見て見ぬふり
「なんだったんだ……? 今の夢は」
僕は寝汗で肌に張り付いた服をはがしながら呟く。
夢とは思えないほどに生々しくて、リアルな感覚だった。
この手に、この口に、排せつ物が口に入った時の感覚や煙草を押しつけられた時の痛みや熱さがはっきりと残っている。
『どうしたのだ? 相棒』
僕の隣でナイフの姿になっているドルヒに声をかけた。
どうやら一定以上レベルが上がると武器・人の姿のどちらを取るか自由に変えられるようだ。
僕はドルヒに今見た夢の内容を話す。
だがすぐにドルヒは返事もせず黙って聞くようになり、そのうちに僕の話を遮ってしまった。
『相棒の気のせいだろう…… しょせん夢だ、気に病むことはない』
恥じるような、悔いるような、自分自身を責めるようなそんな感じだった。
「それよりも早くいくぞ、相棒。今日は吾輩の初出勤の日だ」
城外の河原で野宿していた僕たちは川の水で顔を洗い、着替えた。ドルヒも人の姿に実体化している。
ミュンヘンの町にいく途中の川で旅人と出会った。簡素なフードとマントのついた旅装束に身を包み、背中に先端がぐるぐるキャンディーみたいな円を描いた木製の杖を背負っている。
女子一人旅のようで、馬を近くの木につないで革袋に水を汲んでいる。
少し前だったらあの子もレベルアップの糧にしてるところだけど、今はもうただの人間を狩っても大して意味がない。
そう思って通り過ぎようとしたけれどドルヒが彼女のことをものすごい形相で睨みつけているのが見えたので、足を止めた。
「ひょっとして、あの子が復讐対象?」
でもドルヒは首を横に振った。同時に真っ黒な髪が宙を踊るように舞う。
「いや、ただの昔のクラスメイトだ。だがあいつは吾輩が苦しんでいるのを見て見ぬふりし、我が身の安全だけを優先しおった。殺す」
見て見ぬふりか。
そう聞いて、僕は僕をコカトリスの餌にして放置した村人たちのことを思い出した。
屑だな。屑は殺さないと。
僕は頭のスイッチが切り替わるのを感じた。
何人も殺していくうちに気分の切り替えができるようになってきた。いつも人を殺す時と同じ精神状態でいると頭がおかしくなってしまう。
普段は花を愛で虫すらも愛し、いざという時にはためらわない、そんな精神状態が理想だと気がついた。宮本武蔵はじめ昔の武芸者には芸術家が多かったらしいけど、彼らも殺しと殺しの間、つかの間の安らぎを求めたのかもしれない。
「さくっと後ろから刺しちゃう?」
彼女も何らかのクラフトを持っているだろうから、そうしたほうが確実だろう。
「それでは飽き足らん。並の悪魔なら引けは取らんと言ったはずだ。ここは吾輩と同じ目に合って死んでもらう」
ドルヒの復讐に僕が手を出すのも野暮だな。見えないところから見守ることにした。
もちろんドルヒが危なくなればすぐに助けられる位置だけど。
ドルヒはさっきまでの形相が嘘のように穏やかな微笑を浮かべつつ、クラスメイトに近付いていく。
後ろからいきなり話しかけたりせず、クラスメイトが水を汲み終わり、ドルヒの方を向くのを待って挨拶した。
「久しぶり、かんなちゃん」
「みなも……?」
クラスメイトはかんな、ドルヒの前の名前はみなもっていうのか。
でも彼女をみなもと呼ぶ気にはならなかった。
自分の名前なんて、嫌いに決まってる。
「あなたも実体化できたんだね」
「うん。みなもちゃんたちがいなくなったことが噂になってすぐに私もあの真っ白い空間に連れて来られたんだ。私のクラフトはべヴェ―ゲン(bewegen)。動かないものを動かせる力だよ。リハビリの仕事に興味があったから、この力で脳卒中で麻痺して手足が動かなくなった人を助けてあげるんだ」
「立派な夢だね」
ドルヒは顔は笑ってるし、目も笑っているけれど雰囲気が笑っていない。
あの顔はどうやって人を殺すか必死に考えている顔だ。
「でもみなもちゃん、すごい美人になったね」
「経験値を稼ぎまくったせいかも、しれん、な」
美人と聞いてドルヒの顔が一瞬で曇る。言葉もなんとか怒りが漏れないように必死で押さえているようだ。
そしてドルヒの目は憎しみと恥ずかしさ、殺意がごちゃ混ぜになったような感じだ。
「ど、どうしたの? 悪いこと言った?」
かんなはじりじりと後ずさる。ちょっとした動きを見ただけで、幾多の視線をくぐりぬけてきた経験が僕に教えてくれる。かなりのレベルのようだけどあれではドルヒの敵じゃないな。
夢の中の出来事はやっぱりドルヒのことだ。今ので確信した。
「見た目が良いとね、男に売られるんだよ……」
「だ、誰がそんな……」
かんなは更にもう一歩後ずさる。顔色は既に真っ青で、膝も笑っている。
「あんたたちがいじめられた私を見殺しにしていたせいだろうが!」
ドルヒが感情を爆発させると同時にかんなの首を締めあげる。レベル差は圧倒的らしい、ドルヒの華奢な指がかんなの白い首に食い込むと同時にかんなは崩れ落ちた。
「どうするの?」
僕は物陰から声だけを出す。
「無論、吾輩と同じ絶望を味あわせてやる」




