38.森の中の幼女とミイラ
森の中に取り残されたカナは、辺りを見渡しながら、耳を澄ます。
すると、木々のざわめきの向こうから、微かな泣き声が聞こえてきた。
女の子がすすり泣くような声だ。
そちらへ耳を傾けると、今度は背後から、ゆっくり落ち葉を踏みしめる音が近づいてくる。
カナは、素速く足音の方へ振り返り、空手のような半身の構えを見せた。
ところが、目をこらしても動く影は見えない。
刻一刻、近づく正体不明の足音。
背後から聞こえるすすり泣き。
カナの心臓は、バクバクと音を立て、耳にまで届く。
とその時、後ろから肩をポンと叩かれた。
「キャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
カナは、驚きのあまり、跳び上がって絶叫した。
振り返ると、自分の背丈の半分しかない、白いドレス姿の金髪の幼女が半べそをかいている。
こんなに背の低い子が、どうやって肩にまで手を伸ばせたのだろう。
だが、辺りを見渡しても、幼女しか見当たらない。
背後の足音も途絶えていた。
(まさか、足音の正体は、この子?)
そう思っただけで背筋がゾクゾクッとしたカナは、全身が小刻みに震えてきた。
幼女は、そんなカナへ目だけ上に向け、声を震わせる。
「お姉ちゃん、魔女でしょ?
向こうでお父さんがクマに襲われて、大怪我して動けないの。
こっちへ来て。魔法で助けて」
幼女はそう言うと、カナの右手を取ってグンと引っ張った。
一瞬、腕が抜けるかと思ったほどの強さ。
明らかにおかしい。
姿は幼女でも、力は大人の男並みだ。
不審に思ったカナは、即座に手を振り払い、首を左右に振る。
すると、少女は悲しそうな顔をさらにクシャクシャにして、大粒の涙を流し始めた。
「だから魔女は嫌い! 呪われるといいわ!」
『そうね。私が呪ってあげるわ』
幼女の声に続いて、大人の女性の声が聞こえてきた。
それは、積もった落ち葉の下辺りから。
カナは、恐る恐る足下を見る。
その刹那、落ち葉が盛り上がり、それを掻き分けながら金髪の頭がムクムクと持ち上がってきた。
それは、辛うじて女性とわかるミイラの頭だった。
恐怖におののくカナは、息を飲み、声も出ない。
そのミイラが、カナに向かって歯をむきながら、長々と呪文を唱える。
魔界の言葉なのか、何を言っているのかわからない。
すると、幼女が後ろを振り向いて大声で叫んだ。
「誰か助けてー!!
クマよー!!
ここにクマがいるわー!!」
とその時、近くでザワザワと声がしたかと思うと、バーンという銃声が聞こえた。
カナの左頬の横を、ビュンと何かがかすめる。
おそらく、弾丸だ。
思わず左頬に手をやったカナは、自分の手を二度見した。
栗色の毛むくじゃらの手。長い爪。
クマの手である。
慌てて全身を見渡す。
セーラー服は消え、全身が栗色の毛で覆われている。
完全にクマだ。
「ウォー! ウオオオオオー!」(違う! 私はクマじゃない!)
声までクマの声になっている。
また、バーンと銃声がした。
今度は、頭上を弾丸が通過する。
カナはどうしていいのか、わからなくなってきた。
焦りが思考を混乱させる。
こうなると、ただただ立ち尽くすしかない。
とその時、落ち葉を踏みしめる音が近づいてきた。
黒い影がモヤモヤと動いている。
カナは目をこらす。
(えっ? まさか?)
それは、黒い三角帽子を被り、黒いローブを纏った母親のマイコだった。
よく見ると、右手に猟銃を持っている。
彼女は、ゆっくりと近づきながら、猟銃を構え、こう言った。
「私がこの子を殺します」
すると、カナは急に吹き出した。
そして、肩を揺すって笑い始めた。
クマの声ではなく、人の声で。
「何がおかしい!?」
マイコは、猟銃を構えたまま、問い詰める。
すっかり、自分の声を取り戻したカナは、笑いながら答える。
「だって、お母様は――」
カナは、右腕を突き出す。
腕もすっかり、毛むくじゃらから元に戻っていた。
そして、右肘に左手を添え、雷撃魔法の構えをとる。
「自分の娘のことを『この子』って言わないから!
家庭に波風立てないでよね!」
偽のマイコは、ムッとする。
そして、引き金にかけた人差し指を動かそうとした瞬間、
「――稲妻!!」
カナの略式詠唱で、右手の先に、小ぶりの大きさの白色に輝く魔方陣が出現した。
同時に、小さめで横向きの稲妻が偽のマイコを直撃。
これでも威力は抜群。
全身が光った彼女は、絶叫を残して、後ろへ吹き飛んだ。