31.辛うじて勝利
審判員がカナの勝利を宣言するのと同時に、蜂乗マイコがグラウンドへ飛び出した。
勝利の喜びに酔いしれていたカナは、マイコが小走りに自分の方へ近づいてくるので、心臓が跳ね上がるほど驚いた。
一瞬にして正気に戻った彼女は、背筋にも四肢にも、冷たい物がサーッと走っていく。
審判員でもあり母親でもあるマイコが、自分の娘の勝利を祝いに来るはずがない。
むしろ、娘の不甲斐ない試合ぶりに、公衆の面前で平手打ちを食らわすに違いない。
誰が見ても、使い魔のリンが試合を決めたようなものだから。
でも、そこまでするだろうか。
カナは、これから自分の身の上に起こるであろう最悪の事態を思い描き、破り捨てる。
これを、何度も繰り返す。
全身が小刻みに震える彼女は、近づいてくる母親の顔の表情を読み取ろうと懸命になった。
カナの笑顔はとうに消え、引きつった顔が、全世界に放映されている。
だが、彼女はそれを取り繕うことなど、頭になかった。
3メートルほど近づいたマイコは、ピタリと立ち止まり、口を大きく開けた。
それが叱責に思えたカナは、思わず目を半分つぶって、首を引っ込める。
そこへ、マイコの凜とした声が、耳を叩いた。
「スヴェトラーナ・グリンカ選手は、幻影魔法を使いましたね!?」
想定外の質問に耳を疑い、あっけに取られるカナ。
彼女の耳から、ざわめきが消え、審判員マイコの質問が頭の中で鳴り響く。
助けを求めるため、宙に浮いているリンの方へ視線を向けるも、リンは腕組みをしたままだ。
「ねえ、リン――」
「かけられたあんたが答えるべきよ。他に幻影を見ている者はいないんだから」
「あれは、幻影だったよね――」
「犬のサイズが象のサイズに見えたのでしょう? 稲妻が通過したのでしょう?
聞くまでもないじゃない」
突き放されたカナは、自分を見つめる母親の顔が怖いので、「はい……」と蚊の鳴くような声で答える。
だが、観客のざわめきの中では、マイコの耳には届かない。
「もう一度聞きます! スヴェトラーナ・グリンカ選手は、幻影魔法を使いましたね!? 事前の申告がない幻影魔法を使うことは、ルール違反です!」
この質問で、カナは、マイコの言わんとすることがはっきりとわかった。
今度は、「はい!」と力強く答える。
マイコは軽く頷くと、手に持っていたマイクのスイッチを入れた。
「ただいまの試合で、スヴェトラーナ・グリンカ選手に違反行為がありました」
こう切り出したマイコは、スタジアムを見渡しながら、スヴェトラーナの違反行為の解説を手短に行った。
カナは、そんなマイコの姿を見て、自分を味方してくれていると思い、涙を浮かべる。
その間、意識が回復しないスヴェトラーナは、アンドロイドらによって担架で運ばれていった。
もし、スヴェトラーナが試合に勝っていたら、カナの逆転勝ちで観客も沸いたであろう。
だが、違反の有無に関係なく、カナの勝利は確定しているので、誰も関心がない。
静かなスタジアムの中にマイコの声が響くだけ。
結局のところ、選手への間接的な警告に終わった。
ダグアウトに戻ったカナは、アンドロイドからヘッドセットを受け取った。
それを装着すると、周囲でザワザワと自分のことを噂しているのが聞こえてきた。
見た目より実力があるのではないか。
実は、本人ではなく、使い魔が強いのではないか。
無関心を装うも、双方の意見に一喜一憂してしまう。
「お疲れ様」
「あっ……、ありがとう」
イズミが肩をポンと叩いてきた。
しかし、ねぎらいの言葉は、先ほどの一言のみ。
後は、散々な言われようだった。
よそ見をして受けた先制攻撃。
一か八かで放った雷撃魔法。
おまけに、幻影に気づかないで取った情けない行動。
「稲妻をでたらめな方向に放っていたとき、みんな笑っていたのよ」
「ごめんなさい」
「さっきの試合は、100点満点で言うと30点ね」
「ちょっと、トイレ――」
「決勝戦で、今のあなたに勝っても――」
「ごめんごめん! 後で!」
イズミとリンは、カナの背中を見送って、ため息をついた。
「あの子のこと、大目に見てあげて」
「本当に惜しいわ。やればできるのに。私、そういう人を見ると、つい言ってしまうの」
「ところで、あなた。カナのお友達? 名前は?」
「名前を聞くときは、そちらから先に名乗るべきよ」
「あら。それもそうね。私はリン」
「私は、五潘イズミ。お友達というよりは、良きライバルね」
「あの子の戦いぶりを、細かく分析して見ていたみたいだけど」
「私と対等に戦える強い相手だから、当然よ」
「ふーん……、対等ねぇ……」
「なに、ジロジロ見ているの?」
「……そっか。どうりで、臭うわけね」
「臭う?」
「そう。あなたの使い魔は、有名な炎竜でしょう?」
「そうよ。ドラーゴ・ロッソよ」
「あら、あっさりと――」
「隠しても仕方ないから。でも、本当に臭うの? 服を洗濯した方がよいかしら?」
「体臭じゃないわよ。使い魔と一緒にいると、ある種の臭いがつくの。私は匂いだけど」
「そうなんだ。発音が同じでも、あなたの言い方だと、なんとなく違いがわかるわね。
でも、なんでドラーゴ・ロッソってわかったの?」
「だって、――私の知り合いだから」
「知り合い?」
「そう。あの、ご主人様を選ぶ炎竜が仕えるほどだから、あなた、相当のやり手ね。
超強力な火炎魔法を使うんでしょう?」
「それはどうも」
リンとイズミは、ニヤッと笑った。
◇◆◇■□■◇◆◇