学校に行くときは全力疾走で
朝、目覚まし時計から発せられるうるさい音で目が覚めた。俺は布団から出てすぐに学校へ行く準備をする。
早くしなきゃ、早くしなきゃあいつが来る!
寝室のふすまを開けて、狭い居間に出て、洗面所にいき髪を整える。
鏡に映っている俺の目は、いつも通りかなり眠たそうだ。
俺がいつも寝ぼけ眼なのは、恐らく……いや、完璧にあいつのせいだろう。
寝癖を直し終わったので、台所に行き簡単な朝食を作る。
それを食べ終わった直後に、悪魔の到来を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「宗ー! 迎えにきたよー!!」
美優の奴もうきやがったか。
どうしようか。どうする俺!
「宗? 聞こえてる?」
うるさいうるさい! 玄関を何回も叩くな! お前と一緒に行くと面倒なんだよ!
こうなったら正面玄関からは出ないで、裏口からこっそりと出るしかない。
俺は鞄を持ち、台所を抜けて、裏口へと向かう。
そして開けようとしたのだが、サビているのか中々開かない。
力一杯押してようやく開いた裏口は、近所中に響くような金切り声をあげた。
これは気付かれたかな?
俺がそう考えたのも仕方がない。なぜなら先ほどまでずっと叩かれていた玄関から、物音一つしないのだ。
いや、これはチャンスかもしれないな。俺が裏口から出たとあいつは思っているだろう。
それを逆に利用して、俺は正面から堂々と出ていく。
このアパートは古いけど、結構広い。正面から裏口に行くなら、四十秒はかかるだろう。
よし! これで行こう!! 今日は平穏な登校ができるかもしれない!!
これは嬉しい、嬉しすぎる! 平穏な登校なんて何年ぶりだろうか。
俺は意気揚々といった感じで、玄関に行き靴を履く。
そして木製の扉を押し開けると、目の前には勝ち誇ったかのような笑みを浮かべている美優の姿が。
瞬間、黒のショートカットの髪が揺れて、美優が俺にダイブしてきた。
「うおあぁぁああ!」
いきなりの事で避けれるはずもなく、美優のダイブを腹で受け止めて、俺達は床に倒れこむ。
「宗。なんで無視したのさ。僕寂しかったよ~」
「う……うるさい。そんな事より、腹に頬をこすりつけるのを止めてくれ。くすぐったい」
いや、まあ、美優の頭が俺の鳩尾にジャストフィットしたから、痛いの方が強いけどね。
「だ~め。僕を無視した罰なのだ~」
「いや……マジでどけてくれなきゃ、学校に遅刻するぞ?」
俺がそう言うと、美優はただでも大きくクリッとした目を、更に大きくさせて居間に飾ってある時計を見る。
俺のアパートは玄関から、すぐに居間が見えるという構造になっているため、玄関にいながらも、時間を確認することができる。
こんなの携帯さえあれば意味ないんだけどね。
「ほ、本当だ。早く行かなきゃ」
美優は俺の上から降りて、
スカートについた埃を払う。
チャンス!! 油断してる今なら、素早く美優の横を通りぬけれる……気がする。
ああ、もう、弱気になってどうする。今日こそは平穏に登校するんだろ!
気合いを入れろ俺。大丈夫大丈夫。俺はできる子だから大丈夫。
よし、行きますか。
「隙あり!」
「えっ、好き?」
なんか変な言葉が聞こえたがとりあえず無視だ。
俺は開きっぱなしになっていた玄関から飛び出す。
だけど、玄関から少し走った所で、後ろからもの凄い衝撃が俺を襲う。
「いだだだだだだだ」
「僕も好きだよ宗~」
馬鹿野郎。俺がいつ好きだなんて言った。
しかもお前が後ろから抱きついてきたせいで、砂利道の地面に顔からダイブしちまったじゃないか。
口の中に砂は入るし、なんか顔中ヒリヒリする。鏡で見たら擦り傷で一杯になってるんだろうな。
「あーあ。もう学校行きたくね」
こんな顔で学校に行きたくない。
「本当? だったら僕と良い事しようよ」
「よーし! なんかやる気がみなぎってきたよ!! 今の俺は誰にも止められない」
俺は美優を無視して、 全力疾走で学校に向かった。
「宗~待ってよ~。僕を置いてかないで~」
「うるさい。絶対に嫌だー!!」
俺は道路の脇にある歩道を全力疾走している。
すぐ後ろには、俺よりも遅れて走り出したはずの美優の姿。
あれ? おかしいな。俺……足遅くなったのかな?
なんで美優に追いつかれてんの? 美優には足で負けた事がなかったのに。
何気なく後ろを見てみると、若干息を切らして頬を紅潮させている美優がいる。
つーかさ、今美優の姿は、膝上十センチくらいのミニスカートであって、そんなに走っていると風で、こう……なんというかヒラヒラしてさ。
あぶなっかしいんだよな。
いつ中身が見えてもおかしくないくらいだ。これは忠告してあげなきゃ。
「美優。そんなに全力疾走していると、スカートの中身見えるぞ」
「えっ? な~に宗? 見たいの?」
ば……馬鹿野郎。別に見たくねぇーよ。
「宗のえっち~」
「う……うるさい!」
こんな会話を走りながらしているせいで、そこらへんにいるおばさん達から白い目で見られてるのは、気にしないでおこうかな。
「宗~待ってよ~」
えーい、うるさいうるさいうるさい。
「美優と一緒に学校行くと、周りの奴らが変な目で見てくるだろ」
「え? 僕と一緒に行くの嫌なの?」
あれ? いきなり暗い声になった。
しかも後ろから追ってくる足音が聞こえてこない。
振り返ってみると、美優は立ち止って俯いていた。
これは可哀そうな事をしたかな。
ちょっと反省。
「ごめんな美優。そういうつもりじゃ……」
俺は美優に近づき、肩に手をかける。
「嫌だから、逃げてたんだよね」
「うっ……いや、その……」
「なんてね。隙あり~」
「へ? いでっ!」
美優がいきなり顔をあげて、俺に突っ込んできた。
朝と同じく避ける事ができなかった俺は、硬くて春の日差しで暖かくなっているコンクリートに頭を打ち付ける。
これは痛いです。
美優の奴は俺の胸に頬を擦りつけてくるし。
猫かお前は。
「とりあえずどけようか」
「嫌~。疲れたからもう少しこのままがいい~」
だから学校に遅れるんだっつーの!
俺はなんとか美優を上からどかして立ち上がり、制服についてしまった土をほろう。
全く美優の奴。もう少し場所をわきまえろよな。
恥ずかしいだろうが。
さて……と。また美優を無視して走るのもいいが、それでは今と同じ結末を迎えるだろうな。
という事は、俺がとれる選択肢は一つしかないってわけだ。
「ほら、美優も早く立てよ。学校に遅刻するぞ」
「宗がいきなり優しくなった~。宗ってツンデレ?」
「やかましいわ。ほら手を貸すから早く立てって」
「ありがとね。えへへへ。宗が優しいと嬉しい」
まあ、今までは冷たくしすぎたかな。
これからはもうちょっと優しくしてもいいのだが、それだとこいつはつけ上がるだろうし。
難しい判断だ。
ここで考えてても仕方がないな。それよりも学校だ。
始業式早々遅れてらんないぞ。
「とにかく走るぞ。美優。このままじゃ、遅刻しちまう」
「わかった~」
本当に分かってるのかよ、緊張感のない返事しやがって。
うーん。まあ、大丈夫だろ。さっきは足速かったしな。
「よし、行くぞ」
「うん」
俺達は走り始めた。
途中、美優に抜かれたりしたが、そんなの気にしないでなんとか遅刻ギリギリに学校に到着。
俺達が校門を通り過ぎたすぐ後に、竹刀を持ったいかにもって感じな体育教師が門を閉めた。
本当にギリギリだったな。
美優が抱きついてこなければ、こんなに全力疾走しなくても済んだのに。
「宗~。早くクラス分け表を見に行こうよ~」
俺はかなり息切れしてるっていうのに、美優の息は整っている。
どうなってやがるんだ、まったく。男として情けない。
「ああ、そうだな。見に行こうか」
「同じクラスだといいね」
「それはちょっと遠慮したいかな」
「なんでさ~」
「そんなに不満そうな顔するな。理由は色々とめんどいからだ」
まだ不満そうな顔をしている美優はほっといて、俺はさっさと生徒玄関に貼ってあるクラス分け表を見に行く。
えーと、俺の名前は新藤宗太だから……。
おっ、あったあった。
三年二組か。美優の名前もあるな。
また同じクラスなのかよ。これで、小、中、高ずっと一緒だな。
「やった~。宗とまた一緒だ」
「ああ、そうだな」
他にはどんな奴がいるんだろ。相田、阿川、井川、宇川、江川、小川、香川、木川、区川、毛川。
……川がつく奴ばっか。
あっ、鳴海の名前もある。これで高校三年間一緒だ。中学も合わせれば、六年間か。長いな……。
鳴海がここにいないって事は、もう教室に行ってるのか、それとも遅刻か。
まあ、多分後者だろうな。
あいつは、神川高校始って以来の連続遅刻記録を更新中みたいだし。
それよりも、早く教室に行くか。
美優の奴が、無駄に目を輝かせているけど、それは無視の方向で。
「宗、また同じクラスだね。僕、嬉しい~」
「あ、ああ。嬉しいのは良い事なんだけどさ、腕に抱きつかないでくれるかな。靴を履きづらいのだが」
「分かった」
あれ? やけに素直だな。
いつもなら『嫌だ』とか言って、絶対に離れないのに。
まあ、流石の美優も恥ずかしいのかな。
下駄箱の前で抱きついてくるから、そこらへんにいる人たちから視線を集めているし。
なんか「羨ましいな」とか「リア充死ねよまじで」とか聞こえてくるけど、俺のせいじゃないんだよね。
俺だってちょっとは嬉しいさ。
美優は性格はちょっとアレだけど、顔はまあ、可愛い部類に入るだろう。
黒の肩まであるショートカットに、クリッとした目。鼻筋は通ってるし、口も小さい。
なんか全てのパーツがバランスよく配置されている。
なんで美優が俺のような奴に抱きついてくるのか、それが甚だ疑問だ。
あーあ、これで性格がおしとやかだったら、俺のタイプなんだけどな。
本当に残念だよ。
「宗~、なに難しい顔してるのさ。早く教室に行こうよ~」
「あ、ああ。悪い悪い。じゃあ行くか」
「うん」
俺と美優は二階にある三年二組の教室の前に来た。
ここ、神川高校は、四階に一年の教室など。
三階に二年の教室。
二階に三年の教室がある仕組みになっている。
全学年には六クラスずつあり、そこそこ人気の高校だ。
その理由は駅から徒歩十五分とそこそこ近く、周りにはショッピングセンターやゲームセンターなどの娯楽施設が多数存在しているからだろう。
一階には職員室やら体育館、それと外にプール、グラウンドがある。
俺は教室の扉を開けた。
それまで友達同士で話していた奴らが一斉にこちらを振り向く。
だが、それも一瞬。
皆はすぐに俺たちから視線を外し、またお喋りを始めた。
あれだよね。遅刻した時に、皆の視線を集める時があるけど、かなり恥ずかしい。
今の心境もそんな感じだ。
「なにボーとしてるのさ宗。早く教室に入らなきゃ」
「そうだな」
俺達は教室の中に入り、それぞれ決められた席に座った。
俺は廊下側から三番目。窓側から四番目の一番後ろというポジションになった。
美優の奴は名字が相崎のため、廊下側から二番目の席の一番前になっている。
美優は席に着くなり、後ろの女子と話し始めた。
美優はなぜか知らんが、女子の間でも男子の間でも人気がある。
そんな理由もあってか、俺は一部の男子からは圧倒的に嫌われている。
自分たちが美優に近づけないからってさ、俺の靴を便所に隠したり、ノートに落書きするみたいな幼稚な事しなくてもいいじゃん。
あれはあれで落ち込むんだぞ。
そんな事は置いといて、俺の前の席は……鳴海か。
坂井鳴海。鳴海と聞けば、大抵は名字を思い浮かべるだろう。
しかし、こいつの場合は名前。
今では二年から始まっている、連続遅刻記録の保持者だ。
確か今日も遅刻すれば……七十回目だったけな。
あいつは不名誉なタイトルを取るのが趣味なのか?
高一の頃は罰掃除をさせられた数で、神川高校始まってから最高の三十回やってたな。
この神川高校は今年で開校二十周年を迎える古いのか、新しいのか微妙な高校だ。
まあ、どうでもいいのだが。
「おい、新藤。ちょっと便所来いや」
あーあー、うるさい。変なのが来たよ。通称ダメガネ。本当の名前は森 和重。
こいつは美優のファンみたいなやつで、額縁メガネに、ボサボサな髪、体格もヒョロっとしていてかなり貧弱だ。
まあ、言う通りに便所に行ってもいいのだが、それでは俺が危険な目にあうだろう。
だから行かない。というか行きたくない。
美優に話しかける努力もしないで、俺にあたるような奴の言いなりになる必要が全くないからな。
だからこんな奴が来たら俺が必ず言う言葉がある。
それは……。
「え? なに? 美優と話せないからって、俺に妬いてんの? クタバレカス」
これを言うと、大抵の人達は襲いかかってくる。
そして、こいつはいつも襲いかかってくる馬鹿野郎だ。
どんな出来事も、予想さえできてれば対応できるものだ。
こいつが襲いかかってくるのを予想していた俺は筆箱から素早く鉛筆を取り出し、ダメガネのメガネに当たる瞬間で鉛筆を止める。
ダメガネの動きが止まり、数秒後には地面にへなへなと座り込む。
あー、危なかった。後、数センチでもダメガネが動いてたら、眼鏡に突き刺さるところだったよ。
そしたら、眼鏡のレンズが割れて鉛筆がダメガネに刺さり、俺は少年院か刑務所行きで終了。
そんな事にならなくて本当に良かったぜ。
「これに懲りたら一生俺に近づくな。それと美優にもな、カス」
これも俺が敗者に言うお決まりのセリフ。
まあ、このダメガネはいつも襲いかかってくるから、全然懲りてないんだよね。
いつもはダメガネの後ろにいるガキ大将も、今はいない。
恐らく便所で待ち構えているのだろう。
一生便所で暮らしてればいいのに。
このガキ大将は、映画の時だけ良い奴になるような性格じゃない。
純粋に弱い者をいじめて楽しんでるんだろう。
放課後に駅前に行くと、カツアゲされてる人が大勢いるらしい。
俺は見た事がないけどね。
駅とは逆方向だし。
「くそ、新藤。今度会ったら泣かせてやるからな!」
ダメガネは敗北者がよく言う捨て台詞を言って、教室から飛び出していった。
その時に、都合よくSHRの始まりを知らせるチャイムが鳴った。
あーあ。本当にめんどくさい。
なんで俺が毎日のように、あんな馬鹿を相手にしなくていけないのだ。
「はーい。みんな席に着けよ」
男の先生が入ってきて、指示を出す。
言われた通りに座ると、教室の扉が開き、茶髪のツンツンヘアーが飛び込んできた。
「いてててて、先生! 俺はセーフですよね!」
「アウトだ馬鹿野郎」
「そんなー」
今遅刻してきた奴が坂井鳴海。これで記録を七十回に伸ばした男だ。
鳴海は遅刻した事がショックなのか、いまだに地面に座り込んでいる。
七十回も遅刻してるんだし、もう落ち込まなくてもいいじゃん。
むしろ記録を伸ばすようにすればいいのに。
そしたら後世には決して破られる事がない、大記録の達成て事もありえる。
「おい、鳴海。早く立って席に座れよ」
「おお、我が大親友の新藤くんじゃあ、あ~りませんか~」
「そのテンションうざいな」
「ふっ、こんな記録を作っちまったら、テンションを高くせざるおえないさ」
まあ、確かにね。
でも、お前のテンションはいつもそれくらいだろうが。
さっきは珍しく落ち込んでたから、声をかけたっていうのに。
心配して損した。
鳴海はゆっくりと立ち上がり、変な踊りをしながら席に着いた。
「新藤新藤」
「なんだようるさいな」
「可愛い女の子いたか?」
「そんなの自分で見つけろよ。それと、テンション高いから少し下げてくれないか」
鳴海は俺の言葉を無視して、周りを眺め始めた。
顔を見るたびに、笑顔になったり、残念な顔になったり、本当に忙しいやつだ。
俺もそれにつられて、何気なく周りを見た。
俺の横にいるのは、なんだろ……ちょっと太ってる子。
その後ろには、俺の大嫌いなギャル系がいる。
神川高校は、校則が緩いため女子は化粧をしてきている。
ナチュラルメイクの子もいれば、ギャルがするようなメイクをしてきている子もいる。
俺としては、ギャルメイクはしてほしくない。
まあ、俺が人のメイクに口は出せないけどね。
けどさ、美優は化粧しないでも十分可愛いぞ。
他の人だって、中学の頃は化粧はしていないはずだ。なのになんで高校になったら化粧するのかね。
しかもギャルみたいに。
あれか? 高校デビューか。
いや、でもな。もう高三だしな。
それに、おれも高校デビューしてないから、全員がなるわけではないのだろう。
特に調子こいてないし、髪だって染めてない黒だし。
なんだろ、高校に入ったばかりの人はさ、不良ぽくするのがカッコイイとか勘違いしてるのか。
なんか親に反抗するのも、カッコいいとか思ってる人もいるみたいだし。
俺には理解できないな。
親がいなければ生まれてきていないし、生活もできない。
なのになんで反抗するのか。
カッコイイわけではない。むしろその逆だ。
カッコ悪い。これに尽きる。
ドラマとかだとさ、『生んでくれって頼んだ覚えはねぇーよ』とか言ってる人がいるけど、あれは酷い。
世の中には生まれてきたいのに、生まれてこれない命だってあるんだ。
あんな言葉はそういう命に対する侮辱でしかない。
俺がなにを言いたいかというと、命は大切にって事。
親にはあまり反抗しないって事。
これテストにでるからね。ちゃんと復習するように。
「はい、じゃあSHRはこれでお終いな。一時間目の用意をしておくように」
チャイムが鳴った直後に先生はそう言って、教室から出て行った。
「新藤新藤新藤新藤!!」
「うるさい! 耳元で叫ぶなバカ鳴海!」
「お前の方がうるさいよ。それよりもさ、あの子可愛くないか?」
鳴海が指差したのは、窓際に座っている腰まである髪の女の子。
どうかな。なんか雰囲気的に、おっとりしてそうだ。
若干だが垂れ目で、ウェーブがかかっている黒の髪。なんか友達と話して笑っている姿はとても上品で、手を口に当てている。
うん。確かにレベルは高い。
「どうだ新藤。可愛いよな」
「ああ、かなりレベル高いな。俺はあんなおっとりしてる子は好きだ」
「ほほー、お前は天然系が好きなのか。天然萌えか」
「いや、ちが……」
俺が言いかけると、前方から人を殺せるんじゃないかってくらいに鋭い視線が送られてきた。
送ってきている人物は方向から大体想像がつく。
というかあいつしかいない。
俺が奴の方を見ると、消しゴムが迫ってきていた。
それをマトリックスみたいな感じでかわすと、今度はボールペンがきている。
「いた!」
まあ、当たりました。座ったままの状態で、マトリックスをできた自分を褒めてあげたい。
ボールペンって当たると結構痛いんだね。
当たった場所はノックする場所なんだけど、眉間にヒットしたからか、かなり痛く感じる。
――とりあえず美優に文句を言いに行くか。
俺は椅子から立ち上がって、一番前の席で何事もなかったかのように、友達と談笑している美優に向かっていく。
「おい美優。お前なにするんだよ」
「え~? なにが~?」
「そんな首を傾げて、分からない振りしたって駄目だからな。俺はお前がボールペンを投げる瞬間を目撃してるんだよ」
「バレちゃあしょうがないね。宗が他の女の子の事を、可愛いとか言ってるからついつい」
なんだこいつは。ついついでボールペンを人に向かって投げるのか。
つーか俺が誰かの事を可愛いとか言っていいじゃん。
高三だもん。まだまだそういう事に興味あるんだし、しょうがないだろ。
まあ、今の反論は美優に言えないけどね。
言ったら、「じゃあ、僕とすればいいじゃん」とか言うに決まってるもん。
「あーあ。俺って物を投げる人嫌いなんだよね」
「えっ? そうなの? ごめんごめん。許してよ~」
「それ相応の誠意ってもんを見せてもらわなきゃゆるせないな」
俺がそう言うと、美優はなにかを考え込む仕草をした後に、俺の手を取って教室から出ていこうとする。
「おい美優。どこに行こうっていうんだよ」
そんな俺の言葉は無視された。
俺が連れてこられたのは、一時間目がもう少しで始まるためか、人がいない校舎裏。
雑草が伸び放題になっていて、暖かくなってきているため、その雑草の上をいろんな虫が歩いている。
美優はここでなにをしようってのか。美優の普段の思考パターンから考えられるのは二つ。
一つは「これが僕の誠意だよっ」て言って、襲ってくるか、「ここはポカポカしてて気持ちいいんだよね~」とか言い出すか。
美優は基本的にポジティブというか能天気だからね。
だからいつものんびりしてる。それが喋り方にも現れてるし。
「こんな所に連れてきてごめんね宗。僕ね……僕……」
「とりあえず座らないか? あそこに座るのにちょうどいい切り株があるし」
俺は隅っこにある、二人が座る分には十分な大きさの切り株をを指差した。
「う……うん、そうだね」
美優は落ち着かないながらも、俺の後に着いてきて、俺の横に座った。
「それで? なんの話だ?」
「う、うん……あのね……その……う~……」
「うわっ、なに泣いてるんだよ美優! どこか痛いのか!?」
美優の目からは大粒の涙が幾つも零れ落ちている。
でも、どこかを怪我した様子もないし。
うーん、分からん。
「泣いてちゃ分かんないぞ。言葉で言ってくれなきゃ」
「うん」
美優は返事をした後、今まで前を向いていた体を、俺の方に向けてきた。
「僕ね、宗が大好きなんだよ。だからさ、嫌いになんてならないでよ~」
顔が熱い。いつもとは違った雰囲気で発せられた告白の言葉は、俺の心をかき乱した。
今俺の顔を鏡で見れば、真っ赤になっているだろう。
それほどまでに顔が熱く感じる。
どうしよう。心臓がバクバクいってきた。
落ち着け、落ち着け。とりあえずは平静を装うんだ。
俺は深呼吸をしてから、美優に答える。
「そそそそそんな事で泣いてたのかよ。おおお俺が嫌いになるはずないだろぉぉ」
あばばばば、深呼吸で心を落ち着かせたはずなのに、どもっちまった。
これは恥ずかしい。
「本当! ありがとう宗!」
「うわ、抱きついてくるな!」
「嫌いじゃないって事は僕のこと好きって事でしょ?」
「違う違う。Likeであってloveではないんだよ」
全くこいつは。いつの間にか泣きやんでやがる。
一時でもドキドキした俺の心を返せ。
一時間目の始まりを知らせるチャイムが、校舎裏に響いてきた。
俺と美優は走って教室に戻った。
確か一時間目は始業式。校舎裏に行ってる場合じゃなかった。
つーか、先生も教室から出ていく時に、体育館へ行く準備をしとけって言ってくれればよかったのに。
俺達が教室の前に着くと、すでに皆が並んでいて、俺を鋭い視線で見てくる。
ああ、言いたい事は分かってるさ。「なに遅れてるんだよこの野郎」とかそんな感じだろ!
でもさ、なんでその視線を俺にだけ送ってくる。
一緒にいる美優にはなぜ送らない。
あれか? そこまでして俺が憎いのか? ぐれるぞちきしょー!
「おい新藤なにやってんだよ。早く並べって」
「あ、ああ。そうだな」
並び順は出席番号のようだ。
なので俺は鳴海の後ろに並んだ。……なんか後ろから何回も叩かれてるんですけど。
しかも結構痛い。
グーで殴られてるなこれは。誰だよちくしょー。俺がなにしたって言うんだ。
文句を言ってやろうと後ろを振り返ると、ガキ大将が仁王立ちしていた。
坊主頭に太った体型。まるで歌が下手なガキ大将を、そのまま実写化したような奴。
そしてなんか臭い。
これは……そうニンニクの匂いだ。最悪だよ。
ニンニクの匂いをぷんぷんさせながら、ガキ大将……名前なんだっけ? まあ、いいやジャイアントニートで。
ジャイアントニートは俺の背中を殴ってきている。
なにがしたいんだよこいつは。
ふと、何人か後ろを見るとダメガネの姿が見えた。
笑っている。薄気味悪い笑みだ。
もうあれだ。タバスコ飲んでアーッてなれよ。お願いだから。
そんな事を考えているうちにもジャイアンニート……メンドイ。ニートでいっか。
ニートは俺の背中を休む事なく殴り続けてきている。
ニンニク臭いんだよニート。死ねよ、いやマジで。
ネコ型ロボットに頼んでスモールライト出してもらって、凄く小さくしてから苛めたい。
つーかふんづけたい。
「なあ、鳴海。なんかニンニク臭くないか?」
「ニンニク? いや違うな、新藤。この匂いはお腹が緩い時に出てくる水っぽいあれの匂いだ」
なーるほど、あれな。どうりで臭いと思った。
痛い!!
ニートが殴ってくる強さを変え始めた。
今の話を聞いてたのかよ。
たくっ、これだから弱い者苛めをする奴は嫌いなんだよね。
俺は暴力が嫌いなんだ。でもな、俺にも我慢の限界ってもんがるんだ。
俺は後ろを振り向き言ってやった。
「ダメガ……森和重くんが女子のスカートを盗撮してる!!」
あいつの周りから一気に人が消え去った。
そこだけポッカリと結界が張られたように、空間の出来上がり。
ニートには文句言えない。
だって恐いもん。
「し、新藤! いきなり嘘をつくな! 取り消せ、今すぐに取り消せ!!」
「え、な、なに言ってるんだよ。ここ、この前俺に言ってきただろ。女子の生着替えの写真が欲しくないかって。俺盗撮してるから簡単に手に入るとも言ってたじゃないか!!」
「嘘だッッッッッ!!」
鉈女のモノマネですか、そうですか。モノマネもいいが、自分の状況を確認したらどうだ?
女子からは殺気がこもっているような目で睨まれているし、男子からは『フルボッコにした後、写真全部奪おうぜ』とか囁かれてるんだぞ。
俺は知らない。なにも知らない。
ニートに俺を攻撃させたお前が悪い。
文句があるのなら、正々堂々と真正面からかかってこい。
「う、うわぁーん。ママァーン!!」
ダメガネはそんな状況に耐えきれなくなったのか、走ってどこかに行ってしまった。
今時、ママンなんて言う奴いないぞ。自重しとけダメガネ。
そして二度と帰ってくんな。
「おい新藤さっきの話本当なのかよ」
「え? なんの話だ? 鳴海」
「盗撮の事だよ」
「……嘘に決まってるだろ」
俺がそう言うと鳴海は、当たり前かと呟き前を向いた。
そして先生の一声により、体育館へと移動することになった。
ダメガネを除いてね。
体育館に入った俺達は、クラス毎に並べられて、校長のやたらと長い話を聞いている。
この話の間ずっと立ってるのがツライ。
校長の話が子守唄に聞こえてならないのだが。
結論から言うと、かなり眠い。
大体さ、いつも夜遅くまで誰かさんのせいで起きてるっていうのに、こんな面白みのない話を聞いてても睡魔に襲ってくれって言ってるようなもんだ。
なんかもう嫌だ。
神川高校の体育館は人数の割には狭いほうだ。確か全学年合わせて、六百人近くいたかな。
その割には体育館は横幅がギュウギュウに生徒を詰めて、なんとか入る程度。
縦幅はかなりの余裕があるのだから、前に女子、後ろに男子とか工夫すればいいんんだよ。
この男女一列ずつのせいで、横にいる女子とは肩が触れ合うくらい近い。
そしてなぜかしらんが、後ろにいるニートがやけに近い場所にいる。
だって、ニンニクの匂いが凄いするんだもん。
なに食ったのこいつ。なんか気分悪くなってきた。
あー、なんか目眩してきたかも。これ、倒れたら保健室で休めるのかな……。
いや、やっぱいいや。保健室の先生には関わりたくない。
保健室の先生は暇さえあれば、なにもボケてないのに、関西弁で突っ込みを入れてくる変態だ。
だから近づきたくない。
校長の無駄に長い話が終わり、生徒会指導部からの連絡が始まった。
この内容は、犯罪行為を起こさないようにしろ、というものだ。
特に指導部の先生は、俺の後ろに立っているニートに向かってその言葉を発していたように思える。
まあ、この高校は進学校という事もあってか、真面目な生徒が多い。
むしろ、なんでニートのような暴力男がこの学校に入れたのか、それがかつてからの疑問だった。
噂によるとこいつの父親は国会議員でその権力を思う存分使い、裏口入学をさせたとか。
本当か嘘かは確かめようがないけどね。
けどさ、これが本当だとしたら、一生懸命勉強して入った人を馬鹿にしているとしか思えない。
まあ、俺はそんなに勉強しないで入ったけどね。
サッカーの推薦入学で。
中学時代はぶいぶい言わせてたね。
高校になってからは、ほとんど幽霊部員だけど。
そんな事はどうでもいいか。
生徒指導部の話も終わり、生徒会長が壇上に登った。
それと同時に、新入生を除く在校生からの拍手と歓声が一斉に送られる。
この生徒会長は、かなりのカリスマ性を天から恵まれて生まれてきたのだろう。
非の打ちどころがないほど、整った顔立ち。遠くまで透き通るような綺麗な声。
長い黒髪を頭の先で結び、それが腰まで落ちていく。いわゆるポニーテールというやつだ。
ここまで言えば、背が高いかと想像してしまうだろうが。むしろその逆。
赤いランドセルを背負わせても、違和感がない。それほど背が低い。
それにしてもこの衰えを知らない人気。まるでどっかの芸能人のような感覚だな。
その生徒会長が一礼をすると、皆は一斉に静まりかえる。
しばらく体育館内に反響していた歓声が全て消え去った所で、会長は話だした。
檀上からは、結構離れているため、ただでも背の低い会長が、さらに低く見えてしまう。
「皆、元気だったかの? 儂は元気じゃ。いやー今日は朝起きるのがつらかったのじゃ。もう少し布団で寝ていたい衝動にかられての。なんかもう全身からやる気がみなぎってこなくてのう。今もねむぅてねむぅて、我慢できそうもない。だからこの話はここで終わりじゃ」
これがこの学校の会長様。
端正な顔立ちや、身長の低さからは想像できない独特な喋り方、そして親しみやすさで人気を獲得している御方だ。
俺もこの人は好きだ。いや、異性として好きとかじゃなくて、人間として尊敬できる部分がたくさんある。
容姿端麗、才色兼備、料理の腕も一級品とのこと。
もうあれだ、この人こそ神に愛された少女だ。
生徒会長がポーニーテールを揺らしながら壇上から降りると、それを悔やむような声が全体から聞こえてくる。
凄い人気だ。同学年とは思えない。というか同じ人間とは思えない完璧さ。
憧れるねー。
この後は授業体制とか、一年間の主な行事等を担当の先生が知らせて、始業式は終わり。
いやー、立ちっぱなしとは思ったよりも疲れる。
かれこれ四十分は立っていたな。
先生たちも気を利かせて、座らせてくれればいいのに。
始業式で倒れる生徒がいなかっただけましか。
俺達が教室に帰っている間に、後ろから美優が話しかけてきた。
「ねぇねえ宗。やっぱり凛ちゃんは人気あるんだね」
「凛ちゃん? 誰だっけ?」
「え~覚えてないの~。さっきの会長さんで、大城凛ちゃんじゃない」
ああ、確かにそんな名前だったような気がしないでもない。
それにしても、名前までなんかいいな。
俺なんて宗太だぞ。なんだよ『太』って。太いってか? 俺は痩せてるぞ。
どうせならもっとカッコイイ名前が良かったな。
新一とかさ。そんなのが良かった。
でも、愚痴を言っても仕方がないからな。親が頭を悩ませて考えてくれたんだろうし。
さーてと……今日は始業式が終わったらすぐに帰れるから、ゲームでもしますか。
大人のゲームをね。ふふ……。
「宗~、なににやにやしてるのさ。あっ、もしかして僕が可愛すぎて襲いたくなってきた? きゃー、駄目だよ皆が見てるよ~」
美優は頬を赤面させて顔を横に振っている。
「妄言はよそで言ってくれ」
まあね……エロい事を考えてたのは否定しないが。
教室での帰りの挨拶も終わり、俺は教室から出ようとする。
「あっ、宗待ってよ~」
「待ってるから、そんなに走って転ぶなよ……」
「きゃっ!」
「言ってるそばから……。なにをしてるんだお前は」
大体、なんでなにもない場所で転べるのか、それが不思議でたまらないのだが。
立ちあがった美優は恥ずかしそうに俯きながら、ホコリを落としている。
美優の後ろにいる男子がニヤけているのは勘違いなのだろうか。
あっ、俺が見てるのを知った男が、舌打ちしてから中指立ててきやがった。
そこまで妬ましいのか俺が。なんなら変わってもいいのだぞ?
というか変わってくれ。
「お待たせ~。ごめんね。いたっ」
「ん? どうした。ってなんか膝が赤いぞ。擦りむいたのか?」
「うん、そうみたい。でも大丈夫だよ。すぐに治るし」
「駄目だ。そういう小さな傷でも、ほっとくと悪化するものだ。だから、ほら、保健室に行くぞ」
「うん、心配してくれてありがとね。今日の宗は優しいな~」
はぁー、まさか行きたくないと思っていた保健室に、早速行く事になるとは……。
まあ、しょうがないけどね。
「ほら、その膝じゃ歩くたびに痛いだろ? だからおぶってやる。早く乗れよ」
「えっ、いいの宗。ありがとう~」
美優は俺に飛びかかる程の勢いで乗っかってきた。
うーん、これは歩かせても平気なのかな?
だってこんな飛びのってくるくらいなんだから、足の怪我も大したことないのかも。
今更、自分の安易な発言で、美優を背中に乗せた事を後悔。
だってこいつ、俺の首に息を吹きかけてくるんだもん。
むずがゆいったらありゃしない。
「いい加減に首に息をかけるの止めてくれ」
「なんで? あっ、もしかして感じてるのかな~。やった、宗の弱点発見~もっとかけちゃえ」
「うわっ、ちょ、やめろって。降ろすぞこの野郎」
あっ、やっとやんだ。それにしても、俺は首が弱かったんだな。
今度からは美優を背中に乗せないようにしなくては。
なにをされるか分かったもんじゃない。
――それにしても、美優の体重軽いな。背中にいるって感覚があまりない。
体重何キロだろ。気になるけどこれは聞けないな。
聞いたら、『教えてあげてもいいけど、それ相応の代償は払ってもらうよ?』とか言われるに決まってる。
俺は美優をおぶったまま、階段を使って一階に降りる。
その際に、周りからの視線と囁きが果てしなくうざかったが、気にしたら負けだろう。
保健室は一階にある生徒玄関の近くを通って、その奥にある角を曲がったすぐの所にある。
美優が俺の背中で機嫌良さそうに鼻歌を歌っているからか、それとも純粋に俺に対する嫉妬なのかは知らんが、かなり視線を感じる。
気にしたら負け、と思っていても、やはり気になるものは気になる。
俺はこんな場所から一刻も早く逃げ出したかったので、速度を歩きから走るに切り替えた。
「え? ちょっと宗。速いよ~。あっ……どこ触ってるのかな~」
「えーいうるさい! 変な声出すな。おんぶすると仕方なくそこを触っちまうだろう」
「お尻じゃなくてさ、足を持てばいいんじゃない? でも、僕はこの方がいいんだけどね~」
くそっ、その手があったか。そうだよな、尻じゃなくて足の膝部分を持てばそれで事は解決するわけだ。
いや、でも、もうすぐ保健室だし、ここで持つ場所を変えるのもアレだから……このままでいっか。
「宗のえっち~」
「やかましい!!」
保健室の扉の前に立ち、片手で美優を支えながら扉をノックする。
だが、返事がこない。
念のためにもういちど扉を叩く。
やはり、返事はなし。
仕方ない、誰もいないのだから、勝手に入って道具でも借りようかな。
消毒くらいなら俺にでもできるだろうし。
保健室へと続く扉を開くと、消毒液の匂いが鼻を刺激する。
とりあえず保健室のベッドに美優を置いて、俺は先生の机らへんを物色し始める。
美優の方をチラッと見ると、頬が赤い。あいつ、なにか想像してやがるな。
そんな事はさておき、絆創膏と消毒液、ガーゼを見つける事に成功。
いやー、この机は清潔感の欠片もないほどにぐちゃぐちゃだな。
乱暴に置かれ、表紙が折れている医療関係の分厚い本。なんか色んな書類が挟まっているファイル。
こんな不用心に置いといて大丈夫なのかね? 最近は春という事もあってか、変質者が増えてきているし。
この前なんか、学校の中を全裸の男が走りまわってたな。どうやって侵入したかは不明らしい。
大丈夫かよここの防犯システム。仮にも進学校なんだろ? 生徒の安全にもうちょっと気を配れよ。
「宗、まだ~?」
「ああ、悪い悪い。今行くよ」
俺はベッドに腰かけている美優の前に行き、足の前にしゃがみ込む。
「じゃあ、まずは消毒液かけるからな」
「うっ……んんっ……痛いよ~。もっと優しく……」
「はい、やめー! 俺は帰る!!」
「えっ、待ってよ~。僕、怪我人だよ。もっと優しくしてよ」
「じゃあ、もう変な声出すなよ」
「う、うん。気をつける」
その後の美優は、変な声も出さずに大人しくしていた。
足を掴んでガーゼで消毒液を拭い去り、その上に絆創膏を貼る。
ふー、我ながら中々手際がいいじゃないか。さてと、保健室の先生が戻ってくる前に帰りますか。
「立てるか?」
「うん、大丈夫。ありがとね宗。僕、嬉しいよ」
「いいってことよ。それよりもさ、早く帰ろうぜ。ここの先生に見つかりたくないからさ」
「うん」
美優はベッドから降りて、俺の横に歩いてきた。満面の笑みを浮かべている。
不覚にもドキッとしました。いつもと雰囲気が違うんだもんよ。
笑顔の質が違う。
今までのはなにか悪だくみしてそうな笑顔だったのが、今はそんな事は微塵も感じさせない純粋な笑顔……だと思う。
いかんいかん。平静を装え。この動揺を美優に感づかれたらなにを言われるか。
俺達は保健室から出て、家に帰って行った。