45.拳の応酬
「両者、離れなさい!」
審判員マイコが、ユカリとイズミの二人の肩に手を当てて引き離そうとする。
だが、肩は少し動いたものの、鼻は磁石にでもなったかのように、くっついて離れない。
「試合の進行を妨害する者には、レッドカードを切ります!」
このマイコの最後通告で、二人は睨み合ったまま後ろへ下がっていった。
両者は、10メートルくらいの距離を取ったところで、一旦停止。
ここでマイコの右腕が上がり、試合開始が宣言された。
合図と同時に強化魔法を発動したイズミは、強化完了後、0.5秒でユカリとの間合いを詰めた。
これは、彼女の得意な、瞬間移動。
爆裂魔法を使わせないため、接近戦に持ち込む作戦なのだ。
さきほど睨み付けたユカリの顔が、再度、眼前に迫る。
堅く握った拳を振りかぶる。
その刹那――、
「あっ!」
短い叫び声を上げたイズミは、後方へ吹き飛んだ。
空、客席、芝生、客席、空と、めまぐるしく視界の前を通り過ぎていく。
何が起きたのか理解できない彼女は、これは自分が後転しているからだ、と理解したのは、芝生に伏して止まった時だった。
みぞおち付近の強烈な痛みが、彼女の顔をみるみるうちに歪める。
「けっ! てめーの接近が早すぎて、思いっきり蹴られなかったぜ!
ホントなら、向こうの結界まで吹き飛んだのによう!」
蹴り終えた右足の魔方陣を消したユカリは、ゆっくりとその足を降ろして、仁王立ちの姿勢に戻った。
彼女は、相手が弱いときは、試合中に一歩も動かず仁王立ちになる。
今回も、立った位置から動かずに試合を進めるらしい。
イズミは、腹を抱え、苦しい表情のまま立ち上がった。
そして、わざと審判員へ聞こえるように大声を上げる。
「その蹴りは、危険行為ね!
一般人にここまでやったら、背中から足が突き出るわよ!」
「たりめーだろ。一般人相手ならな。
それがどーしたってんだ? ああん?
てめー、魔法少女の端くれだろ?
それとも、お願ーい、わたしー、一般人ですからー、手加減してよねー、ってか?」
体をくねくねさせて、裏返った声を出すユカリは、仕舞いには腹を抱えて笑い出した。
この状況で審判員が無反応なので、イズミはため息をつく。
「寸止めしないんだ」
「あん? 周りがうるさくて、聞こえねーよ」
「魔法を暴力として使うんだ!」
「てめーが、突っ込んできたからだろ?
ぶつかっておいて、暴力だったあ、言いがかりじゃねーのか!」
「その魔法による前蹴りは、七身家の護身術であることは知っているわよ。
対人戦闘用に使う特別な奴よね?
これ、人を殺せるわよね?」
「へん。体が勝手に動くのさ、飛びついてきた奴に対してはね」
「昨日も、その蹴りをナディア・ラフマニノフに使ったわよね?
危険だとわかっていて!」
「ごちゃごちゃ言ってねーで、蹴られて悔しかったら、かかってこいよ!
どんなパンチを繰り出しても、全て止めてやる!」
「審判員! ここまで魔法で攻撃しても、反則にならないのですか!?」
イズミの厳しい問いかけに、マイコは首を縦に振る。
「今の、魔法を使った前蹴りには、あなたが先にぶつかっていきました。
危険行為には当たりません」
「……そうですか」
イズミは、頭を左右に振って、肩をすくめる。
最初から計算され、見た目にわからないように偽装された反則行為。
彼女は、ユカリの悪知恵に感心するとともに、これを利用しようと考えを巡らした。
「なに、突っ立ってんだよ?」
「考え事」
「ほー。素人の浅知恵って奴か。
おっと、時間稼ぎにご協力感謝いたしまするー」
ユカリは、胸の前で両手を合わせ、タイ王国風の挨拶に似せたポーズを取る。
「それ、意味わかっているのかしら?」
「しらねー。
いちいちうるせーぜ、五潘家の奴らは。
それより、よく考えな、攻略法でも」
「これしかないわね」
「どれどれ――」
イズミは、再びユカリとの間合いを瞬時に詰めた。
そして、目にもとまらぬ速さで、拳を繰り出す。
渾身の力を込めた左右のストレート。
マシンガンのようなジャブ。
ローブローすれすれのパンチ。
鋭いアッパー。
ところが、彼女の拳の先には、常にユカリの手のひらがあった。
魔法で強化されたパンチが、ことごとく止められる。
一般人の世界チャンプよりも早い動きにもかかわらず、だ。
しかも、ユカリは、立った位置から1ミリも動いていない。
拳を止める二本の腕が、四本にも六本にも見えるユカリ。
イズミは苛立ち、冷静さを失う。
さらにスピードを上げて、パンチを連射。
とその時、ユカリの右足の筋肉が動いた。
イズミは、それが前蹴りであることに感づいたが、すでに遅かった。
瞬きをする間もなく、みぞおち付近にその右足が移動。
ほぼ同時に、足先に魔方陣が出現し、イズミの全身に強い衝撃が走る。
「ぐふっ!」
ラッシュに紛れて一瞬に繰り出された、魔法による前蹴りは、先ほどよりも強い。
イズミの全身は、山の低い放物線を描いて飛んでいく。
そして、20メートル離れた芝の上を二、三度弾んで、仰向けになった。
彼女は、仰向けのまま拳を芝に叩きつける。
二度も同じ手を食らうのは、実に耐えがたい。
吐き気を堪えながら、雪辱に燃えて彼女は立ち上がった。
とその時、ユカリの方から、風を切る音とともに、細くて黒い何かが伸びてきた。