62.カトリーンの接近
ずんずんと歩いて行くイズミを、カナが「待って、待って」と言いながら追いかける。
イズミは、一緒に行くと言っておきながら、振り返りもせず、歩みを早める。
扉の向こうの通路は、選手や審判員やスタッフ以外は立ち入り禁止である。
そんなところに、誰がカナを呼び出すのか。
イズミの消去法では、選手しかない。
十中八九、次の対戦候補だ。
彼女は、歩きながら警戒を強めていく。
カナは、イズミの背中に手を伸ばした。
「ねえ、何を急いでいるの?」
イズミは立ち止まり、振り返りざまに答える。
「カナには、指一本触れさせない」
「えっ? ……あ、マリアンヌさんだったら、もう帰ったはずよ」
「違う。おそらく、次の対戦相手」
「次の? ……試合は、明日よ。
もし、そうだったら、挨拶に来たとか」
「そう。何をするかわからない挨拶」
「何をするか……って、挨拶は挨拶でしょう?」
「それが甘いのよ。
まあ、見ていなさい」
「大丈夫だと思うけど――」
イズミは、カナが言い終わらないうちに、勢いよく扉を押して、ヒョイと顔を出した。
すると、右側から、車椅子に乗った少女が近づいてきた。
艶々した黒髪のロングヘア。
定規を当てて切りそろえたような前髪。
笑みを湛えたあどけない顔に、濃い紫色の瞳が輝く。
自動運転の車椅子が主流なのに、昔ながらに、手を使って動かしている。
彼女は、イズミと四歩の距離を置いて停止した。
そして、ヘッドセットをおもむろに装着する。
イズミの肩越しに覗き込んだカナは、昨日見た彼女の後ろ姿が頭に浮かんだ。
背筋が凍る思いだったことまで思い出し、身震いする。
「カナ。ヘッドセットをつけろ、だって」
「えっ? 彼女、何も言っていないわよ」
「目がそう言っている」
イズミとカナがヘッドセットを頭につけると、少女が首を傾げた。
「私は、蜂乗カナさんを呼んだのに、なぜ、五潘イズミさんまで来るの?」
「友達だからいいじゃない、カトリーン・シュトラウス」
「いきなり、呼び捨て?
ヤマト国の人間は、礼儀知らずね」
「それより、カナに何の用かしら?
試合前の偵察?
それとも挑発?」
「礼儀知らずの上に、今度は野蛮な言葉?
試合前の挨拶よ。
ヘルヴェティア王国流にハグさせて」
「それは駄目よ」
「あら、自分は抱いたくせに」
「ダグアウトの中まで見ていたのね。
のぞき魔かしら?」
「また野蛮な言葉……。
もしかして、二人はそういう関係?
女同士で強く抱きしめ合うなんて――」
「話をそらさないで!
ハグの目的をはっきり言ったらどう?
何を確認したいの?」
「……なんだ。バレているんだ。
いいわよ、教えてあげる」