屈服 媚
日が落ちてしばらく経った。夕暮れの太陽の代わりに月と星が空を占領し、仕事帰りのアラフォー・アラサ―たちが店に入ってくる。
「おーい、こっちに酒だ!」
「こっちは肉だぞ! 早くしてくれ!」
店内に怒号にも似た注文の声が響き、飲食店という戦場をウエイトレスという将兵が料理という鉄砲玉を携えて走り回る。
さすがに剱田たちのように無茶ぶりする人はいないけれど、それでも客全体の気性が荒々しくなってきている。僕やエデルトルートはこういうのは苦手だ。
エデルトルートは岩崎に乱暴されかかった経験があるのでヒロイーゼさんが考慮してくれており、この時間帯は厨房の方に回してもらっている。
僕も荒々しい客をなんとか我慢しながら仕事をこなしていた。
僕一人なら逃げ出すか客の頭でも握りつぶしてやるところだけれど、ヒロイーゼさんのためにそれはするわけにはいかない。
ドルヒは最初の空いている時間で練習させられたのである程度は慣れたのか、額に青筋を浮かべながらも辛うじて接客をこなしている。
大体の客はドルヒの美貌に目を奪われ、呆けたように後姿を見送ることしかできないが、たまにドルヒを夜の町に誘ったりナンパしようとする客もいる。
「もうし、わけありま、せん。当店ではそのようなサービスは承っておりません」
所々つっかえながらもドルヒは穏やかな言葉で笑顔を持って断っていたが、限界は来た。
「そこの美人でかわいすぎるおねえさーん!」
客の中でもとりわけ若く、僕たちの世界なら男子高校生くらいの人間が赤い顔をしてドルヒを呼びつけた。
その呼び方にドルヒは拳を握りしめて歯を食いしばることで耐えながら、その客の方へ向かう。
「俺と一晩○○○しない?」
その声に周囲の空気が凍りついた。酔った客でもさすがにこれはまずいと思ったのだろう、隣に同席している二十代半ばくらいの上司らしき人が肘で小突いて遠回しに注意するが、調子にのったその男は口を止めない。
「あれー? お嬢ちゃん、恥ずかしがってるの? ひょっとして△△?」
ドルヒは即座にその男の手首を握り、関節を極めながらドスの利いた声で凄んだ。
「口を慎め、下郎が。貴様の粗末な一物切り刻んで鴉の餌にでもしてやろうか」
ドルヒの指が軽く曲がって人をえぐる時の形になった。
その殺気に男の上司も、周囲の客も顔を青くし、酒瓶を取り落とす。
だが凄まれた当のその男は顔を青くして いなかった。
「……いい」
紅潮して目を潤ませていた。
「は?」
さすがのドルヒもあんぐりとしていた。
「その物理的にも精神的にも俺を屈服させようとするの、すごくいい! 屈服させるのが好きだったけど屈服させられるのもたまんねえ!」
「そ、そうか」
頬を染め熱く語りだしたその男の様子にドルヒは一歩後ずさる。
その後すぐ、ヒロイーゼさんにドルヒは呼び出された。フロアリーダーの人もいる。
僕もヒロイーゼの付き添いでついてきていた。
バックヤードにしばらく、重々しい雰囲気が流れる。
ドルヒが開口一番、頭を下げた。
「すまぬ、ヒロイーゼ殿。貴殿の教えを無駄にしてしまった」
頭が冷えたのか、自分がしてしまったことに気がついたらしい。唇をかみしめて自責の念に苛まれているようだ。。
「僕がもっと注意しておくべきでした……」
僕も一緒に頭を下げる。僕のミスじゃないけど、ヒロイーゼさんにドルヒを紹介したのは僕だから僕にも責任がある。
「まあ、やっちゃったことは仕方ないけれどね……」
ヒロイーゼさんは頭をかきながら苦い顔をしている。
あれ……? これは、あんまり怒ってない?
「あのお客、しつこくてやになってたのよー。他の子も嫌な思いしてたしね」
フロアリーダーの人もあまり責める感じはしない。
「あまり褒められた行動じゃないけど…… 客受けは悪くなかったみたいだしね」
ヒロイーゼさんは、ドルヒの肩をぽんと叩いて言った。
「あなたに普通の接客は無理そうだし、これで行ってみましょうか」
そんなのでいいのっ?
「ドルヒちゃーん!」
「吾輩をちゃんづけで呼ぶな、屑が」
夕方の店は今日も満員だ。そんな中、ドルヒがぞっとする視線でお客を睨みつける。
あの目、殺る目だ。
だが殺気を込めた視線を向けられたお客はと言えば、
「おお、またドルヒちゃんに睨まれちまったぜ!」
「あの美貌で決して媚びねえってのがいいよな!」
ドルヒが毒舌接客を初めてから、店の売り上げはさらにアップしたらしい。
これならすぐにでも剱田たちの損害分を取り戻せるだろう、ということだ。
「ふむ、接客とはありのままの姿をさらすことであったか」
絶対、違うと思う。
だけどドルヒと周りの客が良いならこれでいいか。




