ドルヒ、飛べない?
その瞬間。
僕の背中に。
これまでで一番恐ろしい予感がした。
何か巨大なものに、決して手の届かないところから狙われている感触。
よけて、そう言う暇すらなかった。
だがドルヒも感づいていたらしくその場から弾かれるように後方へ大ジャンプした。周囲の木々を見下ろす高さまで跳び上がる。
今まで僕たちがいた空間を、火の雨、いや火の滝が天空から降り注いで焼き尽くすのが見えた。
空中で視界をきりえから外し、火の滝を上へ上へと追っていく。
火の滝の最上部にはそれを生み出す存在がいた。
真っ黒な全身を覆う鱗。
翼は蝙を思わせ、尾は蛇を思わせ、頭は鰐を思わせる。天空の王者にしてファンタジーではおなじみの最強の種族、ドラゴンだった。
「これが私の一番のペット、ドラッヘちゃんで―ス。私のクラフトの真の力をお見せしまース。焼きつくしちゃいなさイ」
きりえはネズミをいたぶって殺す猫のような目つきで僕たちを見あげ、鞭を振るった。
そこで僕が思ったのは恐怖よりも驚愕よりも、疑問だった。
「なんで竜虎を一度にけしかけなかったんだろう?」
「あのレベルを二体一度に使役するにはクラフトの許容限界を超えているのであろう」
「ありがとう、ドルヒ。これで心おきなく殺しに専念できるね!」
「ああ」
ドルヒは追い詰められたネズミのように、悲壮に、だが愉悦に満ち溢れた顔で笑った。
ついさっきまで僕たちが立っていた緑あふれる草原が、黒焦げの荒野と化す。
「あはハ! さっきまでの威勢はどうしたんデスー?」
きりえはドラゴンの背中に乗って、上空から僕たちを見下ろしていた。
軽く鞭をふるとドラゴンの喉の下が膨らみ、次の瞬間には火の滝を降らせてくる。
文字通りの火の「滝」だ。空から降り注ぎ、かわしても剱田の衝撃波のようにすぐには威力が消えずに継続的にダメージを与え続ける。
溶岩を吐いているというのが一番しっくりくる攻撃で、溶岩を吐くのならばそれが冷えて固まると岩になるのだけれど、魔力で生成されているためか数十秒ほどで冷え始め、消えてなくなる。その後は焼き尽くされた荒野だけが残るのだ。
空を飛んで吐いてくるからこっちからは攻撃しようがない。ドルヒが何度か石を投げるが、火の滝に溶かされるだけだった。
「ドルヒ、飛べない?」
「たわけ。吾輩は短剣術、人体の急所の情報、それに人間に害のありそうな物質の情報しか能力がないぞ」
僕たちの攻撃は決して届かず、相手の攻撃は僕たちを一方的に攻撃できる。
この絶望感、この世界に来てコカトリスに内臓を食われながら殺されかけた時を思い出す。
あのときは全く抵抗できなかった。
力もなかった。
クラスメイトの裏切り…… いや、騙されていただけか。に遭った。
でも今は力もあるし仲間もいる。
あの時ほどの絶望感は感じない。
「でもこのままじゃじり貧だ。何か考えはない、ドルヒ?」
「ないな」
一縷の望みを込めた僕の言葉にドルヒは何も飾らず、簡潔に述べる。
うん、こういう空気を読まない発言は好きだ。
真実のみを簡潔に伝えるのは素晴らしい。
「こちらの攻撃は届かぬ。あちらの攻撃は届く、そして致命傷を与える威力がある。それだけだ。残るはあちらのスタミナ切れを待つしかあるまい」
スタミナ切れか……
そんなの、あるんだろうか。
「まあ、スタミナ切れを起こしたら空を飛んで逃げ、仲間を呼ぶであろうな」
ドルヒは絶望的な状況を淡々と述べるが、まったく絶望した顔をしていない。というか、さっきからずっと笑っている。
「なにか勝算があるんじゃないの、ドルヒ?」
「ない。だが目の前に殺したい相手がいて、わざわざ逃げずに目の前にいてくれているのだぞ、これに勝る喜びなどはあいつのハラワタをズタズタにした瞬間くらいだろう」
ドルヒは腕や顔を軽くやけどしながらもワンピースタイプのドレスをひらめかせ、攻撃をかわす。
「それに」
ドルヒは口元を三日月の形にゆがめる。
「あのドラゴンは虎と違って防御力はそれほど高くなさそうだ。今まで人間、魔物、あらゆるものを切り裂いてきたからか、吾輩は人間でなくともある程度の防御力と言ったものは把握できる」
手元を貫手の形にすると、先端の爪は何も塗っていないはずなのに光沢のある木材のような光を放っている。
「おそらくあのブレスと飛行能力にソースを割かれているせいで、防御力にまでは回らなかったのであろうな。当たれば堕とせるであろう」
さすがはドルヒだ、きっとこういう子の元には神か仏かそれとも悪魔が救いの手を差し伸べてくれるに違いない。




