61.驚異の左手
車椅子が到着する頃、マリアンヌは嗚咽が込み上げていた。
それが腕を通して伝わるカナは、もらい泣きしそうになるのを堪える。
しかし、マリアンヌが足下を確かめながら車椅子に座るのを手伝っているうちに、涙が頬を伝って流れ出てしまった。
うつむくマリアンヌが、両手で涙を拭い、カナの方へ振り返る。
「ジュ ヌ トゥブリレ パ(あなたを忘れない)」
言葉がわからないカナは、マリアンヌがドラゴンのことを謝ったのだと思った。
それに対する返礼がいくつか頭に浮かんだが、結局、笑顔を返すしか思いつかない。
だが、笑顔になる直前に、アンドロイドが車椅子を方向転換させたため、背を向けたマリアンヌとアンドロイドを見送ることになってしまった。
気を取り直したカナは、ようやく観客の声援に応えて、ダグアウトに戻った。
カナは、抱きついて喜ぶイズミに、嬉しいながらも少々戸惑いを感じていた。
それまで、手をつなぐ程度だったのが、急にスキンシップが家族並みになったからだ。
「カナは、左手の方が威力のある魔法を出せるの?」
「え、……ええ」
「どのくらい、威力が増すの?」
「まあ、倍くらいかな……」
その時、カナは、自分の破壊魔法で崩壊する四階建てのビルを思い出していた。
「いいえ、あれはもっとあるわよ。
ドラゴンの口から発射された、あんなに大きな火の玉を、風で押し戻したほどだから――」
「でも、自分ではわからないんだ。測ったことないし」
首を振るカナの頭の中では、『最大で百倍』『信じられない』『化け物だ』という言葉が浮かんでは消えていた。
カナは、昨年――小学校六年生の時、魔法の研究者に協力したことがある。
風の魔法に始まり、雷撃魔法、爆裂魔法、そして破壊魔法。
右手と左手の威力の違いを一通り調べた。
威力の差は、桁違いだった。
左手が、圧倒的に強いのだ。
ビルの崩壊は、そこで起きた。
老朽化していたビルだったが、左手の一撃で、まさかの崩壊。
心ない大人たちの言葉が、少女を傷つけた。
だから、カナはいつも嘘をつく。
魔法を繰り出す場合は、右手を主に使う。
左手は、ここぞと言うときに、力を抜いて使う。
決して、全力は出さない。
先ほど、ドラゴン相手に左手を使ったときも、本人は完全に手抜きだったのである。
カナは、改めて自分の左手の恐ろしい力に震えた。
「一度、測ってもらった方がいいわよ」
「別に、興味ないし――」
「興味の問題じゃなくて、自分を知っておかないと、いざという時に困るわよ」
「はいはい」
「はいはいじゃなくて、カナ、真剣に聞いて!」
「ご、ごめんなさい……。
イズミ、なんだか怒ってて、怖い……」
笑顔が消えたイズミの顔を見て、カナは戸惑いを隠せない。
なぜ、魔法になると、こうも熱くなるのか。
イズミは、ため息をついて、頭を左右に振る。
そして、自分の頭をポンと叩いた。
「こちらこそ、ごめん。
つい、ヒートアップしちゃった」
「ううん、気にしてない」
とその時、アンドロイドのスタッフがカナの方に近づいてきて、預かっていたヘッドセットを返した。
「ありがとう」
「蜂乗カナさん。あそこに、お話がしたいという人が待っています」
アンドロイドはそう言うと、閉まっている扉を指さした。
その向こうに、誰かがいるのだろう。
「待って、一緒に行く」
歩み出そうとするカナの肩に手をかけたイズミは、自分が先頭になって歩き出した。