しぐれ
ミュンヘンの町から遠く離れた森、その中の開けた場所。
日が森の奥に沈み、兵士が夜営する陣地内は気が時折爆ぜる篝火と将校用の幕舎から漏れ出るランプの火だけが光源だった。
その中の一つの幕舎で二つの影が激しく絡み合っていた。
外からは影だけが見え、戦場の土と誇りに汚れた黄土色の布に二つの影が影絵のように映し出されている。
一つの影がもう一つの影を後ろから激しく突き、突かれた影は体全体をさざ波のように揺らす。幕舎の中では二つの影の汗と、もう一つの匂いが充満していた。
やがて一つの影が溢れ出る情熱をもう一つの影に注ぎこみ、影の動きは止まった。
「ふー、いい男とヤリまくれるのが最高―」
幕舎の中でしぐれは裸身を備え付けのタオルで拭きながら呟いた。
「まったく、神様もいいことしてくれるじゃん。オトコ誘惑し放題の能力なんて、サイコーじゃん」
そう言いながら自室の机に置いてある報告書の束を一つとり、読む。
兵隊が側で寝ているのにもかかわらず、機密情報が散乱していた。
初めこそ頬杖つきながら目を通していたが徐々にその目つきが険しいものに変わっていく。
「きりえが、いなくなった、か」
一瞬だが友人の身を彼女は案じた。
この異世界は戦争も殺人も日常だ。きりえが殺されたのかと思い、心の底が騒ぐような感触を覚え、殺した相手の顔を思い浮かべ同時に殺意を抱いた。
彼女ほどのレベルの人間が殺意を抱いたので、隣で寝ていたイケメンの兵隊は飛び起きて衣服も身につけずに外に飛していく。
そんな彼の姿を見て、しぐれは自分の考えを思いなおした。
「そんなわけないじゃん。私たちはこの世界で最強の生物じゃん」
最強の生物。その言葉が自然と心を落ちつかせた。
「きっと軍隊の外に出たら面白くなって、そのまま満喫してるだけじゃん」
しぐれは起き上がり、いそいそと服を着込み始める。
肩がむき出しになったタンクトップタイプの服で、肩からも脇からもバストが見えているがその形は整っていない。スカートはミニで大根のような足がむき出しで、少し高い位置に上がれば紫色の下着が見えそうだが、しぐれ本人は隠そうとする気もなかった。
「でもあんまり長く留守にするとあの将校に怒られるから、連れ戻すじゃん」
しぐれはすべての指にはまった宝石のついた指輪をうっとりしながら見つめる。
十本の指、一つずつ宝石の種類が違う上に日本で見られるような指輪とは宝石の大きさが比べ物にならず、爪の先ほどもある宝石も珍しくない。
「こんないいものくれるんだから、あの将校の言うこと聞くのも悪くないじゃん。今までのパパの中であいつが最高じゃん、でも」
手に持った小指の先ほどの大きさの香水の瓶を見つめながら、しぐれは眉根を思いっきり寄せ、口元を映画化ドラマの演技のように激しく歪めて呟く。
「なんであいつには私のクラフトが通じないんじゃん?」
瓶の中の紫色の液体がしぐれの顔を映し出していた。
お世辞にも美人とは言えない顔だが、男が何をすれば、何を言えば喜ぶのかを知りつくしたしぐれにとっては問題にならない。
姿見に改めて自分の顔を映し出したしぐれは、自分の顔がはっきりと映し出されるのを見て一瞬だけ顔をしかめるがすぐに山と積まれた化粧道具を用いて「仕事」を始める。
チークで頬に艶と色気を出し、ファンデーションをべったりと塗って不節制のためあちこちにできたシミやそばかすを隠す。口紅を高校生とは思えないほど色濃く塗り、更に髪を化粧に最も合う形に整える。
一時間後、素の彼女とはまるで別人が鏡に映し出されていた。
「女は化粧で化けるってほんとじゃん。化粧があれば、男なんて簡単に釣れた。後はテクの出番じゃん」
しぐれはそう言いながら、人間が生まれ持っている細長い物体を撫でまわすように指先を動かす。彼女の指先は一本一本が巨大な蛆のように動く。その動きは時に優しく、あるいは激しく、最後には情熱的に。
「私に逆らえる男なんて、この世にいないじゃん」
しぐれは幕舎から出て、陣地の出口に向かう。
見張りは陣地から抜け出そうとするしぐれを咎めようとしたが、しぐれが香水の瓶を軽く振ると呆けたようにその場に立ち尽くし、しぐれを通した。




