163.砕け散る異空間
貞子は息をしていないように思える。
彼女に何が起きたのか。これから、何が起ころうとしているのか。
カナは、直感的に、炎竜が憑依するのだと思った。
いずれ、こちらに顔を向けて自分の意志を告げるのだろう。宿主を替えたとか。
自分に魔力はもうない。先ほどの雷撃魔法の連発で底をついた。全力をぶつけたのだ。
なおも貞子の様子を窺っていると、突然彼女の方から腹に響く低い声が聞こえてきた。
「愚かなり」
彼女が口を動かしている。やはり、炎竜が憑依したようだ。
「魔道書に書かれた言葉は、我を操るためのものだが――」
と言いながら、貞子がゆっくりカナの方を向いた。
目が灼眼になっている。間違いない。あれは憑依されている証拠。
「我の意志までは操れぬ」
とその時、貞子の真後ろに真弓が出現した。
真弓の肩の辺りに、小さな二つの灼眼が浮いている。
あれはリンのはずだ。周りが暗闇なので黒い体の色が溶け込んでいるのだろう。
「お嬢様!」
「真弓! こいつは貞子よ! 気をつけて!
あっ! あそこにカナがいる!」
真弓は、すかさずロッドを取りだした。
「――捕縛!」
すると、暗闇から縄が現れ、貞子をぐるぐる巻きにした。
「それには及ばぬ」
真弓と二つの灼眼がサッと後ろに跳んだ。
「もしや、その声は炎竜!?」
「左様」
「お嬢様から、そいつに宿主を替えたのか!?」
険しい顔になった真弓は、貞子の背中に向けてロッドを突きつけた。
「魔道書の秘密を解かれ、宿主を替える呪文を唱えられたからな」
「宿主を替えたのかと聞いている!」
「体はな」
「体は?」
「だが、意志までは操れぬ。
こやつとて、我を封じ込める強い心はない。
今あるのは――」
貞子が右腕をゆっくりと上げて、カナを指さす。
「元の宿主よ」
真弓は、ロッドを突きつけながら一歩近づいた。右肩の二つの灼眼も動くので、リンが肩に乗っているのだろう。
「ならどうする!?」
「まず、こやつの魔力を奪う」
すると、貞子がブルブルと震えだした。
と突然、周囲からピキピキと何やらひびが入るような音が聞こえてきた。
暗闇の中に、細い亀裂が見えてきた。亀裂の向こうから光が差し込む。
それが、次々と増えていく。
亀裂は、真弓の後ろにもカナの後ろにも、右にも左にも、上にも下にも拡大していく。
真弓は、貞子を迂回してカナのところへ駆け寄った。
「お嬢様!」「真弓!」
真弓はカナを抱き寄せる。そして、拡大する亀裂を見渡す。
と突然――、
ガシャアアアアアン!!
ガラスが粉々に砕け散る大音響がして、無数の黒い欠片が光の中に飛び散り消えていく。
あまりのまぶしさに、カナも真弓も、そしてリンも目をつぶった。