60.マリアンヌの和解
ドラゴンが消滅する中、カナは、マリアンヌの右腕を取って自分の右肩へ回した。
そして、自分の方を見つめる彼女を気遣いながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。
だが、彼女は、カナの右手から滑らせるように右腕を抜いた。
それから、斜めになった上体を、地面に着けた左肘で支え、わずかに顔を背ける。
カナは立ち上がって、マリアンヌの体の正面へ回り込んだ。
中腰になり、右手を彼女の顔の前へ差し伸べる。
ところが、彼女は、それを一瞥しただけで軽く首を左右に振った。
手を差し伸べたままのカナ。
動かないマリアンヌ。
ざわめきに満ちたスタジアムに、時折、野次が飛ぶ。
場違いな拍手が巻き起こる。
そこに、心ない罵声が混じる。
カナは、周囲の声を配慮し、差し伸べた手をソーッと戻した。
横目でそれを見たマリアンヌは、軽いため息をついて、いったん仰向けに寝転がる。
そして、腹筋で上体をスッと起こした。
大丈夫そうな様子なので、カナは一歩下がった。
ところが、マリアンヌは、立ち上がらない。
ジッと右足を凝視したままだ。
カナは、マリアンヌの視線をたどった。
そこには、まっすぐに伸びた、泥だらけの義足がある。
マリアンヌは、一度カナを見てから、右足を見る。
そして、大腿骨を動かす。
ところが、脛骨も腓骨も、だらんとして力のない動きをする。
膝から下が、ドラゴンに踏まれて壊れたようだ。
マリアンヌは、潤んだ琥珀色の眼をカナへ向ける。
カナは、軽く頷き、もう一度手を差し伸べた。
いったんは、視線を落としたマリアンヌだが、大きく頷いてカナを見つめた。
「メルシー」
聞いたことがある言葉に、カナは反射的に受け答えをした。
「メ、メルシー」
すると、マリアンヌの口元がほころんだ。
「ノン、ジュ ヴ ゾン プリ」
「ジュ……ヴゾン……プリ?」
「ウィ。メルシー」
「ジュヴゾンプリ!」
笑顔で答えたカナは、苦笑いするマリアンヌが差し出した手を取る。
それから、肩を貸して、彼女を立ち上がらせた。
しかし、マリアンヌは、まともに立てないでいる。
壊れた義足は、体を支える状態になかったのだ。
涙がこぼれ落ちる彼女は、右手を高々と上げて審判員へ振り返り、叫んだ。
「ギブ アッーープ!」
これを確認した審判員は、カナの勝利を宣言。
その直後、会場内では全身が震えるほどの大歓声が上がった。
カナコールが響き渡る中、カナは観客席を振り返らなかった。
歓声に応えて手を上げることもしなかった。
アンドロイドのスタッフが車椅子を運んでくるまで、ずっとマリアンヌの肩を支えていたのである。