153.魔の手、再び
マイコは、カナが胸に手を当てるのを見て、もう一つの不安を抱いた。
国立魔法科学研究所はカナの生体データを狙っているが、カナの体に宿る炎竜を狙っている者が二人いる。
拘禁中の桑無貞子と、逃走中の十一姫だ。カトリーン・シュトラウスは、諦めたはずなので、数に入れていない。
あの二人が互いに手を取り合ったら、はぐれ魔女が束になってかかってきたようなものなので、さすがのマイコでも防ぎきれない。
むしろ、炎竜奪取の競争で衝突し、互いに潰し合いが始まれば好都合なのだが……。
マイコが、正面の娘の顔をボーッと見ながらそう考えていると、その顔の口が動いていることに気づいた。彼女は、声に意識を向ける。
「お母様。
さっきから電話が鳴っています」
「そうでした」
聞こえていなかったのに聞こえていたふりをしてその場を取り繕うマイコは、服のポケットから耳に飛び込んできた着信音に一抹の不安を覚えた。
この着信音は、魔法警察のものではない。捜査一課のものだ。
彼女は、通話開始時の暗号を頭に思い浮かべ、端末を取り出してタップし、耳に押し当てた。
「はい」
『蜂乗マイコさんですね』
「キリストの頭文字は?」
『CでもYでもなくJ』
「次のクリプトは、2つ飛びです」
この場合のクリプトは、地下室ではなく、クリプティック――謎めいた――の略だ。すなわち、暗号のことである。
『了解です』
「で、用件は?」
『蚕が繭から逃げました』
桑無貞子が脱獄した、という意味だ。
「藪の中の生き物は?」
これは、彼女が操る残りの魔獣を指す。
『とんがり帽子の中です』
魔法警察の監視下にある、という意味である。
『穴熊に移行しますか?』
カナを警視庁で保護するか、と聞いてきた。
マイコは即答を避けて、横目でカナを見る。
『まさか、化け文字を口にしませんよね?』
これは、囮の字のこと。
つまり、カナを囮に使う、という意味だ。
「着物と相談します」
着物は、馬貝エリのこと。
相談するは言葉通りではなく、魔女側で作戦を立てて何とかする、という回答である。
『では、こちらは腕組みして鶴首します』
捕縛の機会を伺って待機するが、それ以外は一任した、という意味である。
電話を切ったマイコへ、カナが不思議そうに声をかけた。
「お母様。
電話はいつもそんな感じなのですか?」
「そうよ。
前も言ったわよね?
壁なんて、魔女――特に彼女からすると、あってないようなものだから。
さあ、準備して」
マイコは、カナを手招きし、床に転がっていた紺色のリュックを指さす。
「はい、お母様」
マイコは筒抜けを想定して、多くを語らなかった。
カナもそれを察して、何も聞かずに登校の支度を開始した。
いよいよ、魔女対魔女の本格的な戦いが始まる。