6.選手権会場
カナはホテルを三日間借りているので、簡単な外出手続きだけを済ませて、イリヤと一緒にホテルの外へ出た。
すると、右側から自動運転車がスーッと近づいてきて、カナたちの前に止まった。
座席はおろか、運転席まで無人である。
『お客様、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?』
車が、客に向かって少し機械的な女性の声を発する。
あまりリアルだと、そばに人が隠れていると勘違いされることがあるからだ。
カナが戸惑っていると、マコトが彼女の後ろから回り込み、予約者の名前を名乗る。
『音声を確認いたしました。蜂乗マコト様、お待ちしておりました』
車は、客人の認証を完了し、バクンと後部ドアを開けた。
「あ、イリヤ。カナだけだよ、乗るのは」
「カナお姉様の道中が心配だから、イリヤが会場の行けるところまで見送ります!」
そう言うイリヤは、カナの背中を追うように、荷物を抱えて乗り込んだ。
二人だけというわけにもいかない。
それで、マコトもミナも乗り込むことになった。
客の追加は、マコトの音声で承認され、助手席のドアも開いた。
「考えてみれば、会場前でもみくちゃにされるかもな。僕が守ってあげないと」
「あらあら、理由を後付けする素直じゃないマコト、はっけーん」
「はいはい……。姉さんには、かないません。僕もイリヤと同じ、心配組でしたよ」
四人を乗せた車は、ドアの閉まる音を合図に、軽快に走り出した。
滑らかな加速が、全身をゾクゾクさせる。
合流、右折左折、車線変更も完璧で、透明人間のベテランドライバーが運転しているかのようだ。
これらはすべて、交通状態を集中管理するシステムとの連携のなせる技。
おかげで、さしたる渋滞にも遭遇しない。
嘘のようだが、車は、会場近くまで秒単位の正確さで到着した。
しかし、会場前になると、そうはいかなかった。
システムでは把握できない、マスコミ関係者が進路を妨害したのだ。
取材陣の連中が、アラーム音を上げているカメラを持ちながら、一斉にバタバタと走り寄ってきた。
カメラマンは、あらかじめ被写体の特徴などをカメラに登録しておく。
今回の場合、選手権参加者のセーラー服と色の特徴、それに顔写真だ。
すると、カメラがたとえ被写体が車の中でも、自動で選手権参加者の顔と服を認識し、アラーム音を上げて、ファインダーに被写体の輪郭を輝かせる。
だから、登録した後は、カメラをあちこちへ向けるだけで良い。
アラーム音が鳴れば、登録済みの被写体の一つをカメラが捕らえたので、人はそれを追えばいいのだ。
ついに、カナにとっての試練の始まりである。
「あらあら、パパラッチ、はっけーん」
ミナの声に、マコトは唇を噛んだが、すでに遅い。
「しまった。カナにコートを着せれば良かったな」
「ここは、マコトの出番ね。虫避け、お願いね」
「この数だと、僕だけじゃ無理だな。イリヤも頼むよ。ただし、魔獣は召還しないように」
「マコトお姉様、心得てます!」
「とにかく、掻き分けて、走り抜けることね。質問に答えては駄目よ。絶対に足を止めないこと。いいわね?」
「姉さん、僕は昨年の一件で慣れていますから」
たちまち、車が取り囲まれた。
自動運転と言っても、クラクションを鳴らしたり、クラッチを切ってエンジンを吹かしたりの威嚇はできない。
苦り切った顔のガードマンが四、五人、今日はこれで何度目だと言わんばかりに走ってくる。
マコトたちはガードマンの到着を待ってから車を降り、カナへマイクを向けられないように四方を囲む。
そして、取材陣や野次馬の群れを掻き分けるように、会場へ向かった。
しかし、走ろうにも走れない。
そんなマコトたちの顔に向けて、何本ものマイクが突き出される。
「マコトさんは、なぜ出場しないのですか?」
「どうして、妹さんが蜂乗家の代表なのですか?」
「そんな細い体で、七身ユカリさんに勝算はあるのですか?」
「得意な魔法は何ですか? ユカリさんの爆裂魔法に勝てるのですか?」
「今度負けたら、蜂乗家はどうなるのですか?」
「世界から強豪が集まっていますが、それについてどうお考え――」
「一回戦の相手について、感想――」
「明日の準決勝に残る――」
「今のお気持ち――」
(お願い……、帰って……、もう帰って……)
苛立つカナは、自分の足で歩いている気がしなかった。
右からマコトに抱えられ、左はガッチリとイリヤに守られ、前後はミナとガードマンに守られているが、彼らは、周囲から押されて密着している。
足が結ばれていない二人三脚状態。
氷を割って進む船のようにノロノロと歩いて行く。
ガードマンが「道を開けてください」と何度も声を嗄らす。
それが、取材の声と野次馬のざわめきに飲み込まれていく。
(何なの、この人たち……。
応援しているの? 足を引っ張っているの?
みんな、邪魔しないで……、もうこっちに来ないで……)
都会の喧噪でも感じたことのない、強烈な不快感。
カナは、自分に向けられる視線に激しい痛みを感じ、人いきれで吐きそうになった。
会場となる五万人を収容するスタジアムが、見上げるほど近くなる。
選手以外立ち入り禁止の表示がある扉は、もう少しだ。
だが、そこに足を踏み入れられると取材が出来なくなる報道関係者は、露骨な進路妨害に出てガードマンと揉み合いになる。
カナは、乱闘寸前になって先頭に人が集まってきたのを見逃さなかった。
横にわずかに出来た間隙に体を割り込ませる。
妨害に出る男たちへの体当たりも、この際、やむを得ない。
そして、スクラムから飛び出した選手のように、彼女は荷物を両手で抱えて扉の中へ突入した。
ミナやマコトやイリアが手を振るのも顧みず、「頑張って」という声援に何も応えずに。
過剰な報道関係者から逃れて、ホッと一息つけるはずの場内。
だが、次なる試練が彼女を襲う。