7.黒猫リン
「出場者は、こちらへどうぞ」
場内に駆け込んだカナは、右からやや機械的な女性の声に呼び止められた。
声の方へ振り向くと、紺色のスタッフトレーナーを着た三人の女性が、機器を並べた横長の机の前に座っている。
全く同じ座高、似たようなナチュラルショートボブの黒髪、似たような無表情の顔。
アンドロイドに間違いない。
横を向いているのに出場者であると言ったのは、セーラー服で判別したのだろう。
「蜂乗カナ様ですね。こちらで、網膜認証、整脈認証、DNA認証をお願いします」
瞬時に、顔認証でカナと判別されたようだ。
だが、魔法で変身する輩もいる。
なので、念のため、他の認証三点セットも行うらしい。
アンドロイドのスタッフは、手慣れているらしく、全ての認証を1分以内に終えた。
一人のスタッフが、更衣室までの道順を書いた紙を突き出し、もう一方の手で通路の奥を指差す。
カナは、アンドロイド相手にとは思ったが、軽く礼を言ってその場を立ち去った。
通路は、十人が横に並んで歩いても余裕の幅。高さは、3メートルはあるだろう。
だが、どこにも窓がない。
まるで、トンネルのような通路が、緩やかにカーブする。
遠ざかるアンドロイドたちへ振り返る。
それは、孤独感が募ってくるから。
だが、カーブでそれも見えなくなった。
コンクリートのひんやりした感触。
それは、触れなくても空気から伝わる。
冷気が、一層、孤独感を募らせてしまう。
少し進むと、前方から他人の足音が聞こえてきた。
カーブを曲がってその足音の主が視界に入り、カナは心臓がバクッと跳ねた。
違うセーラー服を着た少女が、獅子を連れて先を歩いている。
さらにその向こうに、また違う色のセーラー服を着た少女が、黒豹を連れて同じ方向を歩いている。
あの色のセーラー服は、参加者用。つまり、彼女たちは、魔法少女。
猛獣は、明らかに使い魔だ。
通路は、異世界の様相を呈している。
カナの緊張が高まった。
(なぜ、こんなところで、使い魔と歩いているの? ……あっ、わかったかも)
カナは、迷わず詠唱した。ただし、小声で。
「賢者の石を守護する気高き番人よ、類い希なる聖剣の遣い手よ、
汝、契約に従て馳せ参じ、我が下に顕現せよ」
とその時、カナの左肩付近にポフッと音がして、黒い煙が立ちこめる。
その煙がスーッと凝縮し、灼眼の黒猫の姿になった。
だが、肩の上で、牙をむき出しにした口を開け、大あくび。
「フアアアアア……、呼んだぁ……?」
「呼んだ」
「敵はどいつ……、ああ、あいつね。食い殺せばいい?」
「何もしなくていい」
「なんだぁ、つまんないの」
カナは、歩みを早めて、ライバルの右横を通り過ぎる。
と同時に、それまで半眼だった黒猫が、カッと目を見開き、悠々と歩く獅子を上から睨み付ける。
すると、睨まれた獅子は殺気を感じて、黒猫に視線を向ける。
途端に、獅子はブルッと震えて這いつくばり、主の魔法少女は仰天した。
さらに、もう一人のライバルの右横を通過する。
黒猫に睨まれた黒豹は、タジタジとなり、真横の魔法少女は眉をつり上げた。
デモンストレーション成功。
カナは、心の中で勝利の笑みを浮かべ、顔は毅然とした表情を崩さなかった。
「何よ。格下のあいつらに、この高貴なあたしの姿を見せびらかすだけ?」
「だってぇ、向こうも使い魔と歩いてたじゃん」
「まさか、そのためだけに呼び出したんじゃあ――」
「それよりさあ、詠唱の言葉が長すぎ。賢者の石、かんけーないし、聖剣、かんけーないし」
「そりゃ、このあたしの格が上がるからよ。関係あるなしなんか、誰もわからないわよ」
「使い魔リン、直ちに参上せよ、でいいじゃん」
「なんか、それじゃ弱っちーし、箔が付かないわよ。
一応、これでも使い魔の中では最高ランクの部類なんだから。
だから、さっきの奴らだって、怖じ気づいたじゃん」
「はいはい。でも、関係ない言葉は入れさせないでね」
「次は、誉れ高き英傑――」
「却下」
とその時、カナの歩みが鈍った。
少し先の更衣室の扉を開けて、右足が金属の義足の選手が出てきたからだ。
今の技術では、触っても肉体と見間違うほどの精巧な義足があるが、あえて骨格の金属部分だけをむき出しにしているようだ。
続けて、車椅子に乗った選手も出てきた。
背筋が凍る思いのカナ。
リンと呼ばれた黒猫も凝視する。
二人とも、そんなカナたちへは一瞥も向けず、遠ざかっていく。
第一回大会の時、大怪我をした選手が二人いた。
回復魔法でも修復できないほど、肉体にダメージを受けた。
その二人が、手術とリハビリを乗り越えて、リベンジのために今回参加したことは、メディアが美談として書き立てたことから、カナも知っていた。
情報端末の映像で感じたことと、生の二人を目撃して感じることとは、天と地の差がある。
魔法少女世界選手権の実態が、眼前に突きつけられたのだ。
「どうしたの? あんたの更衣室は、その先よ」
リンの声に、我に返るカナ。
左横を、使い魔を連れた二人の魔法少女が、横目を向けて通り過ぎていく。
「ううん。何でもない。考え事」
「下手な考え、休むに似たり」
「はいはい。どこで覚えたんだか――」
「五百年も生きていれば、いやでも覚えるわよ。さあ、行きましょう」
カナは頷いて、バッグの紐を固く握りしめた。