100.魔女の匂い
芝の上で仰向けになったイズミは、ぐったりとして動かない。
カナは、心配のあまり、駆けつけようと左足を踏み出す。
だが、続けて右足を踏み出そうとしたとき、イヤな予感がした。
(まだ、あのお方が憑依したままかも知れない――)
そう思っただけで、イズミのあの気絶している格好が、罠のように見えてくる。
近づくと、飛びかかってくるかも知れない。
カナは、数歩後ろに下がって、半身の構えを取った。
その時、左側の視界に人影がチラッと映る。
横目で見ると、それは審判員だった。
例の、ゆっくりとした足取りで、黒ローブを翻しながら近づいてくる。
しかも、こちらに。
10カウントを取るのなら、イズミの方へ向かうはず。
(まさか、今度はあの人に憑依した!?)
カナは、近づく審判員へ素速く体を向け、身構える。
あと10メートル。
とその時、辺りが薄緑色の霧に包まれた。
(これは――人払いの結界!)
霧の向こうでは、観客席で揺れる旗の動きがピタリと止まった。
内と外とで動きが違うこの結界。
見覚えがある。
(まさか、お母様!?)
次々と起こる出来事に戸惑うカナは、さらに驚きの光景を目にする。
審判員と自分との間に、突然、黒い煙が現れたのだ。
それはすぐに、黒い三角帽子を被り、黒いローブを纏った人物になった。
結界を張ったマイコだ。
「お母様!」
「ここは任せなさい!」
マイコは、カナに背中を向け、右手を審判員へ突き出した。
「それ以上動くと、私の使い魔が本体を消滅させるけれど、いいのかしら?」
立ち止まった審判員は、小首を傾げる。
「あら? 何のことかしら?」
「おやおや。今までルシー王国の言葉しか話せなかった人が、突然、ヤマト国の言葉を流暢に話すのね」
「――っ! 勉強不足だったわ」
「偽者だ、って認めるのね?」
「保留にしようかしら?」
「ふざけない!」
「怖っ……。
それより、本体って何のことかしら?」
「ベンチの向こうで、座り込んで眠っている、抜け殻みたいなアンドロイドのスタッフのことよ」
「それがどうかして?
電池切れじゃないの?」
「アンドロイドは、全員が無表情。
なのに、あのアンドロイドだけは表情がある。
つまり、人間が化けているということ」
「あら、そうなの?」
「いい加減、認めなさい!」
「何のことやら、さっぱり――」
「あくまでも白を切るのね、十一姫!
五潘イズミの体が動かなくなったから、今度は審判員に憑依した。
それがわからないほど、この目が節穴だと思って!?」
「意味がわからない。
憑依の話とアンドロイドの話が、どう結びつくの?」
「使い魔からの通報で、アンドロイドに化けた人間がいることがわかって、見張らせていたら、急に眠り込んだらしいの。
憑依魔法の痕跡から、別人へ憑依したと考えられる」
「それで?」
「このアンドロイドには、魔女の匂いがある。
しかも、あなた特有の血の匂いが」
「ふーん」
「憑依先の人物は、炎竜に近づける人物しか考えられない。
となると、イズミと審判員のあなたしかいない」
「なるほどね」
「炎竜に近づきたい、覚醒させたい人物は、あなた――十一姫よ!」
「フフフ……」
「??」
「ハハハハハッ!」
突然、審判員が肩を揺すり、腹を抱えて笑い出した。