44.準々決勝 第一試合
ファンファーレが会場に鳴り響く。
いよいよ、第三回戦。
準々決勝、第一試合の開始である。
カナとイズミは、同じダグアウトのベンチに入った。
そして、互いに肩をくっつけるほど近寄って座る。
二人の対戦相手は、反対側のダグアウト。
首を伸ばして相手側を見ていたイズミが、眉根を寄せた。
「おかしいわ。変態デブの姿が見えない。
向こうは、三人しか座っていないみたい」
「ほんとだ。
イズミに怖れを成して逃げたとか?」
「それは助かるわ――と思ったら、あいつ、起き上がった。
ほら、左端。
あんなところで寝ていたのね。
伸びと大あくびなんかして。
完全に、私を嘗めているわね」
「余裕みたい」
「その余裕が、命取りになるのよ。
見ていて。必ず勝つから!」
「うん! 頑張って!」
イズミは、笑顔のカナに向かってウインクとVサインをし、スクッと立ち上がる。
それから彼女は、颯爽とグラウンドへ飛び出した。
巻き起こるイズミコール。
だが、ユカリコールも負けてはいない。
むしろ、上回るほどだ。
イズミが所定の位置に付く。
次に到着したのは審判員。
今回は、カナの母親のマイコだ。
ところが、ユカリはダグアウトのベンチに座ったまま。
1分経っても出てこないので、マイコがユカリを呼びに行こうと歩み出した。
とその時、ユカリが、もったいぶるように現れる。
彼女は、右手を挙げて周囲を見渡した。
スタジアムを揺らすような声援が、これに応える。
笑顔を振りまく彼女が、足を踏み出した。
その歩幅は、通常の半分以下。
これでは、時間稼ぎの牛歩戦術と同じだ。
マイコの手招きを無視するユカリは、足の向きを変えて、グラウンドの塀に沿って歩き始めた。
そして、間近にいるファンへ笑顔を向け、大げさに手を振る。
呆れたマイコが、ユカリに駆け寄って、彼女の左腕をつかんだ。
すると、彼女はマイコの手を払いのけ、睨み付ける。
もちろん、マイコは毅然たる態度を崩さない。
「いい加減に、所定の位置に着きなさい!」
「やだね。
あんな奴、1分で勝負がつくから、時間を引き延ばしてやってんだよ。
じゃないと、お客さんがしらけるじゃんか」
「従わない場合は、イエローカード、切ります」
「上等!
それ、大会本部へ回してくれよな。
引き延ばせって言ってきたのは、大会本部なんだから」
「……」
「なんだい。切らねぇのかよ……。
そっか。主催者の娘に楯突くのが怖くなったか」
「……」
「ふふん。七身家には逆らえないよな。
今から、グルッとグラウンド一周するけど――」
「駄目です!」
「じゃあ、客が帰ったら、責任取れよな!!」
ムッとしたユカリは、地面を蹴って、ゆっくりとグラウンドの中央へと向かった。
マイコは、イエローカードを掲げる。
すると、場内は拍手とブーイングが拮抗した。
待ちくたびれたイズミは、腕組みをしながら、ユカリへ射るような視線を送る。
一方、ユカリは腰に手を当てて、ニヤニヤしながら、イズミの正面に立った。
「てめー、昨日はやってくれたな」
「当然のことをしたまで」
「百倍返ししてやる」
「それの二乗を返すわ」
「じじょー?」
「計算も出来ないの?
あ、もしかして、漢字が読めないのかしら」
「んだと!?」
「図星みたいね」
「まあいい」
「いいんだ……」
「それより、大会本部の話じゃ、試合の進行が早くて、間が持たないから、何とかしろとさ。
で、ここでお互い、睨み合いといこうか?
闘志が高まるだろう?」
「別に。
それより、早く試合を始めて欲しいんだけれど」
「瞬殺されたいのか?」
「されるのはそっちよ」
「くそ生意気な」
「悪い?」
「悪いに決まってんだろうが!」
「なぜ?」
「ちっ! ……とにかく、試合の進み方が早すぎて、主催者が困ってんだよ!
ちったー、協力しな」
「八百長をしろと言うなら、この試合を放棄するわ」
「けっ! 二回戦で手を抜いてたくせに!」
「マナのセーブに、決まっているじゃない。
馬鹿じゃないの?
どこに目をつけているの?」
「んだこらぁ! 超生意気な口をききやがって!
ぶっ殺す! マジで殺す! ガチで殺す!」
「その言葉、コピペして返すわ」
「んだとぉ!」
イズミの挑発に逆上したユカリは、イズミの鼻先に自分の鼻をくっつけて、睨んだまま動かなくなった。
イズミも、鼻を押しつけて、やり返す。
再び巻き起こるユカリコールとイズミコール。
興奮した一部の観客が、どちらが勝つかで言い争い、つかみ合いの喧嘩にまで発展した。
二人の戦いは、マイコの合図より前に、周囲をも巻き込んで始まったのである。