18.開幕
「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
スタジアム全体を揺らす五万人の大歓声が、グラウンドに飛び出したイズミとカナへ高波のように押し寄せた。
あっという間に飲み込まれた二人は、一瞬立ちすくむ。
鼓膜を叩く大音量。
空間の振動で震える全身。
笑う膝。
そんな無様な自分に降り注ぐ、眩しい照明光。
運動会での声援など、そよ風のよう。
コンサート会場の声援ですら、ざわめきに聞こえるほど。
この物凄さを何と形容しよう。
通路側で聞こえていた音量との落差に、カナは肝を潰し、それまでの強い意気込みが粉微塵に打ち砕かれそうになった。
急にイズミに手を引かれたカナは、足がもつれた。
彼女は、グラウンドを踏みしめようと足先に力を入れる。
そうないと、足が宙に浮く感覚になるのだ。
ところが、思いがけない事態が起こった。
「イ・ズ・ミ!! イ・ズ・ミ!! イ・ズ・ミ!! イ・ズ・ミ!!」
「カ・ア・ナ!! カ・ア・ナ!! カ・ア・ナ!! カ・ア・ナ!!」
観客席を埋め尽くす、ミニチュア以下のサイズに見える人々が、声を限りに連呼する。
拍手から手拍子に切り替わる。
小旗が振られる。横断幕が揺れる。
こちらからは顔の表情が見えないほど、遠くて小さく見える相手。
それがなぜ、グラウンドに出た自分たちの顔がわかるのか。
カナの不思議そうな顔が、ふと斜め上の方を向いた。
答えは簡単だった。
スタジアムの壁側に設置された巨大なスクリーン。
そこに、観客席に向かって右手を振りながら、左手で幼子を連れて歩くようにカナの手を引くイズミが映し出されていた。
慌てて、観客席に向かって手を振るカナ。
ちぎれるほど手を振ってみる。小躍りしてみせる。
顔をクシャクシャにして笑顔を振りまく。
それは普段の自分ではない。
しかし、今はそんなことなど気にしてはいられない。
大波に乗る。
それはイズミが教えてくれたこと。
大歓声を味方につけるのだ。
今は、その練習の時。
カナの応えに、一段と連呼のボルテージが上がる。
観客と一体になる。
不安感が、声援で飛ばされるように消えていく。
ふと前方を見ると、アンドロイドのスタッフが、ダグアウトの方を指さしていた。
どこに集合するかは事前に聞いていた二人だが、我を忘れそうになるこの状況では、スタッフの指示がありがたい。
とその時、カナのヘッドフォンから、声援に混じって会話が聞こえてきた。
「誰、あの赤い髪?」
「さあね。生意気に、手なんか振っちゃって」
「ハチジョー・カナって子よ。私たちルシー王国の期待の星であるスヴェトラーナ・グリンカのお相手」
「えっ? 私たちの敵? あんな子供が!?」
「かわいそうに。お子様は、初戦敗退ね」
「飛び跳ねていたけれど、トイレに行きたいんじゃない?」
「女同士で手をつないで、もしかして、そっち系の趣味?」
「ハハハ! 馬鹿みたい!」
客席に近い側の音声を拾ったヘッドセットが、余計なことまで真面目に翻訳している。
カナは、イズミから手を離す。
そして、律儀な翻訳者――ヘッドセットを外そうと手をかける。
包み隠さない通訳者を投げ捨てて、今すぐその場から走り去りたい。
その刹那、彼女に追い打ちが掛かる。
「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「ユ・カ・リ!!! ユ・カ・リ!!! ユ・カ・リ!!! ユ・カ・リ!!!」
再び揺れるスタジアム。
――そうだ。
控室を最後に出たから、自分たちが最後と思っていた。
だが、それは大いなる勘違い。
集合を無視した七身ユカリのことを、すっかり忘れていた。
前回の優勝者が、大型スクリーンを独占する。
意図的にトリを狙ったとしか思えない。
更衣室で見せたゾッとする顔を、急場でこしらえたような笑顔で隠している。
両手を挙げて飛び跳ねる。
右手の拳を、思いっきり下から上へ突き上げる。
そして、天に向かって吠える。
さらに、これでもかと見せつけられるパフォーマンス。
ユカリの独壇場が、延々と続く。
しかも、彼女は裏の顔を持つ魔法少女。
冷や水を頭から被った思いと、こみ上げる怒りが、カナの中で交錯する。
(絶対に勝つ! 勝ってみせる! 私を応援してくれる人がいるのだから!)
まだ頭の中に残るカナコールに勇気づけられて、彼女は拳を力の限り握り、踏みしめるように歩みを続けた。
冷たくなりかけた四肢に、暖かみが戻る。
平常心を保てないこの状況で、気持ちのコントロールに成功した彼女は、心の中でカッツポーズを取った。
再び大型スクリーンに目を向けるカナには、そこに映る第一回優勝者――傲慢な魔法少女への怖れなど、とうに消えていた。
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