54.卑怯な不意打ち
「エロワーニュトワ デレ(彼女から離れなさい)!
シノン(さもないと)――」
「チ! ……トリュイ(雌豚め)」
マリアンヌは、イズミのフランク語による警告に舌打ちをする。
そして、忌々しそうに、義足でカナの後頭部を蹴る。
それから、カナをまたいで振り返ると、今度は腹部を思いっきり蹴り上げた。
「ぐふっ!」
宙を浮くほど強く蹴られたカナは、咳き込みながらイズミの近くまで転がった。
「炎の矢!」
イズミの略式詠唱で、魔方陣から赤々と燃える矢が発射された。
矢は、マリアンヌが手にする火の玉まで一瞬で到達し、衝突後、火の玉ごと消滅した。
目をぱちくりさせるマリアンヌは、自分の手のひらとイズミを交互に見る。
そこへ、アンドロイドのスタッフが数名、騒ぎの状況を確かめに駆けつけてきた。
スタッフらは、目からの情報を、本部へ転送するのだ。
マリアンヌは、そんなスタッフの二人からヘッドセットを二つ奪い、一つは自分で装着し、一つはイズミに向かって放り投げた。
これで話をしようと言うことらしい。
イズミは、無言でヘッドセットを装着する。
さっそく、マリアンヌの声が聞こえてきた。
「下手なフランク語を聞かされるよりは、この方がまし」
「込み入った話になるなら、この方が楽でいいわ」
「ヤマト国の人間のくせに、詠唱はイタリオン語とは、でたらめだ」
「人により、詠唱で使用する言語は異なるわ」
「さすが、猿まねが得意な、猿の住む国だ。
輸入した魔法を使い、自分たちの言葉で操れないとは、死ぬほど笑える」
「それより、試合開始でもないのに、いきなり急襲とは、そちらこそでたらめね。
卑怯者の手口よ。
そうでもしないと、勝てないほど弱いのかしら?」
「ヤマト国のプロレスリングの試合では、いつもそうだろう?
あれと同じ、前哨戦って奴さ。
試合開始前に場外で乱闘して、観客を盛り上げる。
エンターテインメントに必要なこと。
何が悪い?」
「どこが盛り上がっているの?
ブーイングしか聞こえないけれど」
「周りが、ヤマト国の魔法少女の信者ばかりだからさ。
テレビ中継を見ている全世界では、今頃拍手喝采に決まっている。
このスタジアムの評判だけで、全世界の評判を推測するな」
「大会に一役買っているなんて、嘘を言わないで。
目的は、復讐でしょう? ヤマト国の魔法少女への」
「ズバリ言うねぇ。
……そうさ。この右足の恨みを晴らすためさ」
「それは、ユカリとの試合で失ったのでしょう?
カナには――」
「関係ある。ヤマト国の魔法少女だからさ。
誰でもいい、恨みさえ晴らせれば。
こいつは、両足を粉々に砕いて、義足にしてやる」
「呆れた……」
「試合でお前と会うときは、お前の両腕をもぎ取って、義手にしてやる。
ユカリという標的を先に倒してしまったからな。
この一年間、ただただユカリのことを思って練習してきたのに、その標的を奪った奴だからな」
「ヤマト国には剣道というものがあって、そこには、試合の勝ち負けにこだわらない美学があるの。
己に克ち、相手を敬う。
全ての武術に通じる美学よ。
魔法も同じ」
「殺されるか殺すかしかない世界に生きている人間には、到底考えられない。
そんな美学は、平和ボケの白日夢だ。
昔、フランク王国では魔女狩りの嵐が吹き荒れた。
私たちには、その時に恨んで死んでいった魔女たちの、血が、遺伝子が受け継がれている。
魔女を忌み嫌って襲ってくる相手を敬え?
死んでから敬うんだな。
先に相手を殺さないと、自分が死ぬんだぞ」
「フランク王国では、試合は殺し合いなの?
だったら、なぜオリンピックで殺し合わないの?
議論をはき違えているわよ」
「馬鹿かお前は。
オリンピックで殺したら、選手が枯渇するだろう?
だから、手を抜いて、死なない程度にやっているのさ。
ヤマト国の猿は、へりくつを巧みにこねる、と聞いている。
お前を見ていると本当のようだ。
典型的なヤマト国の猿だ」
「だったら、あなたをフランク王国何百万人の典型と考えていいのね?
残虐で、卑怯で、下劣な――」
「イズミ、……もういいから」
カナが、腹を抱えながら、ヨロヨロと立ち上がった。
「カナ!」
「もう平気。
試合で右足を失って、絶望と恨みの中で生きてきたのよ、マリアンヌさんは。
だから、ヤマト国の全てが憎く思えてしまう」
「カナ――」
「私は、やられたからって、やり返さない。
卑怯な真似を使われたからって、卑怯なやり方で仕返しをしない。
これは、魔法少女の魔法での試合。
正々堂々、私は私のやり方を貫く。
そして――この試合に、必ず勝つ」
「口がきけないようにしてやる」
「イズミ。マリアンヌさんは、なんて?」
「口をきけないようにしてやるって」
「だったら、私は――マリアンヌさんが間違っていることを、試合の中で教えるわ」
「殺してやる」
「イズミ。今度は、なんて?」
「……よく聞き取れなかった」
「あっ、試合開始の合図。
行ってくるね」
カナは、マリアンヌの後を追うようにダグアウトを出て行った。
彼女の後ろ姿を見送ったイズミは、ため息をついた。
「そこにいるの、マイコさんの使い魔でしょう?」
とその時、イズミの後ろで半開きになっているドアの向こうで、大型犬のような黒い影が動いた。
そして、イズミの頭の中で声がする。
『汝は、後ろに目があるのか?』
「使い魔を放っていることを知ったので、警戒をMAXにしていたの。
だから、背中を向けていても、気づくわよ。
それより、ちょっと、こっちに来てくれる?」
『いいだろう』
すると、黒い影は、一筋の煙のようになって、ドアからイズミの背後に近づいてきた。
煙は、イズミの背後で、見る見る黒い大型犬の姿になっていく。
その気配を感じた彼女は、ヘッドセットを外しながら振り向いて、しゃがみ込んだ。
そして、犬の耳に口を近づけ、小声で囁く。
「お願い。ご主人に伝えて欲しい話があるの。
それは――」