きは良くないと思うぞ!! というか、後で覚えておれぇぇぇ!!」


「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」


 歓喜の声。怒声。叫び声。それぞれが降りかかってくる。


 そして。俺は今、冷たい地面に正座をさせられている。


 左頬には紅葉が。右目の辺りには青痣が。そして腰には美優がひっついている。



「なんつーか……すいませんでした!!」



 小さなプライドなんて捨ててやる! そう思い勢いに任せて土下座をしようとしたのだが、小さな幼なじみが腰にくっついているので、それは不完全な状態になった。


 まるで、皇帝にひざまづく部下が、正座の格好をしているような感じだ。



「お主。オナゴの着替えシーンを見といてゴメンで済むと思うのなら、全世界の覗き魔に謝って来るがよい!!」



 変態さん、ごめんなさい。


 今から変態になる人にもごめんなさい。僕は醜い豚です。本当にごめんなさい。



「あ、あんたね、あたしの、むむむむ……ねを見たんだから、少しはなんか言ったらどうなの?」


 

 猫女は、浴衣を着ている胸の前で腕を組んで俺を蔑んでくる。



『あんたなんて豚よ!! 宗太じゃなくて豚よ!!』


 俺にはこう聞こえたんだ。


 これは、期待通りににしなくては……。



「ぶひー」


「喧嘩、売ってるのかしら?」



 なんか、火に油を二リットル程ぶちまけてしまったらしい。


 なにがいけなかった。


 俺はチロッと横を見てみる。


 少し離れた位置にいる鳴海が腹を抱えて、もう片方の手を拳骨にして口に突っ込み笑いをこらえている。


 殺してやりたくなった。



「なんか言ったらどうなのよ!!」


「ぶひー」


「……あの世に送るわよ?」


「ぶひぶひぶぶぶぶひーぶひっ(勘弁して下さい)」


 悲しいかな。なんで俺がこんな事をしなくてならないのだ。


 豚になっているのも飽きたので、俺は目の前で仁王立ちしている二人に視線を送る。


 会長は怒っていて顔を真っ赤にしている。これはなにを言ってもすぐに返されるだろう。


 だからここは会長は無視して……チビッ子会長とは別の意味で真っ赤になっている猫女から攻略しようか。


 いや、なんかもう面倒だとか、疲れたとか、反省しているとか色々あるのだが。


 解放してもらいたい一番の理由は、足がメッチャ痺れている事だ。


 

 正座なんて余りしないもんだから、今は現在進行形で電気ショックを喰らってんじゃねぇかってくらいビリビリしててこのままじゃ、鳴海に八つ当たりして股間に電気ショックの刑を与えそうって言うのが一番の理由だ。



 俺は彼女を攻略する情報が欲しいので、ジッと見つめる。


「な、なによ」


「いや、別に」


 猫女は怪訝な顔をしていながらも、その色はリンゴのように真っ赤だ。


 猫女の目から視線を外し、体を舐めまわすように――というのはもちろん嘘だが――見てみる。



 淡い藤色の無地の浴衣。とてもシンプル故にそこが良い。


 そして猫女は胸の前で腕を組んでいる。これは捉えようによっては、隠している、という風にも感じられた。


 そして、真っ赤な顔。さっきの『むむむ……ねを見たんだからなにか言ったらどうなのよ!』とかいう言葉。



 それぞれのピースが頭の中で繋がり、俺に一つの答えを導かせた。

 

 いいね。これで猫女をなんとか出来そうだ。


 俺はゆっくりと立ち上がろうとしたのだが、怪鳥……もとい会長の睨みによりあえなく撃沈。



 そこで仕方がなく正座し直し、猫女を見上げる。


 なぜだか恥ずかしそうにモジモジし始めたので、痺れる足をちょっとだけ動かし、彼女の下に移動する。



 そして、必殺上目遣い攻撃!


「なによ!」


 その怒鳴り声に、もちろん演技だが肩を大きく震わせ、顔を俯かせる。


 そして地面を軽くこすって指に付着させた砂を、涙を拭く振りをしながら目につける。


 痛い痛い痛い!!


 やっべーって。これマジで痛い!! 目に刺激物入れるもんじゃねぇよ……。


 くっ。しかしこれで本当に涙が出てくる。それに支払った代償は等価交換じゃ済まされないが。


「うっ……ぐすっ……ひっく」



 少し演技が下手かもしれないが、これで通じる気がする。


「え? な、なに泣いてんのよ」



 北島の焦っているような声が頭上から降ってくる。



「だって……だって……」


「だって……じゃ分からないわよ!」



 ここまで来たらもう一押し。俺は二の腕の辺りを目に押し当て、これまで以上に号泣する振りをする。


 と、その時。俺の腰にひっついていた美優が俺にしか聞こえないような小声で、



「宗って、演技上手いね~」


「バレてたか。このまま演技させてくれよ」


「うん」


 腕で目と口を覆い隠しているので、目の前の怒れる二人組にはバレてないだろう。


「ねぇ、ちょっと。……いつまで泣いてんのよ」


 北島が耐えきれなくなったのか、そう聞いてきた。ここで最後の言葉を言えば、俺の勝ちだ!



「だって……」


「騙されるでない、北島咲。こやつのは嘘泣きじゃ。みえみえじゃぞ?」


「え? え? そうなんですか?」



 ちっ、さすが会長だぜ。俺のパーフェクトかつビュールフォーな演技を看破するとは。



「ほれ、どうした。もうネタ切れか?」


 会長が俺に近づいてきて、首の根っこを掴もうとする。その手を簡単に払いながら、ゆっくりと立ち上がる。



 痺れている足で立ち上がったせいでかなりふらふらしているが、なんとかなるだろう……だろう。


 俺は今まで以上に頭をフル回転させ、この状況を乗り切る策を考えた。


 考えろ、考えろ。さっきまでの北島の行動からなにが的確なのかを。



 会長にはなにをしても見破られるだろうから、ここは無視しておくのが一番か……?


 いや、無視してたら、今みたいに邪魔される可能性が上がるだけだ。


 ……だったら。



「……ああっ」


 左手で顔を押さえながら俺はふらっと地面に後ろの倒れこむ。

 

 ドサッという音がして、青空が見えるようになったら、すぐ近くには美優の顔が。


 これが狙いだ!


 俺は小声アンド唇をあまり動かさずに、


「美優、会長をなんとかしてくれ。後でなにかお礼するから」


「え? ……なんでもいいの?」


「え、えっちぃものは駄目なんだからね」


「……むぅ……まぁ、いっか。僕に任せなさーい」


 美優は俺の傍から立ち上がり、仁王立ちしている会長に近づく。


 そして後ろ手を組んで、少しだけ前屈みになった。


「ねぇねぇ、凛ちゃん。あっちに、変な人がいたんだけどさ、温泉に入っている人を覗きに来た悪い人かもしれないよ? 退治してきてくれないかな~?」


 美優は俺に背中を向けているために、表情を読み取る事は出来ないが、声から判断するに笑っているのだろうか。



「むむ。変質者じゃと? それはいかん! 乙女の敵なのじゃ。どっちの方向におった?」


「あっちあっち。僕が途中まで案内するよ」


 美優が会長の手を取り、小屋の後ろ側に行くように移動し始めた。


 ナイスだ美優。後でなにかお礼してやるからな!



 さて、残るのは猫女だけだ。今のこいつだけなら、解放するように仕向けるのはさほど難しくない。


 俺は痺れが段々なくなってきた足を動かし、ゆっくりと立ち上がる。


 そして北島を見てみる。彼女は会長と言う最大の味方が消えた事により、酷くうろたえているようだ。


 視線をせわしなく移動させ、胸の前で組んだ腕を何回も組み替える。


 これで変な説教から解放されるぜ。



「北島」


「な、なによ」


 猫女は少し肩をびくつかせながら、しかし今まで以上に高圧的な態度を取ってくる。


 無理に強がっている態度を見るのは楽しいのう。


 俺は少し照れを隠すような笑みを浮かべながら、



「その、さっきはすまなかった。今はとても反省している。だから、許してくれ」


 的確な角度で頭を下げる。



 ここで少し間が空いた。俺がなにも反省していないと感づかれたのだろうか。いや、ここは猫女が悩んでいるというふうに考えるんだ。



 少しの間を空け、猫女はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「い、いいわよ別に。あたしも悪ノリしすぎたわ」


 かかった!! 計画通り。


 顔を勢いよく上げてみると、そっぽを向きながら、顔を赤くしている北島がいた。


 しかし、まだ終わってない。これが最後の止めだ!



「ありがとう北島。お前、可愛いな」


 なるべく照れているような笑みを心がけながら、俺は言う。


「は? ふぇ? えぇ? な、なに言ってんのよ!? あんたらしくないわよ」


 顔を真っ赤にしながらもう抗議をしてくる。しかしいつもの迫力がない。歯の抜けたワニみたいだ。


 なんか予想以上に照れ始めたのが面白いので、少しからかってみる事にする。



「冗談じゃねぇよ。お前は朝に鏡を見ないのか?」


「それはもちろん見るわよ。顔洗った後とかに……」


「そうか。じゃあ、お前は世界で一番の幸せ者だな」



 俺は猫女に顔を近づける。彼女の顔はリンゴ以上に真っ赤になった。やっぱりこんな反応を示すのが面白すぎる。


 なるべく黒い笑みが表に出ないように心がけながら、


「だってさ、世界で一番可愛い顔を、世界で一番最初に見れるんだろ?」


 ボンッ! 猫女の頭から輪っか状の湯気が立ち上った音だった。



「な……はぁ? あぅ」


 なにを言いたいのか誠に不明だが、口をパクパクとさせて後ずさりしている姿は中々だった。やはり、この手の話題にはウブらしい。


「と、まあ。冗談はこの辺でさておき」


 いきなり、なんか冷めた。なんか猫女が慌てふためく姿を見てても、楽しくなくなった。


 ここまでからかっておいて、冷めたのはなぜだろうか。


 いや、理由は分かってる。


 冷めた。というのは、文字通り体が。という意味。


 楽しくなくなったのは、猫女の後方十メートル程先にあいつを見つけたから。


 あかん。これはあかんって。


 だって、あれって――。


 細長い体に、何本もの短い足。地面を這って進むその姿は何度見ても気持ち悪いの一言に限る。


 そいつは、俺の地方ではゲジゲジと呼ばれている虫だ。ムカデに良く似た容姿をしている。


 ムカデの体が細いバージョンを想像してもらえば分かる通り、気持ち悪い。さらには触覚のようなものが二本あるので、俺は大っ嫌いだ!!



「? いきなり固まってどうしたのよ」


 猫女の声が聞こえてきたが、ここは絶対に無視だ。もし話そうと思えば、悲鳴しか出ない気がする。


 ゾワッ、と体中に鳥肌が立つ。雑草に隠れているとはいえ、なおかつかなり小さいとは言え、俺にはその姿ははっきりと見えているのだ。


 よく嫌いなものがはっきりと見える時があるが、今はまさしくその状態。


 そして、それが段々と近づいてきているのだ。


 なにか俺に文句でもあるのだろうか。いや、あるのでしょうか。


 ないよね。嘘だよね。来ないでよ! こっちに来ないでよ! そんな無数の足を一生懸命に動かしながら、俺の方に向かって来るなぁー!!



「いやぁぁぁぁ!!」


「あっ、ちょっと。どこに行くのよ!」


 なんかあれが飛びかかって来るように思われたので、俺はそこから逃亡を開始した。


 だってだってだってだってだってだってだって。恐いじゃん。俺、虫は大嫌いやねん!!


「……迷った」



 太陽は有酸素運動を終えた直後で体温がかなり上がっているのか、春にしては厳しい日差しが肌に突き刺さる。


 そんな中、俺は猫女と一緒にどこかも分からない森の中を歩いていた。



「全く、あんたが暴走したせいで、あたしまで迷っちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!」


「すまない。いやでもしかし。……なんで俺はここにいるのだろうか。つーか、なんで俺はこんなにも汗だくなんだ?」



 肌に吸い付くようにへばりついてきているシャツをパタパタさせて、蒸気を逃がそうと試みる。


 しかしそれは逆効果だったようだ。体から発せられているムワンとした暑苦しい空気が、顔に直撃しただけ。落ち込むわ。


 ゲジゲジが俺の方に向かってきた時までの記憶しかない。



 気付いたら、猫女にマウントポジションをとられていて、犯されるとか叫んでた所だった。


 もちろん、その後は往復ビンタならぬ往復パンチをちょうだいしたが……。



「なに、あんたは本当に記憶がないの? おめでたい頭ね」


 猫女は呆れたような視線を俺に送ってきた後、軽く溜息をつき、



「なんかあんた、虫恐い虫恐い虫恐い呟きながら森中、走りまわってたのよ。で、あたしがなんとかしようと思って追いかけてたの。鳴海キャプテンも一緒に捜してくれてたけど、途中ではぐれちゃったのよ。まったく、いい迷惑だわ」



 ふん、と鼻を鳴らしながらそっぽを向いた彼女。


 なるほどね……つまり俺は無意識状態の中、虫から逃げ続けていた訳か。ふむふむ。ここまでくると国宝級だな、俺の虫嫌いは。



 空を見上げる。憎らしいほどにどこまでも青い空が、俺に微笑みかけてくれた気がした。

 

 小鳥のさえずり、涼風が通り過ぎていき草を揺らす音。心地の良いメロディーだ。うん。



「一人で頷いてないで、なにか打開策考えなさいよ。あたしは、帰り道分からないわよ」


 俺に背を向けてあちこちをみている北島。その長く綺麗な黒髪に白い糸――蜘蛛の巣のようなものが引っ掛かっていた。


 俺があれから逃げ回っている時に、懸命に追いかけてきてくれたのだろう。これは感謝の言葉を言わなくては。


 いや、でもなぁ……なんか恥ずかしい。いつも口を開けば喧嘩ばかりしているような俺たちだ。


 なのに、ねぇ? 謝るなんて柄じゃない気もするし、なんか気まずくなる可能性もあるじゃん?


 だからここはどうすべきなのだろうか。俺は近くにあった棒を拾って、目の前に群がっている雑草を一掴み引き抜き、茶色い地肌を露出させる。


 なんかやらしい表現になってしまったが、地面なんかに欲情はしない。断じて。絶対に。


 その事は置いといて、俺は地面に文字を書く。


 問題は、猫女に謝るかどうか。



 1.普通に謝る。


 2.勢いに任せて謝る。


 3.ツンデレみたいな感じで謝る。


 4.クーデレっぽく謝る。


 5.とりあえず押し倒す。



 さて、どれがいいだろうか。


 じゃあ、まずは②番からいってみようかな。①番はなんだかもうね、普通すぎてあれだし、ツンデレはよく分からんし。


 と言う事で早速やってみましょうか。



「北島!!」


 俺は颯爽と春の風にも負けないくらいの速さと爽やかさで彼女に近づく。


 そして、俺のいきなりの大声に驚き、肩を震わせてから振り返った猫女に、甘味料にも負けないくらい甘い宗太スマイルを送る。



「な、なによ」



 普段見せない俺の爽やかさに面食らったのか、蜘蛛の巣女は不思議そうに首を傾げた。



「ごみぇんなちゃい!! ……ごめん、もう一回だけチャンスちょうだい……」

 

「ぷっ……べ、別にいいわよ」



 手で口を覆い隠し、体を捩らせながらもなんとか笑いを堪えようとしている北島を見ないようにして、俺は一度、背中を見せる。



 落ち着け……落ちつけ……ただ単に謝るだけだ。そんなに緊張する事じゃない。


 深呼吸しろー。そして頭を冷やせー。さっきの失言は忘れろー。



「ごみぇんなちゃいだって……ぷっ……ぷぷっ」


 後ろから聞こえてくる声は無視しろ。いや、本当に。耳にシャッターがついてたら、光速で閉めてやりたい。



 なんとか落ち着き、もう一度北島の方を見る。


 

 そして彼女の目を見ながら、


「君の瞳に……乾杯」


「死ね」


「……ごめんなさい」


「さて、変態が謝ってきたからこの話はここで終わり。で?」


 まだ北島の話が続くと思っていた俺は、なにも喋らずに黙っていた。



 すると彼女は盛大に溜息をついた後、明らかに見下したような視線を送ってくる。というか、蔑んできている。視線で汚された気分だ。



「で? これからどうするのよ。あたしは帰り道分からないわよ。どっかの誰かさんが変な暴走をしたせいでね。そしてこの状況をなんとかするのは、そのどっかの誰かさんなんでしょうね?」



「全く、誰だよ、そのどっかの誰かさんって。いい迷惑だよな! ……ごめんなさい。少し調子に乗りました。睨まないでください」


 怒った猫女は凄く恐い。なんでだろう。年下のくせに、凄い威圧感。ニートの馬鹿より凄いかもしれない。



 まぁ、なにはともあれ。遭難したのは俺のせいなので、なんとかしなくてはいけないだろう。


 まず、山とかで迷った時は、方向を見定める必要がある。


 これは推理小説とかでよくやっている方法をとればいいのだ。


 一番有名なのでいうと、切り株を見て、その年輪の幅が広い方が……あれ? 北だっけ? 東だっけ? 西だっけ? 確かあれって……太陽が出てくる方に広がるんだっけな。と言う事は、東? これで合ってるのか? 分からん。 


 いいいいや、もうそんなのどうでもいいから、まずは切り株を……切り株……切り……あれ?



「切り株がない……だ……と……?」


「なんかこの森の保有者が、森林伐採とかはしないらしいわよ。貴重な動物もいるとか噂もあるから、そのせいでもあるでしょうね」



「ちっ、余計な事を……! なにがレッドリストだ。なにが希少動物だ。俺なんて、警察のブラックリストに載ってるんだぞ!」


「それは威張れる事じゃないわよね! というか、あんた、なにしたのよ!?」


「………………」


「な、なに不敵な笑みを浮かべてんのよ。凄く不気味……」


 うん。冗談はこの辺にしようか。ブラックリストに載っているかどうかは置いといて、まずは方角を見極めなくては。


 切り株がないって事は、別の方法でやればいいだけだ。


 方角を知るやり方なんて、結構あるもんだ。


「確か、短針を太陽に向けて、長針との間にある方角が北だったはず」


 よし、腕時計を……デジタルでした。


 しょうがない、携帯電話の時計をアナログにして……なんか壊れてます。画面が映らない。


「猫女。アナログ式の時計ってあるか?」


「針のやつ? 残念だけど、あたしのは全部デジタルよ。ほら」


 言って、自分の服の袖をまくり、左腕につけている時計を見せてくる。


 なるほど、ディズニーのねずみが描かれている可愛いデザインの腕時計だ。そんな事はどうでもいいとし、確かに彼女のはデジタルだった。


 オーケイ。


 完璧に行き詰まったわけだ。


 あうあうあう。どうしましょう。いや、本当に。


 なんか段々、暗くなってきたし。一向に、さっきまでいた小屋のようなものは見えてこないし。


 俺は一体どうしたらいいのだろうか……?


 風が吹き、木々を揺らす。そのその方向に行けば、元の場所に戻れるのだろうか。


 いや、そんな事はないだろう。


 うーん……本当にどうしよう。腹減った。


 まぁ、別にね。今頃は美優達が捜してくれてるだろうし、この森はそんなに広くないからすぐに見つけてくれるとは思う。


 じゃあ、なぜ俺達は迷ったのだろうか。


 そんなの、答えは考えるまでもない。名称は忘れたが、森で迷った時の法則らしきものがあったはずだ。



 人間は、同じような景色が続くと、方向感覚が狂うのだとか。


 それで、同じような場所をぐるぐると回ったりしているらしい。


 これは、目をつぶってみれば分かる事だ。真っ直ぐ歩き続ける事は不可能に近いだろう。



 ま、俺達が迷った結果はどうでもいいとして、要は、その原因が俺にあるという事。


 俺一人で遭難するのは別に構わない。だけど、別の人(鳴海とかならどうでもいいが)、今回の相手は一応、か弱い女の子である北島だ。 だったら、なんか責任が重くのしかかってくるわけで。変な妄想などをしている余裕なんて全くないわけで。


「痛ッ!」



 俺の後ろを黙々と歩いて来ていた彼女が、痛みを訴える声を出した。


「どうかしたか?」


 何気なくそちらを振り返った俺は、ここで初めて気付いた。



 猫女の格好は、さっきまで浴衣。と言う事は、足もとはサンダル――この場合は草履だっけ? まぁ、なんか靴じゃないものだ。


 周りを囲まれてないそれで森の中を走り回り、そして今は歩いている。どういうふうになるかは、簡単に予想がつくはずだった。


 つーか、よく浴衣姿で走りまわってたな。というものが頭に浮かんできたが、その考えをフルボッコにした後、俺は北島に近づいた。



「お、おい。大丈夫かよ。見せてみろ」


 立っている事すら出来ないのか、地面に尻もちをついたかのような体勢で座っている彼女の近くにしゃがみ込む。


「うわ、お前。足が傷だらけじゃないかよ。ちょっと待ってろ」


「あ、あははは。なに心配してるのよ。これくらい大丈夫よ。ちょっと大げさに声出しちゃっただけだから……」


「……本当にか?」



 切り傷や擦り傷などで、元々白かった肌が赤くなっている。なにか、青痣らしきものさえ、あるようだ。


 俺は、彼女の足に指で軽く触れてみる。



「ッ!? ~~~!」


 声にならない痛み、とは今のような状態を言うのだろうか。口を固く閉じ、目をギュッと瞑りながらも、北島はなにも言わない。



 いや、これって、ただ単に強がっているだけか……。こんな時まで、こいつはこいつなのか。らしいって言えば、らしいけどね。


 いつもならここでからかってやる所だが、流石に今回は自重しておく。


 その代わりに先が尖っている枝を拾い、シャツの肩らへんにある縫い目の所に軽く突き刺し、穴をあけた。そし、そこから一気に破り去る。



「あ、あんた、なにしてんのよ。正気なの!?」


「あー、うっさいうっさい。お前はちょっと黙ってろ」


 元服だった布切れを、彼女の足に優しく巻きつける。こうする事で、簡易製の靴下の出来上がりだ。


 あっ、でもこれって、バイ菌入る可能性あるかもしれないな。……大丈夫かな?


 でもバイ菌入るにしても、このままじゃ北島は全く動けない訳だから、少しでも気休め程度には……ね。



「さて。立てるか? 北じ……猫女」


「なんで!? なんで今言い直したのよ!? そのまま『ま』って言っちゃばいいじゃない! なんでよ、ねぇ、なんでよ!」


「……う、うっさい! なんだ、その、今更、名前で呼ぶの恥ずかし……なんでもねぇよ! にやにやしてんじゃねぇよ。置いてくぞニヤケ女!」



 俺とした事が、とんだ失態を……!! あれか? もうすぐ夏だから俺の精神は解放的になってるのか。いつもならあんな事言わずに、受け流してるのに。



「へー。恥ずかしいんだ。へー。なんだ、可愛い所あるじゃないの、あんたにも」


 ニヤニヤと。なにかを企んでそうな顔をしている彼女。これは後になにかとんでもない不幸に巻き込まれそうだ。


 

 超能力者が住む街の、とあるレベル0不幸少年以上に不幸な体験をしそうな気がする。



「そ、そんな事よりさ。お前は立ち上がれんの、立ちあがれないの? どっちなんだい!」


「……あんた、キャラ崩壊起こしてるわよ。いつもの性格はどこにいったのよ」


「だまらっしゃい!! 誰のせいだと思ってるんですか。まぁ、この子ったら。キーッ」


「なに雑草をハンカチに見立ててヒステリックなおばさん演じてるのよ!」


 さて。変なキャラも一段落ついたところで、本題に戻りますか。


「それで? 歩けるのか? それとも歩けないのか?」


 目線をしゃがみ込んでいる北島に合わせ、真剣な顔で聞く。さっきまでの俺のふざけた態度とは天と地ほどの差があるシリアス顔だ。



「……ふ、ふんっ! バッカじゃないの!! あたしを誰だと思ってるのよ。サッカー部の女マネージャーよ。こんな怪我で歩けないなんて、軟弱な事は言わないわよ!」


 なんかもの凄く怒鳴られて、しかも冷たく目線さえそらされた。そんなに俺は変な事を聞いたのだろうか。


 いや、その前に。女マネージャーだからって、別に怪我をするわけじゃないから、慣れてるとか軟弱じゃないとか、関係なくね?



「えいっ」


「いったぁーい!! なにするのよ馬鹿! あんたなんてどっか行っちゃいなさいよ!」


「あうっあうあうあうあうあうあー!」


 しゃがみ込んだ状態のまま、彼女は俺の胸倉を掴み前後に揺すってくる。脳みそがぐちゃぐちゃになりそうなほど気持ち悪い。遊園地にあるなんかくるくる回るコーヒーカップ以上だ。



「……ちょ……そろそろ止めてくれ……マジで吐くか……も」


 既に喉元まで上がってきている汚物を必死に抑え込む。口の中に若干だが酸味が広がってきたのは言うまでもないだろう。


「あんた、本当に軟弱ね。サッカー部をサボってるからいけないのよ」


「……今ので吐き気を催すのは、人として当然だと思う」



 猫女の揺さぶり攻撃から解放された俺は、地面に四つん這いになりいつでも吐ける準備OK。


 しかしそんな俺の計画的な行動とは裏腹に、気持ち悪い感じはすぐに治まる。



 ……ふっ。もう嫌だ。こいつと一緒に遭難なんて、もう二度としたくない。


 立ちあがり、空を見てみる。既に朱と黒が混ざっている場所が多くなってきていた。


 

「さて、お前は立てないんだもんな。否定するな! 首を横に振るな。ほら、座ってろ。とにかく、暗くなってきたので今日はもう動かない方がいい」


「え? じゃあ、どうするのよ。どこで寝る気? まさか野宿?」


「嫌そうな顔をするなよ。別に大丈夫だろ。最近は夜も暖かくなってきたし、身を寄せ合えば一晩くらいは……おい、なんで耳を塞ぐ。なんでそんな嫌そうに涙まで流してやがる」


「だ……だって。身を寄せ合うって、あんた、あたしになにする気よ!! どうせ変な妄想してるんでしょ!! そそそそんな変な事出来る訳ないじゃない!」



「安心しろ。俺は別にお前の体に興味なんてないぐべらっ」


 痛むはずの足で、思いっきり蹴られた。顔を真っ赤にしているのは恥ずかしさからか、それとも俺の発言による怒りからか。


 とりあえず今は寝る時の事なんて考えないでいようかな。


 大切なのは、飯だ。思えば、朝飯しか食っていない。昼飯は俺が暴走したせいで食べそびれたし。


 従って、腹が鳴る。獣の鳴き声のような低い音が俺の体から発せられた。



「腹……減ったよな」


「そうね」


「なんか食べるものを探しに行こうかと思うのだが、どうだろうか」


「いいんじゃないかしら」


 猫女は全く興味がないような素振りで、俺の服の切れ端で作った靴下を指先でいじっている。


 こいつは大丈夫なのだろうか。いや、それは別にいいだろう。問題は、周りの闇が更に深くなってきた事だ。


 なんなんだよ、本当に。これでカラスが鳴いてたら、ホラー満開だぞ。そこら辺に古びた洋館があったら、迷わず逃げる事になるだろうし。


 そんな有り得ない想像をしていた時、きゅるるるるといいう音がした。



 それは、横から聞こえてきたように思える。と、言う事は、


「お化け―――!!」


「なんでよ!? 今のはあたしの……」


 そこまで言って口ごもる北島。ふっ、最初から分かっていた。気付かない振りをしてただけなんだからねっ!!


 とっさの事で床に這いつくばってしまっていたので、俺はゆっくりと立ち上がり、猫女の方を向く。


 駄目だこりゃ。使い方は間違っているが、今の状態はまさしく、一寸先は闇。なにも見えなくなってきた。


 こいつの顔でさえ、ぼんやりと見える程度だ。


「猫女ー。そこにいるよね?」



 目の前の人影が、彼女だとなんだか自信が持てないので、俺は聞いてみた。


「ええ、いるわよ」


 俺に対してだけの冷たい、いつもの声が耳に届いた。こいつは他の皆には、結構優しい声出してるんだけどなー。俺にだけ冷淡な声って、なんでだろう。



 あっ、尊敬出来ないからか。


 ま、そんな事は砂漠で三日程、放置されて、カラッカラになった魚ほどどうでもいい。



「ねぇ。あんたさ、なにか灯りになる道具は持ってきてないの?」


 と、思っていたら違った。さっきまでの温かみの欠片もない声とは違って、今はどこか寂しそうな、それでいて弱々しい。そんなものだった。



 うん。こいつは一応、高校二年生なんだもんな。それに女の子だ。強がってはいたが、それでもやっぱり不安にはなるんだ。


 なんか、駄目だな。この空気。どんよりオーラが空気中を支配しているような。


 しょうがない、ここは。



「ライターなら持ってきてるぞ。ほら」


「なんでそんなの持ってるのかしら。道具類は、すべてあの泊まる場所に置いてきたはずよね?」


「ん。いや、なんつーか。虫を見つけたら、全滅させようかと思ってな」


「そんな物騒な理由で持ち歩くんじゃないわよ! 大体、一回も使ってないしね!?」


「いや、これからだろ」


「何する気!?」


 うん。これでさっきよりも空気が軽くなったな。さっきまでの弱々しい声はどこにいったのか、猫女はくどくどと俺に説教をしてきていた。



「ちょっと、聞いてるの? あたしはあんたが道を踏み外さないように言ってあげてるんだからね」


「はぁー。どっこいしょ」


「ちょっと、なんでおじさん臭い掛け声と共にあたしの横に座るのよ」



 特に理由はない。


 一言で言えば、なんか背後が真っ暗で怖かった……って事はない。うん、断じて。


 だってさ、いつも、夜には幽霊が来て俺を金縛りにしていくんだぜ? 耐性なんてもう出来てる。



 ――ガサガサッ!


「ひぃっ!」


「……なにを驚いてるのよ。風かなにかで草が動いただけじゃない。臆病ねー」


 そう言ってケラケラと笑いだす彼女。だ、だから恐くねぇって!!


 とりあえず、北島の近くに寄ってみる。肩がギリギリ触れ合わない程度だが、それでも彼女の温もりが空気を伝って感じられた。



 なんでだろ。普通、こういうの逆じゃね? 女の子の方が俺に近寄ってくる所じゃん。


 なのに、なんで猫女はなにもしてこない。


 なんか、お化けを恐がっているのが、唐突に恥ずかしくなってきた。あれを恐いと思っているのは、俺だけか?


 あ、いや、間違いだ。俺は別にあれを恐れてなどいない。虫の方が遥かに嫌だ。


 背後にあった木に寄りかかり、俺は上を見る。周りには街灯もなにもないため、明かりは月。星が良く見えるよ。


 コズエの間とそれに生える無数の葉。そのわずかな隙間の間かでも、何十もの星を数える事が出来た。



 風が吹く。夜になってきたせいか、冷たい、しかしどこか優しさを感じる。


 この穏やかな時間。そのおかげで気が緩んだのか、猫女がいつもからは想像がつかない程の優しげな声を出す。


 

「ねぇ、なんであんたは、あんなに虫が嫌いなわけ?」


 その質問に俺は夜空を見上げながら、

 

「知りたいか? なら教えてやる。昔……中学生の頃だったかな。その辺にある事件が起きたんだ」


「事件?」


 と、北島は首を傾げる。


「そう。俺が中学生まで住んでた場所な、結構な田舎だったんだ。それで、草原で寝転がって日向ぼっこをするのが俺の日課だったんだ。そんなある日。いつも通り陽に当たってたら、いつの間にか寝ちまってたんだな。それで、俺はある違和感を感じて起きたんだ。なんだと思う?」



 そこで猫女に答えを求めてみるも、彼女は首を横に振って分からないと意思表示をしただけだった。


 仕方がないので話を続ける。



「口の中にな、ムカデが入ってたんだ……」


「いやぁぁぁぁ!!」


 俺の言葉に、北島は狂ったように頭を抱えて、暗闇の中で絶叫を木霊させる。


 

 もちろん、今のは作り話だ。これが本当だったら、俺は虫を見た途端、魂が抜け去るだろう。


 俺の嘘話を、猫女は完璧に信じ込んでいるようだ。肩を震わせ時折、嗚咽を漏らしていた。


 うん、気持ち悪いよね。ムカデだもん。足が一杯あるやつだもん。


 漢字で書いたら百足だぜ? ひゃくあしだぜ? おおぅ。鳥肌立ってきた。



 それはそうと。なんか震えている彼女がとても新鮮で、もっと見てみたい気になったので、今の嘘話を更に続けてみる。



「あれは酷かったぞ。無数の足が下の上で這いずりまわって喉の奥に入り込もうとしてくるんだ。何度、咳をして追い出そうとしても、しっかりと歯に足を回して捕まるんだぜ? うぇ……思い出したら吐きそう……」



「いやぁぁぁぁぁぁぁ!! そんなく詳しく言わなくていいから!」


 いや、……冗談じゃなく。想像したら吐きそうになってきた。今の俺の顔を鏡で見たら、魂が本当に抜け出る寸前みたいな感じじゃなかろうか。



 自業自得と言われればそれまでだが……止めときゃよかった。俺のためにも、北島のためにも。



 俺の話を信じている彼女は、叫び終わった後、顔を背け俯いている。どうやら気分が悪くなったらしい。


 仲間だ。



「うぅ……あんたといると、本当にロクな事が起きないわ……」


 ボソッと呟くように言ったその言葉には、呆れ以外の感情が混じっていたような気がする。



 それが負か正のものかは分からんが。しかし今やる事はただ一つ。


 反省します。


「またもやごめんなさい。今のは全部嘘です」


「ごめんなさい!」


「許さないわよ! そこになおりさない!!」


「そ、そんな……お戯れを……」


 ……ぽっ。


「なに頬を赤く染めてるのよー!!」



 冗談だ。


 冗談以外になにがある。


 いや、それにしても北島を弄るのは楽しい。なんだろう。俺ってやっぱりSなのか?


 あの後、俺は腹に一発目のブローを見事に食らい、それ以上食らったら目覚めてはいけないなにかに覚醒しそうだったので、謝っておいた。



 しかし! それでも彼女の機嫌は直らない。というか、俺と一緒にいる時の猫女は殆ど不機嫌だ。


 なぜだ。俺がなにかしたか。



「所で猫女よ。ダーウィンって知ってるか?」


 それまで息を吸いもせずに怒鳴り散らしていた彼女は、そこで一端呼吸を整えてから、



「あ……あれでしょ。進化論とかいうものを発見? した偉人よね。それがどうかしたのかしら」


「実はな、俺はその人に対してのある噂を持っているのだ。なにか気になるよな? ん? ん?」


「いえ、ミジンコ一匹分も興味ないわ」


「そうかそうか。AKB60の全メンバーの名前くらい気になるか」


「そんな事言ってないでしょ!? それに、どっちにしてもどうでもいいわよ!!」


「えぇえ~!?」


「なにその驚き方!! あんたは興味あるの!?」


「いや、毛ほどもない」


「だったら一々言い変えないでーー!!」


 


 ふーっ。満足じゃ。俺はSに目覚めたようです。


 なんだか北島をいじるのも少しだけ飽きてきたので、俺は木に虫が付着していないのを確認した後に背もたれにする。


 たぶん、ここでこうしていれば、明日の朝にでも誰かが迎えに来てくれるだろう。


 あっちには会長がいるんだから大丈夫だ。なにも心配しないでも、彼女がなんとかしてくれるのだろう。


 鳴海が美優になにかしないかと、少しは心配であるが。それでもあいつになにかする勇気はないだろうし。


 サッカーはやたらと強気で巧いくせに、恋愛沙汰になると途端に弱気で面白くなる。


 あいつはあいつで中々モテるのにもったいないよなー。キャプテンだもんな。公式の試合でも活躍してるし、青春満喫してますなー。



 俺は俺で、灰色の青春満喫してます。ええ、毎日毎日、本読んだりアニメ観たりしてるだけだし。



 そんな事を考えながらぼんやりとしていると、横に猫女が腰を下ろしてきた。


 いつも吊り目なはずだが、今は別にキツくはない。なんだか、トロンとしていて、猫のように大きな瞳が半分以上瞼に隠れている。


 彼女は手の甲で目を何度もこすり始める。そして時々、小さく欠伸をしている。


 この仕草から察する事が出来る欲求なんてもんは、アレしかないでしょう。


 

 やらないか。


 とは言わない。ここはふざけている場合じゃない。しかもあれは、男が男に言うものである。だが俺にはあっちの趣味は全くないので安心してほしい、


 その辺にいるような、健全な青少年だ。


 俺はライターを握り直し、火を点ける。暖かな光が俺と北島の顔を照らし出す。


「眠いのか? だったら、遠慮なく寝ろよ」


「あんた、寝てるあたしになにする気よ。そういう罠にはかからないわよ……」


「……はぁー。俺がそういう事をしないって、お前も分かってるんだろう? だから、俺の近くに寄ってきた。眠いのにも関わらずだ。俺の事を信用していないのなら、どっか別の場所で寝てるはずだろ?」


「べ、別にあんたの事なんて信用してないわよ。あんたの事を信じるくらいなら、ネッシーの存在を信じるわ」


「あっそ」



 なんだか、もう突っ込む気力もなくなってきた。面倒だ。


 格闘漫画でよくあるような、首の後ろをトンと叩いて気絶させる事は出来ないのだろうか。


 あんな事出来たら、結構便利だと思うのだが。


 ……どのくらいの力を込めればいいんだろう? 壊れたテレビを直す時に使うチョップのような威力か?


 それとも、案外本気でやってもいいのだろうか?



「な、なによあんた。なんで手刀の構え取っているのよ。あたしになにする気?」


「いや、眠らせようかと思って」


「へー。力づくで?」


「まぁ、そうなるな」


「あんたは一回、みんなの前で裸踊りした方が良さそうね」


「え!? なんで!?」


 わけの分からない事を言い出す猫女。なぜに俺が裸踊りを……。意図が全く掴めん。



 そんな寝ぼけているのか、それとも本気でそう思っているのか分からない北島を一端放置して、俺は周りから小枝を拾い始めた。


 身の回りを手探りでやってみるだけでも、結構な本数が取れ、楽だった。



「さーてと。二人だけのキャンプファイヤーにしますか」


 ライターの火を櫓のように積み重ねた梢の大群に持っていき、点火する。規模はそれほど大きくはない。


 高さ十センチ弱。横幅十五センチくらいだろうか。



 小型キャンプファイヤーの完成だ。


 炎が暗闇の中に揺らめき、俺達の顔を照らし出す。


 ……地面は雑草が生い茂っているのだが、引火しないかどうかが不安だ。


 でも、このままじゃ、寒くて寝れそうもない。いや、俺は寝ちゃいけないんだっけ。



 横を見てみる。そこにはいつも鋭い視線がいくぶんか柔らかくなり、針から爪楊枝くらいになった猫女がいるのだが、大きな瞳を瞼が覆い隠そうとしていた。



「そりゃあ、疲れるよなぁ……」


 

 考えてみれば彼女は、山を登った後、休む時間も少なく俺を追いかける羽目になったのだ。


 いくらサッカー部のマネージャーをしていようが、追加される体力なんて少ないのだろう。


 いや、意外に重労働なのかも知れないが、幽霊部員である俺には勝てないだろう。


 ゴースト部員である事を胸を張って言うわけでないが、これでも昔は活躍していた!



 高一、高二までは青春していたさ。だけどなー、色々あったからな。


 いや、どうでもいいか。あれ? なにを考えてたっけ?



 ……ああ、そうそう。北島が疲れているという所だった。


 とにかく、俺は体力には自信がある。


 今1.5キロを走っても、全盛期とは変わらないタイムだろう。そうだなぁ……五分前半か、四分後半くらいだろう。


 そんな俺を、浴衣姿のまま追いかけてきたのだ。俺以上の体力を要したんだと思う。


 パチパチと火の爆ぜる音が辺りに心地よく響く。


 なんだか結構、和んでいるのかもしれない。北島の一緒なのにな。


 こいつと一緒にいると、いつも険悪なムードになるからな。俺は特になにもしてないのに、猫女はなんだか俺を敵視しているらしい。


 後輩なんだから、先輩とか呼んでくれるとかなり嬉しいのだが、この生意気な奴にそんなものを期待するくらいなら、この世から虫が全滅するのを望んでいた方がマシだろう。


 

 そんな事を考えていると、俺の肩に軽いものが乗っかってきた。


 ななななななななんだ。まさか幽霊!! なんでお化けに実体があるんだ!? ええ! まさか本当に幽霊なのか!?


 

 多少、というよりはかなり恐いが、俺は首をほんの少しだけ動かしてそこを見てみると、



「すーすー」


 という寝息を立てて、瞼を閉じている猫女の頭があった。



 いや、確かに寝てもいいとは言ったけどさ、肩を貸すとは言ってないよな。なんだよこの状況。


 顔をま横に向ける事が出来ないんだが……。もしそうしたら、彼女の髪の匂いが俺の鼻孔をくすぐる事になるのだろう。


 そんな状況に陥ったら、俺は我慢できるだろうか。こいつの体に興味ないなんて言っていたが、さすがにこんなシュチュエーションになってしまったらどうしようもない。


 


 まぁ、なにもしないけどね!!


 そんな事はさておき、どうしようか。眠くなってきた。


 ここで寝てしまったら、もしこの火が引火して火事になってしまっても、どうしようも出来ない。


 でも、なんだか疲れたよ。


 このまま寝ても、いいですかね?



 俺の頭上で睡魔と寝るなという気持ちが戦い始める。


 睡魔が理性をマシンガンで蜂の巣にしている最中に、唐突に。本当になんの前触れもなく声が聞こえてきた。


 それは俺がよく知っているあいつの声で。なんだか、とても安心させられる。



「あっ、ほらほら、凛ちゃん。あそこら辺明るいよね? 僕はあそこに宗がいると思うんだけど」



 そう、幼なじみのあいつだ。


「むっ。なにやら人影も見えるのう。あそこに行ってみるか」


 そして、ちびっ子会長の声も。



「いーや。あそこに新藤はいないね。きっとUMAが焚き火してるんだ! 俺には分かる。中学の頃から一緒だからな!」



 ……こいつは本当に、中学の頃からの親友なのだろうか。付き合いを考えてしまう一言だぞ、今の。


 そして、ガサガサという草木を掻き分ける音が響く。



 俺はゆっくりと音源の方に首を向け、そして頬がユルむのを感じた。


 

 そこには見慣れた奴らが集合していて、全員が心配そうな声を出しながらこっちへと近づいてくるようだ。暗くてまだ表情が窺えないのが悔しいかな。


 なにか光が見える。あれは懐中電灯だな。



「あっ、宗の匂いがする」


「相崎って、犬みたいな嗅覚してるんだね」


「相崎美優はあやつに対してだけはハイスペックだのう」



 美優が変な事を言い、鳴海と会長がそれぞれなにか突っ込んでいる。


 そして、俺達がいる場所に、明るい光が向けられた。それが懐中電灯のものだとはすぐに理解できたのだが、やはり眩しいなぁ……。


 光源を持っているチビっこい影が、俺の方に近寄ってくる。


 炎の光に照らされて現れたのは、会長だ。うん。この小ささは影を見ただけで分かるぞ。


「今なにか、失礼な事を考えなかったか?」



 どうやらこの人は読心術を使えるようです。本当になんでもありだな、こいつは。



「あっ、ほら。やっぱり僕が言った通りだよ。宗がいる~!」



 そしてその横から現れた――いや、ダイブしてきたのは言うまでもなく美優だ。


 美優はその小さな体のどこにそんな力があるのかと思わせるほどに、四メートル以上離れた場所から飛んできた。


 そして一度も地面に着く事無く、まるでスーパーマンのような体勢のまま俺に突進してくる。


 て、いやいやいや! ちょっと待てぇい!


 俺は美優が滑空してくるわずかな時間の間に状況を確認。


 肩には猫女の頭。寝ているので、この事態には気付いていないようだ。



「そ~う~! 僕心配したんだよ!? なんでこんな場所にいるのさ~!」



「待て美優! こいつが起きてもゲフゥッ!」


 言葉を途中で遮られ、俺は背中側――どうやったかは見えなかったが、こいつは木を華麗に避けている――からの突撃をモロに食らった。


 もちろん、威力を殺す事なんてできないので、前のめりになり、前転の要領で美優が首にしがみついたままの状態で転がっていく。



 転がる勢いが沈静化した時、後ろの方でドテッという音がした。


「きゃっ」


 という声。俺という支えがなくなったせいで、それまで寄り掛かって来ていた北島が地面に衝突したようだ。



 そんな事を地面にうつ伏せになりながら、葉っぱの匂いを嗅ぎながら俺は確認した。



「宗。やっと見つけたよ。僕、心配したんだよ……」



 首に巻き付いている柔らかい腕。そして、後頭部の方から美優の幼い声が聞こえてくる。


 俺はゆっくりと半回転して、うつ伏せから横を向く。その動きに従って、美優の体が地面に着いた。


 さらにそこから彼女の腕を解き、地面に座った。


「美優」



 と、心配してくれていた幼なじみの方に体を向ける。


「ごめんな。心配してくれるのはお前だけだぜ」



 美優は地面に横たわったまま、


「え、えへへ~。もっと褒めて」



 と、だらしなく頬を緩ませながら言ってきた。


「よし。お礼に頭を撫でてやる。ほら、横に座れ」



 美優は瞬時に、本当に瞬間移動かなにかかと錯覚するほどの勢いで俺の横に来る。



「ありがとな、美優」


「んん……」



 なんだか今は変なテンションだ。いつもの自分ならこんな事はしないだろうと言えるのだが、まぁ今日だけならいいだろう。


 美優とじゃれていると、頭をポコン、となにか硬い物で叩かれた。


 美優を撫でながら首を回して後ろの方を見てみると、片手を腰に当てながら、左目を瞑り、右手に持っていた懐中電灯で俺を軽く叩いている大城凛の姿が。



「ふん。別にワシは心配なぞしておらんかったが、それでもなにか言う事があるんじゃないかの?」



 言う事? ……ああ、今日も絶好調にチビだね! とかか。



「今日も絶好調に……」


「くだらない事を言いおったら、生き埋めにするからな」


「捜してくれてありがとうございます」


 

 美優の頭から手を離し、全身全霊を持ってコウベを垂れる。



「まあ、よい。これからは勝手にいなくならないようにの」


 

 会長が腕を組み、無い胸を張ってそう言っている時、美優が俺にしか聞こえないような小さな声で話しかけてくる。



「凛ちゃんね。宗がいなくなったと分かったら、顔色変えて走り回ってたんだよ」



 くすくす、と。可笑しそうに笑う美優を一瞥して、低い位置から座ったままの俺を見下ろしてくる会長を見ると、



「ぷっ」



 思わず笑みがこぼれる。そんなに心配してくれてたのに、全然素直じゃないんだから。


「ありがとな」


 だからもう一度、礼を言う。心配かけたのなら謝るのが普通だろう。



「別に礼などいらん」


 会長はそう言って、ぷい、とポニーテールを揺らしながら顔を逸らす。


 会長の横に立っていた鳴海が前に出てきて、俺と視線を合わせるためにしゃがみこんできた。


 鳴海は茶髪ツンツンヘアーを火の光に照らしながら、


「俺は結構心配したぞ」


「ああ、なんだ。鳴海いたのか」


「……泣くぞ?」


「嘘だって。ありがとな」



 やっぱ素直に言うと、少し照れるわ。こいつに対してはこんな会話をしなくても、大丈夫だと思ってたのにな。


 だって、昔から一緒だもん。なにも言わなくても通じるっていうの? サッカーだって中学と高校合わせて五年間は一緒だったんだから。



 鳴海はニコッと人懐っこい笑みを浮かべると、俺の肩をバンバン叩いてくる。



「全く。そんなに虫が恐いかよ。だらしねぇーなー」


「誰にだって、恐い物はあるだろう? あ、いや。鳴海の場合は『物』じゃなくて、『者』か」


「あっははは。大丈夫だって。あいつはもう遠くに行ったから、今の俺に恐い者はない」



 本当かよ。中学の頃、尻に敷かれてたくせに。……うん、あいつは恐いからな。俺だって出来れば関わりたくない。



「もう話は終わったかの? それでは、すぐに帰るぞ。ワシはもう眠い」


 ふぁぁぁ、と欠伸をしながら会長は後ろを向き、さっさと懐中電灯の灯りを頼りに歩いて行く。


 あいつはなにか? この森の中でも方向感覚は狂わないのか? いや、いい。考えるのは止めよう。会長に常識は通じない。これでいいじゃないか。



 会長の先導に従うと、簡単に元いた山小屋に帰ってくる事が出来た。


 そこから解散して、それぞれ就寝する事に。



 就寝する事になったのだが、ここでまたもやあの問題が浮上してくる。


 俺が迷子になる前。なんで俺は美優達がいる女の山荘に向かったのか。そう、俺と鳴海が寝る男小屋には、虫が一杯いる。


 うじゃうじゃうじゃうじゃと。生きているものはいない。去年は全部、標本になっていたはずだ。


 なんであの小屋の主はあんな変な趣味を持っているのか。俺とは一生趣味が合うはずはないし、合ったら困る。


 

 いや、どうせ寝る時に真っ暗になるんだから、そんなの関係ないんじゃね? とか思っている奴にはこう言ってやりたい。


 気配で分かる。


 例えば、本州で言うのならばG。あの黒くてテカテカしていて油が好きで、冷蔵庫の裏に巣なんかを作っているあの昆虫。あれってさ、なんかいるって気配するじゃん?


 そんな感じだ。というか、気配っていうより完全にそこにいるんだけどね!


 で、やばい。


 とにかくやばい。


 ファンタジー小説の主人公が序盤で危機に陥っているのに、なんの能力にも覚醒しないで誰も助けに来ないくらいやばい。


 

「新藤、そろそろ腹をくくれよ。確かにあの中は気持ち悪いけどさ、我慢してればいいだろう?」


 鳴海が俺の手を引っ張りながら虫小屋に連行していこうとするのを、俺はハイキックを華麗に決めて止めさせた。



 そしてこめかみの辺りを押さえてうずくまる茶髪男に指を突きつける!


 

「馬鹿野郎!! お前はローションがたっぷり塗ってある布団で寝れるのか!? 針が敷き詰めてある布団で安らかに眠れるのか!? エロ本を布団の下に隠したまま女友達を部屋に上げるのか!? 否!!!! 無理だろう!? 絶対に無理だろう!! 今の俺にはそれくらいやばい状態なんだよ!!」 


「いいから、来い!! 早く寝るぞ!!」


 俺の言葉に聞く耳持たずの鳴海は、俺の足を持って小屋の中に引きずって行った。



「いーやー!!」

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