表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

なんかあれ

 鼻血が出た。


 エロい事を考えていたから……ではなく。


 この暑さのせいだ。


 季節は春。時は四月中盤。


 あの会長と『生徒会を護り隊』を潰す方法を考えると宣言したり、ニートを軽くあしらったり、猫女に馬鹿にされた日より一週間近く経過したわけだ。


 で、なぜか知らないが……暑い。


 昨日までは朝はまだ寒かったため、分厚い掛け布団を上に掛けていたのだが、それが裏目に出たらしい。


 布団を少しめくると、ブワッと暑苦しい空気が流れてくる。


 体感温度にすると、三十度は越えている。


 そう感じるのはもう一つの理由が関係していると思う。


 横を首だけ動かして見てみる。



「むにゃ……」



 低身長・未発達な体・童顔。そんな俺の幼なじみが爆睡している。


 美優は俺の腕にひっついて、あまりない胸を押しつけてきている。


 寝起きに見た光景がこれ。


 なんかもうね、暑いわ、腕に抱きつかれてるから動きづらいわ、昨日もなんやかんやで幽霊が来て寝不足なので……かなりいらつく。イラッてくる。


 汗でベタついているシャツをパタパタさせて体温を逃がそうとしたのだが、上手くいかない。


 不愉快指数が上昇していくのが分かる。

 もう一度、美優を見る。


 汗を吸って、白い色のシャツが少し透けている。その奥に見えるピンク色のなにかが凄く気になる。


 ふぅ。なんでこいつは当り前のように俺の横で寝ているんだろうね。



 とりあえず、自由が利く右手を動かし、美優の体を軽く揺する。


 柔らかい黒髪が一緒に揺れて、近くにいる俺の鼻をくすぐる。凄く……くしゃみしたい。というか、その髪に鼻血が付着してしてしまったのだが……。



「おい、起きろって。起きないと学校に遅刻……今日は日曜日か。くそっ!」



 この手が使えないとすると、こいつの弱点を攻めるしかない。


 横向きになって寝ている美優の左脇腹を少しだけつつく。



「ひゃい!」



 そんな奇声ともとれる声を出しながら、美優は飛び上がるように起きた。


 腕が自由になり、美優とは反対側を向いて俺は寝なおす事にする。



「宗、そ~う~」



 邪魔者が何回も揺すって来るが、そんなの気にしてられない。


 だって、眠いもん。



「宗、鼻から血が出てるけど、大丈夫?」


「前にも言っただろう。これはトマトケチャップだ」



 適当に答えながら、俺は枕元にあるティッシュで鼻を拭く。


 そしてゴミ箱にスリーポイントシュートを決めながら、再び夢の世界へ。



「ぐはっ!!」



 行けなかった。逝きそうにはなったけど。美優が俺の腹にダイブしてきたせいだ。



「せっかくの日曜日なんだし、どこかに遊びに行こうよ~。ね~、暇なんでしょ?」


「うるさい。俺は暇じゃないぞ。昼まで寝た後は、アニメ見て小説読んでアレやってこれやってそれやって……結論として、かなり忙しい」


「むぅ……」



 美優の方を見ていないが、今の状態からすると頬を膨らませていることだろう。


「暇~」



 無視だ無視。



「暇~暇~」



 無視無視無視無視。



「ひ~ま~だ~よ~。宗~、起きないなら……いいや。そのまま寝てて良いよ?」


「ちょっと待て! お前、俺になにする気だ!? って、うわ。顔を近づけてくるな、唇を突き出すなー!!」


「むぅ。眠いって言ってたから、僕のキスで目覚めさせてあげようと思ったのに~」



 美優はこれでもかってぐらい、頬を膨らまさせる。頬袋に物を詰め込みまくったリス……あるいは、ハムスターみたいだ。


 眠気が吹き飛んでしまった。くっそー、これはいつか体調崩すきっかけになるな。


 最近は馬鹿幽霊のせいで寝不足だったり、美優のせいでも寝不足であったりする。


 あの幽霊。毎日来るのだが、特になにもせずに俺の顔を見ているだけだ。


 で、その間俺は金縛りっと。全く動けません。寝たくても寝れません。


 なにがしたいんだろうね。


 まあ、それは置いといて。



「美優」


「なに?」


「髪に血が付いてるぞ?」



 洋室にあるソファの上で、俺はテレビを見ていた。


 風呂場の方から美優がシャワーを使っている音が聞こえてきているが、別になんとも思わない。断じてなんにも感じてない。絶対に。


 ぼけーっと、芸能人の浮気報道を眺めていた俺の耳に、声が聞こえてくる。


 風呂場の方からだ。



「宗~。シャンプーどこ?」


「窓際の壁の所にあるだろ?」


「……わかんない。こっちに来て教えてよ」



 えー、めんどい。それにさ、今風呂場に行ったら、服を着ていない美優がいるわけだ。


 べ、別にそんな姿を見てもなにも思わないけど。恥ずかしいよな、うん。なんか気まずい。



「聞こえてる~?」


「大体、そんな狭い風呂場の壁際って言ってるのにさ、見つけられないっておかしくないか?」


「泡が目に入っちゃって、瞼開けられないんだよ~」


「泡って言ったか? シャンプー見つかってるじゃないか!!」


「……あっ。嘘嘘。お湯が目に入って開けられないんだよ~」


「今さら言い直しても遅い! 早く洗って出てきなさい」


「む~。宗が僕の髪に血を付けるいけないんじゃない」


「それはすまなかった。非は認めよう。だがしかし、そっちには行かないからな」



 風呂場から美優の不満そうな声が聞こえてくる。


 そこまでして、俺に来させたかったのか。もし行ってたらなにされたんだろ。



 それから数分が経ち、美優が風呂場の扉を開閉する音が聞こえてきた。



「タオルはどこ?」


「風呂場を出て、すぐ横の棚にあるだろ」


「あった」



 それからまた数分。


 美優が廊下を歩いてくる音が聞こえてきた。トタトタと可愛らしい足音が、洋室の扉の前で止まり、それが開く。


 

「宗。髪拭いて~」


「グハァッ!!」


 

 幼なじみがソファに座っている俺の頭に飛びついてくる。 


 それが原因で、俺は目の前にある円形の木製机に頭から突っ込む。


 鈍い音が部屋中に響き渡った。


 未だに頭にへばりついている美優をどかし、机から頭を上げ、この痛みの元凶を睨みつける。


「いてーなこの野郎!!」


「髪拭いて~」


「痛いって言ってんの無視か」


「髪拭いて」


「これも無視かよ」


「髪」


「……」



 これ以上なにを言っても無駄なのだろう。美優からバスタオルを受け取り、乱暴に髪を拭いてやる。



「もっと優しく拭いてよ。髪が傷んじゃうよ~」


「だったら、自分で拭けばいいだろ……」



 美優の頭からバスタオルを取った俺は、言葉に詰まる。


 風呂上りのせいか、紅潮している肌。濡れている艶のある髪。そして、なぜか知らないが潤んだ瞳。



「ああーーッ!!」



 崩壊しかけた理性を、大声を出してなんとか繋ぎとめる。


 危なかった。もう少しで美優を抱きしめる所だった……。



 そんな俺の心境なんざ知らない風呂上がりの少女は、機嫌良さげに鼻歌を歌っている。


 とりあえず、気を紛らわしたいので、話しかけてみる。


 

「なんだか機嫌良さそうだな」


「そりゃあそうだよ~。宗に髪を拭いてもらったんだからね」


「そ、そっか。そんな事で良かったら、いつでもやってやるんだが」



 美優の顔に満面の笑みが浮かぶ。輝き過ぎて、直視できない……って事はないが、それほどだった。



「本当? だったら、今度からお風呂上がったら、宗の家に来るからね~?」


「いや、それは駄目だろ。湯ざめするぞ? ってそういう問題じゃなくて、一々俺の家に来るの面倒だろ? ていうか、俺が迷惑だ」



 そんな俺の言葉を、目の前にいる少女は聞いていないようだ。


 天井を眺めて、トローンとした目をしている。……なにを想像しているのやら。



「美優? おーい、現世に戻ってこーい」



 美優の目の前で手を振ってみる。すると、ハッとしてから彼女は現実に戻ってくる。


 それから俺の方を一瞥して。



「あれ? 宗、メイド服は?」


「どんな妄想してたら、俺がそんな服を着るんだ!!」


 それからは、再び始った美優の暇暇攻撃に耐えられずに外に出る事に。


 俺は家でゆっくりとしていたかったのだが……そうはさせてもらえないらしい。


 玄関に行き、靴を履く。地面を爪先で叩き、しっかりと足を入れながら美優の方を見る。


 今日の美優の服装は、赤と黒のボーダーTシャツ(長袖)に、膝がはっきり見えるほどのふわふわしたスカート。


 対して俺は、黒のジーパンに、白いYシャツを着ているだけだ。


 美優はあの恰好のまま寝ていたので、しわ等が少しだけ目立つ。が、気にするほどでもないだろう。



「どこに行くの?」



 靴を履き終えた美優が、座りながら上目遣いで聞いてくる。



「んー……特に行きたい場所はないんだよな。まぁ、春の日差しを浴びながら散歩ってのもいいんじゃないか?」


「あはは、気持ち良さそうだね~」



 笑いながら美優は立ち上がり、俺の横に並んだ。


 俺は軽く微笑み返してから、玄関の扉を開けて外に出る。


 少し後に美優が出てきたので、扉を閉めて鍵をかける。


 そこで何気なく横を見てみると、隣の部屋に住んでいる家族が楽しそうになにやら話している。


 どうやら、今から旅行に行くらしい。玄関から出てくる人が皆、大きな荷物を持っていた。



「あらっ、新藤君じゃない。これからデートかしら?」



 隣人のおばさんがにやにやしながら話しかけてくる。



「いえ、違いますよ。ただ単に遊びに行くだけです」


「ふーん。相崎さん所の娘さんと二人だけで? もしそうだったら、それは立派なデートよ」



 ここら辺では美優の家は結構有名だ。そんなに高級住宅街でもない場所に、あんなでかい豪邸を建てたからなのだが、そんな事はどうでもいいだろう。



「え? 僕と宗がカップルに見えるの、おばさん。やった~、僕たち周囲公認のカップルになったよ!」



 まずは、横で騒ぎだした幼なじみを鎮めるのが先だ。


 美優を鎮める事に成功した俺は、暖かな日差しを受けながら大通りに面している歩道を歩いていた。


 

「さっきの人達、家族で旅行に行くみたいだね~。なんか羨ましいな~」


「ああ、そうだな。……俺の両親はどこに行ったのやら。失踪する前に、預金に生活費が入ってたから別に困らないんだけどね」


「あ~、う、うん。どこに行ったんだろうね、宗のお父さんとお母さん」



 まただ。


 美優の奴は、俺の両親の話題になると、歯切れが悪くなる。


 どこに行っているのか、知っている可能性が高いのだろうが、向こうから言って来ないって事は、聞いて欲しくないのだろう。


 自分の親の事なのに、遠慮するのはどうよ、とか思うけど。無理に聞きだしたくないのだから仕方がない。


 その内、話してくれるだろう。


 うん。この話はここまでにして。それにしても……。



「腹減った……」


「うん。僕も……」



 思えば、俺達は朝飯を食べてない。朝食を食べなければ頭が回らないというが、それは休日だからあまり関係ないだろう。


 出てくる前にズボンのポケットに突っ込んできた財布の中身を確認する。


 ファーストフードなら、余裕で食べられる金額が入っていた。



「よし、ハンバーガーでも食べに行くか」


「うん、そうしよう。お腹が減って僕は倒れそうだよ~」



 とかなんとか言いつつ、俺に寄り掛かろうとしてきた美優の肩をガッシリと掴み、倒れさせない。


 横の少女は不満そうに頬を膨らませたが、気にしてはいけない。


 さて、歩いて二十分くらいかかる駅前にやって来た。


 俺の家の近くには、飲食店などがほとんどない。あると言えば、オシャレなレストランくらいか。


 そこだと少し金がかかりそうなので、わざわざ駅前に来た。


 んで、日曜の午前中という事のせいだと思うのだが、人が多い。


 少し横にフラッといけば、人にぶつかるくらいだ。


 それで、俺は今、周りの人から白い眼で見られている。


 その理由と言うのも……。



「ねぇ、聞いてる? 夜になったら二人でさ――」


「人前でそういう話題は止めろ」



 横にいるこいつのせいだ。


 さっきから変な話題しか振ってこないので、それを聞いた周りの人間が『うわ、バカップル』『超ウゼェ。ドブに溺れて死ね』『女の子はそのままでいいが、男はくたばれ』『やべっ、興奮してきた』


 とかなんとか。


 一人一人を殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、ここはなんとか我慢する。


 最後の台詞を言った奴を、今後のために通報してやろうかと思ったのだが、これもやめておく。


 で、いまだに横でなにかを言っている変人を無視して、俺は目の前に見えてきた有名ハンバーガー店に向かって、走り出した。



「あっ、置いてかないでよ~」


 ファーストフード店の中に入ると、かなり涼しい。外はそれほど暑くなかったので、肌寒く感じるくらいだ。


 とりあえずはレジに行き、適当に注文をする。美優がなんか高そうなのを注文しようとしたので、一番安い百円バーガーにしてやった。


 そんなこんなあり、品が届くまで窓際の席に座っていると、目の前にいる美優が話しかけてくる。



「なんで僕が一番安いハンバーガーなのさ~」


「文句を言うな。一番高いものを注文しようとしたお前が悪い。それに、ポテトは一番大きいLにしただろ? それで十分じゃないか」


「ジュースはSだけどね~?」


「それも文句を言うでない。お子様にはそれで十分だ」


「同い年だけどね」


「実年齢はそうでも、外見的にはおこちゃまなんだよ」



 頬を膨らませている美優を見て、鼻で笑ってやる。


 美優は顔を真っ赤にして怒ってきたが、食べていたポテトを突っ込んでやると大人しくなった。



「宗は強引なんだから……」


「さっきとは違う理由で顔を真っ赤にしているのはなんでですか!?」


 

 顔を真っ赤にしてクネクネしている変態を横目に、俺はレジの方を見る。


 注文の品がまだ来ないのかなー、とか思って見ていたのだが、ちょうどトレイを持った店員さんがこっちに近づいて来ていた。


 見覚えがある奴なのだが。



「はい、どうぞ」



 そいつは乱暴な動作で机の上にトレイを置くと、長い黒髪をなびかせながら適当に礼をして去って行こうとする。



「ちっ、猫女か」


「くたばりなさい。天パ」



「お前なー、もう少し目上の人に対する態度を改めたらどうだ?」


「あら、心外ね。あたしはあんた以外の目上の人物には、ちゃーんと敬語を使ってるわよ」


「なら、なんで俺には使わないんだよ。年上だぞ? 敬えよ」


「あんたには尊敬出来る部分がなに一つないからね。あたしはあたしより凄い物を持ってる人には礼儀正しいわよ」


「……ちょっと、痛い目みなきゃ分かんないかなー、この女は」


「な、なによ。笑顔で拳を握ってても、全然恐くないわよ……」



 とかなんとか言っているが、この女ビビリまくりだ。


 目を開いて、俺の一挙一動を見逃さないとしている事が手に取るように分かる。



「み、美優先輩助けて下さい……」


「ん~。確かに宗は結構暴力的だけど、良い所はあるんだよ? 尊敬出来るかどうかは別としてね。そういう場所を見たら、敬語使いたくなるかもね~?」


「あ、あれ? あたしのフォローじゃなくて、この男のフォローですか?」



 猫女は美優には敬語を使うらしい。一体、美優のどこに尊敬出来る部分があるんだろうか。



「そうそう。美優の言う通りだ。俺を敬え」


「だ、誰があんたなんかに……」



 いきなりオロオロしだしたこの女。どうやら逃げる口実を探しているらしい。


 まあ、この場合の逃げ道は限られているがな。それをやった場合、こいつの完全敗北だろう。



「あっ、あたしバイトに戻らなきゃ。じゃあ、美優先輩、さようなら!!」


 

 俺の思った通りの口実で、北島は去って行く。



「良くやったぞ美優。お礼に頭をなでてあげよう」


「……あうぅぅ」



 美優は嬉しそうに目を細めた。


 それからハンバーガーを食べて、適当に雑談してから俺達は店を出た。

 


「これからどうする~?」


「そうだな……神川市のちょっとした観光名所の神川の森公園でも行くか? あそこなら、木が一杯あってリラックス出来ると思うけど。どうだ?」


「僕は宗が決めた場所ならどこでも良いよ~」


「そっか。じゃあ歩いて行きますか」



 神川の森公園は、今いる駅前から歩いて二十分程の場所にある。


 なんか、かなり広い草原と様々な遊具。泊まる事が出来るガレージなどもあるという、結構いい場所だ。


 そして、その森の中にある展望台。


 そこから一望できる景色は綺麗で、俺の中では好きな景色ベスト三に入る。


 で、ここから歩いて二十分しか掛からない目的地。


 横にいる美優はとても嫌そうな顔をしている。


 理由は分かる。歩くのが面倒とかそんな感じなのだろう。でも、電車を使うにはお金が掛かるし、送ってくれる人もいない。


 だったら歩いていくしかないじゃないか。



「そんな嫌そうな顔をするんじゃありません。歩くのが面倒なのなら、家に帰るぞ?」


「別に、歩くのが面倒な訳じゃないんだよ? ただ、今日は足が痛いかな~ってね。という事で、おんぶして」



 美優はそんな事を言いながら、両手を広げて子供がおんぶをねだるような恰好をする。



「よし、帰るか」


「あっ、嘘嘘! 嘘だから走って帰ろうとしないでー!」


 人通りの多い表通りを歩くこと約二十分。


 神川の森公園の入り口まで俺達は来ていた。



「木が一杯で、少し歩けば街があるなんて、想像出来ないよね~」



 そんな事を言う美優の横で、俺は痛む腰をさすっていた。


 理由は簡単である。


 あの後、走って逃げようとした俺の腰に、後ろからこいつがダイブしてきたのだ。


 凄く痛い。インパクトの瞬間に腰がグギッて嫌な音を出したので、かなり心配。


 まあ、歩ける程度の痛みだから大した事はないのだろうが……。


 ここは仕返しをするべきだろうか。


 いや、止めておこう。仕返しをしてもなんも意味ないし。



「腰大丈夫? マッサージしてあげようか?」


「遠慮しておく。マッサージと称してなにかしてくる気、満々なんだろ?」


「べ、別になにかしようなんて思ってないよ~?」


「本当の事を言ったら、良い物をプレゼントしてあげよう」


「思ってました」


「うむ。素直でよろしい。じゃあ、約束のプレゼントだ。手を出してくれ」



 俺の言葉をなんの疑いも無しに実行した美優は、両手を水でもすくうように重ねて、なぜか知らんが目もつぶった。


 俺は一度しゃがみこんで、綺麗に切り揃えられている草を、根っこごと引き抜き、それを美優の手に置いてやった。



「よし、もういいぞ」


「なんか、ザラザラする……う、うわぁ! なにこれ。……むぅ」



 目を開けて雑草を見た美優は驚いて投げ捨てた。砂が一緒に飛んでいき、小さな子供の髪に付着したけど、別にいいだろ。


「うわぁ、手が汚くなっちゃたよ……」



 自分の手を見て、美優は嫌そうに顔をしかめた。


 それから俺の方を見てきて――



「宗の嘘吐き! 僕は嘘を吐く人は嫌いだよ」



 ――と睨まれた。


 おお、怖い怖い。美優に睨まれるなんて、いつ以来だろうか。


 最近では覚えがないので、結構昔なのだろう。



「悪い悪い。でも、嘘じゃないだろ? 雑草レベルアップして芝生っぽいものになるんだから、雑草よりレベルが上がっている良いものじゃないか」


「そ、そんなの屁理屈だよ~」



 美優は顔を俯かせながら、スカートの端に手を拭う。


 これは悪い事をしたと。今頃になって猛烈に罪悪感に苛まれる。


 さて、美優の機嫌を損ねてしまったようだ。とりあえずは手を洗いに行く事を提案しますか。



「美優? 確かこの公園には綺麗な公衆便所があったよな。そこで手を洗ってきたらどうだ?」


「……嫌。宗が謝るまで、僕はここから動かないんだよ。謝るのが嫌だったら、僕の手を舐めながら、『申し訳ございません、お嬢様』って言って」


「謝るより難易度上がってるよねぇ!」


「そんな事ないもん。気持ち良いもん。主に僕が」


「得するのはお前だけだよね! 俺は人間としての尊厳を失う事になるよな!」


「そんな事ないもん。人間としての尊厳を失っても、僕の執事としてずっと一緒だから平気だもん!」


「どの辺が平気なのかを簡潔に説明せい!!」



 美優とそんな言い合いをしていると、不意に右肩を誰かに叩かれた。


 振り向いてみると。



「こらこら、大声で女の子を叱るなと、小さい頃に何回も教えただろ?」


「は?」


「じゃから、女の子のイタズラには多少目を瞑るのが男というものじゃと、何回も教えただろうに」


「……いや、誰だよ」



 俺がそう聞き返すと、訳の分からない禿げたおっさんは歩いてどっか行ってしまった。



「あれ誰?」


「俺に聞くな」



 変なおっさんが登場して変な言葉を残して去って行った事で、俺は少しだけ冷静さを取り戻す。


 いかんいかん。美優のペースにはめられちゃ駄目だ。ここはなんとしてでも俺のペースにしなくちゃ。



「ほら、早く手を洗って来たらどうだ?」


「だから、舐めてくれるなら……」


「却下。早く手を洗って来るように」


「……ケチ」


「ケチじゃありません! これが普通の反応だ」


 

 美優はぶつぶつとなにかを言いながら、公衆便所の方へと歩いて行く。


 俺はなにもする事がなかったので携帯を開き、有名SNSサイトに接続して恋コイ! をやり始めた。



「え~と、僕ね人を待たせているから、君たちとは一緒に遊びに行けないかな~」


「えー、いいじゃんいいじゃん。俺たちと遊んだ方が絶対に楽しいって。ほら、行こうよ」



 そんな声が聞こえてきたので顔を上げると、チャラ男二人組が美優の手を掴もうとしているのが見えた。


 ふぅ、これだから万年発情期のサルどもは……。


 俺は美優とチャラ男の方に歩いて行くと、美優を掴もうとしていた男の手をはたく。



「いってーな!! いきなりなにしやがる!!」


「それはこっちの台詞だ。チャラチャラした格好しやがって。それだから最近の若者は……とか変なおっさんに言われるんだぞ。一般人代表として言わせてもらうと、何度も謝りながら細胞一つ残さずに消え去ってくれ」


「て、てめぇ!」



 チャラ男の一人が殴りかかって来たので、バックステップをしながら避け続ける。


 そして地面に落ちていた一メートルくらいの木の棒を拾うと、俺は立ち止まった。


「はっ、なーに立ち止まってんだよ! そんなにボコッて欲しいなら、遠慮なくボコボコにしてやるよ!」



 金髪チャラチャラ男が繰り出してきた右拳。これを避けられるかどうかで、この先の展開が決まる。


 俺はギリギリまで迫ってきたそれを、首を軽く動かすだけで避ける事に成功させた。


 内心冷汗ダラダラだったが、これで俺の勝ちだ。


 チャラ男が焦って拳を戻し、もう片方の手で殴りかかってこようとした所で、俺は後ろに一度跳んだ。



「は?」



 まさか俺が逃げるとは思っていなかっただろうチャラ男が、間抜けな声を出す。


 俺は右手で掴んでいる木の先端を、目の前の男に向ける。



「止めといた方がいいぞ? 俺はこう見えても、剣道五段の腕前だ」



 男を睨みつけて、木を竹刀のように持ち直す。



「それがどうしたって言うんだよ……」


「そんな馬鹿にしてていいのか? 剣道ってさ、結構頑丈な防具で身を固めているだろ? だけどな、あれって喉を突かれたら死ぬ事があるんだぞ? 固い防具の上から突かれているのにも関わらず、だ」



 これで防具を着けていない奴を突いたら、かなりマズイ事になるだろう。


 そして、さっき言ったのは事実だ。だが、チャラ男が理解するかどうかは別なので、本当だと分からせる必要がある。


 

 だから、信じ込ませるために、さっきよりも強く睨みつけ、威圧感を出してみた。出てるかどうかは知らないが……。



「さて、どうする? 殴りかかってきても一向に構わないが、手痛い代償を払う事になるだろうなー?」



 本当は剣道なんてやった事がない。だけど、見るからに根性や知性が無さそうなこいつになら、十分通じるだろう。


 思ったとおり、目の前のチャラ男はうろたえ始めたようだ。


 視線をあちこちに彷徨わせ、落ち着かない感じになっている。


 殴りかかっても大丈夫なのだろうか、とか考えているのだろう。


 さっきの一発目を避けれたのは良かった。おかげで、有利に事が進められる。


 あの一撃を軽々と避けたように見せる事で、本当に戦い慣れてるってのを印象づけたかたっんだ。


 あれが上手くいけばいくほど、目の前の男は信じ込んでしまうだろう。


 ……そろそろ、か?



「おい、逃げるなら今の内だぞ? 五秒数える間に動かなかったら、俺は全力の突きをお見舞いするぞ?」


「は……ははっ。そんな事が出来るはずがない。やったら、お前は殺人者だぞ? だから出来るはずがないんだ!」


「そう思うのなら、殴りかかってくればいいだろ? それで結果が分かるぞ?」



 この勝負はもう俺の勝ちだろう。あいつは絶対に逃げ出す。だって、弱そうだもん。



「カウントダウン開始だ。いーち、にー、さーん、しー」



 俺は秒数を言いながら、一歩一歩近づいていく。いつでも攻撃できるという事を示すために、姿勢はそのままだ。


 男の顔が青ざめてきた。俺の自信たっぷりな態度に、びびってきたかな?



「はい。ごー」


「ひぃぃぃぃぃ!!」



 数え終えた途端に、男はもう一人の仲間を連れて逃げて行った。


 やっぱり、見た目を重視している奴は駄目だな。ヘタレすぎる。



 馬鹿男を追っ払ってから、美優は手を洗いに行った。


 少し経ってから戻ってくると、三メートルくらい離れた場所からダイブしてくる。



「ぐはぁっ!!」



 その小さい体からは想像できないほどの威力。こいつは化け物か!?


 地面にぶっ倒れている状態の俺は、腹に頬ずりしてくる幼なじみの頬を両手で挟むように掴む。



「いきなり抱きついてくるとは、どういう事だ?」



 両頬を俺に挟まれている美優は、口をタコのようにしながら、



「宗は本当にカッコイイんだから~。こんなに僕のハートをガッチリキャッチしてくるのは君だけだよ」


「変な男に絡まられてるのを見たら、助けるのが普通だろう。そして周りからの視線が痛いから、俺の上からどいてくれると嬉しい」



 そう言っても上からどけようとしないので、強引な手段に出ようと思う。


 と言っても、無理やりに起き上がるだけなのだが。


 まずは仰向けに倒れたままの状態から、膝を曲げてみる。



「ひゃん」



 そんな声が聞こえてきたが、軽く無視しようか。俺の膝がどこに当たっているかなどは想像してはいけない。


 今度は上体を起こす。美優は俺の背中にガッチリと腕を回してきているので、エビ反りみたいな格好になっている。


 上目遣いで見てくるエビを無視して、そのまま勢いよく立ちあがった。


 腹にかかる重圧を無視して、完璧に立ち上がると、美優は無風状態の鯉のぼりみたいな格好になっていた。


 エビになったり、鯉になったり。忙しい奴だ。


 とりあえずは、美優の腕を背中から外し自由になる。


 軽く周りを見て、視線を集めている事に気付いた。


 めっちゃ恥ずかしい! 美優の奴にはもっと羞恥心というものを持って欲しいものだ!



「これからどこ行くの~?」



 全く顔を赤らめる事もない美優に少し溜息を吐きながら、俺は答える。



「そうだな……まだ時間は速いけど、この森の中央部分にある展望台にでも行くか?」


「うん。僕は宗が決めた所なら、大歓迎だよ」


「そっか。じゃあ帰ろうか」



 そう言って展望台とは逆方向に歩いて行こうとした俺の腕に、美優はタコのように絡みついてくる。



「なんだよー。俺の決めた所なら、どこでもいいんだろ?」


「う~ん。別に帰ってもいいけど、その場合は楽しませてもらうよ?」


「えーと……聞きたくはないけど、俺の家でなにをしようっていうんだい?」


「それは、も・ち・ろ・ん」



 美優は小さい唇に細い人指し指をあて、妖艶に微笑みながら。



「ベッドの……」


「よぉし!! 展望台に行こうか! 今すぐに行こうか!!」


「うん、そうだよね。イこう!」


「なんだかちょっとだけニュアンスが違う気がするけど、それは俺の気のせいだよね!?」



 そんな俺の叫びに、美優はふふっと怪しく微笑むだけ。


 いや、まぁ。俺にもそういう気持ちが無いって訳じゃくて、だけどもそういう行為はもっと親密な仲になってから……。


 いや、美優は俺と親密な仲になりたいんだったな。


 中学生の頃の卒業アルバムに、将来の夢『宗のお嫁さん』て書くぐらいだし。


 あの時は辛かった。周りから虐められまくった。全員に仕返ししたから別にいけども。


 俺と美優は、森の遊歩道を歩いていた。


 この遊歩道、結構細い。人が二人通れば横幅はもう一杯だ。

 

 道を少しだけ横にそれようとしても、木々が密集しているので、夜に歩くと遭難してしまいそう。なんつーか……ジャングルっぽい。


 天井のように陽光を遮っている葉っぱのせいで、せっかくの良い天気が台無しだろう。



「あっ、見てよ宗。あそこにリスがいる~。きゃー可愛い~!」


「ああ、ここは動物一杯いるもんなー。さっきから小鳥が鳴く声ばかりするし」



 下を見れば、砂利道だ。小石がやら砂やらが敷き詰められていて、その上を虫が這っている。


 風が吹く。


 それと同時に美優のスカートがめくれ上がったが、顔を高速で横にそらす!


 見たって事がバレたら……。



「あっ、今見えた? 見ちゃった? 見てたよね? 宗のえっち~」


 

 横にいる奴が、両手を後ろに組みながら前かがみになって近寄ってくる。




「う、うるさい! お前は少し無防備すぎだ! もうちょっと周りの視線を考えろ!!」


「そんなに怒鳴ったって~僕の下着を見た事実は~覆りません~」


「み、見てないもん!!」


「どうだった? ピンク色の下着は?」


「……あ、あれ? 白じゃなかった?」


「あははは~、やっぱり、見てるじゃない」



 あっ、くそ! やられた! この小娘、中々の策士ぞ!!


 まるでジェットコースターのような山道を登ったり下ったりしていると、ようやく目的の場所が見えてきた。



「やっと……見えた」


「僕……疲れたよ~」



 二人とも満身創痍って感じだ。まあ、急な山道を話しながら登ってきたんだ、そりゃあ疲れるさ。


 といっても、目的地まではまだ少しだけ歩く。


 スキーの直滑降で滑って行くと、最高時速六十キロは超えるんじゃね? 的な道を下って行く。


 それから少し平坦な道を歩き、今度は登り坂だ。


 木のチップで造られた人工的な階段を上っていき、最後の一段に足を置く。


 途中で美優がもたれかかってきて、階段から落ちそうになったとかは一切ないから安心してくれ。


 

「着いたー!」


「到着~」


 

 俺は手を青空に突き上げ、思わず叫んでしまう。


 横にいる少女は、すっごいふらふらした足取りで歩いているのでかなり危なっかしい。


 で、俺達が見ている光景は。

 

 丸く切り取られた、これまた人工的にヒラけた土地。円周には木で造られた柵がある。


 その円の中心部。そこにはよく一万円前後で売っているような望遠鏡が、鎖で地面に繋げられて置いてある。


 柵の近くに行って少し下を見れば、ちょっとした崖になっている。高低差十メートルくらいか?

 

 で、ここでなにをするのかと言うと……なにをするんだろうね?


 する事と言ったら、ここから景色を眺めるだけか。


 夜になったら、中央部分にある望遠鏡を使って天体観測が出来るのだが、残念ながら今は晴天だ。


 まぁ、景色を眺めるだけでも十分綺麗だから、別にいいのだけども。



「宗? もうちょっと柵に近寄って、景色を眺めにいこうよ」


「ああ、そうだな」



 俺達は柵の近くに移動した。


 ここは神川の森の中央部分。俺達がいる場所は、その森の中でも一番高い位置にある。


 神川の森はお猪口のような形をしているのだが、左半分が地滑り起こしたんじゃね? 的な感じだ。


 分かりやすく言うと、お猪口の半分が崩れているという事だ。


 で、今俺達がいる場所。


 ここは崩れている半分と、崩れていない半分の境目にある。


 そのせいで、俺達がいる半分だけが、地面ごと上がったように見える。


 そして、ここから見える景色。それは……。



「あっ、見て見て。僕の家が見えるよ~」


「おっ、俺の家も見えるじゃん」



 俺達が住んでいる神川市を一望できるってわけだ。


 パノラマに広がっている市。今は無機質なコンクリートの塊が見えているだけだが、夜になったら景色がガラリと変わる。


 夜景だ。


 俺はその夜景がとても好きなのだが、今の時間帯じゃ見れるはずがない。


 ボーッとした表情で目の前に広がる景色を眺めていると、美優が景色を見ずに俺を眺めている事に気づく。


 そちらの方を見ずに、手でやつの目を塞ぐと「お~」という声が聞こえてきた。


 美優は俺の手に視界を遮られたままの状態で。



「宗凄いね~。なんでこんな事が出来るの?」



 なにやら、もの凄くはしゃいでいる。



「俺は相手の気を読む事で、位置が手に取るように分かるんだ」


「お~、凄い凄い」



 なんだかなー。ここまで簡単に騙されてる奴を見ると、詐欺とか凄く簡単なんじゃね? とか思っちゃうから不思議だ。


 一回、美優の目から手を離す。再び舐めまわすような視線が再開したので、溜息をつきながらまたもや塞ぐ。



「お前はよ。もう少し普通に生きられんのか。そんなのだからお前は、変な男子にしかモテないんだよ」


「じゃんけん、ぽん」


「あっ、くそ。負けた……って人の話を聞けー!!」



 いきなりジャンケンを仕掛けてくるとか、どんだけ俺の話を聞きたくないんだよ。



「とにかくだな、お前はもう少しだけおしとやかにしてみろよ。そしたら人気は鰻登りだぞ?」


「ん~」



 なにを不満そうに唸っているんだよ。俺はなにか変な事でも言ったのか?



「どうしたんだよ、唸り声なんか出して」


「別に……なんでもないもん」



 なんでもなくはないだろう。明らかに顔を横に逸らしやがって。


 中々機嫌が直らない美優から、話を聞こうとしているうちに辺りはオレンジ色に染まってきた。


 俺は一度彼女から目を離し、街の方を見る。


 さっきまでは、灰色の味気無い建物ばかりだったが、今は違う。


 茜色の光がコンクリートでできた壁にあたり、鮮やかな色に染め上げていた。



「綺麗だなぁ……」



 思わずそう呟いてしまうほど、昼間とは全然違うのだ。


 それはもう、ひきこもりが一夜にして世界の救世主になるほど全然違って見える。



「ほら、お前もこの景色を見て機嫌直せよ」



 美優の肩に手を置くと、それを払われた。



「え?」



 間抜けな声を出してしまう。


 今まで、俺がそういう行動を取る事はあったのだが、美優にやられたのは初めてだ。


 彼女は俺の横から、夕陽を隠すように前方に移動した。


 赤い光のせいで表情を読み取る事は出来ないが、雰囲気としては悲しそうな感じが漂ってくる。


 俯き、スカートの端を手でギュッと握っていた。


 やがて、彼女の小さな唇が言葉を紡ぐ。



「なんで、あんな事言うの?」


「え?」



 美優の声は若干震えていた。


 それが怒りによるものなのか、はたまた別のなにかから来るものなのか。



「なんで、あんな事言うのさ……」



 美優は、同じ質問をしてきた。


 あんな事。


 さっきの俺の言葉の事なのだろうけど、どこがいけなかった?


 美優は俯かせていた顔を上げ、俺を正面から見据えてくる。



「宗は、知ってるよね?」


「なにがだ?」



 美優がなにを言いたいかは理解しているつもりだ。だけど、ここでなんて答えていいか分からない。


 だからこんな風に答えてしまった。


 太陽が雲に遮られ、一時的に朱色の光がなくなった。


 そこで美優の表情を見る事が出来る。


 泣きそうな顔。整った顔をクシャクシャにして、頬には一筋の雫が流れていた。



「な、なに泣いてんだよ」



 高三になってから初めて見たあの涙とは、明らかに質が違う。


 あの時は嘘の方が大きかっただろう。だが、今は。



「だって……なんだもん」


「え?」



 今にも消えてしまいそうな、か細い声。

 美優の呟きにも似たその言葉は、俺には届かなかった。


 陽光を遮断していた雲が流れ、日差しが復活する。

 彼女の顔は、また見えなくなる。



「僕は……宗以外、考えられないの」


「……美優」



「だって、好きなんだもん」



 だから、さっきの言葉に対して怒っていたのか。


 俺が何気なく言った一言。他の男にモテるっていう言葉に。


 俺にとっては何気なく言った言葉だったのだが、美優には重大な事だったのだろう。


「なんで、あんな事言うの?」



 そしてまた、この質問。



「わ、悪かった。でも、あんなの冗談で言っただけで……」


「冗談でも、言って良い事と悪い事があるよね?」


「そうだけど、でも」


「でも? なにかあるの?」



 どうすればいい。どうすれば、美優の涙を止められる。


 彼女は俺に一歩近づいてきた。距離にして三十センチもないだろう。


 こいつは、不安なのかな? 俺の不用意な一言により、俺が美優を嫌っている、とか。そんな風に勘違いでもしているのだろうか。


 そんな事、あるわけないのにな。



「ごめんな。俺、美優にはなにを言っても許してもらえるって思ってた。本当に、ごめん」



 言葉とともに、軽く頭を下げる。あまり下げすぎると、美優にぶつかってしまうからだ。


 

「じゃあ、宗は僕の事、嫌いじゃないの?」


「当たり前だろう。嫌いな奴と一緒に、こんな場所に来ないよ。なんでそう思ったんだ?」



 美優は少し逡巡しているような間を空けた後、口を開く。



「だって、最近の宗は少し冷たく感じたから……」



 なんだ、そんな事か。


 俺は顔を上げて、照れ隠しをするために横を向く。そして頬を軽く掻きながら。



「あれは、その……単なる照れ隠しだ」


 俺ってツンデレですか!?


 自分で言った言葉に、自分で突っ込んでみた。が、襲ってくるのは虚無感だけ。


 そんな事はさておき。


 美優の雰囲気がさっきとは比べものにならないくらいに、明るくなったように思える。


 そんな、ね。俺がこいつの事を嫌いになるとかね。あるわけないじゃん。


 いや、異性としてではなくて。友達としてだけどね。


 いや、本当に。ここだけはツンデレじゃないから。


 

「じゃあさ、じゃあさ。宗は僕の事好き~?」



 首を傾げながら、今にも飛びかかって来そうな体勢の美優。


 

「好きかどうかで聞かれたら、好きの部類に入る。しかしその問題は、さっき俺の脳内会議で異性としてではなく、友達として。という結果になりましグハァッ!!」


「僕も宗が大好きだよ!」


「わ、分かった。お前の想いは文字通り痛いほど分かったから、とりあえず俺上からどけてくれ」



 いきなり飛びかかってくるなんて……いや、予想はしてたけど。不思議と避けようと思えなかった。


 俺の言葉を聞いた彼女は、軽快に立ち上がると地面に倒れている俺の周りをくるくると回り出した。


 そりゃあもう、上機嫌に。スキップをしながら。


 俺も地面から起き上がり、狂ったように飛び跳ねている美優を見る。


 するとスキップ少女はいきなり動きを止めて。今度は夕陽を真っ正面に受ける位置に立ってから、



「僕は、宗が世界で一番好きだよ」



 そんな彼女の笑顔は、オレンジ色の光に当てられているからか、赤く、そして輝いて見えた。


 そして。


 不意打ちの告白を受け取った俺の心拍数は、運動会で長距離を走った以上に速く鼓動していた。



「と、とりあえず、帰るか」



 俺はロボットダンスのようにギクシャクした動きで美優から視線を外し、後ろを向く。



「え~? もう少しここにいようよ~。ここで流れ星を見た人たちは、一緒になれるっていう言い伝え……というか、ジンクスみたいなものがあるんだよ?」



 なんだよ、それ。随分とありきたりだな。日本中を探したら、千個くらいは出てきそうなほどありきたりだ。



「そそ、そんなのどうでもいいからさ、早く帰ろうぜ。俺、もう疲れちまった」


「ん~。それもそうだね。僕と宗は両想いなんだもんね。流れ星を見る必要なかった」


「………………」


「あれあれ? 否定しないんだね。……やっと自分の想いに気付いてくれたんだね宗!」


「おっと調子に乗るなよ。今のは呆れてただけだからな」



 今度は普通に避けようと思えた。こいつが飛びかかって来るのは雰囲気で理解していたから、俺は横に跳んでそれを回避。



 飛びかかり少女は俺という目標物がなくなったせいで、そのまま地面にドベシャァァァ! と突っ込んだ。



「あー……大丈夫か?」



 地面は雑草が生い茂っているので、そんなにダメージはないはずなのだが、美優は全然起き上がろうとしない。


 面倒臭いが、俺は倒れている美優の顔付近にしゃがみ込み覗き込んでみる。


 すると、美優の目がカッと見開き、自分の顔を俺のそれに近づけてきた。


 だが、甘い。


 こいつがこんな行動をしてくるとは普通に予想していたので、俺は美優の顔前面を軽くワシヅカミにする。


 それはまるで、卵を握り潰さないようにする時の、あの力加減である。



「うーうー。宗、手を退けて~」


「退けたら、お前は突っ込んでくるだろう?」



 手と足をジタバタさせて暴れている美優は、とても子供っぽく見えてしまう。


 例えるなら、おもちゃ売り場で子供が地面に転がって駄々をこねているので、親が子供の頭をワシヅカミにしているような、そんな感じだ。


 こんな光景、よく見る見る。



『これ買ってー買ってー(ジタバタジタバタ)』


『めっ、この前買ったばかりでしょ? あまりしつこいと(子供の頭をガシッと掴む)握り潰すぞ(小声でボソッと)』



 こんな光景よく見るよねー。


 今の美優はそんな感じなのだ。


 

「宗~」


「な、なんだよいきなり。涙目になるなんて、卑怯だぞ」



 美優は一回動きを止めて、俺の方を凝視してくる。しかも涙目で。上目遣いで。地面に女の子座りをして、膝の前に手を着いている状態で。


 こ れ は や ば い。



 って、うおぉぉ! 俺は一体なにを考えているんだ。平静を装え、心を落ち着かせろ。



 美優に背中を向けて、一人で頭を抱えて悶える。


 

「隙あり~」


「ぐぉっ!? しまった!」



 俺が背中を向けて、ム―クの絵のようになっていた瞬間、美優が飛び付いてきたのだ。


 

 俺はいきなり加わってきた後方からの圧力に耐えきれず、顔からなんか良い匂いがする草に突っ込む。


 まずい。


 美優の手が俺の首に回ってきた。


 背中全体に温もりを感じる。それと同時に重たいものが乗っかっている気がする。


 

 これは多分、地面に押し倒されているうつ伏せの俺に、後ろから抱きつくように美優がしているのだろう。



「美優、離れてくれ……おぇっ、草が口に入った……」


「だ~め~。僕は絶対に離さないよ?」


「う、うわぁっ! 止めて、首の近くで話さないで! 息がかかって凄くくすぐったいから止めてくれ!」



 今度は俺がジタバタと暴れて、美優をなんとか上から下ろそうとしているのだが、それは不可能そうだ。



 彼女の腕が、ガッチリと俺の首をホールドしているからだ。



「やーめーてー!!」


「だ~め~だ~よ~」



 結局、俺が解放されたのがそれから数分後だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ